第十一話 貫かれる大王の信念

 首都の中央に聳え立つ支配の頂点、行政の最高組織である統治府の十二階。執政室と呼ばれる白い大理石張りの明るい部屋に、黒いスーツ姿の大王と制服を着た大王秘書はいた。大臣からの報告書に目を通す大王の座る豪奢な玉座と重々しい木製の執政卓は部屋の奥、一段上がったところに据えられ、書類に羽ペンを走らせている秘書の仕事机は大王から見て左側の壁際に置かれている。部屋は四角だが、不思議なことに天井は丸いドームになっており、天頂にある大きな光取りの丸い窓からは日光が豊かに降り注いでいる。その光が磨き上げられた大理石の床に反射し、部屋の隅々にまで光線を届けている。

 大王が書類を読む目を細める。それから、もっと細くする。さらには、両手で持ち上げて鼻の先まで近付ける。ぱっと離して首を横に振ると、書き物中の秘書に向かって言う。

「お芭瀬。まぶしい」

「はい。ただいま」

 二言聞いただけですっと立ち上がると、背中側の壁に隠された蓋を開けて操作盤をいじる。カッカッカッカッカッと壁の中を音が駆け上がって行き、天窓を赤い遮光板が縁から円形に覆ってゆく。半ばまで覆ったところで、うむと大王がうなる。秘書はぱっと操作盤で動きを止める。ガコンという音がすると、ぴたっと機構が停止した。元通りに壁を戻すと、書き物へ戻る。そうして、いつも通りの職場の静けさが執政室を包み込む。

 数分間、その静寂が保たれるが、突然、廊下から大きな声が飛び込んできた。

「陛下。法務省大臣閣下が面会を求めておいでです」

「お通ししろ」

 大きくはっきりした声で返すと、大理石で出来た扉が開かれる。二枚の戸の前には長槍を床に突いて持つ一対の近衛兵が立ち、両者の真ん中にスーツを着た小柄な中年の大臣がいた。書類を右小脇に抱えて入室する。大王の机から数メートルほどの所に来ると、立ち止まり、九十度腰を曲げてから報告する。

「四月より実施される行政運営効率化改革に関する最終報告書を提出しに参りました」

「ご苦労だった」

 しっかり目を見てそう言うと、大臣は再び深くお辞儀をする。横から秘書が近付くと、大臣はそちらに体の正面を向け、頭を下げながら両手で書類を差し出す。それを軽く会釈しながら受け取ると、即座に自分の机に戻って、点検を始める。大臣はくるりと背を向け、すたすたと歩いて出て行った。そこで一旦扉が閉まる。

 が、すぐにまた近衛兵が叫ぶ。

「陛下。議会議長閣下が面会を求めておいでです」

 眉をピクリとさせて、顔を上げる。秘書は緊張した様子でチラリと書類から目を上げてその表情を盗み見る。

「何用か?」

 険しい口調がドアを突き抜ける。

「予算に関して協議を行いたいとのことで」

「また聞く振りをするだけだろう。帰れ」

 近衛兵の言葉を遮って鋭く言い放つ。

 秘書があまりの対応に目を丸くして、思わず口を差し挟む。

「へ、陛下。問題をややこしくすることに、価値はありません。とりあえず、お会いになった方が良いのでは」

 ところが、首を横に振る。

「いいか、お芭瀬? 大王に必要な支持とは、議会の支持ではなく臣民の支持だ。余は議会の主張よりも、臣民の声を聞かなくてはならない。その結果の選択だ。大王として何ら恥たるところはない」

「……そんなものなのですか?」

 専制君主国家の皇女としてはあまりピンと来ないのか、純粋に首を傾げる。

「そんなものだ。まあ、本来、議会は民意の代弁者故、相反はないはずなのだがな。仮にそれが代弁できていないのなら、父である余がその子の誤りを指摘し正さねばならない。善き家族のために」

 そうして、今一度扉に向けて叫ぶ。

「無礼な議長閣下はお帰ししろ。聞く気のない奴と話す気はない」

 はい、陛下、と応答があると、どたどたと複数人の足音が鳴り、遠ざかって行った。

「議会に対しては、あくまで強硬路線なのですか?」

 不安げにお芭瀬が尋ねると、真仁は朗々としたバリトンボイスで述べる。

「現在の議会の意見、すなわち、民心にそぐわぬ軍部の意見に譲歩すれば、それだけ臣民の想いから離れることになる。それは大王として間違っている。だからこそ、あちらが態度を改めない限り、議会には今後容赦するつもりはない」

「しかし、それでは予算が……」

「そうだな。それは重大な問題だ。正式な執行が遅れれば、政府の威信・指導力や活動に打撃を与える可能性もある。が、譲ってはならないところで譲る方が、よっぽど問題だ」

 秘書は一応納得したようで首を数度縦に振った。ところが、突然、表情に少し陰りが射す。

「陛下。一つよろしいですか……?」

 雰囲気の変化を察し、大王は前に身を乗り出す。

「何だい? 言ってごらん?」

「伊達派には北条派から亡命してきた家臣が数多くいます。かく言う私もその一例な訳ですが、彼らが何を求めて国境線を越えるのか、ご存知ですか?」

「一般的には、独裁制と違い原則、一人ひとりの人権や尊厳が尊重されるところや、経済的な安定を理由としているだろう」

「その通りですけれど……もう一つ大きな要因があります」

「何だ?」

「絶え間ない内紛を避けるためです。こちらは非常に社会が安定しています」

 ああ、なるほどと頷く。

「ですから、陛下。どうかご考慮ください。内紛を引き起こさないように。陛下に期待を寄せる臣民が多く離れてしまいますから」

 真剣な瞳で言った。議会の背後には軍部がある――そう考えての進言なのだろう。

 しかし、大王は微笑んで首を左右にする。

「進言ありがとう。でも、その懸念はいささか的外れだ」

 お芭瀬は意外そうな目をして見返す。

「確かに議会の裏には軍部がいる。それは間違いない。だけれど、ここで余が議会に強く出ても軍部は動かんさ」

「どうしてですか?」

「軍部とて馬鹿ではない。多くの臣民からは余が好かれ、自身らが恨まれていることくらい、自覚している」

「なるほど。それでは、うかつに動けませんね。陛下に楯突く悪と見なされる他ないのですから」

「いかなる者も、支持なくして支配なしだ。正当な支配を打ち立てたいのなら、まずは支持者に歯向かってはならない」

「さすが内政のプロですね」

 ほおっと感心する。

「この国を治めているのは誰だと思っているんだ……」

 苦笑いを浮かべてから、途端、何か思い出した表情になる。

「あ、そうだ。お芭瀬。明日四月一日、合一祭なんだが、」

「お仕事ですか?」

「え? い、いやいや。逆だ。午前中だけ休暇を与える。午後からは合一の儀の準備などを手伝ってもらうかもしれないが、午後三時頃まではおそらく自由にしてくれて大丈夫だろう。ただ、首都の外はやめてくれ。別の街に行くと、連絡が面倒だからな」

「ありがとうございます、陛下。考えてみれば、首都内の物見遊山は初めてかもしれません。普段はこの統治府本部と各省庁本部の間を歩くくらいですから」

「ああ、そうだったな。ま、たっぷり楽しんできてくれ。伊達派最大の記念祭だからな」

「はい!」

 眩しい位の少女っぽい笑顔が咲く。その時、近衛兵の呼び声が聞こえた。

「陛下。氷野家当主春瀬殿下がいらっしゃいました」

「む。もうそんな時間か」

 腕時計を見て眉間に皺を寄せる。お芭瀬は何となく内容を察し、立ち上がる。

「席を外しますか?」

「頼む」

 腰をお淑やかに曲げると、扉の方へ低いヒールの音を立てないように気を付けながら歩いて行く。ちょうど良いタイミングに、引き開けられると、スーツに青マントの春瀬と鉢合った。慌てて脇に退いて恭しく頭を下げる。第二の君主はそれを一瞥すると、前を向きつかつかと入って行く。お芭瀬の背後で重い扉は閉じられた。はっと振り返ると、祈るような視線で大理石の板の向こうを見る。


 ――春瀬殿下を退ければ、陛下への支持は失墜。そうなると、対照的に人気を得て軍部が出てくるかもしれないのですよね? 陛下……。


 この扉の向こうでは今まさに、国の命運を決する話し合いが行われている。

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