聖なる光の魔法2

 ハッチを開け、エアボートに乗り込む。ボートの操縦席は進行方向の後方にあり、そこにジョーが、手前に俺とレオが乗った。フワッとボートが浮き上がり、ハッチから滑るように船外へと飛び出していく。エアバイクより船体は大きく安定しているが、掴まるところが船縁しかないところが辛い。どうにか振り落とされないよう、両手でしっかりと掴まっておく。

 ジョーはなるべく揺れないよう気を遣って運転してくれているようだ。ボートは徐々に高度を下げ、水面へ。船底の全てが水に浸かると、今度は湖面を滑るようにして白い竜へと向かっていく。スピードもかなり出る。しかも、帆船より小回りが利く。

 水飛沫を上げ、ボートはどんどん白い竜に近づいていった。


「どこまで近づく?」


「足元ギリギリまで頼む」


 レオもジョーも、俺の言葉に目を丸くしたが、


「仕方がない」


 と二人とも諦めたかのようにため息を吐いた。

 雲の隙間から差し込む光が白い竜の影を湖面に映す。その下へと滑り込むようにボートを走らせ、徐々にスピードを落とした。

 ボートが止まったのを確認して、俺はゆっくりと立ち上がる。

 見上げると、脱力したまま光に包まれ、微動だにしない竜が視界を覆っていた。

 学校で見た竜だ。あのときより少し小さいような気もするが、それは周囲に比べるものが何もないからかもしれない。未だ新しい鱗に銀の粒がびっしりと貼り付いていて、光に照らされチラチラと光っている。


「美桜」


 少し声を張り上げて呼ぶと、竜は背中をググッと丸めて姿勢を変え、俺の真上に顔を見せた。柔らかな曲線の美しい雌竜が、大きな目を何度かしばたたかせて、じっと俺を見つめている。


「大丈夫。誰も君を傷つけやしない」


 聞こえているのだろうか。

 不安で押し潰されそうになりながら、俺は彼女に手を伸ばした。全く長さは足りないのだけど、それでもどうにか気持ちを伝えたくて、目一杯の笑みと一緒に手を伸ばした。


「怖かったんだろう。不安だったんだろう。寂しかったんだろう。もう、大丈夫。俺がいるから」


 揺れるボートの上で必死に訴えかけるが、竜は無言のまま。反応もない。

 人間の言葉がわからなくなってしまったんだろうか。

 不意に襲われる不安に、俺は首を横に振る。大丈夫。そんなことはない。彼女は彼女のまま、何も変わらないはずだ。

 と、どうにもできないでいる俺の腹を、レオがツンツンと突いてきた。


「魔法」


 あ、そうだ。魔法。

 白い竜の大きさに圧倒され、うっかりと忘れるところだった。

 俺はレオに小さく頷いてから、改めて白い竜の顔を見上げた。そこに、美桜の面影は欠片もない。

 さっきは、勢いで使えてしまったが、実際、聖なる光の魔法なんて、俺に使いこなせるのだろうか。不安が押し寄せてくる。けれどこれができなかったら、もう方法なんて見当たらない。悪しき心、悪しき力を消し去る魔法として、術者の心の透明さが反映される聖なる光の魔法を使うしか。

 両手を掲げる。広げた指の隙間から、白い竜の顔が見える。

 精神を統一し、力を高めてゆく。


――“聖なる光よ、その力をもって、白い竜を蝕む黒を浄化させよ”


 魔法陣の色は白銀――、一文字一文字、明朝体で書き込んでいく。


「美桜、今助けてやるからな……!」


 プリズムのような七色の光を帯びた白銀の魔法陣が、目映い光を放ち始めた。

 溢れ出した力が湖面を激しく揺らし、同時に船も大きく揺れ始めた。のたうち回る船から落とされまいと、レオとジョーが船縁に掴まっているのが見える。俺自身も落ちないように、どうにかこうにか両足でグッと踏ん張る。

 光が、辺りを白く包み込んだ。

 音と色が消え、風が渦を巻いた。

 光の中で白い竜がバラバラに分解されていくのが見えた。鱗に貼り付いていた銀の粒が四方八方へ散り、竜のシルエットを砕いていった。

 竜が消える?

 彼女が消えてしまう!

 ダメだ!

 船底を蹴飛ばして、俺は高く跳ね上がった。伸ばした右手、どうにか届けと必死に願った。

 消えかかっていた色の中に、うっすらと肌色が見えた。






 俺はそれを、ひしと捕まえた。






「美桜!」


 それは彼女の腕だった。

 柔らかくか細い、少女の腕だった。

 亜麻色の長い髪と、青みがかった瞳が視界に入る。

 白いワンピースを着た彼女を、俺は空中でグイッと引き寄せた。

 温かい。吐息、心音、肌の感触。

 これは夢?

 違う。絶対に違う。

 彼女は、本物の。

 両手で彼女を抱きかかえた瞬間、フッと重みがかかった。


「救世主殿!」


 足元でレオの声がする。

 目をぱちくりさせている間に、自分が自然落下していることに気付いた。つまりこれは、魔法が解けて重力が。


「間に合え!」


 ジョーがエアボートにエンジンをかけ、急上昇させている。

 要するに状況はこうだ。

 聖なる光の魔法が発動し、白い竜は美桜に戻った。俺はジャンプして彼女を抱きかかえたが、その高さがちょっとまともじゃなかった。加えて魔法発動中に風が巻き起こり、魔法が切れたことで、元の場所からだいぶズレたところに俺は落ちそうになっている。

 両手で美桜を抱えたまま、背中から落ちるのが良いのか、どうにか着水すべきかと考えるよりも先に、ボートが俺たちを受け止めた。背中に衝撃があり、凄まじい音を立てていたところから察するに、俺は背中から落ちた。腕の中で美桜が苦しそうにうめき声を上げている。


「大丈夫か、救世主殿!」


 船の上で呻く俺を気遣って、レオが駆け寄ってきた。全然大丈夫じゃない、大丈夫じゃないけれど、俺なんかよりもっと大切な。

 片目をつむって、美桜の方を見る。


「み、美桜は」


 どうにかこうにか捻り出した声で尋ねると、誰かが力なく俺の胸を叩いてきた。全然力の入らない、小さな拳。そしてなんだろう、胸の辺りがじんわりと温かくなっていく。


「……馬鹿」


 蚊の鳴くような声。


「馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿……」


 胸の上に、小さな振動が伝っていく。

 その正体がわかったとたん、俺の力は全部抜けた。





















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