第4話

 「拒否権はない。抵抗するなら、死体にしてでも来てもらうだけだから」

 私と同い年くらいの猫族の少女は、氷のように冷たい声で、そう宣告した。暖色系のカーディガンを纏っているくせに、与える印象全てが冷徹な少女。


 猫族は全般的に、犬族より体格が小柄だ。私と少女もその例に漏れず、体格では私が優っているのだが・・・ビクともしない。よほどこういうことに慣れているということか。


 国報の使者を名乗る少女に、のこのこついていくわけにはいかない。プリムのことだけでなく、私の命も保障されてないのだから。


「ふ・・・ふがぅっ、ふががっ!」

「喋るな。手が唾だらけになって気持ち悪い」


 心底見下したように言い放たれる。

 気持ち悪いのはこっちも同じじゃあ!


「がうっ!」

「いっつ・・・!?」

 思い切り牙を立てて、少女の手に噛みつく。


「くっ・・・がぁっ!」

 そのまま嚙み砕く勢いで力を込めると、硬い感触がした。骨まで牙が到達しているらしい。

 少女は痛みで反射的に手を引き抜こうとするが、私の牙が引っかかり、逆に傷を抉る形になる。


「このクソ犬!」


 涙をにじませる少女が、右手を振り上げた。その手に握られた何かが、夕陽で赤く光る。


 慌てて手から牙を抜き、上半身を左側に大きく捻る。さっきまで私の眉間があった場所を、少女の振り下ろしたナイフが一閃した。


 殺意。

 少女からはさっきまでの機械のような冷静さは消え、目の前の犬族・・・私への殺意だけが彼女を支配しているようだった。


 強く振り下ろしたせいで床に突き刺さったナイフを放棄し、少女は右手を私の頭に伸ばしてきた。


 必死に逃れようとするが、ほんの数秒で細い指に髪を捉えられる。


 一瞬だけ少女と目が合う。

 彼女の目は私への怒りと、これから自分がすることへの高揚で轟々と燃え、青い炎のように鈍く輝きを放った。


「ぎゃんっ!・・・」


 容赦なく後頭部を床に叩きつけられた。あっけなく意識が飛んでいく。身体のあらゆる場所から警報が鳴ってる気分。


 力が抜け、なすがままになった私を、彼女は嘲るように笑った。


 そして、もう一度。


 目の前が激しく光り、涙が鼻に流れ込む。息苦しさの中で、徐々に痛みという感覚がなくなっていく。


 さらにもう一度。


 鈍い音とともに、私の中の何かが砕けた。


「ふあっ・・・ぁぅ・・・」


 思考が止まる。感情が止まる。次に何をするか、それを考えることさえできなくなる。


 なにもかもが絶望的で、全てが穏やかに終わっていく中、私にできるのは虚ろな目で天井を見上げることだけだった。


 猫族の少女は相変わらず笑っていた。

「ふふっ・・・くっふふ・・・ははははっ」

 そして、私の耳元に顔を近づけ、生ぬるい息とともに言葉を吐いた。


「頭の中かき回されて、おしっこ漏らしちゃっても何もできないまま死んでいく気分はどう?」

 ゆっくりと、少女の手が私の頭を撫で回し始めた。

「お友達を助けるなんて粋がって、何も知らないままのあんたにはお似合いよ」

 ふふっ、と少女が私から離れていく。


 どんな言葉をかけられても、怒りは湧かなかった。そんな気力もなかった。

 心地よい絶望の中で死期を悟る。


 はぁ、おしっこ漏らしたまま死ぬのは嫌だなあ。

 せめて拭いてくれたらいいのに。


 あったかい幻想を、少女が再び手にしたナイフの光が裂いていく。


「なぁんにも知らないあんたはぁ!私が殺してやるぅぅぅっ!」



 ナイフの光が。死の刃が。どんどん近づいてくる。

 死が。視界を。埋め尽くしていく。



 さよなら。





 そんな終わりを破ったのは、少し間抜けな破裂音だった。

 フラッシュの光が夕陽に紛れて、私と少女を照らす。


 私の喉元を突き抜くはずだった切っ先が、何もない空中でピタリと止まっていた。

 青ざめた少女の頬が、音のした方、窓の外へと向けられる。


「おまえらしくないなあ、そんなに取り乱すなんて。まあ、可愛いとこもあるってことか。ねえ、猫ちゃん」


 長い髪とコートをはためかせる綺麗な女の人が、窓の外から少女に話しかけていた。


 背中から生えた、黒い翼を羽ばたかせながら。

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