Episode30 運命のいたずら


     □


 特にこの仕事は、俺にとって負担というわけではない。

 ただちょっと心苦しいだけだ。

 本来の目的を達成する意味では、心を鬼にして精査しなければ――。

 それがどんな子どもでも。

 高額報酬に目がくらんだ親に、ただ連れてこられただけであろう無垢な子どもであってもだ。

 それがこの子のためでもある。

 俺がこの門番をすることで守ってあげられる命なんだ。

 あぁ、でもなぜかな……。

 子どもの夢や希望を打ち砕くというのは胸がずしりと重たくなるものだ。

 今日もまたしても胸を重たくさせる存在が一人、舞い込んできた。

 もう少し、もう少し隠れる努力をしてみせろ。

 俺の心眼の前ではもうお前は捉えられているぞ。



     □



 マーティーンさんに指示されたままに竹林をゆっくりと歩いていた。

 寒気を感じると言っても悪寒とかそういうもんじゃない。

 これはそう、清涼感というやつだ。

 夏だったら涼みにくるにはちょうどいい場所だろう。

 今は季節的にちょっと肌寒い。

 早く春風でも吹いてくれないかな。


 ――――サッ……、サッ……。

 やけに土を踏む足音が響く。こんなんじゃ見張りに見つかってしまうだろう。

 もっと息を潜めて、抜き足差し足だ。

 でもそうしようと努力すればするにつれて、息苦しくなり、心臓もばくばくしてきた。落ち着いて歩いていられない。しかも石像があるといったけど、まだ見えてこない。

 どれだけこの屋敷は広いんだ。


 ――――サッ……。

 油断するとどうしても足音が立ってしまう。

 昼間で無風ということもあって竹の葉、笹の葉を揺らす音すらない。

 無音の世界。


 もはや派手に音を立てて、さっさと石像まで行き、見張りに襲われる前にライトスラスターで逃げ切った方が楽かもしれない。

 いや、それじゃ試験の意味がないか。

 そうこう考えているうちに、ついにそれらしい石像を発見した。

 丸い頭の子どものような石像で、目を瞑っているように顔が彫られていた。さらに首に赤い布が回されて、なんだか怖い印象を受ける。そしてその下には石造りの受け皿台のようなものが置かれていて、そこに確かに何枚かの金貨が無防備に置いてあった。

 銀貨や銅貨ではない。金貨だ。

 金貨一枚で1,000Gの価値がある。


 その周辺に特に見張りがいる様子もない。

 もしかしてそもそも見張りなんていなくて、俺の度胸試しのためにあんな事を言っていたのかもしれない。

 そういえばマーティーンさんは「見張りがいるぞ」なんて一言も言ってなかった気がする。そう思うとなんか拍子抜けだった。俺は今まで潜めていた息を抜き、肩の力を抜いて石像の前の金貨を1枚だけ拾った。

 一枚だけなのは、なんとなくの良心だ。


 ―――――……。

 それに気づいたのは偶然だったかもしれない。無風で無音の世界に、一瞬だけ風を感じた。その風は自然の風にしてはあまりにも不自然な、本当に一瞬の風だった。

 俺の直感が上からくる何かを感じ取った。


「………!」


 驚いて前転するように回避を取る。慌てて後ろを振り返ったところ、そこには仮面を被った長身の男? が槍を地面に突き立てていたところだった。

 避けていなければ今頃槍で真上から串刺しだった。


「………」


 仮面の男はすぐさま槍を引っこ抜いて、こちらに構えた。槍は男の身長には届かないにしろ、それに匹敵するほど異様に細長く、先端は鋭利な刃が輝いていた。

 男の服装は白を基調としているものの、ところどころに緑や黄色の模様が入り交じり、背景に同化するように作られていた。男は胴体がすらりとしていて線が細く、流れるような黒髪も女性かと疑ってしまうくらい長かった。

 だけどあれは男だ。

 直感でそう分かる。


「………」


 仮面の男は無言だった。

 顔面をすべて隠しきるような仮面。

 額部分からは左右二本の角が生え、真っ白ののっぺりとした面だった。

 ちょっと威圧感があって怖い。

 もしかしたらマーティーンさんと同じようにいきなり迫りくる可能性もある。

 だが、俺には武器がない。手ぶらだ。

 最近自前で剣を作り上げてしまえるから、武器を持つ習慣がない。もし、こっちが得物を作り上げる前に相手に迫られたら一貫の終わりだ。今度からちゃんと武器を持ち歩こう。


 いろいろ思案している間、もう一度、仮面の男は槍を構えなおした。

 そして駆け出して俺に迫る。

 来る……!

 と思いきや、やけにゆっくり走っていた。準備体操で少しだけ駆け足をするかのようで、まるでやる気なしだった。殺気のようなものも感じられない。男にはこちらに迫りくる気迫がなかった。

 そういうフェイントなのだろうか。

 ならば、と俺は右手首のスレッドフィストを起動させた。右手に力を込めると勝手に腕に巻かれた聖典が解放される。

 そしてむき出しになる歪な機械と赤黒い右腕。


 ライトスラスターを起動する。

 高速で地を滑りながら、石像下に回り込み、流れるように金貨を握りしめた。もう見つかったなら金貨を持ってとんずらするしかない。マーティーンさん曰く、生きて金貨を持って帰ってこれたら合格なのだ。

 勢いを殺さず、そのまま竹林に突っ込む。

 その刹那、仮面の男が目の前に現れた。

 既に槍を振りかぶっている。


「え……!」


 衝突の寸前で何とか方向を変えて回避し、そのまま上空へと舞い上がる。

 一本の太い竹に垂直に両足を付け、幹を握りしめて体を支えた。危なかった。もう少しでやられるかと思った。

 どうやってあんな一瞬で俺の目の前に移動したんだろう。


 上空から下を見渡すと、長い槍を下段に構える仮面の男がいた。

 そして俺が掴まっている竹を、槍で斬りつけてその太い幹をすっぱり刈り取った。竹は徐々に倒れていき、俺はついに支えを失って竹を手放した。

 だが別の竹がいくらでもある。

 次から次へと飛び移ればいい。

 ……と思いきや、俺が飛びつく先々の竹も仮面の男はどんどん伐採していった。俺と仮面の男の軌道上の竹がどんどんと無くなっていく。


 そうこうしている間に俺は徐々に行き場がなくなって地上からの距離が狭まっていた。もう一度、ライトスラスターを使ってこのまま入口まで逃げようとした途端、またしても仮面の男は俺の目の前に現れた。

 なんて跳躍力だ。


 目の前の男に、心臓がばくばくと高鳴る。

 時間制御を行使した。

 時間がゆっくりと流れ、仮面の男の槍の軌跡が読み取れた。横一閃に槍を振るおうとしている。これはあえて、落下した方が避けやすいかもしれない。

 俺は自由落下を選んで地面に落ちていった。受け身をとりながら地面に着地する。


 ―――ぞわっとした。

 またしても上から槍で一突き、仮面の男が迫っていた。この男、さっきから動きにリズムがなくて読みにくい。動きはゆったりしているようでいて、素早く俺の目の前を陣取って一閃振るってくる。

 その一撃も、俺を殺そうというより、追っ払うような雑な振りだった。

 ちょっとこけにされているような気がしてカチンときた。このまま逃げ続けても、追っかけてきては退路を断ってくるし、ある程度ダメージを与えて足止めした方が逃げやすいかもしれない。


 俺は近くに落ちていた竹を握りしめた。

 勝手に赤黒い刻印が反応して竹を鋭利な長剣へと変えた。竹模様の長剣に、赤黒い線が網でも巻きつけたかのように纏わりついている。

 先週アルフレッドとの戦いで作り出した木刀よりも強そうだった。

 そして俺の背丈に不釣り合いな長剣を構えた。


「………!」


 仮面の男が一瞬動揺したように固まった。

 俺のこの技に驚いているんだろうが、さっさと足にダメージでも与えてとんずらだ。


 ―――くらえっ!

 スラスターの勢いで瞬速の剣を振るう。

 男は先ほどとは見違えるような速度の動きで俺の剣を弾いた。

 あれ……やっぱりさっきまで手加減してた?

 俺は構わずその攻撃を続けた。

 だが俺の長剣は男の槍を避けられない。隼のような疾風の剣戟を何度も打ち合う。お互いのリーチの長さが、間合いの深さを作り上げる。

 このスピードでダメなら……。


 ――――どくん……。

 心臓がさらに早く脈を打ち始めた。

 全身に送られる血流の循環は、俺の知覚や運動感覚を飛躍的に高め、時間を凌駕する。仮面の男は俺のスピードに合わせるのがやっとのようだ。

 さらに槍のデメリットも重なって男の隙は多くなった。

 俺はその隙を見逃さない。

 隙だらけの竿部分を、真っ二つに両断した。

 すぱんと真っ二つに切れた長槍。

 もう勝負は決まっただろう。俺はその一閃を最後に攻撃を止めた。


 ……しかし武器を失ってもなお、彼の動きは止まらなかった。

 二つに分かれた只の竿と刃のついた竿、それを両手で器用に持ち替えて、男は二刀流で攻撃を続けてきた。俺は不意を突かれて、顔面を一発殴られた。

 後方へと飛ばされる。


「………ぐっ!」

「……っ!」


 男はまたしても迫りくる。

 一本の長槍が二本の鈍器に変わったかのようである。

 むしろ仮面の男の本業は双剣使いと言わんばかりに手慣れた動作だった。

 俺はそれに対して応戦するのがやっと。

 どんどん間合いを詰められる。

 小回りの利いた攻撃は先ほどの槍よりも速い上に武器の数も二倍。


 後ずさりして、ついには竹の剣が弾き飛ばされた。

 剣はただの竹に戻って細切れになって崩れた。その後、何度か体を殴られ、斬りつけられた。

 もはや俺は逃げに徹するしかない。戦術を切り替えて拳闘術に移行するものの、迫りくる雨のような刃の数々は回避不可能。周囲に生い茂る竹の数々が、戦いの最中にどんどん細切れになって舞いあがる。

 周囲は乱暴に散らかしながらも、男の動きはやけに静かで洗練されていた。



 ――――戻ってこれれば合格にしてやろう。じゃが、確実に死ぬがな。

 マーティーンさんの言葉が走馬灯のように思い返された。

 仮面の男は、武器二本を同時に使って攻撃をしてきた。いよいよ俺にトドメを差すつもりなんだろう。


 ――――バクッ、バクッ、バクッ……。

 限界まで心臓が早くなる。世界はとてつもないほどにゆっくりとなり、周囲に浮かび上がるは無数の竹の残骸。俺の首めがけて迫りくる武器2本がとてもゆっくり映った。


 ゆっくりな世界に制約を受けない唯一の体。

 そして右腕のスレッドフィスト。

 俺はその無数に舞い上がった竹の残骸を一斉に右腕で叩いて、小さなナイフを何本も作り上げた。そして俺の心臓が限界を迎えたのか、時間制御の力が一斉に解除され、通常の時間の流れに戻った。俺は無理な態勢から腕を振り回したために姿勢が保てず、横向きに倒れかけていた。


 ――――カンッ、という乾いた音が響いた。

 男の白いのっぺりとした角の仮面に、竹のナイフが一本命中した。

 それと同時に俺は地面に転げ落ちた。

 男の仮面が真っ二つに割れて、彼の素顔が露わになる。


「……!」


 俺はその顔を、よく知っていた。男は素顔が晒されたことに一瞬、驚いた表情を浮かべて、攻撃の手を止めた。


「………ふ」


 だが驚いているのは俺の方である。


「と、と、トリスタン!」

「ジャック」


 そして両者、その名を口にした。


「しばらく見ないうちに強くなったな」


 師匠との久しぶりの再会。向こうは俺のことを前から気づいていたようである。俺は感動のあまりに声が出せなかった。俺が口をぱくぱくとさせている一方、トリスタンはとても冷静だった。


「お前を探していた。この半年間ずっとな」

「………な、なんで……」


 トリスタンはやけに髪が伸びてしまっているようだ。

 もともと美形な顔立ちだったが、艶やかな髪が伸びてさらに美男子を際立たせていた。


「俺もいろいろと聞きたいことがある。その能力、その体………」


 トリスタンは倒れたままの俺に近寄って手を差し伸べてきた。

 俺はその手を掴み、ひょいと立ちあがった。


「話は戻ってからがいいだろう。お前の体をつい傷つけてしまったな。すまない」


 トリスタンを最後に見たのはガラ遺跡の最初の潜入以来からだから、俺の体感時間でもかなり前だ。久しぶりの恩師とのご対面に、俺は感極まった。


「しっかり剣術を身に着けているな。よく生きていてくれた、ジャック」


 トリスタンは優しく俺の背中に両手をついてくれた。

 その手は変わらず、以前弱虫だった俺を守ってくれたものと同じままだった。



     ○



 トリスタンと並んで竹林の入口へ戻ってきた。

 アルフレッドはトリスタンの姿を見て固まった。


「……と、トリスタン、なんでお前が!」

「フレッドか。やけに老けたように見えるが?」

「うるせぇ、テメェに言われたかねぇよ」


 そんな乱暴な冗談を二言三言交わして、感動の再会の場面は終わった。

 もはやこの赤と白の対立した二人の戦士に、そんな場面は似つかわしくないのかもしれない。

 俺なんかよりもずっと長い間冒険者として共に生きてきたんだ。

 半年やそこら離れていても、この程度なんだろう。

 腐れ縁に再会の挨拶など不要なんだ。


「そんで、お前がいるってことはやっぱりヤバい内容ってことか?」

「さて、それについてはマーティーン氏に訊いてもらおう」


 トリスタンがマーティーンさんに話を振った。

 両腕を腰に回してにこやかに二人のやりとりを見物していた老人は、そこで気づいたように口を開いた。


「そうじゃったな。ジャック、おぬしは合格じゃ」

「……もしかしてマーティーンさん、俺をトリスタンと会わせるように図ったんですか?」

「図るも何も、この試験を受けにきたのはおぬしじゃからな。わしは知らん」

「でも俺とフレッドが来たとき、本当は仲間だって知ってましたよね?」

「そうじゃが、特に気にしとらんしな。これも運命の悪戯というやつかのぉ」


 運命か……。

 トリスタンの事はもともと探すつもりだった。

 ここで再会できたのも偶然にしては都合が良すぎる。


「ではこっちへ来るんじゃ。本館へ入れてやろう」


 そうして老人はゆっくりと歩き出した。藁で編んだ履物で地面を蹴りながら。


「けっ、こんな近くにいるならさっさと帰ってきやがれってんだ」

「何か言ったか?」

「なんでもねえよ!」


 アルフレッドがぶつくさと文句を垂れていた。


「ところでフレッド」

「なんだよ、俺は謝ったりしねえぞ! この通り、ジャックだって無事に戻ってきてんだからな」


 相変わらず突っ慳貪な態度を示すアルフレッドを見て、トリスタンはふっと笑みをこぼした。


「この場ではなんだが、後でちゃんと祝い酒でも送ろう。だが、言うべきことは言わせてもらう」

「……ん?」

「おめでとう」

「何の事だ?」

「リンジーだ」


 ……トリスタンはリンジーの妊娠を知っていた。

 二人がトリスタンの姿を見なかったということは、たまにひっそりとアジトまで近寄っては様子を見に来ていた、ということだろうか。


「……お前けっこう性格悪いな」

「物事には礼節ってものがあるだろう」

「だったらさっさと家に帰って祝いやがれッ」


 アルフレッドの力いっぱい拳を振るう。

 それをトリスタンは何の造作もなくすっと躱した。

 このやりとりが何だか懐かしくて、俺もほっとした。


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