最終章最終節「因果大戦」
人の夢見た二つの
これは、遠い遠い未来の物語。浄土は遠く、滅びは近い。
けれど、人は。夢ある限り彼方へ手を伸ばし続ける。
『黄昏のブッシャリオン』
▲最終章最終節▲
『
月が欠けたその日、奥羽岩窟寺院都市の最奥で。大僧正は、ふつりと糸が切れるように息を引き取った。
俗名をランダウ・グレハ。徳科学の礎たるモデル・クーカイを作り出し、そしてその業に向かい合い続けた男の命運は、齢二百五十余にして遂に消え果た。複数宗派の依り代である寺院都市の成立には、実利と並び、彼の人徳と呼ぶべきものが確かに存在したと言えるだろう。
地下都市の天井を経を唱える声が震わせ、すすり泣きが日常の喧騒へと返りつつある頃。大僧正の生命維持装置を弄り回していたテクノ仏師が、ある細切れのデータを見つけた。
断続的な、呼吸音のログ。
「お経かな?」
伸び始めた髪を二つに結わえた少女、弐陸空海が顔を出す。
「いや、何かの信号のようだが」
肆壱空海は眼鏡をずり上げる。その眼の下には、微かに泣き腫らしたような跡が見られた。
「仰る通りで、抽出した信号をデコードしますと……」
テクノ仏師は変換後と思しきデータを指し示す。そこには、膨大なテキストファイルがあった。
「……これ、元のデータ何時間あったの?」
「多分、少しずつ書き留めていたんだろうが……」
「タイムスタンプは……『彼等』が最初に此処を訪れた時からのようです」
問題は、その内容だった。
「これは、『全員』揃ってからの方が良いな」
肆壱空海は呟く。全員とは即ち、現存するモデル・クーカイの全員だ。
此処に居るNo.26、No.41。未だ意識不明のNo.33。それ以外に二人。
「『さごちゃん』も持ってこようか?」
「……好きにしろ」
弐陸空海が口にしたのは、植物化能力者、参伍空海の亡骸から生えた芽のことだ。鉢植えにして面倒を見ているようだが……
「今更、何が戻るわけではないだろう」
ドタバタと足音を立てて立ち去る彼女に聞こえぬよう、彼は呟く。
死人は戻らない。正に「それ」を目指して作られた彼等が、オリジナルの弘法大師そのものではないように。
「では、私は彼等を」
「ああ」
問題は残りの二人。片や、無銘のロストナンバー。そして、
「今更だ、肆捌空海」
余人の去った、嘗ての大僧正の御座の前に。黒衣の僧侶が現れる。
「こんな時でもなければ、寄り付ぬか」
「返す言葉は持たぬ」
都市よりの出奔者。現状、最新にして最後のモデル・クーカイである、No.48。肆捌空海。
顔を直接見るのは、一体いつ振りか。同ロットだけあって、どこか似た顔つき。しかし、その顔は。最後に目にした頃とは比べ物にならぬ精悍さと、鋭い目つき。
言葉を交わすまでもなく。見れば、わかる。徳の異能は、生き様の証だ。故に見れば、わかるのだ。だが、たとえそれが無くとも、伝わるものはある。
「……あの村のことは、良いのか」
暫しの沈黙の後。肆壱空海は、語気を緩めてそう言った。
「ああ。今、旧東京湾の上に、異星からの戻り人が拠点を築いている。得度兵器はそちらに忙しいらしい」
「……どうやら、人というのは、彼方に発とうと、いずれ元のところに戻るさだめらしいな」
少しの皮肉。
「よく戻った、肆捌空海」
そして、肆壱空海は。こそばゆさを堪えながら、そう言った。
「ああ。すまない、遅くなった」
互いに、近況は知っている。今まで歩んだ道のりが、決して平坦ならざるものであったことも。
故にこそ、足りなかったのは、再び顔を合わせる勇気だけだった。
--------------
「……これで『全員』、か」
クーカイが云う。傍らにはガンジーがどこか落ち着かない様子で正座している。
「お前は別に来なくても良かったんだぞ」
「知らねぇことが増えるのは、座りが悪ぃからな」
「……御客人がた、足は崩して結構です」
肆壱空海の言葉に、即座に胡坐をかくガンジー。
「……今回集まって貰ったのは、ある資料の使い道を決めるためです」
「俺まで呼ぶ必要があるのか?」
クーカイが問う。
「はい。まずは現物を見て頂くのが早いかと」
スクリーンにテキストが映し出される。
「……これは」
クーカイは眉を潜める。
「『私達』です」
それは、『設計図』だった。より直接的に言えば。モデル・クーカイの能力に纏わる詳細と、その構築式。スペックシート。
「はーん……これで、坊主を増やすって算段か?」
「いいえ。瀬戸内の姫君は欲しがるやもしれませんが……これは、『モデルクーカイ』だけの分です」
「他にもある、と?」
「ええ。『モデル・サイチョー』、『モデル・シンラン』、『モデル・テング』……」
「何だこれ!?」
次々と現れる、胡乱なプロジェクト計画書の数々。
「計画は計画です。詳細資料は無いものも多く、現存するか否かはもとより、そもそも作られたのかさえ不確かなものも多いですが……一つ、気になるものが」
映し出されるのは、今までと毛色の違う一つの資料。
「『マイスタージンガー』?」
「それは、なんというか……随分と命名規則の違う……」
「しかし、実在の確認されているモデル・サイチョーと同レベルの資料が残っているのも事実で……」
「今度はお仲間探しに巻き込む気か……?」
「お前は勝手に首を突っ込んでいるんだろうが」
ペコン、とクーカイがガンジーの頭を小突く。
「とにかく、資料を読んで頂きたい」
肆壱空海は真剣な面持ちで話を進める。
「秘匿コード『マイスタージンガー』……異能は、徳エネルギー演算器と直接の接続を行う一種のハッカー……? ブッシャリオンの直接操作による……情報記録の……」
「これ、本当にいるの!?」
モデル・クーカイを始めとする徳異能の正体は、天上にまで届くブッシャリオンの支配権だ。
故に、異能を演算器に対して正しく行使すれば、その有り様はハッキングというよりはむしろ強制(ギアス)に等しい。
だが、それは。もし、そんなものがあれば。
「これが、完成していたら……」
クーカイが唾を飲む。
「得度兵器を無力化できる」
「さんちゃんを叩き起こせる!」
「「……む」」
ガンジーと弐陸空海が同時に声を上げる。
「参参空海を叩き起こす望みもないではないが、メインの利用価値はガンジー殿の言った方になるか……」
アフター徳カリプスの支配者たる得度兵器は、本質的には人類総解脱を遂行する機械知性体だ。故に、その存在は地上最高性能を誇るコンピュータ、徳エネルギー演算器(マナ・プロセッサ)と無縁ではない。
そして。人……とりわけモデル・クーカイの脳もまた、ブッシャリオンを操る演算器と呼べなくもない。
ことと次第によっては、人類を救う切り札に成り得る異能。しかし、なればこそ疑問は生まれる。
「どうして、大僧正とやらは……このことを黙ってたんだ?」
「手の届かない希望は、時に絶望よりも質が悪いものだ」
「そういうもんかなぁ……」
「或いは、単に未完成だったか、それとも……」
「なんか落とし穴があるのか……」
「悪い想像は止そう。大事なのは、今の我々を大僧正がこの情報を遺すに相応しいと考えた、ということだ」
クーカイが遮る。
「だが、場所の手掛かりもなければ、絵に描いた餅に変わりはない」
「……手掛かりなら、居るんじゃねぇか?」
ガンジーが口を開く。空海達の視線が集中する。
「思い当たるのは、二つだ。お前らやうちのクーカイが元々いた場所と……あと、もう一つ。居んだろうがよ、その資料にあったのを、持ってたヤツが」
「……そうか!」
聖人化薬。『モデル・サイチョー』。嘗て、廃都地下の戦いで。あのテクノ仏師が用いた薬品の名だ。
「……入手ルートを探る余裕など無かったが、今ならば」
「……ああ。得度兵器が東京湾に根こそぎ出払ってる今なら、何か手に入るかもしれねぇ」
かくして、舞台は採掘屋達の街へと戻る。
此度もまた、希望を手繰るための旅。しかも、今度は人類を救うに届きうる希望だ。
その重みと謎は、果たして何処へ行き着くものか。それを知る者は、いまだ居ない。
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