第12話
豚の蒸し焼き、山菜と木の葉の甘辛炒め、そして孤島辛子の海鮮焼飯。テーブルには私の好物がずらりと並んでいた。それも、プロの料理人が腕によりをかけて作ったできたてのものだ。
「リタと私の就職祝いだよ、食べな!」
向かいの席に座ったプリムが、キラキラ過ぎる笑顔でそういった。
ここは多種族混生街・コックテール。その一角に佇む庭宴食堂という名の飲み屋だ。そして病み上がりのプリムの再就職先でもある。
「容赦なく食べるからね!いいよね!」
「私だって作るだけじゃないからね!食べる方も負ける気はないよ!」
はっきりいって料理の湯気と香りだけで、長旅を終えたばかりの私の空腹は焦らされまくっており、よだれを止めるのが困難なほどに体が目の前の料理を求めていた。今すぐにでも飛びかかって頂きたい。
リヴ・タイムズに雇用されることが決まった夜から二週間後、私たちは犬族領地にある自分たちの故郷・ノストヴェスに向かった。私の正式な社員契約書に保護者印をしてもらうため、そしてプリムの一連の騒動の顛末を彼女の両親に伝えるためだ。もちろん、私たちがアジトに突撃したことなどの、報道と違うところは隠して、だ。夜行列車に揺られ突然やってきた私たちを、母親を始めとするみんなは暖かく迎えてくれた。私が手に職を持ったことに皆喜び、プリムが事件に巻き込まれたことに悲しみ、学校自体の旧友たちと昔話に花を咲かせた。誰もが口を揃えて私たちの結婚を心配するのには困り果てたが。
そんなこんなで次の日の朝再び電車に乗り込み、二人でコックテールに帰ってきた。そのまま彼女の提案に乗り、この酒場に流れ着いて今に至るのだ。
「せーの、いただきます!」
待ちに待った瞬間、二人同時に手を合わせる。
ぐるるぁぁぁ、と謎の音を漏らしながら飯を掻き込む。「んんまいいいぃぃぃ!」思わず叫んでしまうほど、脳みそが幸せで真っ白でポカポカ。手が、喉が、顎が、もっと食べたいという気持ちに追いつかず、無心で目の前の食事を平らげていく。鬼神のごとく!
「よく食べるお友達じゃあないか、新米よお!」
必死に箸を動かす私たちに、大柄な猿族の男が近づいてきた。
「そんなにがっつくと、ぶくぶく太っちまうぞ?経験者からの忠告だ」
そういうとがはは、っと笑った。頭に巻いた紺のバンダナがそれに合わせてヒラヒラ揺れる。
「なんですか急に、失礼な!ていうかあなたに言われたくない!」
「お、親方!?」
「え、プリムの・・・親方?」
その親方、こと大きな体の陽気なおじさんは、胸を大きく張って名乗った。青いエプロンの下に屈強な肉体があることが分かる。
「その通り、俺こそがこの庭宴食堂の長、ブリオだぜ。よろしくな」
なんかとてつもなく偉い人に生意気しちゃったようである。
「あ、その、すいません」
「いいっていいって。それより嬢ちゃん、いい食べっぷりだな。惚れ惚れするほどだ」
「ほぇ?」
ポカーンとする私を優しい笑顔で見つめるプリムさん。どことなく繊細さも感じさ
「飯を美味そうに食う。それが幸せになる一番の近道だ。おい、プリム!」
「は、はいっ!」
「これで嬢ちゃんをもてなしてやりな!俺からの贈り物だ」
どん、っと。ブリオさんがどこからか大きな瓶を取り出した。
「この地方に伝わる地酒だ。お前ら越して来たばっかりだろ?この味を知らずにこの街では暮らしていけねえぜ?」
「親方、そんな・・・商品を私が飲むわけには・・・」
「んなこた気にすんなよ。俺はお前じゃなくそこの友人にサービスしてやってるんだ。気を使うなら俺じゃなく彼女に言いな。
それに、な。お前は確かにうちの料理人だ。だがな、お前も一人の人間、生き物だろ?なら遠慮せずに飲んで食っていけばいいんだ、俺たちは生きるために食べ、食べるために生きるんだから」
「しかし・・・」
「あー、頑固なのは厨房の中だけで十分だ。客席に座ったら最後、骨の髄まで楽しんでいきな!」
むう、と困った表情を浮かべるプリムに半ば押し付けるような形で酒瓶を手渡すと、ブリオさんは上機嫌そうに厨房へと帰って行った。
「もう、ほんと人の言うこと聞かないし・・・変にお節介だし。なんかごめんね、リタ」
「うーん、いい人じゃない?ちょっと強引だけどさ」
「厨房じゃ笑顔も見せやしないのに・・・ほんと、なんなんだか」
そんなことを恨めしそうに呟くプリムだが、その実どことなく嬉しそうに見える。どうやらいい上司に巡り会えたようだ。全くもって羨ましい。
「とにかく、せっかくだし飲んじゃおうよ、これ」
「う、うん。まああとで責任を追及されることはない、と思うし」
「別に怒られるようなことはしてないじゃんか」
と、少し躊躇を見せるプリムをなだめつつ。私はテーブルに置いてあった栓抜きで瓶の王冠を開ける。
間抜けな音とともに、薬品を思わせる異質な匂いが鼻の奥を突いた。
匂いと味微妙としか言いようがないのに、気づくと気持ち良くなってるから不思議なもんだなあ・・・って、ここだけ聞くとただの危ない薬なんだけどね。
「さ、飲も飲も!」
「ちょ、ちょっとならいいよね?明日も仕事なんだけど」
「大丈夫大丈夫!私だって朝から出勤だし!」
「それは大丈夫なの・・・?」
私たちはそんなこんなで酒瓶を空にし、物足りなくなって私の部屋に場所を移し朝まで飲み明かした。
結果。
「ひぎゃああああぁぁぁぁっっ!?」
見事に寝坊、起きた時には出勤時刻の二時間後、10時を回っていた。
あれ? そもそも私寝たっけ? いつ寝たっけ?
とか悩んでる場合じゃねえええ!
着替え! 鍵! 財布! 鞄に詰めて、ゴー!
「行ってきます!」
ただでさえ建てつけに不安のあるアパートのドアを、殴りつけるように閉じ、駆ける。
爽やかだ。くっそ爽やかなお昼前だ。そんな爽やかな街を汗だくで走っている私の心情。しかも飲みすぎてなんか気持ち悪いし。最悪だ。全てが憎い。全部自分のせいなんだけど。
幸い、というべきか、私の住むアパートから新聞社までは歩いて20分ほどの距離である。幸せそうな人々の間をすり抜けつつ全力で走っていく。途端に吐き気を催したが仕方ない。社会人として逃げられない痛みだということだろう。頭がグラグラしてクラクラする。
ああ、見ないで!
もう昼前だというのに、どうしてあのスーツ姿の娘は必死に走っているんだみたいな顔で見ないで!
羞恥と倦怠感に耐えつつなんとか新聞社にたどり着いた。当然ながら大遅刻である。
うぇ・・・入りたくないなぁ。編集長にボロクソに怒られそうだ。
汗まみれのまま屋内へ、そして一階の編集者通路を通って二階へと続く階段を上る。就職してから初めての遅刻、素直に反省せざるをえない。やっちまったなあ・・・
腰が引けつつも、仕方なくドアノブに手をかける。
「ごめんなさい!遅刻しま・・・した?」
編集室に入ると、目の前に編集長が座っていた。編集長の机は部屋の角に位置しているのでおかしいな、と首を傾げ声が詰まらせてしまった。
もしや、私を待ち伏せていたのでは、という考えが脳裏を掠める。だが、その瞳に怒りは感じられず、そのくせ茶化すにしては嫌に真剣な感じだ。
そして、視界に少女の姿を捉えた。
ボロ布のようになった服はところどころ裂けており、腹部は血がにじんで大部分が黒ずんでいる。半袖から覗く細い腕にさえ赤や青の傷がミミズのように這い回っている。その傷の深さを証明するように、荒い息を繰り返している。
うつむいた顔は上げないまま、下から睨みつけるようにこちらを見ている鋭い眼。荒れた黒い前髪の隙間から覗く琥珀色の瞳はどこか弱々しく輝いていて、消え失せそうな危うさを帯びていた。闇に溶けそうな黒い髪から、ピンと立った猫族の証である三角の耳。傷だらけの凶器を連想させる少女には、確かな見覚えがあった。
そこにいたのは紛れもなく、編集長の部屋で私を殺そうとした少女だった。
「よう、いきなりで悪いがお前に聞きたいことがある」
嘲るような、試すような口調で編集長が私に言葉を投げる。
「お前を殺そうとした野郎が、今死にかけで目の前にいる」
「・・・そんな」
頭の中で、体の内側で嫌な感覚がぐるぐる渦を巻く。それすら馬鹿にするよう編集長はニヤリと笑って問うのだ。
「こいつを生かすか見殺しにするか、それとも復讐するか。お前に決めてもらいたいんだが?」
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