97.束の間の休息

束の間の休息1

≪レグルノーラは元々竜の棲まう地であった。

 多くの竜が自由に生き、自由に飛んだ。

 竜と人は互いに信頼し合い、共に生きた。

 しかし、これを良しとしない竜が存在した。

 かの竜は混沌を好んだ。

 レグルノーラに存在しないという白い身体を持ち、明らかなる劣等感の中で過ごした竜は、誰のことも信じなかった。

 白き竜は平和を憎んだ。

 平和とは、犠牲の上に成り立つものだと知っていたからである。

 様々な衝突も疑惑も曖昧に処理され、真実を知る者が口を閉ざしたことによって得られる不安定なものだと知っていたからである。

 白き竜は火種を撒いた。

 小さな火がやがて大きく広がり、レグルノーラを包むまで、さほど時間はかからなかった。≫





**********





「救世主様は知らないと思いますけど」


 協会の会長室でいつものように本を読んでいると、モニカがトントンと肩を叩いてきた。

 彼女は何か嬉しそうに、ニヤニヤとしていた。


「ノエルは、救世主様のいない所では、あんな変な呼び方ではなく、きちんと名前でお呼びしていたのですよ」


 目を丸くした。

 本人を探そうとしたが、どうやら席を立ったらしく、姿が見えなかった。


「捻くれてる様に見えますけど、根は素直なんです。反抗期ですよ。救世主様には無縁かもしれませんが」


「いや、そんなことないよ」


 俺は竜の伝説が書かれていた本をそっと棚に戻して、モニカに向き直った。


「俺だって何年か前まで結構な反抗期で。まぁ、今もかもしれないけど。家では結構荒れてたかな。親にも迷惑かけたし」


「へぇ。意外です」


「年の離れた兄貴がいるんだけど、滅茶苦茶出来が良くてさ。俺は不器用だし、人付き合いも苦手だし、無愛想で評判も悪かったから、ものすごく周囲からも比較された。親は俺を立てようと頑張って優しい言葉をかけてくれたんだけど、それが逆に癪に障ってさ。兄貴の大事なモノを隠したり壊したり、わざと怒られるようなことをしたりした。今思えば、認めて欲しかったんだと思う。兄貴の弟としてではなく、一人の人間として俺を見て欲しかった。でもさ、もし俺が仮に一人っ子だったとしても、俺は常に誰かと比べられていたはずだって今は思うんだよね。たくさんの人の中で生きてるんだから、誰かと比較されるのはある意味仕方のないこと。比較した上で、それぞれ良いところ悪いところをどうしていくかが大事だって……あのときの俺はそんなことに気付きもしなかった。もっと大切に時間を過ごせば良かったな」


 ここまで言うと、モニカはハッとして顔を青くした。


「ご……、ごめんなさい、救世主様。“表”のことを思い出させてしまって。私、そんなつもりじゃ」


 “表”から完全に存在を消され、激しく打ちのめされて閉じこもってしまった数日前の俺を、彼女は思い出したらしかった。


「気にしなくていい。それより、俺もモニカとノエルのこと、もっと知りたいな。教えてよ。なんで俺にそんなに尽くすのか。ディアナの命令だから仕方なくってのは、きっとノエルの方だけで、モニカはどうも、それだけで動いているわけじゃないように見えるんだけど」


「えっ……!」


 モニカは一瞬詰まり、それから何かに怯えるようにして、キョロキョロと辺りを見まわした。誰も居るはずはないのに編に警戒しているのが気に掛かる。忍び足で入り口の扉まで進み、わざわざ鍵を掛けて帰ってきて、更に窓という窓の戸締まりを確認してから、とても深刻そうな顔をして長くため息を吐いた。


「私、失敗したんです」


 彼女の唐突な言葉にきょとんとしてしまう。


「そ、そりゃ失敗くらいあるよ。人間だもの」


 と言えば安心するだろうか。不器用な俺には失敗は付きものだったし、完璧主義でなければ何も心配することはないだろうに、彼女は俺のそんな気遣いでは立ち直れないくらいの失敗をしたらしく、まだ表情を沈ませている。


「『もう少し決断力と判断力があれば結果が違っていたかもしれない』と言われました。そうなれたら良いなと思って努力していたのに、最後の最後にそんなことを言われて、私の人生は失敗したなと思ったんです。この歳にもなるとお嫁のもらい手も少なくなってしまうし、塔のために少しでも役に立つ人生ならまだ救われるのかなと思っていたところに飛び込んできたお話だったので、二つ返事で引き受けてしまいました。動機なんて不純なものです。誰かの役に立つことで、私は自分の人生を肯定したかっただけなんですから」


 何が、の部分を全く無視して、彼女は自分語りをした。彼女にしてはとても不自然な話し方だ。

 長いストレートの黒髪が、彼女の好きな黒いゴシックロリータの服装と相まって、しっとりと濡れているようにさえ見えた。


「何に、失敗したの」


 思い切って聞くが、彼女はすんなりとは話さなかった。

 何度かため息を吐き、


「笑わないでくださいね」


 と念を押し、モニカは意を決したように口を開いた。


「塔の魔女になるための試験です」


 塔の……魔女?

 思わず目をぱちくりさせた。

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