第五章 後悔

 昼食を食べ、7人全員がこのロビーに集まってから3時間近くが経過していた。

 途中で美琴さんや剣持さんが飲み物を持って来ると言えば、7人全員で厨房まで行き、誰かがトイレに行きたいと言えば、他の誰かが入り口まで付き添うという形を取っていた。

 昼食後の生返事以降、僕は初めて口を開いた。

 「晋太郎君。浅沼夫妻の顔はどうやってあんな風にされたと思う? 今までの殺人では凶器と思われる物が近くに落ちていることが多かった。でも、浅沼夫妻の時は室内に何も残されていなかった……」

 「そうですね……。あまり大掛かりな物ではないとすれば、ガスバーナーなんてどうでしょうか? それなら持ち運びもし易く、十分な火力があると思いますが」

 ガスバーナーか……確かに、それを使えば上手くあの状況を再現できそうだ。

 ……結局僕は、この事件について考えることを諦められそうにない。現に、この数時間だって、ずっとあの紅文字の手紙について考えていた。

 『真実を偽ったからです』

 『偽りを受け入れたからです』

 これは黒河夫妻の部屋から見つかった手紙の内容だ。どちらが黒河先生で、どちらが和枝さんの殺害動機かは分からない。真実とは何か? 偽りとは何なんだ?

 『何も気づいてあげられなかったからです』

 『抗う意志が弱かったからです』

 これは浅沼夫妻が殺された動機だ。はっきり言って、どちらも意味が分からない。そもそも、紅文字の手紙に何らかの意味があるのかさえ分からなくなってきた。

 今、思考すべきことは何か?


 「私ね……こんなこと考えたんだ」

 急に楼紗が俯いたまま話し始めた。

 「実は、今までの事は全部嘘で、最初から誰も殺されていなくて、私たちを驚かせようと何処かに隠れていて、本当は、そうやって騙そうと思っていて……それで……」

 そこで楼紗は顔を伏せ、黙り込んでしまった。楼紗は一度もを直視していないんだ。全てを視てきた僕とは違って……確かに、抱ける幻想も少しはあったのかもしれない。でも……これは、現実なんだ。紛れもない、事実なんだ。変えようのない、抗いようのない、真実なんだ……。

 楼紗の話を聞いて、容疑者全員が犯人だったという内容の小説を思い出した。

 「…………」

 まるで走馬灯のように、今までの出来事が現れては消えて行く。

 ………………。

 能動的に、更なる記憶の遡行を図る……何かが分かろうとしている……何かが……。

 「怜璃さん。少し部屋に戻っても宜しいでしょうか? もちろん、皆さんもご同行して頂いて……」

 「そうか……分かったぞ!」

 僕は両手で勢いよくテーブルを叩くと、ソファーから立ち上がった。

 どうして僕は一度も、んだ!

 どうして僕は、皆の話を鵜呑みにし続けたんだ!

 これで全ての謎は崩れ去る、後はその裏付けだけだ……!

 僕の灰色の脳細胞は活動しているか?

 「園部さん、懐中電灯は何処にありますか?」

 「使用人室に数本ございます」

 「では、今からそれを取りに行き、その後各部屋を回ります。皆さん、誰一人逸れることなく連いて来て下さい!」

 「えっ……? 一体どうしたの?」

 「どうしたもこうしたもない! 暴くんだよ! 全ての謎が解けたんだ!」

 「本当に?」

 「本当ですか?」

 楼紗と晋太郎君がほぼ同時に声を上げた。とにかく今は各部屋の調査だ!

 使用人室から懐中電灯を一つ借り、二階へと向かう。

 救える……僕にも、できることがある。それを確かめるんだ!


 206号室、尾崎さんと佐藤さんの部屋だ。

 この部屋の灯りは粉々に破壊されていた。室内の照明装置には二種類あり、天井に取り付けられた照明と、テーブルの上などにあるスタンドタイプの物の二つがそれだ。そして、その両方が見事に破壊されていた。

 前にここを調査した時には、俊介さんに借りたライターの小さな灯りだけが頼りだったが、今回は違う。忘れず準備した懐中電灯で隈なく室内を照らし、必要な情報を集める。

 まず、入り口から続く血痕だ。床を照らすと、入り口から佐藤さんの遺体まで血痕が続いているのが確認できた。

 次に、天井を照らしてみる。一階から天窓までが10メートル以上はあろうという建物だ。客室の天井は4メートル近くもある。天井の照明は吊り下げられた小型のシャンデリアだったが、バットを振ってあの位置にあった照明を叩き落せたのだろうか。

 「これは……?」

 部屋の隅の床を照らすと、ライターを一つ見つけた。俊介さんに借りた物とは違う。蓋は開いたままで、不自然な位置に落ちていた。そういえば、尾崎さんの荷物から煙草が見つかったはずだ。このライターは尾崎さんの物で間違いないだろう。

 後、確かめたいことは……

 「園部さん、この部屋の鍵を最初に受け取ったのは誰ですか?」

 「佐藤様でございます」

 「では、美琴さん。最初ロビーにいた尾崎さんと佐藤さんが移動しているところを見ていませんか?」

 「はい……あの時は……。思い出しました! 確か、私がディナーの準備をしに厨房へ向かおうとした時、佐藤様が尾崎様の分のお荷物も抱えて二階に向かわれたのを見ました。それまで、尾崎様が中央階段付近までいらっしゃることはありませんでしたので、尾崎様はまだロビーにいらしたのではないでしょうか? その後のことは分かりません……」

 「なるほど……ありがとうございます」

 よし、これで佐藤さんと尾崎さんの件はクリアだ。


 今度は208号室、黒河夫妻の部屋。

 簡単に室内を見回す。すると、テーブルの上に『神曲』と題字の入った本を一冊見つけた。13世紀から14世紀にかけて活躍したイタリアの詩人、ダンテの作品だ。学校の図書館で見かけたことがあったが、まだ一度も読んでいなかったっけ。

 そして、黒河夫妻の荷物を見つける。取っ手をハンカチで包んで運び、室外に持ち出す。重さはあまりない。

 「園部さん、申し訳ありませんが手袋を貸して頂けませんか? できれば、美琴さんにも……」

 「私は何を致しましょう……?」

 手袋を渡されて何をすればいいのかと、美琴さんは戸惑いながら訊ねた。

 「和枝さんの荷物を調べて頂けますか?」

 二人して荷物の中身を探る。しかし、怪しい物は何も入っていない。

 「ありがとうございました、予想通りです。この手袋はもう少しだけお借りしますね」

 黒河夫妻、クリアだ。


 次は204号室、遠藤親子の部屋。

 中に入り、室内を見回す。怪しい物は特にない。二人の荷物を手に、外へ出る。

 「美琴さん、美佳子さんの荷物です。お願いできますか?」

 「はい、勿論」

 「それから……」

 僕はが入っているかどうかを確かめてもらうようにお願いした。

 「怜璃様、見つかりませんでした」

 「……ありがとうございます、こちらも見つかりませんでした」

 これでどちらの荷物にもは入っていないことが分かった。念のため、二人の衣服も確かめたが、やはり見つからない。

 遠藤親子、クリア。


 次は203号室、奈美さんと留美さんの部屋。

 テーブルの上には、昼食の食べかけと思われる食器が並んでいた。半分以上は食べ進められている。

 まずありえないとは思うが、一応荷物の中身を美琴さんに確かめてもらう。

 不審な物は何も入っていないと言う。まぁ、当然だろう。

 「これは……!」

 部屋の中を調査していると、予想外にこの洋館への「招待状」が見つかった。

 啓一叔父さんから受け取った物と同じ形、同じ白色の封筒。中を確かめる。

 手紙の内容は、洋館でディナーを楽しめるという単純なもの。来館の際は、この封筒を持参するようにと書かれていた。そして、手紙ともう一枚、同封されていたのが……

 「招待客のリスト……!」

 リストには13名全員の氏名が書かれていた。おそらく、蒼代家に届いた差出人不明の手紙に同封された物と同じだろう。一応、園部さんたちに確認してもらい、見当通りであることが分かった。留美さんが言っていた「気持ち悪い」とは、このリストのことを指していたのかもしれない。そして、このリストの存在によって、昨夜、啓一叔父さんの出現に招待客の誰も反応を示さなかったことに納得がいった。

 奈美さんと留美さん、クリアだ。


 次は202号室、浅沼夫妻の部屋。

 「辛いとは思いますが、美琴さんにもついて来て頂きます」

 「畏まりました」

 中へと入り、が遺体のポケットから見つからないかを確かめた。

 「ポケットには何も入っていません」

 「……分かりました、後は荷物の中身です」

 周囲を見渡す。椅子の背凭れに女性用のコートが一着掛かっていた。

 「美琴さん、あのロングコートは理紗さんが着ていた物ですか?」

 「えっ? ……はい、そうです。ご来館された際にはお召しになっていましたが、その後は拝見しておりません」

 廊下に出て、同じように荷物の中を探る。

 「はありましたか?」

 「いいえ、ございません。どうしてでしょうか……?」

 その結論は僕の中で既に出ていた。

 浅沼夫妻、クリアだ。


 啓一叔父さんは何も荷物を持参していなかった。室内の調査も既に済んでいる。

 啓一叔父さんもクリア。

 調査した全ての部屋において、招待状が見つかったのは女子高生二人の部屋のみ。「来館の際に持参するように」と書かれていたにも拘わらず、何故、奈美さんと留美さんのペアしか封筒を持っていなかったのか。可能性としては、犯人によってその全てが処分されたか、あるいは、初めから持参する必要が無かったのか……。

 ちなみに、車のキーが見つかったのは黒河夫妻の物だけだった。

 「園部さん、美琴さん。尾崎さんと佐藤さん、黒河ご夫妻、遠藤親子、奈美さんと留美さん、浅沼ご夫妻、全ての荷物をお二人には見て頂きました。この館にやって来た時に持参していた荷物と、一致しない物はありましたか?」

 「いいえ、ございませんでした。間違いなくお客様がお持ちになっていたお荷物でございます」

 「私も同じです。間違いございません」

 僕がこのことを確かめた理由の一つは、が可能かどうかを確かめるためだ。

 そのトリックというのは、佐藤さん、遠藤親子、浅沼夫妻の5人に関して使用可能だった、というものだ。ここでは、顔面を破壊したり、遺体をバラバラにしたりして本人かどうかの識別を困難にし、被害者が別人であると誤認させて、その人物が死んだと見せかけるトリックのことを指して考える。

 しかし、今回の場合、遺体はバラバラにされることなく全身としての遺体が全てだった。そして、そのような全身の遺体を替え玉として準備するには、招待客の荷物ではどれも物理的に不可能なのだ。

 つまり、今まで見て来た11人全ての遺体が、その本人のものであるということで間違いない。この結論で僕の推理が覆ることはない。

 しかし、遺体を損壊した理由は何なのか?

 その答えも既に用意してある。

 後は全ての情報を再度整理し、それを上手く論理的に組み立てるだけだ。

 「皆さん、一階に降りましょう」

 時計を見ると、あと少しで短針が5に届こうとしていた。


 閉ざされた正面玄関扉の前に、7人が揃う。

 「美琴さん。愛ちゃんをロビーにつれて行ってもらえませんか? テレビの下の扉を開ければアニメのDVDが入っていますから、それを見せてあげて下さい」

 「畏まりました」

 今まで数え切れないほどの推理小説を読んで来た。しかし、こんな体験をすることになるなんて夢にも思わなかった。僕は今から、を始めようとしている。それがどんなに不恰好だと笑われようとも、僕は糾弾を止めないだろう。

 何故なら僕は、していたからだ。


 どうしてあの時に、気づけなかったのかと後悔した。

 どうしてあの時に、止められなかったのかと後悔した。

 どうしてあの時に、諦めてしまったのかと後悔した。

 どうしてあの時に、提言できなかったのかと後悔した。


 でも、もう二度と後悔はしない。僕が辿り着いたを今、目の前に突きつける。

 躊躇いはない、恐れはない、これから先に、

 今から全ての謎を解き明かす。

 最悪の連続殺人は、ここで終わる……。

 今、思考すべきことは何か?


 「全ての謎は解けました。犯人は……」

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