Episode6 ファイフの音色
埃が漂う書斎で目が覚める。
リンジーの部屋はほぼ書斎となって、本を日光で傷めないために窓が狭い。
それで風通しが悪くて埃が溜まりやすかった。一階の方から、いつものようにリンジーが朝食の用意をしている物音が聞こえる。
俺がリンジーの家の居候と化して、早二週間が経過した。
朝、俺が目覚める頃には既にリンジーは起きていて朝食をつくっていたり、家の掃除をしていたりする。
俺は毎朝その物音で目が覚めていた。
至れり尽くせりのこの現状、この体たらくを俺は心の中では悪いと思いつつも甘えてしまっていた。寝ぼけ眼で一階へ降り、てきぱき朝食の準備をしているリンジーに声をかける。
「おはよう」
「あ、ジャック。あいかわらず寝坊助だね」
「………ごめんなさい」
「まぁいいけど。ほら、もうご飯できるから座って」
「はい」
料理を運ぼうとするリンジーの後ろ姿に声をかけた。
「俺も何か手伝わせてほしい」
「え? いいよ」
「これじゃあただの居候だ!」
「それでいいよ。子どもは子どもらしくしていればいいんだよ」
子どもか……。
確かに言われてみればまだ十歳。
幼少期の環境が俺をこんな風にしたんじゃないかと勝手に思っているけど、単純にそれだけじゃないような気もする。世間でいえば、まだ魔法学校に通って同世代の子と無邪気にはしゃいでいる時期か。
なぜか自分が回りよりも"大人"であるような気がしてならない……。
「その眉間に皺よせて気難しく考え始めるのも子どもらしくないよ」
「……あ」
言われて自分の仕草に気づく。リンジーは料理を運び終えて、俺の取り皿に大皿からサラダやウィンナー、銀ブナのフライを取り分けた。
「もっと何も考えずに過ごせばいいんだよ。そんなにいつも眉間に皺寄せてたら、お爺ちゃんみたいな見た目になっちゃうよ」
「………俺はこんな風に、誰の役にも立てずに生きていたくないよ」
「生き急いでるな~。誰かの役に立ちたいって思うのは立派だけど、今は自分のために楽しい事を探せばいいよ」
楽しいことか。
メドナさんが教えてくれた楽器は楽しかった。
今でも昼間、広場に遊びにいくと決まってメドナさんは歌と物語を聴かせてくれる。最初こそ観客も少なかったけど、その人気は徐々に子どもを中心に広がって、今では町の名物にもなっている。
アランとピーターの事だってあんなに懺悔の心ばかりに囚われていたけど、もっと前向きに考えようという気持ちにあっさり切り替わった。
別にアランとピーターの事を忘れてしまおうなんて事は思ってない。でも2人の死は悔やむだけ悔やんだら、あとは生き残った側が精いっぱい生きていくのが正解なんだ。
メドナさんの歌が俺をそう納得させ、すんなり受け入れさせた。
あれが歌の魔法ってやつなのかもしれない。きっとメドナさんは歌の魔法使いなんだ。でも俺が惹かれたのは、メドナさんの歌以上に、そこで語られる戦士たちの物語だ。
「ジャックは何かやりたいことないの?」
「俺は戦士になりたい」
「戦士? 戦士ってつまり、戦いたいってこと?」
リンジーが少し怪訝な表情を浮かべる。
言いたいことは分かる。例の事件で、あらゆる後始末をしたのはリンジーだ。二度も救ってもらった命を、救った本人の目の前で無下にするような発言だっていうのはわかる。
でも、俺はそう生きていきたい。
「今は弱いかもしれないけど、強くなって、戦って、いろんな人を助けたい」
「ふーん……」
リンジーは何やら物憂げに返事をする。
「ジャック、魔法使えないじゃん」
「………」
現実を突きつけられる。言葉だけでなく、こないだの事件でもそうだ。
リンジーの炎魔法の凄まじさをありありと見せつけられた。直撃した対象を為す術もなく焼却したファイアボール。さらにリンジーはそのファイアボールを周囲に爆発させるのではなく、その名の通り球体状になるよう一気に凝集させて被害を最小限に抑えた。
あれは魔力操作の腕前を、磨きに磨き上げて初めて成せる業だ。
ガーゴイルという怪物を倒す力を発揮させつつも、俺の体を気遣う余力さえ残していたのだ。
力の差を見せつけられるだけでなく、あらためて魔法の凄さを知った。あんなものに生身の体一つで太刀打ちできるとは到底思えない。
「戦いに魔法は必要不可欠だよ。どんな熟練の剣士ですら、本場の戦いでは魔法との組み合わせで勝負してるよ」
「わかってる!」
「それでも戦いたいって思うの?」
「……うん」
「そっか」
子どもの無謀な夢だと思われただろう。どんな女性が聞いてもただの意地っ張りだと思われることだろう。
逆の立場でもどうだ?
いやいや無理だろ、とそう思うだろう。
「わかった。実は今日、ジャックに大事な話があるんだ」
リンジーは話題を切り替えることなく、打ち明け始めた。
「ジャックも気付いていると思うけど、この家には他の住人がいるの」
「……うん」
それはそうだろう。リンジーが意味もなく一人でこの広い家に住んでいるとは思っていない。
「私の冒険者パーティーの仲間たちなんだけど」
「え!?」
「……えって、どうかしたの?」
「いや、リンジーは冒険者だったんだって……」
「そりゃそうだよ。私がただの魔法研究オタクだとでも思ってた?」
確かにビギナー向けとはいえメラーナダンジョンを一人で突っ走って、さらにはガーゴイルを躊躇なく一撃で葬ったのだから、そりゃあ戦いにも精通しているんだろう。
「……それもそうか」
「今はその仲間達は遠征に行ってて、私が留守番してるだけなんだけど」
「そういうことだったのか」
「予定では明後日帰ってくるよ」
「えー!?」
まさかの急展開。
思えば、二週間自分の家のように過ごしていたが、ここは他人様の家だった。つまり居候期間は終わりか。
本来の住民が帰ってくるから出てってくれってことか。
そうですよね。
むしろこの二週間面倒みてくれただけでも感謝するべきだ。
「……わかったよ。俺は出ていくよ」
「いやいや、勘違いしないでよ。もう、ジャックは早とちりだからな~」
「じゃあどういうこと?」
「出てってほしいなら最初からそう言うよ。そうじゃなくて、もし戦士になりたいなら、うちのメンバーに本格的に加って特訓でもしてみない? ってこと」
「えー!?」
急展開の急展開。リンジーはそこまで俺の面倒を見てくれようというのか。なんて良い人なんだ。
嬉しすぎて、なんと反応していいのか分からない。
でも俺みたいな雑魚がメンバーとして認められるのか?
「嫌ならいいよ」
「いやいや! その提案は嬉しい。強くなりたいし」
そうだ。この提案は思ってもないチャンスだ。
俺のスキルアップのためにも。
「リンジーのパーティーメンバーってことは相当強い人たちなんだよね?」
「まぁパーティーランクは一応Bだよ」
「ランクB……!」
どの程度の実力かは本で読んだ事があるから分かる。
パーティーランクはスキルのランクと同様にG級からS級まである。
AやBともなると知名度が高く、新規に発掘されたダンジョンのほとんどがA級やB級によって踏破されるという。
「そんなところに俺が入ってもいいの?」
「まぁメンバーが何て言うか分からないけど、リーダーは認めてくれそうな気がするよ」
「………」
G級パーティーでも穴扱いされそうな俺が、B級パーティーに。チャンスではあるが、身の程知らずもいいところじゃないか?
身の丈に合わない背伸びで痛い目にあって、周囲にも迷惑をかけた俺が同じ過ちを繰り返すのか?
「まぁ結局、この家に居続けるからにはパーティーに認められないといけないんだけどね」
「うん……」
「それに私はジャックの事、迷惑だとか思わないな。新人に稽古をつけるくらいはパーティーにも余力はあるはず」
それもそうか。俺のせいで迷惑をかけるなんて考えること自体が烏滸おこがましいんだ。彼らからしたら俺はただの小間使い程度の扱いにしかならないだろうし。
「わかった! ありがとう、リンジー!」
よろしい、と言わんばかりにリンジーは頷いて笑顔で応えてくれた。
〇
午後に広場へ訪れてみる。
いつものように石段の定位置に、両足を斜めに揃えて座るメドナさんがいた。相変わらず、春の陽気も近づいてきた頃なのにメドナさんの服装は全身黒ずくめで、妖艶さを漂わせながら日光に晒されていた。
夕方頃になると学校終わりの子どもたちが何人も駆けつけてくるが、まだ昼間の時間帯。
メドナさんを俺が独占できる時間帯だった。
「メドナさん!」
「……ん? あぁ、ジャックくん。今日はいつもより元気が良いね」
「はい、ちょっと良いことがありました」
「そっか。君の元気な声を聞けると私も嬉しいよ」
いつものようにメドナさんの隣に座った。
「今日はリュートじゃなくてファイフを持ってきたよ」
「ファイフ?」
「これだよ」
取り出したるは木製の小型の横笛。
「笛も吹けるんですか?」
「弦楽器ほど巧くないけどね。私は歌う側だから滅多に吹かないんだ」
「そうなんですか。でも聞かせてほしいです!」
「いいよ。ちょっと待ってね」
そう言ってメドナさんは、ファイフの長さを調整し始めた。
「これで良し。吹くね」
あっという間にチューニングを終えてファイフを吹き始めた。その手慣れた手つきは、素人目にはまったく不得意を主張する人のものだとは思えなかった。
そこから透き通った可愛い音が聞こえ始めた。
曲調は「ハイランダーの業火」とはまた違って、滑らかで温かみのある曲を演奏していて、音色と合っていた。こないだの心に響く音色というよりも、包み込まれるような温かさのある音色だった。
「うーん……やっぱり下手だな」
「ぜんぜんわからないです! むしろ上手いですよ」
「そう? 知り合いに凄い人を知っているからね。ジャック君も吹いてみる?」
えええ!
それはメドナさんと、間接キスのお許しをもらえるということなのか?
いやいや、これはあくまで楽器。
芸術の嗜みだ。
そんな変な妄想を繰り広げてはいけない。
戸惑っている間に、いつものようにメドナさんのレクチャーが始まり、手取り足取りで構え方、吹き方を教えてもらった。この手取り足取り感が大人の女性にリードされている感じで心臓がバクバクと暴れはじめる。
しかしメドナさんはあくまで冷静。俺もそれに応えるように気を取り直した。
そして、いざ―――。
勇気を持って先ほど妖艶な美女が口を付けていた部分に唇を当てて、息を吹き入れてみた。
……しかし、まったく音がでなかった。
「あれ?」
「これはけっこうコツがいるからね」
「そうなんですか……」
「……ふふふ、ちなみにこれは間接キスになるのかな?」
「えうっ!?」
メドナさんはいたずらっぽく俺を見やり、ふふふと小悪魔の笑みを浮かべていた。俺としては動揺を隠せない。
「いたいけな少年の唇を奪ってしまった」
「……あ、あはは………」
「ま、冗談はさておき。何事も練習あるのみだよ」
そう言ってメドナさんは俺からファイフを受け取り、それを手に取ってまた吹き始めた。何事も練習あるのみ、か。
そういえば強くなりたいとか言っているわりには、何も鍛錬や修行らしいことをしていないことに気付いた。
気持ちだけで自分が何も成し得てないことに気が付く。
「実は明後日、リンジーの家に家主の人たちが帰ってくるんです」
「家主? えーっと、あのリンジーさんという人と一緒に暮らしているんじゃないの?」
「リンジーの、冒険者パーティーのメンバーの人たちです」
「……そうか。彼女は冒険者なのか」
そういえばメドナさんは、俺の生い立ちとか、なぜリンジーと二人暮らしなのかといった内々の事情を詮索してこない。
そんな所に魅力を感じるのかもしれない。
そうなるとこっちから事情を話したくなるのが子ども心というやつだった。
「でも、あの家はパーティー用のアジトにするらしいので、パーティーに入らないと家に置いてもらえないんです」
「ということは、ジャックくんも冒険者になるの?」
「はい」
「そうか。それはもったいないね」
「……どうしてですか?」
「キミは綺麗な手をしているからね」
メドナさんはやたらと俺の手や声を褒めてくる。それは嬉しいのだが、しかし俺のなりたい理想は固まっている。
「………俺は、家族に捨てられたんです」
「ふむ」
「だから失うものは無いし、支えも無い。生きていくためには戦いに生きていくしかないと思ってます。最後はどこかの国の兵士になるか、傭兵にでもなれればと」
俺の話を聞いてメドナさんは、同情するでも驚くでもなく、ただぼんやりと空中を見ていた。何かを考えているのか、何も考えていないのか、それすら俺には分からない。
「家族もいないから、無茶できるかなと思ってるんです」
「………」
メドナさんは変わらず思考を巡らせていた。
少し広場に風が駆け抜けた。自然が草木を揺らして、ざわざわと沈黙を破る。そこでメドナさんはぽつりと呟きはじめた。
「生きていく上で、人は一人では生きていけないっていうよね。だから家族を大事にしろ、友を大事にしろって」
「……?」
「ただ、私は思うんだけど、家族や友人の愛なんて虚ろなもので、いつかは無くなったり、いきなり現れたりする」
俺への言葉というよりも、思いを巡らせて自分自身で徐々に整理している言葉のように聞こえた。
「つまりは、その時一人でも、その時二人でも、今の気持ちを大切に生きていくしかないと思うよ」
「………?」
メドナさんが結局俺になにを伝えたいのか分からなかった。
そんな疑問の眼差しを気にせずに、メドナさんはまた横笛をゆっくりと弾き始めた。
…
「今日はそろそろ帰るよ」
そう言って突然、メドナさんはすらりと立ち上がった。意外と背が高いので立ち上がったときに、少しだけぎょっとする。
「……まだ夕方じゃないですよ?」
「私もたまには用事があるんだ。大事なセッションがね」
「合奏するんですか?!」
そういえばメドナさんが普段何をしているのか知らなかった。音楽の世界に目覚め始めた俺としては、セッションという響きを聞いて興味を抱かずにはいられなかった。
「私は楽団をやっているんだ」
「そうなんですか……」
ふとメドナさんが俺に目を合わせて、何やら考え始めた。
「それとも良かったら今晩、私の部屋に遊びに来る? 他の演奏者も遊びに来るから楽しいよ」
部屋に遊びに!?
それはそれはとても魅惑的な響きだった。メドナさん以外にもいろんな楽器を手にして楽しく演奏する奏者たち。
音楽による楽しげな宴が繰り広げられる夜。
「うーん……でもリンジーが」
「それにジャックくんには迷いがあるんじゃないかな?」
「迷い?」
「一気に家族が増える家に、このまま居続けていいのかどうか」
それを言われて自分自身でも気づいた。俺は"家族"というものが苦手だ。付き合い方が分からない。血縁関係がなくても、一緒の家に住み続けるということは家族と呼んでいいものだろう。
メドナさんはそんな俺の状況をさっきのちょっとした情報だけで見抜き、冷静に分析していたのか。
「冒険者パーティーは大変だよ。足を引っ張ると仲間の危険に関わる。だからパワーバランスが大事になる」
メドナさんは捲し立てるように続けた。
「良かったら、うちの楽団に加わってもいいんだよ。戦士になる生き方が全てじゃない」
「………」
戦士にならなくても生計は立てられる。この演奏の熟練者にも、以前「才能がある」と言われた。
だったらそれはそれで一つの人生じゃないか?
そういう生き方でも、いいんじゃないか?
―――いや。
リンジーの事が頭をよぎった。
迷惑をかけた。命を救ってもらった。
俺はその姿にあこがれた。
誰かの役に立ちたい。誰かを救いたい。
そうして俺は認められたい。
「ごめんなさい。俺は……」
「ま、いつでもおいでよ」
俺の断りを遮るように言葉を被せると、静かに背を向けて歩き去ってしまった。黒いロングローブがふわりと宙を舞う。
メドナさんはゆっくり宿の方へ歩き始めた。足先まですっぽりと収まったローブが揺らめく姿は、まるで幽霊が動いているかのようだった。
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