第十二話 合一祭開幕
新年度最初の透き通った朝日が、首都の中央に建つ行政の頂、統治府本部を正面から厳かに照らしている。
伊達派で最も高い建物であるこの統治府本部庁舎は十二階建て、三九メートル。窓が幾つも並ぶ十一階まではどっしりとした直方体で、正面の外壁はそれぞれ縦向きに、真ん中が白く、左右は赤く同じ幅で塗られている。中央の白い帯の上に、赤いドームをかぶった、窓がなく四方が白い横長の部屋が一つ頭を出している。これが十二階、歴代の大王や勤のような摂政が支配を行ってきた執政室である。そのど真ん中から突き出た赤ドームの下、縦に白く塗装されたラインには、執政室の他にも、三階に花で飾られた弧を描く手摺が印象的なテラスと、一階に大きな木製の扉がある。
四月一日の朝八時四十分。この正面に半円形に広がる朱雀広場は、多くの人でごった返していた。
いや、それだけではない。
東を向く市門からこの広場に繋がる朱雀大路と、広場から市の南端にある氷野家の邸宅までを真っ直ぐ結ぶ南大路には、所狭しと多種多様な屋台が並び、九時の記念祭開始に向けて、どこも総出で直前の準備に励んでいる。そして、その九十度に曲がる二つの大通りの間、扇の中を埋める各省庁本部や司法局、裁判所も、各々の建物の前に何かしらブースを用意し、祭りに便乗して臣民からの支持・信頼を得ようと着々と準備を進めている。
記念祭に使用される市の南東区画は、もう二十分後に迫った年に一度の大祭に向けて、確実にヒートアップしてきている。
すでに一時間前から、その加熱ぶりをぐるりと巡って見て回っていたある人物が、最後に朱雀広場にやってきた。
「これをやれば、兄様の統治も少しは安定していたかもしれませんね」
広場の雑踏と喧騒に紛れて、七海は独りごちる。小声は一ミリ先にも届かないから、誰にも聞こえてはいない。もっとも三ミリ先には、人がいるが。
「いえ、ありえませんね。兄様は優柔不断ですから、どのみち速攻がお得意の姉様に対しては、後手に後手に回る他なかったでしょう。それに、婚約を発表した相手を他の男たちに汚させるだなんて……臣民が着いて来ないに決まっています」
人を掻き分けながら、憂鬱そうにため息をつく。久しぶりに春川辺芭瀬という仮面を脱ぎ捨て、北条七海に戻ってみたら、思い出されるのは故郷と、暗い過去のことばかりだ。
「いけませんね。あの悪魔のことは忘れましょう。陛下のご厚意を無駄にせず、今日は楽しみませんと」
人垣に突っ込んで進もうとすると、呼び止められる。
「おい坊や」
おじさんの声が背中から聞こえる。
「坊や。坊や! 落としたぞ!」
直後、ああ、もうっと苛立って呟くと、いきなり七海は右肩を掴まれた。
「痛っ」
「あ、すまねえ」
後ろを向くと、小ぎれいな服を着た農家風の男が、悪そうに首をすくめる。
「そんなに力を入れたつもりじゃあなかったんだが……」
「い、いいえ。大丈夫ですよ。それより、何でしょう?」
「いやな、坊や、これを落としたぞ」
坊や?
少し目を下向きに逸らして考える。
ああ、坊やですか!
「こ、これは失礼しました。ありがとうございます」
そう言って、青い紳士もののハンカチを受け取ると、ぺこりと頭を下げる。それから急いで振り返ると雑踏に飛び込んでゆく。
――今、男装しているのでしたね。すっかり忘れていました。
白シューズに、黒いジーンズ、スカイブルーの長袖Tシャツに紅白チェックシャツを羽織った自分の姿を見下ろす。春瀬ほどではないが平均は超えている大きな胸にはサラシを巻き、そして、北条家の誇りであるシルクのごとき白髪はくるりとまとめてグレーのハンチング帽の中に仕舞い込んでいる。
七海は雅号でとりあえず出自をごまかしているが、その立派な白髪までは隠しきれていない。普段の職務なら、外務庁設立を初めとする実績や大王の覚えが良いことなどから、もはや暗に了解を取り付けられているけれども、合一祭では不特定多数の人間に見られることになる。今日は伊達派の国民意識が年最高に高まる日であり、その中に明らかに敵帝室の人間がいては、大王の支配への貢献など関係なく七海に危害が及ぶ恐れがある。それで、真仁は白髪を染めるなり切るなりするよう指示したのだが、大王に仕える身でも北条家の誇りは捨てられないと抵抗。血族を尊重する伊達派らしい立場からそれに同意すると折衷案として、じゃあ、その髪隠すか、ということになり、適当に使用人の帽子を借りてやってみたら、女性と言うより少年っぽいな、と文句を言われ、男装に行き着いたのだ。
――名乗る時は、七雄とでも言いましょうか。苗字は……月浜。北条派の、しかも、二世紀近く前に子孫が途絶えた一族のはずですが、まあ、特に名をあげた者がいた訳でもありませんし、亡命家臣だと言えば不審には思われないでしょう。
空を見上げる。職場の赤いドームの先にあるのは、春の霞がかった水色の空だ。大きなガラスは、静かにどこまでも続いている。
――空はいいですね。地上のような醜い争いがありませんから。本当に静かです。
と思った瞬間、雑踏を切り裂き、天をも揺らすような野太い大声が広場を叩く。
「私、中央方面陸軍、第八八砲兵大隊大隊長、照屋小五郎中佐が、軍部を代表して、始祖両家合一をお祝いする、祝砲の五門斉射を指揮させていただきます!」
わあっと群集が一斉に拍手をし出す。唐突に出来たうねりに七海はもまれ、ぽんと人の山から弾き出される。
「第七分隊!」
「はいっ」
続けざまに目の前から、大音声の爆弾。七海はふらついて、頭を上げる。
「第八分隊!」
「はいっ」
統治府本部の目の前に、帯刀し軍服を着た指揮官らしき大男と、そこから少し下がったところに並べた五門の大砲の周りに、それぞれ四五人ずつ砲兵が立っている。
「第九分隊!」
「はいっ」
分隊を呼んでいる男は、上は黒ボタンが均等に五つ並んだ白肩章つきの赤い詰襟、下は赤白のタータンチェック柄のスカートに同じ柄の分厚い靴下と黒い軍靴という姿だ。スカートと靴下の間に露出している脛は剛毛で黒々としており、黒髪は短く刈られ、見るからに屈強な体付きをしている。
「第十分隊!」
「はいっ」
「第十一分隊!」
「はいっ」
「斉射用意!」
砲兵がばっと配置に散る。人波に訳も分からず攫われて、ぼうっとしていた赤い目が、次の瞬間に何が起こるか気付くと、はっと見開かれる。
「ぅてーーっっ」
だが、両手で耳をふさぐよりも早く、五門の大砲がごおっと一斉に火を吹いた。
「きゃんっ」
思わず根っから乙女な声をあげてしまい、慌てて両手をそのまま口元に持っていって覆う。
群集の歓呼が止まぬ中、どこかで小太鼓がタラララララタッ、タラララララタッと鋭く打ち鳴らされ、続いてぼへえーという独特の低音が響く。広場の人たちは一斉に背筋をただし、脱帽する。
――まさか、これは……。
頬に汗が垂れるのを感じていると、洋介大王時代にスコットランドから持ち込まれ爆発的な人気を得た“伊達派の民族楽器”バグパイプが、国歌「
むしろ今の問題は、変装している七海である。
――まずいですね。脱帽すれば、白髪が丸見えです。
焦って考えていると、とんとんっと肩を叩かれる。振り向かなくても、何が言いたいのかは分かる。
「脱帽しなさい」
中年男性の小声が注意する。マナーが何とかとか一番初めに言い出しそうな神経質な声。
――と、とりあえず、無視しましょう。音楽はいずれ終わります。
そう思った瞬間、曲は頭に戻って繰り返しを始める。
すると、再び肩を叩かれる。さっきよりも少し強く。
「脱帽だよ。帽子を取りなさい」
神経質そうな小声は、徐々に苛立ちをはらんでくる。
――これでは、無理やりにでも取られかねないですね。
汗ばんだ両手を腰の横で握り締める。
――一か八かアレをやってみましょうか。
後ろのおじさんがいよいよ怖い顔をして、もう一度肩に触れようとした寸前、
春の晴れた空を稲光が走り、周囲に爆音が轟いた。
まさに青天の霹靂。群集は目をしばたたかせて空を見上げ、晴れ空に黒雲を探し出す。
その間に、七海はダッシュで逃げ出す。走って走って、広場から南大路の方へと抜けて、ようやく足を止める。後方ではバグパイプの音がやみ、拍手喝采が聞こえてくる。
――良かった。無事、逃げ切れました。
先ほどの稲妻は、逃走の瞬間を確保するために七海が落としたのだ。北条家の能力は、雷(いかずち)と呼ばれる。電気を操る能力だ。体内に発電器官を有し瞬間的に発電することができ、また、今のようにはるか上空の電子を操作して落雷を生じさせることも出来る。日本能力者世界で二番目に強い能力と言われている。なお、北条派の君主が黄帝を名乗ったり、北条派の人間に対する罵り言葉が黄人だったりするのは、北条派、つまりはそれを支配する北条家のシンボルカラーが、雷の能力から黄色であることに由来している。
――さて、観光を始めましょうか。
ぱっと切り替えて、辺りを見渡す。南大路は、市の中央に位置する統治府から南端の氷野家の私邸までを結ぶ道で、東の官庁エリアの道沿いには軍事省本部がそびえ、南へ進んだところに氷野市総合病院と消防署、保安警察署に、検察庁の真新しい本部ビルが並んでいる。道の西には、軍事省に見下ろされる形で広大な軍の演習場が広がっており、総合病院の正面に低層の軍病院が建っている。西側は全て軍の施設であるため一般公開はされておらず、記念祭のエリアからは外されていてひっそりしているが、東側は様々な出し物がカラフルなテントの下で行われており賑やかだ。しかし、南大路は、氷野邸内の仮王宮から統治府へ行く普段の通勤路である。
――朱雀大路に向かいましょうか。あちらはあまり使用したことがありませんし。
普通は、議会、裁判所、主要官公庁が軒を連ねる市門前のこのメインストリートの方が使われているのだが、そこはさすが首都の奥に住んでいるだけある。天上の悩みを抱えて、七海は歩き出した。
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