最終章三幕「虧月狂想曲・⑬」
「……というわけで。この異変が、観測結果通り衛星全体に及ぶとなると……多分、少々不味いことになる」
と、ドウミョウジは頭を抱えながら言った。
ブッシャリオンの挙動を調べれば、今現在月で起こっている異変について、何かわかるとは思っていた。だが、事態は予想以上に深刻だった。
「閉じ込められる、ってことか?」
「いや……構造的には、薄皮のようなものだろう。異種ブッシャリオン同士の干渉を考慮しても、物理的に突破する分には支障はない。ただ……」
「ただ?」
「心配なのは、寧ろ
徳エネルギーに付随するブッシャリオン研究について、船団の知識は地上勢力に遥かに劣っている。それこそ、彼程度の人間が第一人者になれてしまう程に。
つまり、ブッシャリオンの未知に対して、ある程度、過激かつ強引な対処を想定する必要がある。その上で、想定すべき最悪の名を、彼は口にする。
「PDD……002?」
アマタはそう尋ね返した。PDD-001、『ティアジュエル』の威力は、南極での攻防戦で身を以て体験している。あれ以上の戦略兵器が降ってくると言われても。想像しがたいところではあるが。
「……あー……そうだな。昔、試作品を地球にブッ放したせいで、アフリカ大陸はいまでも気候がジュラ紀に戻ったまま安定しないらしいが」
「大事じゃないか!」
「噂だけだどな。というか、お前の故郷を改造したのもコイツだ。歴史くらいは勉強しとけよ、百年もないんだから」
「そ、そんなことより、逃げ支度が要るだろ?機体のリンク、切っていいか?」
Z-AMSのモジュールを繋いで、辛うじて再起動した観測網。穴だらけの機材でもわかるほどに、月の上は異変で満ちている。
「……これを論文にできたらなぁ……」
「あれだけ泣き落としみたいな真似しときながら、段々趣旨がズレてねぇか?」
だんだん好奇心を優先しはじめるドウミョウジに、アマタの目は冷やかになりつつあった。
「研究者なんてこんなモンだ。それより、もしPDD-002『アルキメデス・ミラー』を使うなら、脱出には時間制限が付く。最短で三……いや、二時間ってところか?物理的にこれ以下は無理だろうし、流石に即決、ってことは無いと思うが……」
「いや、するだろ。即決」
と、アマタは答える。なぜなら、彼女は、決断を下すべき長を知っている。
「……なら、二時間だ。二時間で解決して、脱出する必要がある」
その彼女が言うならば、とドウミョウジは想定を早める。
「脱出の方法は?」
「Z-AMSの装甲を捨てて、推進系を全力で吹かせば、月の軌道の端に引っ掛かるくらいは出来る。通信はつながらなくても、救難ビーコンを焚けば拾われない、ってことはない……と思う。だから、逃げるだけなら、地上に出ればいい」
「決まりだ。なら、リミットギリギリまで粘れる」
「やっぱこうなんのか……」
「……まぁ、情に絆されたよしみで付き合ってくれや」
「それで行先は……誰が絆されたって……?」
などと軽口を叩きながら、ドウミョウジは考える。
敢えて口にはしなかったが、月都市にはまだ、住人が居る。『どんな姿』になっているかまではわからないが。それを見捨てる、というのは決して気分のいいものではない。
事態を打開する鍵は変わらず、『ブッシャリオンの動き』だ。
今、月を覆っている異種ブッシャリオン以外に……この星には、三百年分の徳エネルギーの営みが刻まれている。それを逆に辿れば、中枢部分の位置くらいは分かる。と、思うのだが。
「反応が何か所かあるんだよなぁ……」
現在、観測機器は月表面を覆う異変、一種の結界によって覆いつくされ、使用不能に近い状態にある。頼りになるのは過去の観測ログのみ。
わかるのは、『徳エネルギー、ブッシャリオンの集中している地点』か否かだけ。
「生きた住民、徳遺物、それに『マナ・プロセッサ』……他には」
そこから、その『意味』を読み解かなければならない。
「なんかパズルみたいだな……」
「……何か所かある『異変』の出本と重なるのは、多分、演算器(プロセッサ)だ。これはひとまず除外していい……次に、周りにインフラが通ってない、量の変動がないのは徳遺物の保管所か……?」
『住民』を生かし続けるには、資源が要る。徳エネルギーだけではなく、水や空気、通信インフラ。そういったものが。
……そして。徳エネルギージェネレータを使っているなら、恐らく同時に、周囲に徳エネルギーを『供給』もしている。入り口と出口、両方を兼ね備えた場所。
「……二か所、か」
候補は、大まかに二つ。
幸いと言うべきか、それとも月の発展を鑑みれば必然と言うべきか、どちらも加速器沿い。此処から近い。
「移動時間を考慮すれば、ギリギリか……」
「なら、早く行こうぜ。地上に出てヤバそうだったら、すぐ逃げるけどな」
「……ああ」
そもそも、まだ地上に危険がないと判明したわけではない。月面は今、未知のブッシャリオンに覆われている。覆われていることがわかっても、それが何のためなのか、何を引き起こすのかは謎のままだ。
「まったく、なんでこんな手間がかかることを……」
アマタもそう零すが、無理もない。
「……効果範囲を広げることには意味がある筈だ。欺瞞か、それとも……」
ドウミョウジはぶつぶつと呟きながら、しぶしぶ逃げ支度を始める。相手の意図すらいまだ掴めないというのに、残された時間は余りに短い。
手に取るのは、父親の遺した論文。今は逃げねば、いつか、これを読み解く機会も失ってしまう。
この場所はこれから、地獄に変わるのだから。
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影は月を覆い、そして閉じた。これより月は、異界となる。
徳力場によって地上を覆い、異界に変えんとした弥勒計画と同じく。境目なく閉じた世界の内側は、ひとつながりの『門』と化す。
それは、やはり異界を地上へ降ろす門だ。
だが、この門の行先は、浄土ではない。
『地獄である』
奇跡の源である大雁08はそう唱える。
その表現が適切かは分からない。そもそも、誰も行ったこと、開けたことのないものに、名前など付いている筈だがない。ただ、彼の『教義』によれば、それはそう呼ぶべきなのだと推測された。それだけのことだ。
地獄なるものに纏わる思想は世界各地に散らばるが、死人に刑罰を課す、鞭打つ場所として描かれるものを地獄と総称することが多い。それは即ち、人にとっての地獄というものは、死後の世界を仮定した上に成立しているものであると言えよう。
故に、少なくとも。死を測定しなければ、地獄は生まれない。
ならば人と異なる生死を持つ機械。とりわけ、星全体に「根を張った」機械知性にとっての死とは、如何なるものであるのか。
機械知性の『心理』を究明する試みは旧時代に数多行われたが、その生死観を説明可能な程に成熟したものは稀であったし、機械知性は規模によって、そもそもの『在り方』が違う。機械にとっての地獄が如何なるものか、確定的な答えは得られていなかった。
その『答え』は、而して今、現実として
ブッシャリオンは行動と思索の蓄積によって左右される粒子。否、その性質はもはや情報生命体と言っても良いのかもしれない。ともかく、餌として巨大な機械知性のログを吸い上げ、変質したブッシャリオンは。その持ち主の思念を具現する。
故に、『答え』は、虚無だった。それを「行き止まりの世界」とヤーマは評した。
情報を代謝する生命にとっての死は、即ち消失だ。そして、消失という死によって単純に地獄を定義したならば。即ち、それにとっての地獄とは。無限に落ち窪み続ける、どこかへと続く/どこにも続かない『穴』に他ならない。
仮に外からエネルギーを与え続けても。『消失』によってそのカタチを定義された虚無の底へは届かない。故に、月を覆う影は。『大雁08』にとって。そのあるじを。『ムーンチャイルド』を護るための、絶対の盾ともなる。
余りにも儚いその存在を、護るには。その守りが必要だったのだ。
そう。『ムーンチャイルド』は幽霊だ。
この星に……月そのものに巣食う幽霊だ。
だが、だとしても。
星そのものを容易く壊し、作り替える『人』の前では。
儚く揺らめく、陽炎にしか過ぎない。
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