第248話「過去」
徳カリプスとは。本来、逃れようのない現象である筈なのだ。
その「始点」は兎も角。ひとたび解脱を遂げた人間が生まれれば、その事実は物理的、或いは因果的に結びついた人間の功徳を高め、連鎖的に解脱レベルの徳が、奇妙な言い方ではあるが『感染』するように世界中へ広がっていく。
悟りは世界を覆い、高速で共有され、であるからこそ、それは世界人口の七割以上を彼岸の彼方へと連れ去った。だが無論、例外はある。地下無人施設のような、物理的に遮蔽された空間に居た者。そもそも人と出会うことを避ける者。身寄りの無い者。或いは、都市圏より遠く離れた海中・僻地・極地に居た者。
そうした者達は、『連鎖』に巻き込まれず済んだ。
クーカイもまた、そうした一人だった。その時何が起きたのか、今の彼ならばある程度は知っている。だが、
「……ガンジー」
クーカイは、雪原の只中で。採掘屋達に担がれながら、うわ言のように漏らす。
彼等は、お互いの過去にあまり踏み入らなかった。それは、クーカイの出自を秘すためでもあった。だが昔、一度。一度だけ、ふとした拍子にガンジーが『その時』のことを口にしたことがあった。
彼は……目の前で家族を失ったと。確か、そう言っていた。両親と、小さな妹が居た、とも。
「ガンジー……」
その一言だけで、十分だった。
「お前はあの時、一体何処に居た?」
もしも、それが記憶の錯誤によるものでは無いならば。ガンジーは、『目の前で徳カリプスに巻き込まれながら、生き延びた』と。そういうことになる。
彼は。世界を焼く徳エネルギーの奔流に飲まれて尚、この世にしがみついていることになる。
そんなことが有り得るものか、と思っていた。今なら、「有り得るかもしれない」と少しは思える。何故なら、ガンジーだからだ。
「だが、それは……」
もしそれが『有り得る』とするならば。それはもはや、徳が低いという次元の話ではないのかもしれない。彼自身に、『徳エネルギーによる解脱』を退ける何かがあるとしか思えない。
それはもはや、
「『在り方』が違うということになる」
そういう、話になる。
だが、ガンジー自身は、唯の人間の筈だ。少なくとも、モデル・クーカイや、同時代の『作られた人間』のような存在では無い筈だ。傍から見ていても、彼はただの若者だった。
それでも、『そう』であるのだとしたら。
彼は。いや、彼だけではない。あの徳カリプスを生き延びた『彼等』は一体、何者なのか。その時に人類に何が起きたのか。
そして……クーカイは、空を見上げる。其処には、樹のような召喚陣が描かれている。
この空の上で繰り広げられている光景は。果たして、彼が目にしなかった、あの日の出来事と同じものであるのかそうではないのか。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
「その存在を、嘗ての僕等は『解脱耐性者』と仮定した」
メトロノームが鳴っている。誰かの声が聴こえる。
「一言で言えば、人間誰もが持つ向き不向きのようなものだ。昔の仏教でも、『誰もが悟りを開けるのかどうか』というのは確かに大きなテーマの一つだったわけだけれど……」
耳障りな声だ。あの時聴こえたのと同じ声。だが、やはり聞こえるのは微かな音だけだ。誰が、何処に居るのかも分からない暗闇の中だ。
15年前の『あの日』。そして、3機のタイプ・ブッダに襲われた時。これで多分、四度目だ。
「実例が、この『深度』まで来るのは流石に初めてのことだ……とはいえ、今日は珍しく、此方も色々と立て込んでいてね」
「……うるせぇ」
ガンジーは、返事をする。相手に聞こえているかどうか、知ったことではない。きっと、聞こえてはいまい。ただ、気に障っただけだ。
「こっちだって立て込んでんだよ!テメェ!」
ガンジーは叫ぶ。今は一刻を争うというのに。だが、声は意に介していない。
「そして、『僕』の声が届くことも。解脱耐性者はこの世界に数あれど、かなり稀な事例だ。……だから、君にだけは、可能性がある」
その声は、今までの囁きと違った。ガンジーにも、実体のあるものとして聞こえてきた。
「オメェは、誰だ」
だから、ガンジーは一旦喚くのを止めて、声の主にそう尋ねた。今ならば、その問ならば通じるのではないかと。なんとなくそう思えた。
「しがない元人間さ」
果たして。返事はあった。先程までの彼方へ呼び掛けるような囁きではなく。自らを嘲笑するような声だった。
「果てを夢見て徳の宙に届かず、中途半端なところで番人をしているだけの『
声が一瞬、途切れた。無音が空間を支配した。
「徳カリプスの、名付けの親だよ」
ガンジーは、その言葉に目を見開いた。目を開けることなど、その瞬間まで忘れていたかのようだった。見開いた
「テメェ……!」
自分に何が起きたのか、ガンジーは思い出した。崖際で滑落し……そして、その後。彼は、徳の輝きに呑まれた筈だ。
『『君達』は、世界を変えるための可能性だ』
声の残滓が、耳に届く。自分が何者なのか。それを他人に決められるのは、我慢ならない。だが、
『こんな世界を変えられると知ったら、君はどうする?』
嘗て届いた、その言葉は。彼の在り方に呼びかけた囁きは。今や、その意味を変じていた。
彼が意識を取り戻した時。其処は雨に濡れた雪と泥濘の中だった。
「……どういうことだ、畜生」
また、自分は『生きている』。じくじくと痛む足が、此処が現し世であると訴えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます