第二章 疑心

 「コーヒーとオレンジジュースをご用意致しました」

 配膳台を押しながら美琴さんが戻って来た。

 「剣持さんはどうしたんですか?」

 疑問を口にしたのは晋太郎君だ。

 「剣持は厨房で作業をしております。それから、明日の朝食の準備をさせて頂きたいと申し上げていました」

 「人が死んだってのに、よくやるよねー」

 「まぁ、朝食の準備はしてもらわないと困るけど。唯一の楽しみだし」

 奈美さんと留美さんだ。

 僕としては、もう何も楽しめるような気分では無かった。

 「剣持は責任感の強い男です。最高の状態でお食事をお出しするのが彼の使命であり、至福であります。どうか、彼の気持ちを酌んで頂けないでしょうか」

 「園部さんがそんなに畏まる必要は無いわよ。頭を上げて下さい。彼女たちも悪気があって言った訳じゃないと思うわ。……美琴さん、コーヒーを頂けるかしら?」

 「は、はい」

 理紗さんが女子高生の戯言に大人の対応を示した。僕も理紗さんくらい余裕のある大人になりたいものだ。

 「……私にも、頂けますか?」

 「では、僕と愛にはオレンジジュースをお願いします」

 啓一叔父さんと晋太郎君だ。どうでもいいことだが、晋太郎君は、コーヒーは嗜まないのか。楼紗は今でも苦いと言って飲もうとはしないが、晋太郎君の将来には期待しよう。まぁ、味覚や好みは千差万別だろうが。

 黒河先生や美佳子さんたちも次々にコーヒーやジュースを催促した。僕もコーヒーを一杯頂き、その香りに心を落ち着かせる。楼紗は当然、オレンジジュースだった。

 「美琴さん、あの人形は最初からこの館にあったんですか?」

 僕はテレビの上の人形を指差して訊ねた。

 「いえ……誰が置いたのでしょうか? 私は存じておりません」

 「そうですか……」

 僕はテレビに目を遣った。大きなテレビにはやはり、子供向けの放送が流れていた。愛ちゃんはオレンジジュースの入ったコップを両手でしっかりと掴んで放さないようにして、テレビを独り静かに視ていた。

 「それにしても、尾崎さんを取り押さえた時の怜璃さんはかっこよかったです」

 「そんなことはないよ。晋太郎君の助けが無ければ何もできなかったさ」

 「いえいえ、あそこまで冷静に対応されている姿を見て、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした」

 「そんな、大袈裟だよ」

 探偵には「ポーカーフェース」が必要であると、昔読んだ小説に書かれていた。つまり、どんな事件が起きようと、どんな状況に追い込まれようと探偵は内心を顔に出さず、無表情のまま居続ける必要があるのだ。別に僕は探偵を気取っている訳ではないが、自然と体がその心得を体現しようとしていたのだろう。実際には、血塗れのバットを持った狂人や、あまりにも無残な女性の遺体に心底ガタガタと震えていた。

 しかし、何もしないまま突っ立っている訳にもいかなかった。廊下には楼紗や愛ちゃんがいたのだ。気づくと僕は尾崎さんに飛び掛っていた。今になって、やっと実感することができる。あれで良かったのだと……。

 静かに……そして、ゆっくりと目を瞑る。

 今、思考すべきことは何か?

 「あの玄関扉を閉じた人物は、何が目的でそんなことをしたんでしょう?」

 「どういう意味?」

 僕の問い掛けに楼紗が訊ね返す。

 「この洋館には出入り不能な天窓を除けば、脱出口はあの玄関扉のみです。そこを完全に閉ざした犯人の意図は何なのか……」

 「……にするためでしょうか……」

 和哉君が陰鬱だが、真っ直ぐな声で呟いた。

 「冗談は止して下さい。何の怨みがあってそんなことを……。それに、尾崎さんはもう動けないんです。ですから……」

 晋太郎君がそれを否定し、やがて、場は沈黙した。

 玄関扉が閉ざされた件を考えると、尾崎さん一人が動けないことはあまり問題とならない。何故なら、玄関扉を閉めたのは間違いなく尾崎さんでは無いからだ。尾崎さん以外の誰かが、和哉君の言うを考えていないとは言い切れない。

 ただ、犯人の目的がそれだとしても、その犯人はどうやってこの館の外へ逃げ延びるんだろうか? ……例えば、誰かに外から開けてくれるように手配している可能性。あるいは、自らも死ぬことを予定しているのか……。一先ず、この謎は保留しておく。

 「園部さん、この屋敷がどうしてこんなにも特殊な構造をしているのか、何かご存知ありませんか?」

 僕は話題を変えるために、僕らを現在閉じ込めているこの洋館について訊ねることにした。ここから脱出するヒントが何かあるかもしれない。

 「はい、僅かではありますが、存じております。これは、私が現在お仕えしております蒼代家の当主様からお聞きした話でございます。そもそも、この館を建てられたのは現蒼代家の先代様であると伺っております。これは、先代様が現当主様にその地位をお譲りになった後のことでございます。先代様は、煩わしい雑事を離れ、喧騒の無い世界で余生を送りたいと仰ったそうです。そのため、騒がしい外界との通路を正面玄関の一箇所のみにし、外部との煩い連絡を絶つために、電波の一切届かない森の中にこの館を建てられたと……」

 何とも変わった人だ。唯々、不便なだけじゃないか。……その彼の余生とは、一体どんなものだったのだろうか。

 「窓が天窓一つだけであり、玄関以外の出入り口が一切無いことをそれで納得するとしても、どうして玄関の扉の鍵を外からしか開けられないような構造にしたんでしょう?」

 「申し訳ございません……その理由については存じ上げておりません」

 どうやら、ここから出るヒントにはありつけなかったようだ。

 「どうして、こんな扉を・・・…」

 「寂しかったんじゃないかな……」

 僕の言葉を遮るように、両手にジュースの入ったコップを持ったまま、楼紗は呟くように言った。

 「寂しかった……?」

 「うん。……もし、今の私たちのように、その先代の方が中に閉じ込められたとしたら、最悪の場合……具体的に言えば、誰も助けが来なかった場合、いつかは餓死してしまうでしょう?」

 皆、黙って楼紗の話を聞いていた。

 「つまり……自分を心配してくれる誰かの存在を信じるために、あの扉を作り、この館を建てた……ということですか?」

 和哉君が静かに訊ねた。

 「分からない……本当にこれは私の勝手な想像だけど……。こんなにも外の世界から隔絶された場所だからこそ、ここまで来ようと思ってくれる誰かを待っていたんじゃないかな……?」

 晋太郎君が一瞬顔を上げ、再び俯いてからこう言った。

 「最終的には、あの扉を内側から閉め、誰にも邪魔されずに人生の幕を降ろすつもりだったんでしょうか……。いや、誰かに邪魔をされることこそが、その先代の方の望みだったと楼紗さんは仰いたいんでしたね……」

 「私たちは……そのに、助けてもらえるのかな……?」

 僕はコーヒーカップを静かにテーブルの上に置くと、ソファーに凭れ掛かり、決して誰も現れはしない、冷たく紅い扉をじっと見つめた。


 「皆さん、少し聞いて頂けますかな? 子どもたちがいる手前、伝えるかべきかどうか迷っていたのですが……」

 コーヒーを飲み終えた黒河先生が、何処か神妙な面持ちで話し始めた。

 「あの尾崎という男……覚醒剤を使用していた可能性があります」

 「か、覚醒剤って……犯罪なんじゃないの?」

 「それって、マジでやばくね?」

 奈美さんと留美さんが反応する。さっき見た、尾崎さんの狂気と殺気に満ち溢れたあの眼は、黒河先生の推測を受け入れるのに十分な訴えがあった。第一印象が最悪だったのは確かだが、薬物にまで手を出していたとは……。

 「……覚醒剤の使用を疑ったのは何故ですか?」

 和哉君が訊ねる。

 「初めに疑ったのはディナー中のことです。覚醒剤使用の症状としては、凶暴化、集中力低下、食欲不振、口渇などがあります。私は彼の右隣に座っていましたから、彼の表情が横目に見えました。乱暴な性格が彼の本来であったとしても、眼の焦点が定まっていなかったことや、途中でディナーを退席したことなどは覚醒剤の使用を疑わせるものでした」

 焦点が定まっていなかった……。ディナー中、尾崎さんと目を合わせる人はほとんどいなかったのだろう。医者である黒河先生は、逸早くそれに気づいたのだ。

 「こうかつ……というのは何ですか?」

 今度は楼紗が訊ねる。

 「口渇というのは口が渇く、と書きます。ですから、覚醒剤使用者にはペットボトル飲料等を持ち歩く場合が多いのです」

 「そういえば、尾崎さんがペットボトルの中身を飲みながら、ダイニングルームを出て行くのを見た覚えがあります」

 和枝さんがゆっくりと、思い出すように言った。それ以前に僕と楼紗は、ペットボトル飲料を飲みながらロビーへ向かって来る尾崎さんの姿を見ている。

 口渇……確かに、ディナー中、尾崎さんが水の御代りを要求しているところを見た。しかし、注文を受けた美琴さんの対応が遅いことに呆れ、それ以降は頼まなくなっていた。ディナーを中座したのは、食欲不振に加え、自室のペットボトルを求めたためとも考えられる。あるいは、薬物か……。

 「黒河先生。ディナー中、尾崎さんはペットボトルを何処に置いていましたか?」

 僕は気になることの一つ目を訊ねた。

 「私の席からは確認できませんでしたが、おそらく床に置いていたのではないでしょうか。立ち上がる際に少し屈む動作をしていましたから」

 なるほど。道理で、テーブル上にペットボトルを確認できなかった訳だ。

 「もう一つ訊かせて下さい。覚醒剤を使用することで、人をあそこまで殴りつけるような精神状態に陥る可能性は、実際にあるのでしょうか?」

 佐藤さんの遺体を見た人は限られている。僕は代表して訊ねることにした。

 「私はそういった薬物の研究を専門にはしていませんが、正直に言って、ここまで深刻な例は初めてです。凶暴化の原因の一つに強い恐怖感を伴う幻覚があります。私は佐藤さんの件をその幻覚のせいだと考えましたが、それにしてはあまりにも発症が爆発的過ぎるのです。たとえ、彼が幻覚を見やすい体質だったとしても、覚醒剤を一度に大量に使用しなければ、人をあそこまで何度もバットで殴りつけるような精神状態にはならないと思うのです」

 「何度もバットで……」

 黒河先生の言葉に、美琴さんが絶句した。

 「これは、失礼……言葉が過ぎましたな……」

 つまり、尾崎さんはディナーを中座した後、自分の部屋、あるいは、部屋へ戻る途中で大量に覚醒剤を使用し、室内にいた佐藤さんを殴殺したということだろうか?

 あらゆる可能性を思案してみよう。

 今、思考すべきことは何か?

 まず、尾崎さんが自室内で覚醒剤を使用した場合、それを佐藤さんは止められた可能性がある。止められない可能性としては、佐藤さんが睡眠中だった場合、何らかの理由で拘束されていた場合、シャワー室等にいた場合、その時佐藤さんが室外にいた場合。シャワー室にいたかどうかは、後で実際に室内の水滴の有無を確認すれば大丈夫だろう。

 ここで想起するのは佐藤さんの不在の謎。尾崎さんが嘘を吐いていた、あるいは、覚醒剤による判断力低下が原因の可能性はあるが、園部さんは館中を探しても見つからなかったと言っていた。となると、佐藤さんのその時の所在として可能性があるのは、佐藤さんの自室と一階の女性用トイレの二箇所くらいだろう。佐藤さんがロビーを離れた時間や、何か言い残したことはないかなどを尾崎さんに直接聞ければ良いのだが、今の彼の精神状態だとそれは難しいだろう。

 佐藤さんが不在だとされた時間、彼女が自室内にいたと仮定すると、園部さんのノックに対して反応しなかったということになる。ノックに反応できない可能性としては、先程の、尾崎さんの室内での覚醒剤使用を抑止できなかった場合と同じだ。

 次に、尾崎さんが部屋へ戻る途中で覚醒剤を使用した場合。おそらく、この可能性は低いだろう。いくら中座した後とは言え、違法薬物をわざわざ人目につく可能性のある場所で使用するとは考え難い。

 やはり、尾崎さんは室内で覚醒剤を大量に使用し、それを何らかの理由で佐藤さんは止めることができず、あるいは、使用時に室外にいたため、凶暴化した尾崎さんに撲殺されたと考えるのが妥当だろうか。

 ここで一つの疑問が残る。僕はそれを黒河先生に訊ねた。

 「黒河先生、どうして尾崎さんの部屋に鍵が掛かっていたと思いますか?」

 「うむ……私の予想通り、彼が幻覚を見るほどに過剰に覚醒剤を使用していたとすれば、恐ろしい幻覚から身を守るために尾崎さん自ら鍵を掛けたと考えるのが妥当でしょう。しかしそれだと、どうして彼は大量に覚醒剤を使用したのか……その理由が分からない。常用者であれば、そこまで危険な量を使用したいとは思わないものです」

 施錠は自己防衛のため……。彼が初め、「殺される」とか「来るな」とか言っていたのはやはり幻覚を見ていたからなのだ。しかし、覚醒剤の使用量に関する謎……これを無視できないのは確かだ。

 「あの……一つ気になることがあるんですが……」

 「どうしたの? 楼紗ちゃん」

 理紗さんが優しく訊き返す。

 「理沙さんも、尾崎さんがこの洋館に入って来た時のこと、覚えていますよね?」

 「えぇ、それがどうかしたの?」

 「やっぱり……おかしいんです」

 「一体、何が?」

 僕が次の言葉を急かす。

 「尾崎さんの荷物よ。片手で肩に背負えるほど小さなバッグだったわ。そんなバッグに、お兄ちゃんが言っていたバットが入るのかしらと思って……」

 「……確かに。私はそのバットを見ましたが、野球でよく使うような普通の長さの金属バットでした。長さはおそらく……100センチくらいだと思います」

 黒河先生がジェスチャーを交えながら言った。

 そうだ……狂気に満ちた尾崎さんの顔や、血塗れになっていた佐藤さんの姿ばかりが脳裏に焼き付き、凶器のバットについての考察を失念していた。冷静に考えてみれば、どんなバッグだろうと、他人にばれないような状態で、金属バットを丸々一本収納できるほどの物は中々無いだろう。現に僕は尾崎さんと佐藤さんのバッグの形状や大きさを確認している。あれはあのバットが入るような大きさでは決してなかった。だとすれば、あのバットはどこから調達した物なんだ?

 「園部さん、まさかとは思いますが、この館の何処かに金属バットが置いてあるなんてことは……」

 「そのような物は、館内にはございません」

 「ですよね……」

 「じゃあ、そのバットはマジックで出したとか?」

 「もしそうだったら、逆に面白くね?」

 ……全く面白くない。女子高生の二人は本気でそう思っているのだろうか。

 当然手品などではなく、尾崎さんや佐藤さんが準備した物でもなければ、考えられる可能性は只一つ。

 「厨房にいる剣持シェフも含め、ここにいる誰かがそのバットを準備したということだな……」

 ここぞという時にしか喋らない俊介さんが断言した。

 園部さんに、招待客の中にバットが入りそうな大きさの荷物を持った人はいなかったかと訊いてみてもいいが、おそらく応えはノーだ。100センチ近くのバットが入るような、あからさまに怪しい荷物を持参するとは思えない。だとすれば、事前にこの館に来ていたであろう使用人の内の誰かということになるのだろうか……。

 「その仮説が正しいとすれば、バットを用意した人物は何が目的でそんなことをしたんでしょう?」

 晋太郎君の疑問に対して更なる仮説を準備する前に、僕はある提案をした。

 「皆さん、一つ提案があるんです。……尾崎さんの部屋に、もう一度行ってみませんか?」

 「……どうしてまたあんなところに?」

 晋太郎君が半ば怯えるようにして言った。

 「一つ、確かめたいことがあるんだ。園部さんも一緒に来てくれませんか?」

 「お客様のご要望でしたら、私に断る理由はございません」

 「それじゃあ、僕と園部さんだけでも……」

 「ちょっと待って」

 遮るようにして制止したその声の主は、和哉君の母親、美佳子さんだった。

 「尾崎さんの部屋へは皆で行きましょう」

 「……どうしてですか?」

 「理由は二つよ。一つは、さっき言っていた俊介さんの仮説を私は否定しているから」

 「……俊介さんの仮説は、間違っていると?」

 「正確性を求めるなら、間違いよ。彼は剣持さんも含め、を疑っていたけれど、この館に私たちしかいないという保証が何処にあると言うの?」

 「そう言われると……絶対に、僕ら以外に誰もこの館にいないとは言い切れませんが……」

 「これはだけど、その目に視えていない人物を想定して、私はあなたたち二人だけを離れて行動させるのは危険だと判断しているの」

 「美佳子さんは、そのを危険人物だと考えている訳ですね? 確かに、そうだとすれば、十分凶器と成り得るバットをわざわざ準備した人物です。美佳子さんの言っていることはよく分かります。それでしたら、今現在、独りでいる剣持さんはどうなるんです?」

 「勿論、剣持さんにも同行してもらうわ。既に、彼が危険に晒されていなければ良いけれど」

 「…………。それで……もう一つと言うのは?」

 「今の話はあなたたちを心配しているからという理由。もう一つは、あなたたちをという理由よ」

 「信頼できないって……どういう意味ですか?」

 「仮にも、今からあなたたちが向かおうとしているのは、覚醒剤中毒者のいる部屋なのよ? 危険を感じてあなたたちが彼を殺してしまうかもしれないじゃない。その逆もあり得るかしら。しかも、前者の場合、園部さんとあなたが共謀すれば、死因は薬物によるものだと嘘を吐くこともできる」

 「そ、そんな言い掛かりはあんまりです! 僕らが殺人者になり得ると? 彼は今、ロープで縛られているんですよ? 無防備な彼を、どうして僕や園部さんが殺そうとするんですか!」

 「怜璃さん、落ち着いて下さい!」

 僕はいつの間にか立ち上がっていた。……そうだ……ポーカーフェースだ。感情を表に出すな。……それにしても、こんなに大声を上げたのはいつ以来だろう。

 「気に障ったようね。でも、誤解しないで頂戴。これは単なるの話よ。本気であなたがそんなことをするとは思っていないわ。私が言いたいのはどちらかと言えば一つ目の理由よ。この館に19人目、あるいは、それよりも多くの人間が隠れているかもしれないわ。これも……」

 「、ですね?」

 「フフッ、分かっているじゃない」

 「でも、母さん。……この館に、人が隠れられる場所なんてあるんでしょうか?」

 「一つしか窓のない館を造ったような人物よ? 隠し部屋の一つや二つあったって、何の不思議もないわ。一階や二階にその空間が無いとしても、地下はどうかしら? どこかに下へ降りる階段があって、そこにバットを準備した犯人が潜んでいるかもしれないわ」

 「園部さん、秘密の隠し部屋や地下の存在というのは?」

 「いえ、一度もそのようなお話は……」

 「私も同じです」

 園部さんと美琴さんはその存在の有無を知らないらしい。美佳子さんの提案理由の一部に納得できない節はあるが、を否定できない以上、その提案を呑む他ないようだ。

 「分かりました。園部さん、美琴さん。申し訳ないですが、剣持さんを呼んで来て頂けませんか?」

 「畏まりました」

 「……カップをお下げ致しますね」

 美琴さんは全てのティーカップを配膳台に載せると、一礼してからそれを押して、園部さんと共に厨房の方へと向かった。

 数分後、美琴さんと園部さんが剣持さんを連れて戻って来た。どうやら、剣持さんに危険は迫っていなかったようだ。ロビーにいた誰もが胸を撫で下ろす。

 「剣持さん、これからは決して独りで行動しないようにして下さい。少なくとも二人以上で、できれば一人は周囲を警戒した状態で作業をするようにして下さい」

 「畏まりました。仰せの通りに」

 「それでは、尾崎さんの部屋まで行きましょう」

 僕は皮肉を込めて、わざと一部を強調して言った。その僕の一言で皆が立ち上がり、二階へ向かう運びとなった


 さっき晋太郎君が言っていた疑問、「バットを用意した人物の目的」とは何なのか? 楼紗の助言のおかげでそのことに気がつけたが、それによって僕の推理は再構築され、「ある結論」に至った。

 その結論を揺ぎないものにするために、僕はもう一度尾崎さんの部屋を訪れ、を確認しなければならない。しかし、その結論をもってしても、犯人がバットを用意した理由は朧気にしか分からない。

 「……そういえば、扉の鍵は開けたままではありませんか?」

 和哉君の言う通り、啓一叔父さんを急いで追ったため、尾崎さんの部屋の扉は開錠されたままだった。

 二階、206号室前に全員が揃った。僕と園部さん、念のために(主に、美佳子さんの提言のせいだが)、俊介さんの3人で中へと入ることになった。

 「だ、誰だ!? 出て行け! 来んじゃねえぇ!!」

 中は相変わらず真っ暗で、入り口の扉を僅かに開けた隙間から漏れる、弱い光だけが室内を照らしていた。尾崎さんは、僕が照明のガラス片を踏んだ音に反応して叫んだようだが、彼の位置からは逆光で僕らが誰だか認識できないだろう。ロープで椅子に縛り付けられたままの彼は、さっきよりは理性を取り戻していると言えたが、疑心暗鬼に捕らわれたまま、何かに怯え続けているようでもあった。

 「落ち着いて下さい。僕です。紅怜璃と言います。ロビーで擦れ違いましたよね?」

 「うるせぇ……近寄んじゃねぇ! 出て行けよ……早く出て行けえぇ!」

 駄目だ……とてもこちらの話を聞いてくれそうにない。

 「尾崎は放っておけ。俺と園部さんが見張っているから、君は早く用を済ますといい」

 「……有難うございます」

 僕は俊介さんの言葉に甘え、佐藤さんの遺体から目を背けつつ目的の物を探し始めた。床を見ると、尾崎さんが持っていたペットボトルが一つ転がっていた。中身はまだ少しだけ残っている。全身が青色のパッケージに覆われ、『STAR SEA』というロゴが真ん中にデカデカと描かれている。ベッドの横を見ると、目当ての物がそこにあった。

 「あった……間違いない。尾崎さんと佐藤さんの荷物だ」

 安易に素手で触れるのは不味いと思い、僕はポケットからハンカチを取り出した。園部さんの手元を見ると、礼装用の白い手袋を確認できた。ドレスグローブと言うんだったか。僕は目的の荷物を、ハンカチを使って手に取ると、それを園部さんに手渡した。

 「これが、君が確認したかったことか?」

 「はい。それから、もう少し調べることが……」

 僕はそう言ってまず、シャワー室の中を確認した。シャワー室の電灯は破壊されておらず、問題なく灯りが点いた。床や浴槽内、壁や排水溝の中まで観察してみたが、水滴一つ残っていない。シャワー室は完全に未使用。これで、入浴中に園部さんや尾崎さんが部屋へ来たという可能性はなくなった。

 一応トイレも確認してみる。トイレットペーパーの端が三角形に折られたままだった。さっき僕が思わず嘔吐した時には、トイレットペーパーには一切触れなかった。あの二人の見た目からして、使用後再びこのように折るとは思えない。犯人も同じことだ。そうする理由がない。トイレに入っていたという可能性も低いだろう。

 最後は佐藤さんの拘束説。ロープや手錠のような物が室内から見つかるかどうかだが……。

 「何をしているんだ?」

 「室内にロープのようなものが落ちていないか探しているんですが……暗くて隅々まで確認できないんです」

 「ライターを貸そう。使い方は大丈夫か?」

 「はい、分かります。すみません、お借りしますね」

 気が逸ったせいか、懐中電灯を準備し忘れたことを後悔した。園部さんに言えば、何本か貸してもらえただろう。しかし、待ってもらっている皆のことを考え、この場はライターで済ますことにした。

 僕はライターの灯りを頼りにベッドの下や、引き出しの中など色々と探ってみた。ライターの灯り程度では細々したものは探せそうにないが、人一人を拘束できそうな物は見つからなかった。そもそも、佐藤さんを拘束していたとしても、紐の一本や二本、トイレで流すなどの隠滅方法が考えられるはずだ。

 「ライターをお返しします。お二人とも付き合って頂いて、有難うございました。用は全て済んだので、一度外へ出ましょう」

 室内を物色している間、尾崎さんはずっと僕らに向かって叫び続けていた。それはまるで、躾を知らない獰猛な獣のように。覚醒剤というのは、ここまで人を変えてしまうのか……。

 「どうでしたか? 何か分かりましたか?」

 晋太郎君がいの一番に訊ねる。

 「僕が確認したかったのは彼らの荷物なんだ。僕もまだ中身は見ていません。それでは、園部さん。尾崎さんの荷物の中身を確認して頂けますか?」

 「……尾崎様には申し訳ありませんが、緊急事態ですので止むを得ません。……失礼致します」

 園部さんがゆっくりと尾崎さんのバッグを開ける。中身は下着やサングラス、煙草に雑誌、未開封のペットボトルもあった。特に怪しい物は入っていない。

 「美琴さん、佐藤さんのバッグの中身を確認してもらえますか? 何か怪しい物が入っていたら教えて下さい」

 「畏まりました」

 「あ、待って下さい。念のため、手袋か何かを付けてからお願いできますか?」

 「は、はい! ……失礼しました」

 「では、私の予備のグローブを……」

 そう言って園部さんは上着の内ポケットから別の白い手袋を取り出した。それを受け取り、今度は美琴さんが佐藤さんのバッグを確かめ始めた。

 側で楼紗や理紗さんもその様子を見ている。これで……。

 「……特に、変わった物は入っていません」

 美琴さんはそう言うと、白い手袋を園部さんに返した。

 「これで、一体何が分かると言うの?」

 美佳子さんが僕に訊ねる。

 「はい、それを今からお話します。黒河先生のご意見だと、尾崎さんは大量の覚醒剤を服用したはずでした。そうですよね?」

 「えぇ、あの錯乱状態は尋常ではなかったですから……」

 「それなのに、尾崎さん、佐藤さんの二人の荷物から覚醒剤らしき物は見つかりませんでした。園部さん、美琴さん。どうでしたか?」

 「はい、おそらくそのような物はございませんでした」

 「こちらも同じです」

 「それでは、尾崎さんはどうやって覚醒剤を準備したのでしょう?」

 「覚醒剤の隠し場所なんていくらでも考えられるわ。何も、荷物の中から出てくるとは限らない。尾崎さんや佐藤さんの衣服から見つかるかもしれないわ。それに、所持していた覚醒剤を全て呑み込み、入れ物を既に破棄していたと言う可能性もあるじゃない」

 「はい、それは美佳子さんの仰る通りです。ここで、尾崎さんのダイニングルームでの言葉を思い出してみてください」

 「ダイニングルームでの言葉?」

 楼紗が言葉を繰り返す。

 「あぁ。尾崎さんはディナー前に、『あんたらも物好きだ』と発言していました。そして、玄関に現れた時には招待主の到着を急かしていた。彼の覚醒剤使用も含めてこのことを考えてみると、ある仮説に行き着いたんです」

 「それは何かしら?」

 理紗さんの問いに、一呼吸置いてから話を継ぐ。

 「尾崎さんと佐藤さん……いや、おそらく、ダイニングルームでの『都合が良い』という言葉から、尾崎さん個人の元へ、このような内容の招待状が届いていたと考えられるんです。『洋館で覚醒剤の取引をしよう』……と」

 「結局、何が言いたい訳?」

 「話が見えて来ないんですけど」

 「奈美さん、留美さん。僕が言いたいのはつまり、尾崎さんはこの洋館まで誘われ、自らではなく、覚醒剤を大量に服用させられた可能性があるということです」

 「ちょっと待って。そもそも、覚醒剤という前提は成り立つのかしら? あくまであなたたちの仮定じゃない」

 美佳子さんの批判への反駁を準備する。

 「理紗さん、晋太郎君。尾崎さんが正面玄関に現れた時、彼が言っていた言葉を思い出して下さい」

 「尾崎さんが言っていた言葉……?」

 「一体、何かしら?」

 「……『冷たいやつ』です。この寒い冬の時期に、冷たい物を、しかも、到着するなり要求した理由は何でしょう?」

 「まさか、冷たいやつって……」

 楼紗が勘付いたようだった。

 「そうだ、だ。間違いなく尾崎さんはあの時、責任者に覚醒剤を要求していたんだ」

 「フッ、面白い推理ね。じゃあ、尾崎さんはどうやって覚醒剤を飲まされたと言うの? 彼がダイニングルームを出た後、最初に部屋へ向かったのはあなたたちだったわよね?」

 美佳子さんが軽く鼻で笑って言った。

 「はい、そうです。しかし、彼に覚醒剤を飲ませるのは実に簡単なことだったんです」

 「一体、どうやって?」

 「彼が常に携帯していたペットボトルです。室内にもそのペットボトルが転がっていましたが、その表面のほとんどが青色のパッケージで覆われていました。誰かがそのペットボトルの中に大量の覚醒剤を流し込めば、たとえ溶けきれずに沈殿したとしても、外から見ただけでは異変に気づけなかったはずです」

 「なるほどね。確かに理に適っているわ。でも、そうした犯人は一体何が目的だったのかしら? 尾崎さんを嵌めてここへ招き、覚醒剤を飲ませて暴走させて、犯人は何がしたかったと言うの?」

 「それを明らかにするためにも、皆さんにもう一度、ディナー前のアリバイを訊いても宜しいでしょうか?」

 ディナー後でなければ、ディナー前に尾崎さんの部屋を訪れた人物がいるはずだ。ここで僕が「それを明らかにするために」と言ったのは、ディナー前に尾崎さんと接触した人物、すなわち、真犯人から直接、真相を聞き出すという意味合いであり、それはつまり、美佳子さんの問いに対する留保を意味していた。

 「僕と愛はロビーを離れた後、ディナーに呼ばれるまでずっと二人で部屋にいました」

 「私と俊介も同じよ。ロビーから部屋に戻った後は、ずっと室内で呼ばれるまで待っていたわ」

 「私と留美も同じ。面倒だから以下略」

 「私も和枝と一緒に、ディナーまで読書をしていました」

 「私もここに到着してからずっと部屋にいたわ。和哉は一階を見て回ると言っていたけど、すぐに自室に来て、それからずっと一緒よ」

 「……はい、楼紗さんに言われた通りすぐに部屋に行き、その後は呼ばれるまで部屋を出ていません」

 「僕はディナーが終わった後に来たからね。アリバイは運転手さんに聞けば分かると思うよ。ただ、今はそれも確認の仕様がないけどね……」

 「私と笠原は皆様のお部屋へのご案内を終えた後、ディナーの準備をしておりました。その間、剣持はずっと厨房におりました。間違いございません」

 剣持さんのアリバイは聞いた中では一番弱かったが、犯人が二人以上であると仮定すれば、誰かが単に嘘を吐いている可能性もある。

 「全員にアリバイありね。はもう終わりかしら? 他に訊きたいことがなければ、私は部屋に戻るわよ」

 「ちょっと待って下さい! 尾崎さんに故意に覚醒剤を飲ませた誰かがこの館内にいるかもしれないんですよ? を言い出したのは美佳子さんじゃないですか」

 「えぇ。だけど、視えない誰かが本当にいたとしても、それはどうでもいいことよ」

 「……どうでもいい?」

 何かが、おかしい……。

 「悪いけど怜璃君。僕も部屋に戻るよ」

 「啓一叔父さんまで!?」

 「確かに尾崎さんは、誰かの手によってこんなことになったのかもしれない……。でも、それは、僕には関係のないことなんだ」

 「それはそうですけど……それは、あんまりじゃ……」

 くそっ……どうして!

 「まぁ、そういうことよ。尾崎さんが誰に狙われようと、私たちには関係の無い話。あなたの探偵ごっこに付き合うのもここまで、ということね」

 そう言うと美佳子さんは踵を返し、廊下を中央階段の方へと進んで行った。それに釣られるようにわらわらと他の人たちも散って行く。

 「園部さん、念のためにここの施錠を……。それから、園部さんたちも、もう自室にお戻り下さい。僕の目的はこれで終わりですので。……有難うございました」

 「畏まりました」

 園部さんは尾崎さんの部屋を施錠すると、美琴さん、剣持さんと共に帰って行った。

 「……部屋に戻ろう」

 「うん……」

 探偵ごっこ……か。所詮、僕がやっていることは小説の真似事、フィクションの模倣に過ぎないということか。でも、絶対におかしいんだ……。


 「お兄ちゃん、バットの話はもう良いの?」

 部屋に戻り、無意識に施錠をする僕の背に、楼紗が声を掛けた。

 「あぁ、そのことか……。バットをどうやって準備したのか、そして、バットが尾崎さんと佐藤さん以外の誰かが準備した物だとすれば、それをどうやって尾崎さんに渡したか、それも問題になる」

 考えられるのは、直接手渡したか、何処かに置いて回収させたかのどちらかだ。前者はまず考えられない。尾崎さんとその犯人がコンタクトを取っていれば、尾崎さんはあのように玄関やダイニングルームで騒いだとは思えないからだ。

 後者の場合、様々な仮説が立てられる。前もって打ち合わせて回収させた、というのは尾崎さんが嵌められたという観点から外れる。いや……待てよ。犯人は佐藤さんを殺害することが目的で、ディナー後に佐藤さんを殺すように尾崎さんは指示され、それと引き換えに覚醒剤を渡すという計画だったらどうだろう? 覚醒剤を飲ませたのは、犯人の佐藤さん殺害の意図を隠すためだったとすれば? 一応、筋は通る……。

 しかし、実に煩雑な推理、仮定だ。

 穴だらけ、不備、不十分。思いつきを並べ立てたに過ぎない。

 「そういえば、お兄ちゃんの言う通り、尾崎さんが覚醒剤目的で招待されていたとすれば、私たちはどうなるのかしら?」

 「どういうことだ?」

 「私たちは啓一叔父さんから、『懸賞に当たった』と言われてここに来ているわ。それが本当なのかしらと思って。そもそも、その企画責任者が姿を現さないのは気になるわよね……」

 企画責任者……。そういえば、啓一叔父さんの言っていたことは何処かおかしかった。僕を誘いに家にやって来た時からそうだ。もしかして、楼紗の言う通り、この洋館への招待状には何か特別な意味があるということか? 尾崎さんの招待状の内容の仮説を思い出す。


 それから20分ほどが経ち、扉をノックする音がした。

 「どなたですか?」

 「園部でございます。怜璃様、お伝えしたいことがあって参りました」

 「待って下さい。今開けます」

 扉を開けると、廊下には使用人の3人の姿があった。徒事ではないと直観し、少し身構える。

 「何かあったんですか?」

 「私と笠原が使用人室に待機しておりましたところ、このような封筒が扉の下の隙間から差し込まれておりました。何やら不穏な内容でしたので……」

 「中身を確認したんですね?」

 「はい」

 「何かあったの?」

 僕が手にした封筒を後ろから楼紗が覗き込んだ。それは、真っ紅な色をした一枚の洋形の封筒。啓一叔父さんから受け取った封筒と大きさも形も同じ物。ただ、その真っ紅な外見だけが違っていた。

 恐る恐る中の手紙を取り出す。一枚の、今度は真っ白な便箋に、でこう書かれていた。


 『12体の人形が並んでいました。


 1体目の人形が罰を受けました。

 奴らと仲良くしたからです。

 顔を潰されて死にました。


 2体目の人形が罰を受けました。

 罪無き善人を唆したからです。

 彼の喜々する方法で死にました。


 残りは10体の人形が並んでいます』


 ただの紅文字じゃない。これは間違いなく文字だ。

冷静に考えろ。

 今、思考すべきことは何か?

 印刷された文字……それはつまり、この「1体目の人形」という文言が佐藤さんのことを指していると仮定すれば、佐藤さんの死はということだ。 そして、気になるのはという内容。まさか……!

 「園部さん! 他の人たちへ連絡は?」

 「いえ、まだでございます」

 「早く皆を呼んで下さい! いや、美琴さんと剣持さんの二人でお願いします。僕と園部さんは念のため、尾崎さんの部屋を確認します!」

 「畏まりました」

 美琴さんと剣持さんが手分けをして他の招待客の部屋を回る。

 手紙の内容をそのままの意味で理解するのなら、既に亡くなった佐藤さんが「1体目の人形」ということになる。さっきロビーに集まった時、愛ちゃんが、人形が無くなっていると言っていたこととも符合する。そして、の記述。今、ロープに縛られ無防備な状態でいる尾崎さんの命が危ないのは言うまでもなかった。しかし、尾崎さんの部屋は現在施錠されているはず。

 尾崎さんの部屋のドアノブを握る。

 「……あ、開いている?」

 一瞬にして全身の血の気が引く。僕は乱暴に扉を開け放ち、中へと入った。

 「尾崎さん、大丈夫ですか! 返事をして下さい! 僕です! 怜璃です! 何か返事を……うっ!!」

 嘘だ……こんな……!

 「……尾崎さん、尾崎さん! 返事をして下さい!」

 「こ……これは……」

 「クソッ! ……僕の考えが甘かったんだ! ……そうだ、誰かが既にこの部屋の鍵を持ち出していたんだ! もっと、冷静にあの時考えていれば、未然に防げたはずなんだ! クソッ! クソッ……!」

 「お兄ちゃん、どうしたの? 中で何があったのか教えてよ!」

 尾崎さんは椅子に縛られたまま顔を天井に向け、白目を剥いていた。顔中に白い粉がばら撒かれ、口の中にはその白い粉がぎっしりと詰まっていた。白い粉、おそらく、覚醒剤か何かを無理矢理口に詰め込み、それを飲み込ませるために水を流し込んだのだろう。白く濁った液体が、口からだらだらと毀れていた。

 両腕は後ろで縛られ使えないはず。言うまでもなく、これはだ。誰かがこの部屋の鍵を所持しており、それを使って中に侵入して尾崎さんを殺した……。

 「怜璃さん! 何があったんです?」

 晋太郎君の声だ。

 「中には入らなくていい! 今から皆に説明する」

 ……これは? ……なるほど、ご丁寧にこの部屋の鍵は返却したって訳か。

 尾崎さんの上着の左ポケットからは「206」と書かれたプレートが垂れ下がっていた。30分ほど前にここに荷物探しに来た時も、最初に尾崎さんを取り押さえた時も、こんなプレートは下がっていなかった。間違いなく、尾崎さんを殺害後、目立つようにして置いていったのだろう。

 僕は立ち上がり、その鍵を拝借してこの部屋の扉で使用できるかを確かめた。もちろん、指紋を残さないようにハンカチを使う。

 ……間違いなく、この部屋の鍵だ。問題なく、施錠と開錠ができた。

 「園部さん、この部屋の扉を開錠できる鍵は全部でいくつありますか?」

 「個室の鍵と、私が持っておりますマスターキーの、合わせて2つだけでございます」

 「個室の鍵やマスターキーの予備は?」

 「合鍵はございません。個室の鍵もマスターキーも、全て一本ずつのみでございます」

 僕と園部さんはぞろぞろと集まる人の群れに目を留めた。

 「今度は何? もうすぐ寝ようと思っていたんだけど」

 美佳子さんが愚痴を言いながら僕の顔を見た。

 「尾崎さんが、何者かに殺されました……」

 「……こ、殺された? 覚醒剤で頭がおかしくなっただけじゃないの?」

 「たぶん、そうだって……まさか、殺されたとか……」

 奈美さんと留美さんは、佐藤さんを殺した犯人である尾崎さんが捕らえられたことで、半ば安心していたのだろう。そうだ、この館には今、が潜んでいる。

 「でも、この部屋は解散した後、施錠はしなかったのかしら?」

 理紗さんが冷静に訊ねる。

 「いえ、園部さんに確かに施錠してもらったはずです。それは僕と楼紗、美琴さんと剣持さんも見ています」

 「では、この部屋の鍵は何処にあったのですか?」

 和枝さんがおどおどしながら訊ねた。

 「犯人はおそらくこの部屋の鍵を予め盗んでおき、僕たちが解散した後、その鍵を使って侵入、犯行に及んで、彼のポケットの中にこの鍵を返却したんです」

 そう言って僕はハンカチで包んだこの部屋の鍵を掲げた。鍵は園部さんに預かってもらうことにした。

 「残念ですが……既に亡くなっておりました。死因はおそらく、窒息死かと……」

 そう言って黒河先生が中から現れた。窒息死……犯人は尾崎さんの鼻を抓むなどして塞ぎ、口の中に大量の白い粉を流し込んで殺したというところか……。しかし、何故そんな面倒な殺し方をしたのか……。

 「それから皆さん、これを見て下さい」

 僕は園部さんから預かっていた紅い封筒を見せ、中の手紙を読み上げた。

 「字は印刷されたものでした。つまり、筆跡からは犯人を特定できません。そして、もう一つ言えるのは……園部さん、この館にタイプライターのような物は置いてありますか?」

 「いえ、そのような物はございません」

 「つまり、この手紙が館内で印刷された物でないとすれば、佐藤さん、尾崎さんの件は、予め計画された殺人だということです」

 「人形……12体……。怜璃さん! もしかして、その人形というのは……」

 「あぁ、僕も同じことを考えた。おそらく、ロビーにあったあの12体の人形のことだろう」

 「……その人形が、どうかしたんですか?」

 和哉君が不思議そうに訊ねる。

 「佐藤さんが殺され、僕らがロビーに集まった時、12体あったはずの人形が一つ消えていたんだ。その時はそこまで気に掛けていなかったが、あれにはちゃんとがあったんだ」

 「ということは、今ロビーにある人形の数は……」

 「おそらく、また1体減り、10体になっているはずだ……」

 「ま、まさか……あと10人殺されるなんてことは……」

 「そ、それはありえないでしょ……。何もしてない私が殺される訳……」

 僕の言葉に反応したのは奈美さんと留美さんだった。そして、突然……怒声が廊下に響いた。

 「ふっ。馬鹿馬鹿しい! 12体の人形? 罰を受けた? 何がしたいのかサッパリだわ! 彼を殺した犯人が誰だろうと、他に誰かを殺そうとしていようとも、私には関係の無いこと! その殺人鬼が私と和哉を狙っていようとも、私は和哉を守るわ! 大切な独り息子はこの手で守る! 絶対に守ってみせる! 誰の手も借りはしない! 私独りで守ってみせる! 明日の朝まで、誰も私たちの部屋へは通さないわ!」

 美佳子さんはこの場にいた全員に怒鳴るように捲し立てると、さっさと部屋に戻って行った。

 「……す、すみません。僕も部屋に戻ります……」

 「何よ! 急に怒鳴り出して!」

 「そうよそうよ! 何だか私たちが悪いこと言ったみたいじゃない!」

 女子高生の二人も怒って部屋へと帰って行く。人が間違いなく殺されたというのに、彼女たちはどれだけ無神経なんだ……。いや、人が間違いなく殺されたからこそ、通常の精神状態ではいられないのかもしれない。

 ……ただ、美佳子さんの訴えには何か、言いようのない含みがあったように思えた。

 「夜も更けて参りました。私たちも部屋に戻って休ませてもらいます。このことはまた明日の朝考えましょう」

 「それもそうね。私たちも戻るわ」

 黒河先生に同調して、浅沼夫妻も黒河夫妻とともに自室へと戻って行く。妙に冷たい反応だった。恐怖を押し殺すためにそうしているのかもしれないが。

 「怜璃さん、すみません。愛も眠たい時間のようですから、僕たちも戻らせてもらいますね」

 確かに、愛ちゃんは眠そうに左目を擦っていた。もう彼女には起きているのが辛い時間帯なのだろう。

 「あぁ、そうだね……。お休み」

 「お休みなさい」

 「それでは、私たちも戻らせて頂きますが……施錠はいかが致しましょう?」

 「現場保存のために、施錠はしておきましょう」

 「畏まりました」

 園部さんたち使用人の3人も、施錠を終えて自室へと戻って行く。


 「啓一叔父さん、何か隠していることがあるんじゃないですか?」

 この場に残ったのは僕と楼紗、啓一叔父さんの3人だけだ。

 「ははは……流石に怜璃君は鋭いな……。『怜悧』を冠した名前を授けられただけはあるよ……」

 「冗談は止して下さい。単刀直入に言います。啓一叔父さんが招待されたは何なんですか?」

 「いきなり核心を衝くのかい? こりゃあ、本当に参ったよ……」

 「……応えてくれますよね?」

 「その前に訊かせてくれ。どうして僕の招待された理由がだと気づいたんだい?」

 「やっぱり、嘘だったんですか……」

 楼紗は裏切られたショックを隠しきれないようだった。

 「啓一叔父さんがここに到着した時の会話からです。僕と楼紗がここに到着した時、楼紗は『叔父が仕事の都合で来られない』と園部さんに伝えました。しかし、園部さんは啓一叔父さんの姿を認めて、第一声で『紅啓一様ですね』、とほとんど断言するかのような言い方をしました。まるで、啓一叔父さんがここへ来ることはであるかのように」

 「それだけで僕を疑ったと言うのかい?」

 「いえ、一番不審に思った理由はそれではなく、啓一叔父さんが『企画責任者から電話を受けた』と言ったからです。あの時点では、僕らはこの洋館が外界との連絡を遮断されているということを知りませんでしたから、何も不思議に思うことはありませんでした。しかし、その事実を知った上で叔父さんの発言を思い返してみると、『企画責任者の方が、叔父さんが来ないことを心配して連絡した』と言うのは可笑しな話です。その話が本当であれば、僕ら招待客、若しくは使用人の中に企画責任者が混じっていなければならず、その人物がこの隔絶された洋館から叔父さんに連絡する必要があるからです。ですから僕は……」

 「怜璃君。申し訳ないが、『電話を受けた』という話はなんだ……嘘じゃない」

 「えっ……? そんなはずは……」

 「僕はきっとだろう。だから、生きている間だけでも、我儘かもしれないが、君たちの前では今までの叔父のままでいたいんだ。僕が死んで、いつかどんなに貶されようとも、僕はそれを甘んじて受け入れる。おそらく……でね。あれは……あれは、仕方のないことだったんだ……そう思わなければ……そう思わなければ、僕は、あの悪夢から永遠に逃れられない。だって、そうだろう!?」

 まずい、軽い錯乱状態に陥っている。とにかく、今は……!

 「け、啓一叔父さん! 教えて下さい! どうして叔父さんは招待されたんですか? この紅月館に! 一体、どうして?」

 「それを言う訳にはいかない……どうか、分かってくれ……!」

 「ま、待って……叔父さん!」

 啓一叔父さんは僕の声を無視し、廊下の向こうへと姿を消した。結局、啓一叔父さんが招待された理由は分からなかった。分かったのは、懸賞に当選したという話は嘘だったということ。そして……啓一叔父さんは、命を狙われる立場にあるということだけだった。

 おそらく、園部さんは何かを知っている。どうして、啓一叔父さんが来ることを知っていたのか。そして、どうやって啓一叔父さんは電話の連絡を受け取ったのか……。今夜はどんな推理小説を読んだ時よりも眠れぬ夜になることを覚悟して、僕は自室へと重たい足を運んだ。


 とりあえず、ベッドに横になる。眠気は浅い。両手の指先を付き合わせて、頭を巡らせる。

 今、思考すべきことは何か?

 あの紅い封筒は何だったのだろう? そのままの意味で捉えるならば、1体目の人形というのは佐藤さん、2体目が尾崎さん。そして、「奴らと仲良くしたから」という一文は犯人の動機ということだろうか? そうだとすれば、「罪無き善人を唆したから」というのが、尾崎さんが殺された理由なのか? 最後に、「顔を潰されて」、「彼の喜々する方法で」というのが殺害方法だと考えられる。

 残る人形は10体。もしも、その全てが犯人の標的だとすれば……。

 犯人の動機は一体何だ? 奴ら? 罪無き善人? さっぱり意味が分からない。

……待てよ。奴らというのが尾崎さんで、罪無き善人というのが佐藤さんだとすれば? ……いや、違う。それだと動機が出鱈目になる。それに、「奴ら」というのは複数だ。尾崎さんを含む複数人の一グループを指しているとしても、すぐさま犯人像が浮かぶ訳でもない。駄目だ……情報が不足している。何も見えて来ない……。

 疑問は、謎はまだまだある。

 玄関扉は誰が閉めた? バットは誰が、どうやって準備した? 尾崎さんが佐藤さんを殺す理由は? 紅文字の手紙の意図は? 尾崎さんが殺された理由は? 人形の演出は何を意味する? そもそも、犯人の目的は? 覚醒剤の推理は間違っていたのか……?

 何一つ答えは出ない……。

 そうだ……僕は探偵なんかじゃないんだ。な頭脳なんて持っちゃいない。ただ、それだけのこと……。僕は数時間もの間、決して解けない謎に寝付けずにいた。


 「お兄ちゃん、起きて! もう朝よ!」

 「え……? ここは、何処だ……?」

 少し、頭が痛む。昨夜は何時頃に眠ったのだろう。それさえ思い出せない。

 「何寝惚けてんのよ。ここは、紅月館の自室でしょ? しっかりしてよ」

あぁ、そうか……。あれは決して、悪夢でも白昼夢でも無かったのか。……確かな現実だったんだ。

 「ほら、美琴さんを待たせているんだから。早く行きましょう」

 僕は急いで顔を洗い、しっかりと目を覚ませてから部屋を出た。寝惚けていても、施錠だけは忘れない。

 「もう、ダイニングルームの場所は分かっていますから、わざわざ案内にいらっしゃらなくてもいいのに……」

 扉の外できちんと立っていた美琴さんに声を掛けた。

 「いえ、これが私の務めですから。しかし、実際に黒河様には案内を断られてしまいました」

 「あぁ……そういえば、昨日擦れ違った時にも案内役はついていませんでしたね。一体、どうしてなんでしょう?」

 「私もそれは存じておりません。昨日、ご来館された際も、確かに黒河様は案内を断られて部屋の場所だけお訊きになり、後は大丈夫だと仰いました。何処か、落ち着かないご様子でした……」

 「そうですか……。あの、ダイニングルームに行く前に、少しロビーを見に行ってもいいですか?」

 「はい、勿論です」

 僕は一抹の不安を拭えず、あの人形の数を確かめることにした。手紙の通りであれば、人形の数は10体のはずだ。間違いない。


 10体のはず……だった。

 「嘘だろ……そんな、まさか……」

 何度も数え直す。左から数え、右から数え……もう一度、左から数え直した。

 駄目だ! 駄目だ、駄目だ! 僕の眼にはの人形しか映らないんだ!

 ……嘘だ……嘘だ! そんな……!

 「怜璃さん、おはようございます。……どうか、したんですか……?」

 愛ちゃんの手を引いて晋太郎君が現れた。

 「み、美琴さん! 急いで招待客全員の部屋を回って下さい!」

 「は、はい? ……分かりました!」

 「一体、何があったんですか?」

 「人形がまた減っているんだ! しかも、あの手紙の数より2体も……」

 僕は全速力で中央階段を目指した。二段、三段飛ばし、階段を一気に駆け上がり、右の廊下から現れた黒河夫妻と遭遇する。僕、尾崎さん、如月兄弟と合わせ、これで右側4室の招待客はクリアだ。黒河先生の呼び掛けを無視して、急いで左側の廊下へと駆け出す。

 「美佳子様、和哉様。いらっしゃいますか」

 204号室、左側の廊下の最初の部屋の前に園部さんが立っていた。何度もノックをして、中に呼び掛けている。が頭を過ぎる。

 「園部さん! マスターキーで開けて下さい!」

 「で、ですが……緊急時以外に、無許可で開錠することは……」

 「ロビーの人形が2つ無くなっていたんです! 10体ではなく、8体になっていたんです! これ以上の緊急があるって言うんですか!」

 僕は若干、苛立っていた。

 「……畏まりました。今、開けます」

 園部さんが持つ唯一のマスターキーで扉の鍵を開ける。

 「和哉君! 美佳子さ……!! な、何で……何でこんなことになるんだよ! ふざけるな! どうしてこんなことをするんだ……どうしてだ! どうしてだあぁ! クソッ……クソッ、クソッ、クソおぉぉ……!!」

 和哉君と美佳子さんが部屋の奥に仰向けに倒れていた。正直に言って、あの二人がその二人なのかは分からない。ただ、ここが遠藤親子の部屋であり、あの二人が着ている物が昨夜と同じ物だったからこそ、そう判断しただけに過ぎない。だって……

 二人には、

 佐藤さんの時と同じだ。しかも今度は、顔だけが集中的に潰されていた。他の部位には一切外傷が見当たらないのだ。一体何が目的でこんな惨いことをするんだ……。教えてくれよ……何がしたいんだよ……!

 仰向けになった二人の間には一枚の紅い封筒が置かれていた。佐藤さんと尾崎さんの時と同じ封筒だ。二人の亡骸からは目を背け、その封筒を手に取る。中からは白い便箋が一枚。やはり、で印刷されている。


 『10体の人形が並んでいました。


 3体目の人形が罰を受けました。

 息子への愛を失ったからです。

 顔を潰されて死にました。


 4体目の人形が罰を受けました。

 何も止めることができなかったからです。

 顔を潰されて死にました。


 残りは8体の人形が並んでいます』

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