一騎打ち

 剣を正眼に構える。ダリウスもまた同じように剣を構え、じっと、こちらを見据えていた。丸岩のような体躯に鎧をまとい、その下に長衣のような鎖帷子くさりかたびらを着て、腹には分厚い獣の皮を何重にも巻いている。その体から、乾いた血の匂いがした。


 剣の柄を握り直し、息を深く吸う。胸が苦しくなる程の殺意を向けられているのに震えが沸き起こってくることは意外にも無かった。今まで沸き起こってきた恐怖もなく平静としている。そんな自分自身に軽い驚きを感じながら、剣の柄をもう一度握り直し、ダリウスを睨んだ。


(ダリウスには、負けられない)


 ハリルと、この場にいるカムールの戦士達の命を守るために。


(たとえ、相討ちになったとしても!)


 一歩、二歩、前に踏み込んだ。三歩、四歩、大地を蹴る。ダリウスの剣を薙ぎ払うように真横に振った。ダリウスも前へ踏み込み、ルークの剣を剣先で力任せに弾いた。剣が叩き壊されてしまいそうな悲鳴を上げた。ルークは決して剣から手を放さなかった。一撃の重さなど、後ろに控える何千ものカムールの戦士たちの命に比べたら、軽かった。斬撃を後方へ跳躍して避け、側背に回り込んで斬りつける。ダリウスは腹に埋めるようにしてしまい込んでいた肉切り包丁のような短剣を抜き放ち、ルークの剣を防いだ。


「この程度とは笑わせますな」


 ダリウスが苦笑する。挑発だったが、ルークは逆上することもなくただ冷静に受け流した。そのままダリウスの短剣を押し返し、流れるような動作でダリウスが握っていたもう一方の剣を、後方へ跳び退って避ける。ダリウスが更に踏み込み、横凪に剣を振う。それを剣の刀背で受け流し、弾く。続いてやってきた短剣の一撃を後方へ跳躍し、避ける。土煙が、ざあっと、舞った。


(両手の剣と短剣が厄介だ)


 いわば、ダリウスの両手に握られた剣と短剣は、剣と盾だ。

剣で斬り伏せようとすれば片方の剣で動きを封じられ、短剣に斬りつけられる。どちらかの剣を取り落とさせなければ、ダリウスへ刃は届かない。

上がった呼吸を一度大きく吐き出して前へ踏み込む。狙いは既に決まっていた。ダリウスの腹を狙って斬りつけると見せかけて、手指を斬りつける。ダリウスは腹を守るように剣を前に突き出した。

剣先に手ごたえがあった。肉を斬り、骨を断つ、あの感覚が剣先から手指に伝う。ダリウスの右手には、深々とルークの剣が突き刺さっていた。しかし、ダリウスは痛みに怯むどころか、口角をにぃっと笑みの形に歪めると、更に一歩踏み込み、左手に持っていた短剣をルークの脇腹に向けて振った。


 何もかもがゆっくりと見えた。ダリウスの短剣の先が衣服の上をなぞり、その下の皮膚を切り裂き、続いて燃えるような熱い痛みがやって来る。どろりとした生暖かいものが脇腹を伝い落ち、ぱしゃん、と、足元で溶け落ちた。


「これ、は……」


 ダリウスの握っていた短剣の刃が溶け、銀色の液体となって二人の足元を汚していた。赤く発光した短剣の柄を握りしめ、驚愕の表情を浮かべるダリウスを見たルークは、はっとしたように周囲を見渡した。


 周りは人、人、人。武器を持ったアル・リド王国軍の兵士やカムールの戦士達が固唾を飲んでこちらを見つめている。その中に、ただ一人だけ、こちらに赤い燐光を纏わりつかせた指先を向けて突っ立っているアズライトがいた。目が合った瞬間、斬られた脇腹の痛みも忘れ、


「邪魔をするな!」


 叫んでいた。アズライトの金色の双眸が、哀しげに歪んだ。


「……水が入りましたな」


 身体ごと振り返れば、血塗れの右手をかばうダリウスがこちらを見つめていた。いや、ダリウスだけじゃない。この場にいる全員の、特に王国軍の兵士達からの視線がルークに集中しているのを感じた。突き刺さるような視線の中で、ルークは唇を噛みしめた。


「邪魔を入れさせて強引に止めさせたのか」


「なんと姑息な」


 何も知らないアル・リド王国軍の兵士たちの囁きが胸に痛い。聞きたくなかった騒めきは、瞬く間に水の波紋のように広がっていく。一騎打ちに邪魔を入れたということは、信条と矜持を重んじる戦士達にとっての侮辱にも等しい。こちらを見つめていたダリウスが首を振る。顔には落胆の色が浮かんでいた。


「約束は、やはり反故といたしましょう」


 大きなため息を一つ。そして、怪我の無い左手で短剣を掲げ、


「残念ではございますが、いま、ここで、おさらばです」


 ルークへ向けた。アル・リド王国軍の兵士達が剣を構え、槍を構えて突撃を再開した。ダリウスが再びルークへ肉薄する。血塗れの短剣で斬りつけようとするのを、すかさず割って入ったハリルが、槍で防ぎ、叫んだ。


「殿下をお守りしろ!」


 ルークとダリウスの間にカムールの戦士達が集まり、刀剣を引き抜きダリウスに挑みかかる。その誰も彼もが、ダリウスに叩き斬られていく。戦う群衆と化した彼らの後方から、駱駝に乗った戦士達が、道の向こうから突撃してくるアル・リド王国兵へ弓矢の雨を降らせていった。それへ、アル・リドの兵士達は盾で身を庇いながら突撃してゆく。怒号と悲鳴の入り混じる中でルークはあっという間にダリウスと引きはがされていった。


「ここは俺が引き受けますから。どうか殿下はアムジャードまで避難を。モハメドさん、殿下の事、よろしく頼みます」


「心得た」


 それはつまり――――ハリルが盾になって、ダリウス達の進軍を阻むということで。


「駄目だ、ハリル」


 いまの自分はきっと、酷い表情をしているのだろう。ハリルの険しい表情が、一瞬だけ困ったように緩んだ。そして、あやすような口振りで、


「駄々こねてないでさっさと逃げちゃってくださいよ。でないと、俺達も後から逃げられなくなっちゃうでしょう?」


 まるで背中を押すような頬笑みを浮かべ、カムールの戦士達と戦っているダリウスへ向き直った。


「南カムール領主、アクタルの仇、ここで取らせてもらいます!」


「俺だって仇を取る権利がある!」


 遅れてやってきたソマが、応じるように叫び、


「アムジャードに着いたら、ちゃんと迎え入れてくださいよ。入れてくれなかったら砦に石を投げますからね!」


 スルワラは剣を抜き、王国軍の方へ駆け抜けてゆく。その中には幾人もの見知った顔がいた。言葉を交わした者がいた。そんな彼らの背中が、剣戟の中に紛れてゆく。


「駄目だ、何のためにお前達を下がらせて、一騎打ちに応じたと思っているんだ!」


 叫んだけれど、その言葉は怒号と悲鳴に混じって誰の耳にも届きはしない。モハメドが、肩を叩いた。


「行きましょう。殿下」


「嫌だ! 俺も戦う!」


 モハメドが諦めるような顔つきで首を振った。


「殿下、失礼」


 そう言って、モハメドはルークの腰に腕を回すと、軽々と担ぎ上げた。まるで、さっきのハリルがしたように抱えると、あやすように背中を叩いた。その手つきが優しくて、胸の内に溜まっていた重苦しいものが涙と一緒に溢れだしてくる。気付けばモハメドの服を涙が濡らしていた。


「涙をお見せなさいますな。機は、また訪れましょう」


「嫌だ」


「殿下、聞き分けなさいませ」


「見捨てるのは嫌だ!」


 叫びと共に、赤い光が硝子谷で衝突するカムールの戦士達と、アル・リド王国軍の間に顕現けんげんした。それは赤く輝く壁だった。壁は瞬く間に硝子谷の一本道を塞ぎ、斜面まで拡大する。やがて、両軍の間に不可侵の壁が展開されると、壁を展開した女は、壁の内側で唖然とするアル・リド王国軍の兵士達とダリウスを一瞥して指を鳴らした。ぱちんと、音がするかしないかのうちにダリウスと、もう一人の男を残して、アル・リド王国軍の兵士達が赤い光に串刺しにされていた。


「勝敗は決しました」


 そう言って、アズライトは涼やかな表情をダリウスに向ける。やがて、ダリウスを庇おうと立ち上がった男へ感情の無い眼差しをやり、言った。


「ダリウス、イスマイーラ。私達と共に、俘虜ふりょとしてアムジャードまで同行願います」

 

 骸の山と化した壁の内側に、谷からの風が吹き荒んだ。




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