黒い大蛇4
視界の外側で、何かが光る。
「美桜! 凌! 大丈夫か?」
陣が何か喋っているが、反応などできる余裕はない。
小さな爆発音がいくつもして、その振動が大蛇の身体を伝い、無理やり噛ませた左腕から俺にまで伝ってくる。どうやら陣が魔法を使っているようだ。彼なら俺より効率的に黒大蛇を削れる。
「こんなことしたって来澄が君の方を見ることはないと思う。誰かを傷つけることで得られた安心なんて、脆いものだよ。大体、須川さんが思うような関係じゃないから、あの二人。そこは理解して欲しい」
「……理解? 馬鹿じゃないの。芝山君、あなただって言ってたじゃない『不潔だ』って。だってそうでしょ。穢したのよ。私の思い出も、想いも」
「だからそれは誤解で」
「どんな誤解だってのよ!」
美桜の顔が、青白い。さっきより更に血色が悪くなっている。
力が、徐々に抜けている。早くしないと、本当に命が危ない。
まさかとは思うが、この長い牙に毒でも仕込んであるのだろうか。だとしたら、どうやって助けたらいい。
「もう……やめて」
苦しそうに呟く美桜に、俺はどんな顔を向けているのだろう。
「私なら、大、丈夫だから」
唇が青紫色だ。これのどこが。
「喋るなよ。もう、少しなんだからさ」
左肩に体重をかけ、黒大蛇の頭をグッと押していく。もう少しで、牙が抜けそうだ。
「綺麗で優等生でみんなの憧れの的で。そんな人が私の気持ちなんてわかるはずないと思うわ。劣等感の塊みたいな私がただ一つ大切にしてきた想いだったのよ。それに、誤解でないとしたら、今のアレは何。どうしてあんなに必死に芳野さんを助けようとするの。おかしいんじゃないの。来澄君にとって彼女は命を賭けてまで守るような存在なの? そんな存在、なくなってしまえば良いじゃない。この世から消えてしまえばいいじゃない」
「二人とも、無事か」
スッと、綺麗な男の手が視界に入った。
黒いタール状のものを身体にくっつけたまま、陣が駆け寄ってきたのだ。
「下あごはこっちが」
「助かる」
黒大蛇から美桜を引き剥がすべく、二人同時に逆方向へと力を入れる。視界の外でドタンバタンと蛇が本体をくねらせて抵抗している。その度に机や椅子が跳ね、ぶつかり合って凄まじい音を立てる。
「魔法、行けるか」と陣。
「何の」と俺。
「自分の身体に雷を帯電させて、体当たりする。痺れてくれたら儲けもの。いちにのさんで美桜を引き剥がして、魔法発動、OK?」
「人を助けるのに、理由なんているのか」
芝山は声を低くした。
「苦しんでいたら手を差し伸べるし、傷ついていたら癒やしたいと思う。それじゃ、ダメなのかなぁ、須川さん。簡単に人を嫌うような人間を好いてくれる人って稀じゃないかな。やっぱりさ、互いの心が通じ合うには、それなりに柔軟性が必要なわけでしょ。想いが叶う叶わない以前の問題としてさ、心に壁を作って、それどころかそんな真っ黒な力で武装してちゃ、誰も君を好いてはくれないよ」
「……OK。つまりは魔法陣錬成なしってことだよな。やったことないけど、やってみる」
「そう来なくっちゃ」
手に汗が滲む。額を汗が伝う。
やるっきゃ、ない。
「じゃ、行くよ。いち……にのぉ……、さん!」
出せる限りの力を使って、大蛇の上あごを美桜から引き剥がす。
美桜の身体が宙に放たれた。傷口からたくさんの血が舞う。机と机の間に倒れ込む美桜を傍目に、次の動き。
雷をイメージ。
多めの電気を身体に蓄える。どう、イメージする? 魔法剣みたいに、自分を剣になぞらえて魔法陣をスライドさせてみるか?
陣は先に魔法を帯びている。
急げ。
――“雷よ、全身に纏え”
けど実際、魔法陣なんて描いてる時間はない。あくまで足から頭の先に魔法陣が通り抜けていくのをイメージして。
ビリッと、電気が走った、気がした。
陣がパチンとウインクする。合図だ。
「せぇ――のっ!」
身体を丸め、黒大蛇に向かってタックルする。二人の身体に纏われていた電気が大蛇を痺れさせる、動きが鈍る。
「うぉっしゃ! 今だ、凌、やれっ!」
そう言って陣が投げてきたのは、さっき落とした両手剣。
「跨がって、腹を掻っ捌け!」
まだ辛うじて帯びていた炎の魔法。これをもっと強くして。
仰向けに転がった大蛇の喉元に剣をブッ刺す。両手に力を込めて思いっきり手前に引く!
「てやぁぁぁぁぁぁぁあぁあああ!!!!」
ウナギの腹を捌くように頭から腹、尾に向かって剣を走らせる。机や椅子に阻まれながらも、走る、走る。
千切れ、弾けていく黒大蛇の身体。
走れ、走れ、走れ、走れ。
「後処理は任せろ!」
千切れた肉片を砕くのは陣の魔法か。パンパンパンと小さな破裂音が続く。
「消えて、なくなれぇ――――っ!!」
ブンと最後に剣を振り上げた。
その先に、須川がいた。
肩で息をしながら、俺は振り上げた剣をゆっくりと下ろした。
俺の表情が余程恐ろしかったのか、須川は窓に背中を付いて、そのままぺたりと座り込んでしまった。
教室中に広がっていたベトベトの黒い塊は、殆ど消えていた。
「来澄君はどうして……どうして芳野さんを守るの」
須川は怯えたような顔で、まだそんなことを。
「その、変な力と、何か関係があるの」
息が上がってまともに声が出ない。肩で息をしたまま、俺は深く、うなずいた。
須川は下を向き、左の頬を擦った。どうやらさっきの乾いた音は、芝山が須川の頬を勢いよく叩いた音だったらしい。芝山は芝山で、ばつが悪そうにじっと左手で右手をさすっている。
「須川さんの力だって、来澄と同じ、“裏の世界レグルノーラ”の影響で使えるようになってるんだ。力の使い方を間違えば、魔物を生み出す。君は、自分が間違ってるんじゃないかって、どこかでわかってたんじゃないの」
芝山の身体に張り付いていた黒い塊も、ボロボロと小さく砕けて消えていく。
須川は遠い目をして、深く、ため息を吐いた。
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