死闘2

 真上から振り下ろされた斬撃を半身をひねって避けつつ、前へ踏み込んだ。全体重を乗せてダリウスの肩を突き刺す。硬く鈍い感触が手に伝わる。


(こいつ、鎖帷子くさりかたびらを着こんでいる)


 鎖帷子くさりかたびらは革鎧の下に着込む防具だ。鉄と同じように硬く、しかし鉄よりも軽いザトラという鉱物が使われており、これを溶かして鎖状にしてから編み上げた服のようなものだ。鉄の板で作られた鎧よりも軽く、柔軟性に富んでいるため戦場での動きに支障をきたさず、その上、生半な刃などは通さない。それがかえって厄介で、舌打ちが漏れた。


棍棒こんぼうでも持ってくればよかったか)


 刃は通らなくても、棍棒こんぼうでめいいっぱい叩けば鎖帷子くさりかたびらの上からでも相手に傷を負わせることが出来たのに。

ダリウスの刺突しとつが、ルシュディアークの右腕へ襲い掛かった。腕を強く押されるような衝撃と共に、火箸ひばしを押し当てられたような痛みがやってきた。怯んで剣を取り落とした途端、腹を強く蹴られた。鈍い痛みと共に、体が傾いでゆく。更に一発。蹴りつけられたと悟った瞬間には、既に大地に横たわっていた。

苦痛にもがきながら見上げれば、ダリウスの右足が腹の上に乗っていた。剣を振りかぶるダリウスを視界に収めながら、ルシュディアークは咄嗟とっさにダリウスの右足を両手で掴んだ。振り下ろされる刃を視界の端に捉えながら、全身をひねるようにして、ダリウスの足を引き倒す。振り下ろされた刃の先が額を掠め、ほどけかけたモズルの頭帯に突き刺さった。重心を崩され、ダリウスが倒れゆく。

ルシュディアークはすぐさま体を起こすと、恐ろしい速さで腰から短剣を引き抜き、倒れたばかりのダリウスの首に刃を突き込んだ。

それは身体ごと突き刺すような勢いだった。短剣が柔らかいものに沈み込むような感触が手に伝わる。ダリウスが、喉に突き立った剣に手をやり引き抜こうと力をこめた。そうはさせまいと、短剣の柄に力をこめる。自分でも訳の分からない唸り声を上げながら。ダリウスの命を絶つために深く、深く刃を穿うがった。

瞬間、横面を殴られ、突き飛ばされた。拍子で抜けた短剣が手元に落ちた。鈍い痛みと共に起き上がると、ダリウスもまた、血を吐きながら立ち上がった。破れた水袋のように首からあふれる血を手で押さえながら、血走った眼でこちらを睨んでいた。


(まだ、立ち上がるか)


 首を突き刺してやったのに。

 まだ、生きている。

 そう思った途端、冷めかけていた気持ちが再び熱く沸き立ってくるのを感じた。震える手で、転がった短剣と剣を握りしめる。


「……先の一騎打ちでの約束は覚えているな?」


 ダリウスが血を吐き出しながら、頷いた。


「水を差されたとはいえ、約束は約束だ。俺が勝てば、この場から兵を引いてもらう」


 くす。と、ダリウスが皮肉めいた笑みを浮かべた。

 既に勝負は決まっている。約束などと今更……。そんな笑みを浮かべているようにも見えた。


「……そうだったな。今更か」


 ダリウスは答えない。喉奥まで刺し貫いたせいか、声が出せないようだった。


「いま、楽にしてやる」


 ダリウスはよろけながら足を一歩、前へ踏み出した。その度に鮮血が服を汚し、足を汚し、大地を汚した。二歩、歩み。三歩目で大きくよろめきながら、足元に転がった剣を掴む。


「ダリウス様、もうおやめください!」


 固唾をのんで見守っていた集団の中から、青年兵がダリウスの前に進み出た。ダリウスを背後にかばうように剣を構え、こちらを睨んでいる。

そんな彼の肩にダリウスは手をやり、彼をじっと見つめた。まるで邪魔をする者を遠ざける様な表情を浮かべると、ふっと微笑んで、青年兵の肩から手を放した。くしゃりと、青年兵が顔を歪ませた。ダリウスが首をゆっくりと横に振ると、青年兵の肩を押した。よろけた彼は今にも泣きださんばかりの顔つきでダリウスの足元に座り込んだ。

それを見届けた後で、ルシュディアークは再び剣を構えた。


「……別れは済んだか」


 ダリウスも分かっているのだろう。穏やかだった表情かおに戦意が宿る。おぼつかない足を叱咤しったしながら、大きく踏み込んだ。よろめきながらも剣を振り上げ、口角に血泡を噴出させながら迫って来る。一閃。

足元に転がった松明の炎が、両者の姿を闇に浮かび上がらせた。

ダリウスの剣はルシュディアークの左肩を斬りつけ、ルシュディアークの剣はダリウスの右目を貫いていた。

ぐらり。と、ダリウスの体が大きくかしいだ。握られていた剣が手からこぼれる。しばらく両足で堪えていたかと思うと、一息に倒れ込んだ。


(……逝ったか)


 勝ったという高揚感はない。かつてのように人を殺したことへの恐怖も無ければ後悔も無かった。ただ、心に無があった。

ダリウスのそばへ歩み寄ると、しゃがみ込んで顔を覗き見た。血走った眼は何処ともない天を見上げ、微かな呼吸音が口元から血泡と一緒に漏れ出ている。


「その勇姿と気概、アル・カマルの第二皇子として褒め称えてやろう。敵とはいえ約束を守る姿をこの俺に見せつけた貴様のこと、生涯忘れん」


 だから今はもう、眠れ。

 言葉にしたかった声を聞き届ける前に、ふっと、ダリウスから力が抜けた。あぁ、逝ったのだと思った瞬間だった。その悲鳴のような嗚咽が響いたのは。


「ダリウス様あぁぁぁぁ!」


 絶叫のような気迫と共に斬りかかって来る彼を、ルシュディアークの前に飛び出したアクバルが斬り倒した。青年兵は鎖帷子くさりかたびらでも着込んでいたのだろう。憤怒の顔つきで剣を杖代わりに起き上がり、ふらつく足で剣を構えなおした。声は既に枯れ、意味の分からない唸り声を上げながらこちらを睨んでいる。


「……貴様、よもやダリウスの亡骸を放置したまま戦うつもりか?」


 問い訊ねた瞬間だった。青年兵の顔から、憤怒の表情が一瞬にして消え去ったのは。


「主の雄姿、そなたも見ただろう。俺から受けた恥辱に耐え、二度の一騎打ちを命を賭して果たして見せたその気概を。それは全てこの場にいるお前達の為でもあった。こやつはな。いいや、ダリウスという将軍は、無駄な血を流す争いごとをいとうていた。自身の配下が殺されることを良しとしないからこそ、俺と言う敵に一騎打ちを仕掛けたのだ。そして、ダリウスは敗れた。将として、一人の人間として命を賭して、俺と言う敵に敗れたのだ。その男の骸を、配下である貴様が放逐ほうちくするのか」


「それは……」


「答えられないか!」


 戸惑いを見せる青年兵を睨む。


「こいつは、俺との約束を命を賭けて守ってくれた。文字通り、血を流して。その約束を他でもない、ダリウスの背後で守られ続けていた貴様が反故にし、亡骸を放逐して戦い続けることはダリウスを侮辱する事にも等しい」


 ダリウスは敵であった。けれども、その志は敵ながら立派なものであったように感じる。それを、この青年兵がけがすというのならば。

痛みで震える右手で剣の柄を握り直し、切っ先を青年兵へ向けた。


「ダリウスを侮辱したいのならば、俺が受けて立ってやる」


 ルシュディアークが剣を構えると、さっと、青年兵の顔に朱が差した。


「そんな事、分かっている!」


「分かっているのならば、主の骸を抱えて今は引け!」


 青年兵が俯いた。その時、何か雫のようなものが砂の上を濡らしたように見えた。じっと、青年兵を見守ると、青年兵は事切れたダリウスを振り返り、亡骸を抱きしめるようにして、静かに嗚咽を漏らした。

その泣き声が呼び寄せたかのように、空には朝日が昇り始めていた。




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