ファンタズマゴリア -幻燈奇譚-

人生

プロローグ

彼女について episode of Artel




 自分は何者で、自分はこれからどうしていきたいのか――そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 あの日までは。




               ***




 ――お前は道具だ。


 それが彼女の全てだった。

 なぜなら彼女は自らの過去について、その出生から縁者、素性の一切に関する定かな記憶を有していなかったからだ。


 記憶の始まりは小さな施設だった。そこで彼女は殺しや盗みの技術を叩き込まれ、またその技術を実践する機会を与えられた。技術を教わるようになってから任務へ繰り出されるまでにそう時間はかからなかったように思うが、それすら定かではない。

 同じような日々を何度となく繰り返しているうちに時間という感覚は薄れ、記憶も曖昧なものになり、気が付いた時には僅かに残っていた自身に関する記憶も漠然とした何かに成り果て、今では思い出すこともなくなった。


 彼女は道具だった。ただ命じられるままに殺し、奪う、『組織』の道具だった。

 その役割は主に〝斥候〟と呼ばれるもので、『組織』の構成員より先に敵地へ侵入し露払いをすることもあれば、任務先に罠などが仕掛けられていないか身をもって確認するという、生きて帰れば再利用、死んでもそれはそれで構わない、いわば使い捨てだ。


 施設で育った子供は彼女の他に何人もいたが、みんな〝斥候〟の任務の中で死んでいった。中には『組織』に対し反抗的な態度をとって〝処分〟されたものもいたが、彼らの存在も記憶の中で風化していき、今となってはその顔さえ思い出せない。

 そもそも施設での育成期間中においても、見込みがないと判断された子供は容赦なく〝処分〟されていった。死んだ子供の数など数え上げればきりがない。


 生き残った子供の中には『組織』の構成員として〝昇格〟するものもいた。彼女もその一人だった。彼女には他の子供にはない、特筆すべき点があったからだ。それは彼女を〝優秀な構成員〟たらしめ、今日までの生存を可能とした才能、あるいは異能と呼べるものだ。


 少女には自らの目的を確実に成功させる才能があった。それを『組織』の誰かが〝成功を掴む腕〟と名付けた。彼女の生存率の高さは『組織』内でもそれほど目を瞠るものだったのだ。

 どんな状況下であれ、条件さえ揃えば確実に目的を遂げることが出来る。失敗はありえない。たとえば、十人の武装した暴漢に包囲されたとしても、手元に拳銃と十発の弾丸さえあればその状況を切り抜けることが出来る。十発全てを外すことなく暴漢十人に当てることもあれば、相手の同士討ちを誘うことも可能だ。


 それが先天的な才能・異能だったために彼女は今のような境遇に置かれているのか、あるいは『組織』によって培った後天的な能力なのかは定かでない。いずれにしろ、少女が生き抜くために必要な力であったことに変わりはない。




 その日の任務でも彼女の能力はいかんなく発揮された。


 敵対組織のアジトに潜入した彼女の装備品は拳銃二丁とナイフが一振り。無論弾丸の数には限りがあり、弾切れになればナイフのみが頼りとなるが、それだけで挑めるほど敵の装備は原始的ではない。また、想定されるだけでもそのアジトには数十人規模の構成員が控えているはずだ。


 彼女の任務は相も変わらず使い捨ての〝斥候〟。『組織』の構成員となり立場も生活も向上したが、彼女がそもそもそのためだけに作り上げられた道具であることに変わりはない。味方の安全確保のため、敵地に押し入り可能な限り殲滅する。彼女の生死は『組織』には関係ない。その帰還を当然の結果と信じているものはいても、何かあったとき助けに来るものはいないのだ。


 敵がどういった組織で、『組織』にとってどのような存在なのか、彼女は一切の情報を与えられていない。ただ命じられるままに殺し、道を切り開くのみだ。


 どんな想定外が待ち受けていて、たとえそれが致命的になりうるものだとしても――男女の腕力差など関係なく相手を殺害できるための拳銃と、敵の寝込みを狙った奇襲という〝条件〟さえ揃えば彼女は高確率で〝成功〟を掴む。


 結果――奇襲の情報が漏れていたのか敵は予想をはるかに上回る人員で待ち受けており、彼女は思わぬ反撃に遭ったものの、その持前の殺人技術で味方の道を切り開いた。そもそもこういう事態を事前に知るための〝斥候〟だ。何があったとしても、彼女に動揺はなく、普段通りに己の仕事を果たした。


 彼女と『組織』は敵対組織を半壊させることに成功する。壊滅にまで至らなかったのは全滅させる前に一部を取り逃がしてしまったからだ。

 味方の一部が逃げた敵を追っている間、彼女はアジト内の残党狩りを任された。逃げずに潜伏している恐れのある敵を皆殺しにするためだ。


 そこで彼女は、一人の女を発見した。


「……なんだ?」


 同行していた味方の男が女を見て首を傾げる。この女は何者か、と疑問に思ったのだろう。こんな場所にいるのが場違いな女だった。


「連中、女でも囲ってたのか」


 女は怯えていた。武装している風ではなかった。だからなのか、男の関心はその女よりも彼女の方に向けられていた。


「お前がぶっ殺さねえなんて、不思議なこともあるもんだ」


 それは単にこの男から、「ここにいるクソ野郎(=男)どもをぶっ殺してこい」と命じられていたからで、女はその中に含まれていなかったからだ。


 彼女は視線で問いかけた。女の素性など関係ない。敵か、そうじゃないか。殺すか、殺さず捕えるのか。判断するのは自分ではなく、この男だ。

 しかしこの男は何を履き違えたのか、


「なんだお前、この女のこと気に入ったのか?」


 そんなことを言った。


「口封じにぶっ殺すべきなんだろうが、どっかの娼婦……一般人なら殺すのは極力避けたいっていうのが俺のポリシーっつーかやり方だからな。そうだなぁ……」


 前からおかしい――彼女に対する接し方が他の構成員とは違う男だとは思っていた。他は彼女のことを道具のように扱うが、この男はもっと違う、不思議な扱いをする。


「お前もいい歳してきたからな……なんつーか、男の俺としては扱いに困るわけだ。そこで名案を思い付いた。この女をお前の世話係にしよう」


 このとき拾った女はのちに彼女たちが半壊にまで追い込んだ敵対組織を牛耳る人物の娘で、彼女を取り巻く環境を大きく変えるきっかけとなるのだが――そのときの彼女には知る由もなく、怯えているのか抵抗もせず大人しい女を保護し、『組織』へと帰還した。




               ***




 それからどれだけの時が過ぎたのか。


 ベッドにクローゼット、机という必要最低限の家具のみしか置かれていない無機質な部屋で一人、眠りにつくかつかないかの瀬戸際にいた彼女は、どこからか響いてきた銃声に反応して意識を覚醒させた。


「……っ」


 ベッドから飛び起きとっさに枕元の拳銃に手を伸ばそうとして、利き腕である右手が動かないことに気付く。頭部には包帯、右腕は骨折して三角巾で吊るしている状態だ。数日前、『組織』の任務中に負傷したものだ。簡単な任務だと誰もが思っていて、実際目的自体はすぐに遂げられた。その直後、彼女を狙った襲撃があったのだ。敵は彼女の腕を潰すことだけに全てを注いでいた。上司の男はその事態を危惧していて――恐らく、その不安が今夜、現実のものとなった。


 彼女がいる場所は『組織』から与えられた彼女用の部屋であり、『組織』の中にある。そこで銃声が聞こえたということは、『組織』内で何かが起こっているのか。銃声が一発程度なら捕虜の〝処分〟だと判断するところだが、応戦するような銃声と怒号がこちらにまで伝わってくる。彼女は左手で拳銃を手にするが、動かない。命令がないからだ。


 待機状態にあると、部屋の外から人の駆けてくる気配があった。すぐに扉が開かれ、上司の男が息を切らせながら叫んだ。


「やっぱりいやがったか馬鹿野郎! 逃げろ、ここはもうヤバい――」


 男が言葉を言い終えるより早かったか。まるで遮るかのように一発の銃声が響き、目の前で男が倒れ、彼女の視界から男の顔が消えた。


 廊下から複数の足音が聞こえてくる。彼女は銃を手に警戒を強めた。こちらに近付いてくる足音が一つになった。途中で別れたのか。部屋の前を通りがかった瞬間に射殺しようと銃を構えた。


 そのときだった。


「おっと、その物騒なものを下ろしてくれないかな。僕は怪しいものじゃない」


 若い男の声だった。開かれたままの扉の向こうにその姿はない。部屋の外、扉の脇に立っているようだ。そしてどうやら、その男はこちらに向かって話しかけている。


「ここで発砲すれば〝敵〟に気付かれてしまうよ。僕は君の『組織』からすれば味方ではないけれど――少なくとも、君の敵ではない」


 不可解な言葉だった。


「僕は君を助けにきたんだ」


「…………」


 少し前の彼女なら、正体不明の人物との会話に付き合うという発想はなかった。

 恐らく、いま彼女の目の前で死んだ上司の男から「人が何か言ったら受け答えくらいしろ」という命令があり、世話係となった女と接した期間があったせいか、彼女は男の言葉に応えることにした。


「助けを求めた覚えはありません」


 返しながらも銃は下ろさず、警戒は解かない。それを知ってか知らずか、扉の脇に隠れていた男がゆっくりと姿を現した。引き金は、引かなかった。まるで敵意など欠片もないかのように、男がごく自然と姿を現したからだ。


 男は日本人……アジア系の風貌をしていた。声から若い男だと判断したし実際容姿もその推測に違わないものだったのが、その男には不思議と熟成した雰囲気があった。今まで出会ったことのないタイプの人物だった。

 暗い部屋の中にいるせいか、廊下の照明を背に受ける男の顔をきちんと視認することが出来ない。

 ただ、穏やかで、一見場違いにも思える微笑が浮かぶのを確認した。


「そうだね、君から助けを求められた覚えは僕にもない。けれども、ある女性から頼まれてしまったんだよ。このままここで暮らしていればあの子は幸せになれない、と。君のよく知る人物だよ」


 あと一歩、踏み込めば問答無用で引き金を引くというそのぎりぎりのラインを見計らったかのように、男は歩みを止めてこちらに向かって細い手を差し伸べた。


「ここを出よう。もうすぐこのアジトは大変なことになるからね」




               ***




 どうして掴んだのかは分からない。ただ直前に上司だった男が「逃げろ」と言っていたからかもしれないし、こちらに手を差し伸べたアジア人から敵意を感じ取れなかったからかもしれない。

 それが〝自分の意思〟と呼べるものだったのかどうか――彼女には、分からない。


 彼女は男に連れられてアジトを離れた。アジトでは銃声の他に爆音が響き、すぐに建物は炎上した。このままでは『組織』は壊滅するだろう。しかし彼女には引き返す理由がなかった。命令されれば別だったが、今この場には『組織』の人間がいなかった。


 街から離れた郊外にあるアジトを背に、何もない平野を進む。小さな丘の上で一度アジトを振り返ったが、彼女は前を行く男のあとに続いた。


「あれは、以前君たちに滅ぼされた組織の報復さ。君は彼らの同胞を殺した。面子的に、彼らにとって君は見逃せない存在だ。捕まれば酷い目に遭っていただろうね。そうなると分かっていたからこそ、ある人が君を秘密裏に助け出すよう僕に依頼した。……という次第だ。分かったかな?」


「……はあ」


「相槌にしかならない相槌だね。聞いていた通りだ」


「これからどうするのですか」


「どうする。どうしようか。僕の依頼は君を助け出すことで、これから君がどうするかは君次第だ。君は自由の身なんだ。……とはいっても、自由過ぎて君にはやや不安だろう。普通に考えても、君には身寄りがなく、今後生活していくための資金もなければあてもないのだからね」


「……はあ」


 たしかにその通りだ。『組織』が失われれば、彼女には何もない。生活は全て『組織』によって成り立っていた。彼女が働き続ける限り、彼女には何不自由ない生活が保障されていた。給金が出るわけではない。だが、衣食住は完備されている。彼女は必要最低限のものしか望まなかった。だから生きるために不可欠なもの以外、そもそも所持品と呼べるものもなく、そのため金もない。そうでなくても、なんの準備もなくアジトから連れ出された彼女には何もない。強いていえば、今もこの手の中にある拳銃だけだ。


 だからといって、男が言うような〝不安〟はない。

 ただ漠然と、自分はこれからどうなるのだろうとは思っていた。


 自分は……。これから……?


「あなたは何がしたいんですか」


 よくは分からないが、この男は自分を使うつもりだろう。その命令に従えばいい。


「何がしたいか。うん……なんだろうね。今の僕は凧のようなものだからね。あ、知ってるかい、タコ。食べる方のものではないよ」


 違う言語だったなら男の言いたいことの意味もすぐに分かったのだろうが、男が使っているのはこの国の言語だ。彼女はその意味を理解するまでに時間を要した。一応彼女も数か国語を喋れるし読み書きもできる。時間はかかったが、それが日本語でいう『凧』と『蛸』が同音であることを指しているのだと分かった。この男はやはり日本人なのか。


「風の向くまま気の向くまま……まるで自分の意思なんてないみたいに、人の頼みを聞いては動いてる。やることがないからなんとなく、という感じかな。もちろんお金はもらってるけどね。なんだろうねぇ……たとえるなら、親と喧嘩してしまって家に帰るに帰れない子供の心境かな。この歳になってそれはどうなんだろうと思わなくもないけどね……」


 男は独り言のようにつぶやいている。


 歩み続けるにつれだんだんと、後方で上がる炎の明かりも届かなくなってきた。


「でも今回に限っては、少しだけ自分の意思で動いたようにも思う。そうだね、僕は――君に、逢いたかったんだろう」


「……はあ」


 男が振り返る。闇の中、やはり男の顔をきちんと捉えることは出来なかった。


「君に一つ、〝頼み〟がある。君を見込んで、僕からのたっての頼みだ」


「なんでしょう」


「お嫁さんになってくれないか」


「……はあ」


 言葉の意味は分かるのだが、言いたいことを判じかねる。でもそうしろと言うのなら――いや、これは命令なのだろうか? まるでそうじゃないと念押しするように、男はなぜか〝頼み〟という言葉を強調した。


「反応があれだねぇ……でもまあ、女の子は今でもそれを一つの夢として将来なりたいものに挙げていると信じて――」


 男は近くにあった平たい岩を促した。男がその一つに腰掛ける。彼女も座った。


「少し、話をしようか。きっとそれが君の幸せにも繋がるはずだ」


 そう言って、男は彼女に語り始めた。


 ある少年の話を。



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