はじめまして、先輩
ホームルーム終了後。
初日は部活の勧誘なども禁止らしく、後は帰るだけだ。
生徒たちはお互いに声を掛け合いながら、何人かずつで連れ立って帰っていく。
武士に声を掛けてくる生徒はいなかった。
自称ネトゲ好きの乱暴者、御堂ハジメ。
ハンドルネーム【ワンワン】に、武士はホームルームが終わるやいなや詰め寄っていったからだ。
「どういうこと!? 本当に【ワンワン】なの!?」
机をバンと叩いて、ほとんど叫んでいた。
「いやー、サムーはあんまりに想像通りで笑ったよ。なるほどねー。武士だからサムライな。ちょっと安直すぎね?」
「数字の1でワンワンに言われたくないよ! なんでここに居るの!?」
「受験して合格したからに決まってるだろ」
「ほんとに……【ワンワン】なの……?」
「本当だから、そろそろでかい声でワンワンワンワン連呼するの止めねーか?」
ハジメが周囲に視線をやる。
近くにいた数名の女子グループは慌てて目を逸らすと、足早に教室を出て行った。
自分が目立ちまくっていたことにようやく気が付いた武士は、いまさら声のトーンを落とした。
「なんで黙ってたんだよ……」
「驚かせようと思ってよ」
「それだけで? それだけでこんな……昨日も急にログアウトして、僕がどれだけ不安で」
「仕返しだな」
「え?」
「前に俺から直で会おうって言ったとき、断られたじゃん」
「あれは……」
「その、仕返し」
「……意外と根に持つんだね」
「まあ、それは半分だけど」
「なんだよ」
「サムーの性格考えると、普通に直で会うと緊張して、距離とるだろ、きっと」
「……」
「こんな風に、いきなりタメ口で話せなかったんじゃね?」
「……確かに、こういう性格だったよね。ワンワン。間違いないや。本物だ」
ハジメは目を細めて、ニヤリと笑う。武士も笑った。
「ハンドルネームは止めねーか? 武士」
「……うん。ええと……?」
「んだよ! もう名前忘れたのかよ! ハジメ! 御堂ハジメ!」
「わかってるよ。よろしく。ハジメ」
武士にとって、久しぶりの下の名前で呼び合う友達だった。
***
武士はそのまま空いたハジメの隣に座り、話し続けていた。
「なんで暁学園に入ったの?」
「武士と同じ高校に行きたかったからだよ」
「キモイ」
「うっせ。冗談だよ。いや、マジで家が結構近くてさ。この学校」
「家、どこなの」
「渋谷」
「げ。いいとこだね。さすが」
「ま、正確には隣の駅だけどな。神泉」
確かに武士の家からと比べてかなり近いが、もっと近い高校は山ほどある筈で、その理由だけで受けようと思うには、ちょっと無理があるように思えた。
「武士ん家は?」
「目黒」
「ふうん。山手線で渋谷まで来て、井の頭?」
「そう」
「電車混んでたろ」
「最悪」
「はは。あ、そういえばよ。例の先輩、生徒会長だったな」
「ね!」
武士のテンションが一気に上がる。
「さすがだよ! あの佇まいっていうの? オーラみたいのがあるよね! ほんとにリアル英雄ナインだったね!」
「お、おう……?」
やや引き気味のハジメ。
「ちゃんと挨拶を聞けなかったのが悔しいんだけどさ」
「それ、あの女のせいで?」
ハジメが武士の背後を指さす。
振り返る武士。
武士たちの話し声以外、静かになった教室にはもう誰も残っていないと思っていたが。
芹香・シュバルツェンベックがひとり席に座ったまま、肘をついた手に顔を乗せ、ずっと二人を見ていた。
「お邪魔していい?」
席を立って、芹香は武士たちに歩み寄ってきた。
「してほしくないなあ。旧友の再会を喜びあってるとこだから」
「御堂君に言ってないの」
芹香はハジメの軽口を意に介さずに、武士の前の席に座ると、手に持っていたウェットティッシュを出した。
「田中君。手、出して」
「え……?」
突然のことに、何をどうしていいか分からない武士。
「服の袖、拭いてくれるってよ」
ハジメのフォローがなければ、ただ茫然としているだけだっただろう。
「や、いいよ。そんな」
「いいから」
芹香は体を伸ばして武士の腕を取ると、チョークで汚れた制服の袖をウェットティッシュで丁寧に拭き取り始めた。
かつてない同世代との、しかも今日会ったばかりの美少女との接近遭遇に、武士は全身が固まっている。
「はは。緊張してるコイツ」
「ワンワ……ハジメ、このやろ」
「ワンワンって、なに?」
「あ、いや、ええと…」
「あだ名だよ、あだ名。子供のときの。な、武士」
「う、うん」
「ふーん。はい。あんまり綺麗に落ちないや。クリーニング代、出すからね」
「いいよいいよ、そんな」
武士は急いで手を引っ込める。
「あのさ。田中君と御堂君……君たち、なに?」
あまりにも基本的かつ漠然とした質問を、芹香は二人に投げかけた。
「だから昔の友達だって。再会したんだよ。偶然。劇的に」
「嘘だあ」
ペラペラの喋るハジメの言葉を、一笑に付す芹香。
「だって。田中君は最初、御堂君のこと知らなかったみたいじゃない」
「ま、いろいろあんだよ。秘密。あんたにもあるだろ?」
「……」
押し黙る芹香。ハジメは立ちあがると、
「武士。これから生徒会室に行ってみねえ?」
武士に声を掛けた。
「はあ?」
唐突の提案に反問する武士。
「先輩、いるかもしんねーだろ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな急に」
「善は急げって言うだろ」
「それにしたって……今日入学したばっかじゃ」
「ここで日を置く意味が分かんねえ」
「待てって」
ハジメは武士の腕を取って引きずって行きかねない勢いだったが、
「九龍先輩なら、今は生徒会室にはいないわよ。たぶん」
芹香の言葉に足を止めた。
「え?」
「今日はあの人、入学式の挨拶だけだもん。今はきっと、柔剣道場じゃないかな」
「……なんで?」
ハジメに引きずられる形で席を立ったまま、止まっていた武士。
「なんでってあの人、剣道部の部長でもあるし。剣道部の人達って、部活がない日もほとんど毎日、自主練してるから」
「……」
「そうじゃなくって。なんでお前が先輩のことを知ってんだよ」
「秘密。君たちにもあるんでしょ」
芹香はハジメにそう言うと、柔らかそうな唇に人差し指を押し当てた。
「……ま、いいや。柔剣道場ね。行こうぜ」
「だから、待ってって」
「場所分かるの?」
引きずり引きずられ、教室から出ようとする二人に芹香は声を掛けた。
「探せばわかるだろ」
「校庭の向こう側で、わかりにくいよ。案内してあげるよ」
「だからなんでお前が知ってんだよ」
「田中君。ついてきて」
先に立って歩き出す芹香。
「人の話聞けよ」
ぶつぶついいながら、ハジメは後を追う。
「待ってって。ねえ、話聞いてよ」
武士はハジメに引きずられて剣道場に行くことになった。
確かに柔剣道場は、暁学園の敷地の奥まったところにあり、わかりにくかった。
暁学園は杉並区のほぼ中心の住宅街の中にあるが、敷地面積は広く、校舎三棟に講堂、体育館、運動場ニ面にテニスコート、柔剣道場と施設も多かった。
私立高としては規模は相当に大きい方だ。
柔剣道場は、その広い敷地の中でも外れの方にあり、学園のどの施設とも、また学園外の隣家とも離れた場所にポツンと建っていた。
柔剣道場の周りには緑地があり、運動場から続く道はちょっとした遊歩道のようになっていた。
武士には桜しか分からなかったが、木々も様々な種類が植えられており、春の季節にかなり気分のよい場所だった。
そこを抜けると、体育館ほどではないが、二階建のそれなりの大きさの建物が見えてくる。
「ね? 遠くて分かりにくかったでしょ」
「案内版見たら分かったっつーの」
ハジメに引きずられ建物の前に着いた武士は、柔剣道場を見上げる。
中からは、剣道独特の掛け声と、竹刀を打ち合う音、足を踏み込む音が聞こえてきた。
何人もの部員たちが稽古をしているようだった。
武士にとっては、小学生時代に道場で慣れ親しんでいた音で懐かしさもあるはずだったが、あまりに急な展開に、それよりも緊張でどうにかなりそうだった。
(――僕はこの空気から逃げ出した)
人と人が打ち合う、この競技にどうしても馴染めなくて。
剣道から逃げて、ゲームの世界に隠れた。
でも、九龍先輩に会って、もう一度剣道を始めたいと思った。
英雄ナインみたいなあの人に近づきたいと思った。
「武士、行こうぜ」
「待ってよ! 心の準備が……」
建物の前で武士が躊躇っていると、後ろの通ってきた緑道から人の声がする。
上級生らしい男子生徒が二人、話しながら歩いてきた。
「絶対ちげーって。だから……ん、なに? 誰」
武士たちに気付いた二人は声を掛けてくる。
「こんにちは。剣道部の方ですか?」
芹香は笑顔で頭を下げる。
ハーフのグラマー美少女の笑顔に、
「お……おう、そうだけど」
「こ……こんにちは」
上級生二人は、どもりながら動揺する。
「なに、新入生? 迷った?」
「いいえ。見学です。中に入ってもいいですか?」
「なんでお前が仕切るんだよ」
上級生と受け答えする芹香に、ハジメが突っ込んだ。
「見学? 新入生、今日が入学式だったんでしょ」
「少しでも早く、九龍先輩を見たいって……」
「はあー」
「やっぱなー」
芹香の言葉の途中で、上級生二人は深いため息をついた。
「直也さん目当てかよ」
「強くて頭良くてモテるって、漫画かよあの人……」
「あの……」
言葉の途中で切られた芹香は何か言いかけたが、
「あー、先輩がた。九龍先輩と会いたいのは、その女の方じゃないっすよ」
「え?」
ハジメが割って入った。
「コイツっすよ」
武士がハジメにどんと背中を叩かれ、たたらを踏んで前に出される。
「あ、……ええと、見学、させていただいていいですか?」
上目使いに二人を見る武士に、上級生二人は顔を見合わせた。
***
二人は西村と東という名前の二年生で、剣道部のマネージャーをしていた。
男子部員がマネージャーをやっていることに、何故かハジメが「ほうほう」と感心する。
二人は、武士達三人を建物の中へと案内した。
建物は、一階は畳敷きの柔道場で、二階は板間の剣道場になっている。
今日は柔道部は休みのようで、一階に人の気配はしなかった。
入り口から入ってすぐ脇の階段を登ると、仕切り戸の向こうから剣道の練習の音が聞こえてくる。
「手前のこのドアが更衣室で、普通は着替えてから中に入るんだけど。まあ今日は見学だから」
武士は、戸の向こうから聞こえてくる音に、九龍直也との再会に、胸の高鳴りを抑えることができない。
西村が仕切り戸を開いた。
「トァーー!!」
ダンッ!
パンッ
バシーンッ
「メェェーーッ」
床を踏む音。
竹刀が防具を打ち据える音。
独特のかけ声。
それらの「音」が塊のようになって、武士にぶつかってきた。
「コォォテェェッ!」
パシィッ!
音が空気の振動になって、皮膚を震えさせるのがわかる。
武士はこの空気を知っているはずだったが、小学生時代の道場とは桁違いの、全国大会常連校の気迫に圧倒された。
二十人程度の剣士が、防具を着て稽古をしている。
ただし、その稽古風景は武士が昔に見慣れたものとは少し違っていた。
それは、小学生と高校生の違いがあるにしても、明らかに異様だった。
「あー。ちょうどいいとこだ。今、直也さんの集中掛かり稽古やってるよ」
「集中掛かり稽古? なんすかそれ」
ハジメが尋ねる。
「直也さんが強すぎて、普通の練習じゃ直也さんの練習になんないんだよね。だから、オリジナルで考えた練習方法。簡単に言えば、直也さん一人を相手に、四人掛かりで戦うんだよ」
「は?」
「しかも、その四人は入れ替わりの交代で。直也さんは休みなしで」
「なんすか、それ」
「見てりゃわかるよ」
西村の説明に、言われなくても武士は目が離せなかった。
一人の剣士を、四人の剣士が囲んでいた。
そして四人の後ろには、それぞれ二〜三人の剣士が少し間を空けて並んでいる。
中央の一人の剣士の前垂れには、「九龍」と書かれていた。
「キアアアアッ」
囲んでいる四人の内の一人が気勢を上げると、「九龍」に打ちかかる。
しかし、「九龍」は相手の打ち込みが発生する直前に動いていた。
竹刀が振りかぶられる直前に、「九龍」の竹刀が文字通り目にも留まらぬ速さで振られる。
「コォォテェェッ!」
出小手と呼ばれる技。
正確に打ちかかった剣士の右手防具を打ち据える。
その直後、今度は「九龍」の背後から二人の剣士が同時に打ちかかった。
「メェェーーンッ」
「ヤァッ! メェェーーンッ」
しかし、二人の竹刀の先に「九龍」はもういない。
「ドォッ!ドォォッ!」
バ、バンッ
あるいは音の方が遅れて響いたのかと感じるほどに速い、胴打ちと逆胴打ちの二連撃が二人に叩きこまれる。
次の瞬間、「九龍」はすでに二人の間を駆け抜けていた。
そして残る一人と対峙する。
打たれた三人は、その場を離れて、「九龍」を囲む列の後ろにそれぞれ並ぶ。
入れ替わりに、それぞれの列の先頭の剣士が「九龍」に挑みかかった。
入れ替わり立ち代わり、休憩を挟んで体力を回復させた四人の剣士が、常に同時に「九龍」に挑み続ける。
しかし、その竹刀が「九龍」の防具に触れる事はなかった。
ほぼ一撃で、一本を決められている。
正面の剣士が打ちかかるのとまったく同時に、「九龍」の背後から別の剣士が打ちかかることもあったが「九龍」は素早い切り返しと足捌きでそれを躱し、あるいは竹刀で受け、あるいは相手よりも早く一本を打ち込む。
「信じらんねえ……なんだ、あの動き」
「これをあの人、三十分はぶっ続けでやるんだよ」
「化け物か……」
ハジメは唖然とするしかなかった。
武士と違い、ハジメは剣道経験がまったくない。
しかし、これが明らかに通常行われる稽古ではなく、そしてそれをなんなくこなしている「九龍」が異常な身体能力を持っていることは分かった。
その横で武士は、一年前のあの新宿の屋上を思い出していた。
屈強な男達三人を一瞬で叩き伏せたあの動き。
それは間違いなく英雄ナイン、九龍直也のものだった。
ピピピピピピ……
電子音が鳴り響く。
「やめっ!」
集中掛かり稽古を、一人面を被らずに脇で見ていた部員が、手にしたタイマーを止めて声をあげた。
剣士達は動きを止めると、「九龍」と一緒に横に二列に並び、正座する。
「休憩っ!」
「ありがとうございましたっ!」
各々が面を取り始める。
「九龍」も面を外し、面の下の頭に巻いていた手拭いを取った。
確かに、入学式で挨拶をした生徒会長、九龍直也だった。
「すごい……」
「ああ……」
武士とハジメは、剣道場の入り口で立ち尽くしていた。
「な? すげえだろ」
「全国大会二連覇したんだぜ、直也さん。しかも全部二本連取で」
その横で西村と東は、誇らしげに語る。
「西村ァ! 東ィ! お前ら部外者入れてんじゃねえよ!」
タイマーを持って掛かり稽古には参加していなかった男が、二人に向かって叫んだ。
「すっ、すみません!大山先輩!」
「ったく、マネージャーが遅れてくるんじゃねえよ!」
西村、東を怒鳴りつけた大山先輩と呼ばれた男は、武士たちのところに歩み寄ってきた。
「なんだぁ、新入生か?」
「え、あ、は……」
「はい、そうです。今日は見学に来ました」
体が大きく強面の大山に怒鳴るように誰何され、萎縮し返事ができなかった武士の代わりに、芹香が爽やかな笑顔で答えた。
しかし大山の態度は冷ややかだった。
「今日は自主錬なんだよ。入部希望ならまた明日来い」
「まあまあ、今日は見るだけっす。邪魔はしないっすよ」
ハジメが目を細めて、ヘラヘラと応じる。
「……なんだテメエ」
大山は、ハジメを見ると顔をしかめる。
「新入生のくせして、なんだその格好は!」
大山は殴りつけるような勢いで手を伸ばし、ハジメのだらしなく着た制服の襟を掴んだ。
掴んだように、少なくとも武士には見えた。
しかしハジメは、僅かにスウェーバックして上半身を逸らして、大山の手を逃れていた。
「……あ?」
ハジメの胸倉を掴んだつもりの大山も、空を掴んだだけの結果にやや困惑する。
「大山。いいじゃないか。熱心な新入生で」
そこに、直也が声を掛けながら歩み寄ってきた。
ついさっきまでエンドレスの掛かり稽古をしていたとは思えない、汗ひとつかいていないサラリとした笑顔だ。
「おつかれさまです」
まるで疲れていなそうな直也に、芹香は声をかけた。
「……こんにちは」
芹香の顔を見た直也は、極々僅かに間を置いて答えると、ハジメの方を見る。
「反応いいね」
「え? 俺っすか」
直也は大山の手を逃れたハジメの動きを見ていた。
大山は直也には及ぶべくもないが、剣道部のナンバー2で、相当の実力を持っている剣士だ。
その動きを見切ったように最小限の動きで避けたハジメが気になったのだ。
「経験者?」
「剣道すか? いや、全然」
「そうか。ウチの部に入ったら、きっと伸びるよ」
「や、俺は剣道自体はやんないっすよ」
「ああ!? じゃなにしに来たんだ、てめえ」
大山が怒鳴る。
「剣道するのは、コイツです。俺はマネージャーで入部しますよ」
ハジメはそう言うと、武士の背中を叩いた。
「……え? あ、はい!」
武士は、そこでようやく我に返った。
一年間強烈に憧れ続けた九龍直也を直接目の当たりにして、周りの声も耳に入らず、呆然としてしまっていたのだ。
「ん……君は」
直也の方は、そこで初めて武士を見た。
背の低い、貧相な体の少年。
しかしその顔に直也は何か引っかかるものがあった。
「あれ? 君、どこかで会った……」
「あ、あの……いえ、会うのは初めてです。田中武士、といいます。よろしくお願いします」
ハジメは前もって考えていた言葉を喋り、ペコリと頭を下げた。
「え? 嘘だよ田中君。前に助けられたことがあるって言ってたじゃない」
「ちょ……黙っててよ!」
芹香の空気を読まない発言に武士は焦る。
「助けられた…? 田中、武士……!……」
直也は思い出した。
一年前。
とあるトラブルの時に、西新宿のビルの屋上で出会った少年。
まったくの一般人で、トラブル後に調べてみたが、なんの背後関係もなく、たとえ誰かに事の経緯を話してしまっても、取るに足らない影響しかないと切り捨てていた少年だ。
「……ああ、よろしく。初めまして。九龍直也です。部長をやってます」
「よろしくお願いします」
直也が「初めまして」と言ってくれて、武士は胸をなで下ろした。
誰にも話さないという約束を破ったとは、思われたくなかった。
「ああ、俺は御堂ハジメです。ここって、男子がマネージャーやっているんすよね。俺もマネージャーで入部します」
「マネージャー?」
先ほどからのハジメの言葉に、武士も当惑する。
「……御堂君?」
直也が聞き返した。
「はい」
糸目の笑顔でハジメは返事をする。
直也には「御堂」という苗字に心当たりがあった。
なるほど、あの反応の良さにも納得できるものがあった。
そして、自分を見ながらニヤニヤと笑っているハジメの顔を見て、ハジメが田中武士を連れてきた意図がおぼろげながら分かったように思えた。
「俺は大山だ。副部長をやってる」
「あ、聞いてないっすよ」
「てめえ!」
「やだなあ。冗談っすよ」
「……入部したら、その根性叩き直してやる」
「こええ。俺、マネージャーっすよ」
「関係あるか。で、そっちは。お前も入部希望か。今日は女子部誰もいないぞ」
大山は芹香を見る。
「いえ、私はただの付き添いです。部活は弓道部に入ろうと思ってます」
「そうか。おい直也、どうする? このまま見学させるのか」
「いや……入学式初日は勧誘禁止だからね。生徒会にバレたら面倒だから、今日は遠慮してもらおうか」
「そういうことだ。おい、御堂にええと……田中。明日入部届け持ってこい」
「ええ? 九龍先輩、生徒会長じゃないっすか」
ハジメが直也の顔を覗き込みながら言う。
「だからだよ。生徒会長として、他の部に不公平な行為は見逃せない」
「堅えなあ」
「おいてめえ。まずは先輩に対する言葉使いから修正してやる」
「おお、こええ」
大山に睨まれ、ハジメはふざけながら武士の後ろに隠れた。
「す、すみません。じゃあ今日は、これで失礼します」
「ああ、また明日」
直也は笑顔で片手を上げる。
「失礼します」
「失礼しまーす」
「失礼しました」
武士、ハジメ、芹香は、直也たちに背を向けると、出口へと歩き出した。
「じゃあ、東先輩、西村先輩、明日からよろしくっす」
「お……おう」
「よろしく」
ハジメは、剣道場の入り口に立っていた先輩マネージャーにすれ違いながら声を掛けた。
その時。
唐突に、ハジメは後ろを振り向いた。
右手は制服の懐に入れられている。
「わっ……なに?」
武士は脈絡のないハジメの動きに困惑する。
ハジメは懐に手を入れたまま、鋭い目つきで直也を睨みつけていた。
直也はそのハジメを見ながら、にこにこと笑っている。
「どうした? 御堂君。忘れ物かい?」
「……いや、なんでもないっす」
ハジメは直也に答えると、手を懐から抜いた。
「どうしたの?ワン……ハジメ」
「なんでもない。行こうぜ」
ハジメは武士の背中を押し、芹香も一緒に剣道場を出ていく。
「……ふざけやがって」
外に続く階段を降りながら、誰にも聞こえない声でハジメは呟いた。
「なんだアイツ」
大山は新入生三人が去ると、直也に向きなおった。
「直也、練習再開するぞ」
「大山。ちょっと稽古は任せていいかな?」
「あん? ああ、別にいいが」
「ちょっと出てくる。すぐに戻るよ」
直也はそう言うと、武士達の後を追うように剣道場を出た。
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