茜色と、透明な君と。

ちょき

プロローグ

 朝起きると、私は自分のベッドの上にいた。

 至極当たり前のことだ。のっそりと布団の中から這い出すと、目覚まし時計を見た。もうこんな時間。確実に遅刻だ。まあ、別に、どうだっていいや。そんな諦めに似た感情が、私の頭の中を埋めた。

 ゆっくりと伸びをして、カーテンを開ける。

 柔らかな朝の日差しが、いつものように部屋の中を照らした。

 時計をもう一度見る。始業二十分前、学校までは徒歩五分。朝食を食べる時間もなさそうだ。と、そこまで考えて、ふと気が付いた。そういえば、私、別に朝食抜きでも平気な人だ。別に大した問題は何もなかった。

 さあ、早く学校に行かなくちゃ。ハンガーにかかった制服を取り出して、くるくると身支度をする。長い髪は軽くブラッシングして、そのまま。制服のリボンをキュッと結んで、形を整える。これでよし。荷物の用意は大丈夫。昨日のうちにしておいた。多分忘れ物はないだろう。あったとしても、こっそり取りに来ればいい。

 部屋の扉の隙間からするりと抜け出して、玄関へ。

 あ、そうだ、忘れてた。外へ出る直前に振り返って、いってきます、と小さな声で呟く。母は台所で洗い物をしていて、気づかない。弟も無気力にパンの耳をかじってる。これも、最近はいつものことだ。気にせず私は通学路を急ぐ。

 もう七月のはじめだ。梅雨が終わり、雨こそ降らないものの、蒸し暑く、過ごしづらい季節。少し速足で歩くだけで、じっとりと全身に汗が滲む。一見爽やかで清々しい青空も、この季節の中では、気分をさらに萎えさせるだけだ。まあそれもいつも通りといえばいつも通りのこと。それほど気に病むことじゃない。

 さて、時間もないし、近道しよう。薄暗い路地を抜け、家と家の隙間をするりと通り抜ける。足取りも軽く、曲がりくねった道を突き進むと、ほら、もう学校が見えてきた。少し駆け足で校門へ向かう。肩に掛けている鞄を揺らしながら、腕時計を見た。始業まであと十分。上出来。雲一つない青空に、にっと笑いかける。と、私は全速力で教室に向けて走り出した。


 がらがらっと、教室のドアを開ける。

 賑やかにおしゃべりをしているクラスメイトたちは、誰一人としてこちらに気づかない。これもまた、いつものことだ。

 自分の席へ向かうと、ごそごそといつものように準備をはじめた。しばらくすると、誰かが私の席に近づいてきた。

「おはよう、夕花」

 そう声をかけてきたのは、私の親友の七瀬玲。

 ぱっちりとした、茶色い瞳。肩までの長さの、ふんわりとしたウエーブのかかった髪。ほんのり桃色に色づいた、やわらかそうな頬。学校でもトップクラスに入るであろう可愛さだ。しかも、優しくて、明るく元気で、頭がいいときたもんだ。もちろん、学校での人気は凄まじい。どうしてこの子は私なんかと仲良くしてくれるのだろう、と思わないこともないが、そんな引け目も感じさせないくらい、玲はいい子だ。

「ねえ、夕花。今日は体育の授業、夕花の大好きなバスケだよ」

 彼女にしては珍しく、俯きながら、ぼそぼそとそう呟いた。

 最近彼女に元気がない。いや、彼女だけじゃない。クラス皆に、最近元気がないのだ。

 当然のことだ。あんなことがあって、まだ一週間しか経っていないのだから。

 いつもの風景。いつもの日常。それも、数日前の非日常以来、どこかぎこちなくなってしまった。


 右から二番目の、一番前の席。

 そこは、今日も依然として、空っぽのままだ。

 この席に座るべき彼は、たぶん、もう二度と、現れない。

 

 最期に見た、彼の哀しそうな目が、ふと思い浮かんだ。

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