幸福の大陸パンゲアの創造

牧 鏡八

序章

第一話 新世紀の創造

火炎は天をも焼き尽くした

火の鳥朱雀の揺りかごを焼いた

あの火炎は

巣の木も石も

鳥たちもまとめて

真っ白にした

ただ一羽のひな鳥だけを

焼き損ねて


そのひな鳥は

焼けていなかった

火傷さえしていなかった

しかし、

彼の父が

母が

目の前で

赤くなり

黒くなり

そして白くなるのを

見て

大地を割らんばかりに

むせび泣いた

このときに、

喉を焼き

その先にある心まで

焼いて

ずたずたに

痛めつけてしまった

もはやひな鳥は力つき

ただその苦しみに悶え続ける日々

月々

年々が

うず高く積もっていった

風がいくら羽を揺すっても


熱く焼け爛れた心に

ひんやりとしたものが触れる

見ればそれは

氷だった

ひなは胸に氷を抱きしめた

氷も憐れなひなをひっしと抱きしめた

そうして、ともに春を迎え、夏を迎え

秋を、冬を迎え

それが何度か繰り返された


ある銀世界の朝、

ひな鳥はついに

飛び立つ決心をした

氷の塊に最大限の感謝をして

空の極みに輝く星を目指し

はるか天空に飛翔した


穢れなき

天雲あまぐもに浮かぶ

理想郷

一目見たりて

今羽ばたかん

朱雀すざくちょう

島の鳥全てを引き連れて


























「そんなもの、やめてしまえば良い。それだけだ」

 バリトンの落ち着いた声が、数本のロウソクに照らされる暗い室内に響く。小さな灯がざわざわ揺れる。

「へ、陛下……今、何と?」

 落ち着かない赤い光を受けながら、黒燕尾姿の老いた男が立ったまま額に脂汗を垂らす。その顔面は、骸骨のように真っ白だ。

 しかし、緋色のナイトガウンを羽織って大振りの豪華な椅子にゆうゆうと座る黒髪の青年大王は、重臣の驚く顔に眉根を寄せて文句を言う。

「余は馬鹿みたいに同じことを繰り返すのは嫌いだ。時間の無駄だからな。よもや知らぬ訳はあるまい、つとむよ」

「それはもちろんでございます、陛下」

 白髪交じりの小柄な老人、勤が深々と頭を下げる。それを嫌そうな目で一瞥する。

「では、なぜ愚問を?」

「そ、それは……自らの耳を信じ難かったためでございます」

「信じてやれ。耳が聞いたら悲しむぞ」

「は、はあ」

 ころころ表情を変える君主の冗談めいた調子とは対照的に、側近の顔色は変わらず悪い。

 王は右脇のティーテーブルに置かれた上等な赤ワインのグラスを手に取り、一口飲むと、満足そうに頷いて元に戻す。

「まあ良い。特別に一度だけ言おう。そうしないと、話ができないからな」

 美味しいワインに突然上機嫌になり、勤は心の底で美酒の御技に深く感謝した。

「余はこう言ったのだ。戦争などやめてしまえ、と」

「ああ、私の耳は正しかったのですね!?」

「喜べ。お前の耳はまだまだ現役だぞ、勤爺。ってなぜ、うなだれている?」

 思わず取り乱してしまった老政治家は、慌てて居直ると、君主に必死で詰め寄る。

「どうして唐突に戦争の停止を提案なさるのです? 列島の統一戦争は、しま大王以来千七百年間、国家の中心的政策として不動です。挙げ句の果て、陛下の祖父に当たります深山しんざん陛下の御提起で、父君の真吾しんご陛下を経てこの摂政の私に至るまでの三人が、極秘の軍事開発を行ったのです。それを無駄になさるのですか? 陛下、一体どれほどの予算がつぎ込まれたのかご存知ですか?」

「国家財政が転覆寸前になるほどだ」

 キレ良く言い返すと、勤はうっと喉を鳴らす。大王は黒目を険しくして、堂々と反論を述べ立てる。

「一連の改革は、あまりに金を喰い過ぎた。おかげで財政状態は史上最悪。何事もなき平時の現在でさえ、大幅な増税も視野に入れねばならないくらいだ。それで、勤。今、我々の財布のどこに、戦争ができるほどの大金が入っていると言うのだね?」

「失礼ながら、戦争は出来るはずでは……?」

「数週間で絶対に決着がつくなら、もちろん可能だ。ただ、そのような戦争が可能かどうかは甚だ疑問だな。いかに改革の成果が素晴らしくとも。まあ、この日数では、戦い続けて勝つことは無理だろう。とてもとても千七百年戦って未だに勝敗が決さない敵を打ち倒せるとは思えないね」

 そこまで言って思い出したように手を打つ。

「ああ、あと腹が立つのがそこだ」

「そこ、とは、どこでしょうか、陛下?」

「千七百年間、全く目標を達せずにいることだ。統一戦争は、列島統一を目指す政策によるもので、その莫大な予算は当たり前だが国庫から出ている。ところが、多少の国境変動はあっても、統一という結果が出た試しは今まで一度もない。これに臣民の税金を千年単位で雨あられと注ぎ込んできたのだ。が、このように成果なき事業に貴重な金を湯水のように使い続けるというのは非合理極まる。統一戦争政策だけだぞ、成果が出ないのにずっと金がつぎ込まれている政策は」

「しかし、陛下。挑戦なくして前進はありません」

「猪の前進に未来はない。少しは頭を使ったらどうだ、勤。余は剣を嗜んでいるから、より一層理解できるが、そうでなくとも常識的に想像できるはずだ。剣は一つのものを二つに断ち切ることは出来ても、二つのものを一つに繋げ合わせることは出来ない。つまり、二国の統一を求めておきながら、断ち切るのに優れた剣を振り回すなど、とんだ愚行なのだ。永遠に悲しい風切り音がするだけで、統一が成功する余地は一片もない。ここからも、これ以上の投資は無駄だと言える。それと……」

 急に弱弱しい声になり、勤ははっと目を見張る。

「それと……」

 震える拳で胸を押さえながら、苦しげに息を吐き出す。

「それと、余は戦争が心底嫌いだ」

 大王の、青年の脳裏に九年前の惨劇が思い起こされる。

「優しかった父と母は、今頃、あちらで仲良くやっているだろうかねえ? 勤。家まで失ってしまって――お盆に帰るところがないとは、何とも寂しいものだとは思わんかね……?」

「陛下。あの日、不落と謳われた二千年の王都は確かに史上初めて敵の手に落ちました。陛下のご両親の命をも巻き添えにして。そして、今なお、お二人の御霊は後悔の涙に暮れておいででしょう。特に日が長い日と短い日には、あちらの世界で雨を降らせておいででしょう。であればこそ、残された我々が、一刻も早くご両親の魂に帰る場所を与えてやるため、奮戦すべきなのです、陛下」

「ならん」

 老練政治家の巧みな口上には乗せられず、むしろきっぱりと否定する。

「どうしてですか、陛下? ご両親へのご恩をお忘れになられたのですか?」

「忘れるわけがなかろう。未だに枕を濡らす夜があるくらいなのだ……」

「それでは、」

「違うのだ、勤。それとこれとは別問題だ」

 一度息を整える。

「王都はいずれ我が手によって取り戻したい。父母の報われない霊魂のためにも。しかし、軍事的に奪取することは望まない。そのような手段をとれば……愛しき我が子らの血をまた大量に流させることになる。全臣民の父として、子の命を虚しく投げ捨てさせるような真似は出来ない――」

「ですが、陛下。兵士は、もとより陛下に命を捧げる覚悟のある者たちです。その寛大な御心には強く打たれますが、いささか気の回しすぎかと」

 瞬間、大王の平手がティーテーブルを叩き鳴らす。

「勤! お前は、彼らが死にたくて志願しているとでも思っているのか! 彼らとて生きながらえる道があるのなら、そちらを選ぶはずだ!」

 グラスの中で深紅のワインがはかなく揺れ続ける。勤はその揺れを見つめた。そうすると、瞳に深く愁いの色が浮かび上がってきた。

 実は勤も、九年前の王都陥落という歴史的な大事件で、弟を失った。弟は、陸軍の副司令官であった。あの日、敵奇襲の報に接して一早く戦場に駆けつけ何とか占領を食い止めようとしたが、敵歩兵の銃弾が腹部に命中して戦死した。馬上から必死に指示を出していた時のことであったそうだ。彼は別に死にたくて死んだわけではない。しかも、その後には、末の弟の死を知った兄が心労に倒れてそのまま帰らぬ人となり、その妻もまた愛する夫の急逝に強いショックを受け、二日後、後を追って自殺してしまった。そして、残された一人娘は、つまり、勤の姪は、現在、陸軍の副司令官である。亡くなった弟と同じポジションだ――。



 もし戦争が起これば、あの子も悪夢のような悲劇の中に……?



 ――ダメだ。私も年を取ったな。ついつい感傷的になってしまった。国政にそんなものは無用だと言うのに。


 唇を噛み頭を振って靄を払うと、政治家勤として今一度大王に再考を請う。

「陛下のお考えは分かりました。私が間違っていた面があることも認めます。けれども、今一つ伺いたく存じます」

「何だ?」

「先ほど陛下は、王都の奪還は実現するとおっしゃいました。同時に、武力奪取は望まないとも。それでは、いかにして取り戻すおつもりなのですか?」

「簡単さ。剣が駄目ならペン。それだけだ」

「ペン?」

「そう、ペンだ。話し合いによる合意が主だ」

「つまり、陛下は、あの黄帝と対談して王都を返してもらうと?」

「そのような約束を取り付ける。だが、それは大事ではあるが、それ自体一番の目標ではない」

 保守的な勤の脳はそろそろ理解の限界が近いようで、ただ困惑して無言のまま大王の顔を見返す。対して、急進的な青年王は、自信たっぷりに言った。

「統一するのだ。剣を振り回してもそれは不可能だが、ペンなら可能だ。平和外交然りだが、民間レベルでの文化交流なども奨励できればなお良かろう。肉も心も切り裂く剣でなく、精神の深い交わりを可能とするペンを振るうことでこそ、世を一つに出来るのだ」

「そのようでは、臣民から弱腰とのそしりを免れ得ないでしょう、陛下」

「戦争になれば、無慈悲に増税することとなる。実際、歴史を振り返ってみても、国外不安定の際には、主に重税への反感が大きくなって、下手をすれば反乱さえ起こっている。逆に国外が安定している時は、国内の経済状態や財政状況、さらには、臣民の生活は物心両面において大変良く、混乱も非常に少ない。国外不安は国内不安を誘発し、国外安定は国内安定を導く。対外的安定を構築することは、国内の安定を築くことと同義だ。つまり、外で平和を実現することは、中では臣民の生命・財産の保護となる。それで臣民が文句を言うとは思えない。また、先に文化交流と言ったが、臣民の不足ない生活を保障するためにも、同時に経済交流は早期に実現したいものだ。無論、底冷えが止まらない国庫のこともあるがな……」

 憂鬱にため息をつくと、グラスを気だるげに取り、残りをぐいと飲み干した。意味もなく底をしばらく見つめてから、ほっそりした腕で静かにテーブルへ戻す。

 しばらく黙っていた勤が口を開く。

「では、陛下は、統一戦争政策に代わる統一政策をお考えなのですね?」

「幸福の大陸パンゲアの創造政策」

「は?」

「余が、従来の統一戦争政策に代わって提案する平和的な“新”統一政策だ」

「は、はあ。しかし、一体、なぜパンゲアが……? 現在の五大陸のもととなった一枚岩の超大陸のことでしたよね?」

「そうだ。その事実がペンによる平和的統一に素晴らしい示唆を与えてくれるのだ――。王帝の両国が対立を始めたきっかけは、直接には領土問題だったが、間接的にはお互いの文化・思想の差異が大きく、理解し難かったため、排除の理論が働いたという事情があった。これは多くの学者が既に指摘していることだ」

「その通りです、陛下」

「だが、余は思うのだ。いかに慣習や観念に顕著な違いがあれど、もとを正せば我々の間に何ら違いはない。そうだろう?」

 勤はしばらく考えてから首を縦に振る。

「……確かに、いずれも能力者の国ですから、そのような点では」

「ここで超大陸パンゲアと今の五大陸を思い出して欲しい。五大陸は地球上の各所に散らばり、今はそれぞれ本当に異なる特性を有している。が、もとを辿れば、全ては超大陸パンゲアで一つであった。そこに変わりはない。同じことが我々にも言えるだろう。いかに表層的な違いがあれども、根は同じ。本来同一である以上、表面的な文化差に足を取られない限り、理解できぬはずがない。根本的な共通点を最大限に強調し利用すれば、相互理解も不可能ではないのだ。政策の名には、そのような思い、考えが象徴されている」


 青年大王、真仁まさひとが君臨する伊達派の赤暦せきれきでは二〇〇二年、西暦では二〇一一年の二月八日。王が成人を迎え、摂政勤による代理統治から大王親政へ移行したその日に、歴史を揺るがすような新世紀の大政策が、初めて他人の前に姿を現した。


「勤、どう思う?」

「は、はあ……」


 ところが、歴史の証人となった名家の元摂政の器は保守的で、新しすぎる水を完全に受け止めることは出来なかった。

 この事実は、もしかしたら、今後の歴史の新たな潮流を表しているのかもしれない。日本列島の一般人世界の陰に潜む、異常な能力を持った者たちの世界、日本能力者世界における、王帝二千年の分裂史の。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る