第3話

「お前が自分の意思を曲げるような聞き分けのいい小娘なら、こんなことにはなってねえよ。さっき言ったように、金つかませて終わりになってただろうからな」


 不服の意を抱いたまま、黙って編集長の話を聞いてみる。


「だけど、もし国の使いが交渉を持ちかけたとしたら。お前、絶対断るだろ?」

 静かに頷く。

「そしたら次の手として、あいつらはおまえを抹殺・・・あるいはそれに準ずる手に出る可能性がある」

「え、その準ずる手って何ですか?」

「あんまり一般市民に漏らしていい情報じゃないんだが、例えば記憶の消去とかだろうな」

「は、はひ?」


 背筋を通り抜ける強烈な悪寒に、思わず変な声が出る。


「まあ詳しいことはわからねーけど、そういう技術ないし方法があるのは知ってる。公にはしてないが、事象が幾つも上がってる」

「そんなの・・・許されるんですか?いくらなんでも」

「なんでもかんでも公表するほど、新聞社も馬鹿じゃねえよ。つまんないことで会社自体が潰れれば、本当に大事な時に告発できないからな」


 淡々と話す編集長。なんとなく馬鹿にされているような気もする。

 そもそも、さっきからなんでこんなに国の秘密に詳しいんだろう。これがプロってやつか。


「ともかく、もしお前が殺されるようなことになったら、俺は責任が取れない。むしろ俺がその濡れ衣を着せられないとも限らない。あくまで俺とお前は他人でしかない。だから強制はしないが、お前には今日、できればしばらくは外出しないでほしい」

「・・・彼女を見捨てるってことですか?」

「は?」


 男の唖然とした顔に、どこからか沸々と怒りがこみ上がってきた。

「私をここに閉じ込めて、事件が収まるまで様子を見ようっていうことでしょ?自分の身を守るために、事実を私ごと隠蔽しようとして」

「待て待て待て、誰もそんなこと言ってないだろうが」

「そっちがその気なら私だって知りませんよ。勝手に捕まって勝手に殺されてやります。自分をごまかす方がよっぽど怖いですから!」


「あーもう、面倒臭ぇな!」

 不意に編集長が拳を振り下げた。木目調のテーブルの天板が、鈍い音を立てる。


「いいか、俺はこの事件から降りる気はない。お前がここに入ってきた時点で、追い込まれたのはお前だけじゃなく、俺も同じことなんだよ!退路がないならぶつかるしかない。その時に足手纏いになられちゃ困るってことだ」


 いつの間にか動きが止まっていた指先から、煙草の灰が床に落ちる。

 しばらくの沈黙の後、編集長は口を開いた。


「お前の依頼は馬鹿で、子供だ。大人が生活をかけてまで聞くような頼みじゃない」

「・・・わかってますって。でも、それでも私にとっては命をかけてでもなさなきゃいけないことなんです」

「それこそ、俺にだってわかってる」

 編集長はそこで、気まずそうにシガレットを灰皿になすりつけた。

「俺だって同じくらい馬鹿で、子供。だから、完全に他人なお前のお友達の無罪を証明しようって言ってんの」


 その言葉に頭の中が完全に真っ白になった。

 大人と現実の権化のようなこの男・・・プレスタ編集長が、こんな馬鹿げた依頼を笑顔で受け入れるなんて。


「んだよ、その馬鹿みたいな顔は」

「・・・正気ですか?」

「正気じゃねーよ。だいぶ前からだけどな」

 編集長は新たな煙草を咥え、火を点けた。


「だから、調査はプロに任せとけって。お前はただの一般人で、さらにこっちの切り札になりうる証言者なんだから」

「・・・本当なんですね?」

「あ?」

「本当にプリムを・・・あの子を助けてくれるんですね?約束ですよ?」

「全力を尽くすことは誓おう、俺が死ぬまでは、な」



 それから、二度寝した。

 起きたら、もう夕方だった。


「・・・おはようございます。編集長・・・の部屋」

 寝転がったまま部屋の中を見渡すが、そこには寝る前となんら変化はなく、そして誰もいなかった。


 しょうがないよねー、と自分に言い訳をしてみる。

 だってですね。部屋でじっとしてなかったら協力を打ち切られない保証はないですし、そうなると私一人の力で真相を暴くのは厳しいかなあーと。ただ、この部屋すっごくつまんねー。


 だあああぁぁぁぁっ。

 年頃の少女一人預かるなら、それなりに面白いものを置いて行けよ!荷物取りに帰った時、読みかけの本を忘れてたのは私だけどさ!


 編集長が帰ってきたら交渉を仕掛けてみようか。でもあの人の持ち物が私にとって面白いとは思えないんだよなー。この部屋にあるのも、古新聞とか古文書、あとは灰皿くらいだし。自分では吸わないのです。えっへん。


 というわけで、この無駄にふっかふかのお布団にくるまってたわけですが。これ以上続けてると、なんか虚しさと情けなさで泣けてくるので、いい加減立ち上がることにした。


 なんとなく窓際に移動し、外を眺めてみる。三階の窓からはまだ活気のある街が、少しだけ遠くまで見渡せた。点き始めた修飾街灯と夕陽の橙が混ざり、ゆったりとした色彩の美しい戦争を繰り広げる。あと三十分もすれば、紫が空気を飲み込むだろう。風流でなによりである。

 窓を開けると、遠くで鉄道の警笛が響いた。風が頬を撫でて、室内の資料集をカサカサと揺らす。なんとなく、故郷を離れた日のことを思い出す。


 ・・・あのころは就職難なんて夢にも思ってなかったなあ。夢とは残酷なものなのです。



 ん、一瞬視界が暗く、


 うわわわわっ!



 『その何か』は、窓から室内に飛び込んできて、私を抱きつくようにして押し倒した。


 勢いのまま馬乗りにされる。下腹部にずっしりと重圧がかかる。


 頭を強打して悶絶する私を、『その何か』は冷静に、口を右手で塞ぐことによって黙らせた。


「リタリア・シュタード・・・間違いない」


 そこで初めて私は『その何か』を認識する。


「プリム・リグラの殺人容疑の件で話がある。国家報道紙編集部まで、ついて来い」


 黒髪の猫族の少女は、私を冷徹な目で見下ろしてそう言った。

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