七、ツアレは悪魔に約束する
暴動が終わってから、数時間。
デミウルゴスはナザリックで済ませられる仕事はひととおり済ませ、牧場で代理に指揮を執っているプルチネッラに一言二言指示を出したあと、第七階層に戻った。
崩壊した神殿の手前、居心地悪そうに佇む吸血鬼を見つける。
「シャルティア」
「お、おかえりでありんす」
「どうしたんだね、そんなところで」
うぅ、とシャルティアはばつの悪そうな顔で呻きを漏らす。上目遣いにこちらをうかがい、壁にもたれかかって床をえいっと蹴り、デミウルゴスがむっとしたのを察して慌てて謝罪し、「用件がないなら帰ってもらいたい」とデミウルゴスがやんわり告げるとぶんぶんかぶりを振り、やや早口にまくし立てるように、
「また褒められておりんしたね、デミウルゴスは。あの暴動のとき、修理費用がほとんどかからないようにと気を配って動いていただなんて。自分が殺されそうになっているのに、よくやるものでありんす」
「わざわざそんなことを言いに来たのかい?」
「ち、違いんす! そうじゃなくて、その……」
吸血鬼は泣き出しそうに顔を歪める。まるでこちらがいじめているようだと悪魔が辟易しはじめた頃、ようやくぽつりぽつりと、どうにか言葉を絞り出すように、
「この前は、ごめんなさい。あんなことを決して言うべきではなかったわ。アインズ様が……ご不快になる、なんて。シモベにとってそれがどういう意味を持つか、わたしだって……いいえ、あんな失態を犯したわたしこそが、一番よく分かっているはずだったのに」
「謝ることはありませんよ。あなたが後悔していると察していながら、感情を抑えられず発言してしまった私の方こそ、申し訳なかった」
まあ引き金を引いたのはセバスだし、そのあと絶望的に拡大させかねなかったのもセバスのせいで、つまりなによりセバスが悪い、とは思っているけれども。
シャルティアはぱっと顔を輝かせ、
「えっ、そうなの? わたしが悪いんじゃないの? いえ、悪いとは思っているけど……そこまで悪くないのね?」
「ええ、まあ」
デミウルゴスは苦笑して、吸血鬼のにわかなはしゃぎっぷりを眺める。
セバスもこれくらい素直だといいのだが、と悪魔は思わないでもない。
持ち場に戻ろうとしたとき、執事は黙したままデミウルゴスについて来た。
何か、と問うても、いえ、と答えが返る。苛立たしいことこの上ない。
謝罪でもしたいのかい、と助け船のつもりで聞いてやったら、なぜ私がそのようなことを、と心外そうに眉をひそめられた。
「言いたいことがあるのならばはっきり言いたまえ」
「……怪我はありませんか」
「君の目の前でペストーニャに治療してもらった者たちの列に私も並んでいたはずなのだがね?」
そもそもデミウルゴスの負傷の大多数は、この執事によるものである。
苛立ちに口調もぞんざいになる。セバスは黙ったままだ。
むしろ彼自身も戸惑っているように見えた。
やがて鋼の執事は重苦しく口を開いた。
「……どうせならば」
「うん?」
「どうせならば、もっと徹底的に完膚なきまでに攻撃を加え、あなたの性根を叩き直しておくべきだったと後悔しております」
「……君は死ねばいいと思うよ?」
「一つのご意見として丁重にうかがっておきます」
執事の顔に浮かんだ満足げな色を見て、悪魔は悟る。
なるほど。アインズ様が仲のよしあしをはっきりさせ、偽りの親密を繕わずにいることを望んでいる、と聞いたものだから――さっそく嫌味を言いに来たわけだ。
この調子だと、一日一回は嫌味を言うのが己の義務と心得かねない。まさかそのためだけに貴重なスクロールを消費して『
言いたいことは山ほどあれど、まあいざ執事がミスを犯したときにねちねち攻撃してやる方が楽しいか、と黙っておいた。
……などと思い起こしていると、シャルティアがきょとんとしたようにこちらを見上げている。その手には丸い缶の箱があった。
「すまない、ちょっと考え事をね……ところで、それは?」
「料理長からプレゼントしてもらった、お手製クッキーでありんす。仲直りにはプレゼントと相場が決まっておりんすからねえ」
人からもらったものを別の人に贈るのは推奨されないよ、と胸のうちで呟きながら、デミウルゴスは肩をすくめる。
「ありがとう、シャルティア。気を遣わせてしまったね。今度私からも君に何か贈るとしよう。だが、それはそれとして――せっかくだから、君も食べるといい。中に案内するよ」
「いいんでありんすか?」
「もちろん。私もひとりで食するよりその方が楽しいからね。ああ、むろん君の時間が許せば、だが」
「問題ありんせん! 実はわたしも食べたかったのでありんす。待っている間にちょっと中身を抜き取ってやろうかとどれだけ悩んだことか……あっ、でも抜き取っておりんせんわぇ! 立派に堪えてみせんした」
「偉い偉い」
どういう経緯でシャルティアがクッキーを受け取ったのかは知らないが、料理長が彼女にと作った可能性もある以上、その気持ちをむげにするわけにはいかない。
デミウルゴスが先導し、弾む足取りでシャルティアがつづく。頬を紅潮させて、あっちを見たりこっちを見たりしては、ほうっと感嘆のため息を吐き、「やっぱり至高の御方が特別にお造りになった場所は素晴らしいでありんすねぇ」と呟く。デミウルゴスは微笑んで、「まったくだよ。君の居住区も、ペロロンチーノ様の御心が宿った素晴らしい場所だ。機会があればお茶にうかがいたいところだね」と言った。
神殿の奥、シャルティアは床に放り出されたままの純白の服に目を留める。
「まあ……あれって捨ててるんでありんす? 置いてるんでありんす?」
「まだ置いている、の方だろうね」
「なんだ! そうでありんしたか。うふふ。やっぱりわたしも捨てたもんじゃないでありんすね!」
シャルティアは上機嫌に叫び、さっさと缶の蓋を開け、自分が一枚目をつまんで、口に運ぶ寸前で思い直し、デミウルゴスに差し出す。受け取ったデミウルゴスは小さく笑い、
「やあ、どうもありがとう」
「どういたしまして、でありんす」
ツアレは職務を終え、使われていない客室の一つに入る。
そこにはもう、悪魔が来て待っていた。
「お待たせしてすみません、デミウルゴス様」
「いや、構わないよ」
「あ……今日のお召し物は、白なんですね。いつもと趣が変わって、よいと思います」
「ありがとう。気に入ってもらえたなら嬉しいよ。これはセバスからもらったものなんだ」
「まあ、セバス様から?」
ツアレは花がほころぶように笑顔を満面に広げる。
「それは素敵です! やっぱり、私の思っていたとおりでした」
「うん? 何がだい?」
「お二方は本当はとても仲がよいのだろうと、そう思っていたんです。この前の険悪なご様子に、あるいは本当に仲が悪いのでは、と不安も抱いていましたが……ああ、不安だなんて! 思い過ごしだったんですね。よかったです、私の大切な方と、私に親身になって支えてくださる方とが、仲が良いと確かめられて」
「心配をかけてしまっていたみたいだね。これは悪いことをした」
「いえ、そんな! 私が勝手に勘違いをしただけです」
ツアレは嬉々として、セバスの話を始める。悪魔は微笑み、頷き、さりげなく話題を誘導し、二人がまだ性的な関係をもっていないと知って苛立つも、笑みの仮面の下にその感情は覆い隠される。
ツアレはときどき、ふっと羞恥に頬を染める。自分が先走りすぎているように感じるのだろう。まだ愛を告白されたわけでもないのに、彼との子どものことまで考えてデミウルゴスに相談しているのだから。
しかし、悪魔はたくみになだめ、励まし、懐柔する。ツアレのうちに浮かんだかすかな不安や、疑念や、羞恥といったものは、水面に泡として顔を出すや否や悪魔によってつつかれ割れる。あとには安心しきったツアレの、信頼しきった羊の、希望が明るく輝きわたる。
「あの……デミウルゴス様」
「なんだい、ツアレ」
「もしも、私とセバス様の間にお子が生まれたら……名付け親になっていただけませんか?」
悪魔は驚いたような顔をするも、すぐさまそれは愉悦に塗り潰される。
「この私にそのような大役を? セバスが頷いてくれるかな」
「もちろんです! 私、このことではぜったいに、ぜったいに妥協するつもりはありません」
「それは楽しみだ。じっくり候補を考えておこう」
男の子であれ、女の子であれ、
両性であれ、無性であれ。
立派な悪魔らしい名前をくれてやれば、セバスはどんな顔をするだろうか。
異種間交配実験のあとに、そのような楽しみもおまけでついてくるならば申し分ない。
ツアレが去ったあと、デミウルゴスはさっさといつものスーツに着替えた。穢らわしいもののように脱ぎ捨てた純白の衣装を、人差し指と親指でつまんで持ち上げ、『ゴミ再生処理待ち物件入れ』通称くずかごに放り込む。後日、エクスチェンジボックスにて雀の涙にもならぬ程度の資金に還元されたとか。
ちなみにそれをパンドラズ・アクターから漏れ聞いたセバスと、この悪魔との間にまた一悶着あったりしたのだが――彼らの諍いをいちいち取り上げていてはきりがなので、割愛しよう。
結論として、のちにシャルティアが万感の思いを込めて宣した言葉を載せよう。
「あの悪魔と執事を仲良くさせるのは、
〈完〉
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