第217話「天網」

 しばしば、勘違いされることであるが。『機械の最盛期』と『人類の最盛期』は、必ずしも一致しない。

 『クレイドル』は飽く迄、人類最盛期とはいえ旧時代の建造物だ。機械達にとっては、維持する理由は限られる。クレイドル地下の演算機群は、既に拠点に於ける主要機能を果たしてはいない。

 この拠点の『頭脳』も、そして動力源も。主たるものは既に別の場所へと移されている。施設そのものが人類総解脱のために作り替えられているのだ。

 だが、ガンジー達にそれを知る術はまだない。

「よし!やっちまえ!」

 ガンジーは、肆捌空海を励ます。この演算システムにとどめを刺せば、この拠点は終わると。

 彼等は、少なくともガンジーはそう信じて進んできたのだから。その『前提』を覆すことは難しい。

「……金剛針!」

 徳エネルギーが形を為し、扉の前でバチバチと弾ける。

「深さが足りねぇ!」

 だが、扉の奥へは届かない。僅かに蝶番の近くを抉っただけだ。演算器ヘ通じる遮断扉は、狭く、分厚い。宛ら天国の門の如く。

「下がってろ!今、発破でぶっ飛ばしてやる!」

 ガンジーは爆薬の余りを取り出して叫ぶ。扉の厚さは知れぬが、得度兵器の外装を吹き飛ばす指向性爆薬ならば、破れよう。

「ああ……!」

 だが、そこで肆捌空海は腕を押さえて後退った。何か、違和感がある。

 彼の身体の内から、力が逃げていく。

「これは、真逆……不徳だというのか!」

 彼の異能(ちから)の源たる、徳が。明らかに目減りしていく。

 モデル・クーカイ達の奇跡は、己の功徳を力と為すものだ。だから、功徳そのものは観測出来ずとも、その増減は朧気ながらに感じ取れる。

 徳とは、抑善行に因って積み重ねられるものだ。だからこそ、彼等の奇跡は。悪行に用いれば己の身を物理的に焼き尽くす炎ともなる。

 ……しかし、それが善か悪かなど、人の身で判ずることが出来よう筈がない。加えて、モデル・クーカイは製造段階に於いて強固な倫理規範が植え付けられている。故に、これ程の消耗は、滅多にあることではない。

(肉体がまだ本調子ではなかったか?)

 別の要因を考えながらも。あたかも大仏殿を焼かんとしているかの如き徳の働きが、激しい痛みの戒めとなって肆捌空海を襲う。

「……少し、待って欲しい」

「時間が無ぇんだぞ!」

 目の前の男は、空海の行いを是としている。ならばこれは、『何にとっての不徳であるのか』。

 徳の真実に、考えが至らんとした時。施設内の通信機が鳴り響いた。

「なんだ、こりゃ!」

「通信だ。代わりに出てくれ。操作は……」

「こちらガンジー!一体何だ!」

 通信パネルを乱暴に叩き、応答するガンジー。

『誰だねあんたは!』

「あぁ?俺は……」

「……祖父殿か」

 通信の声は、あの少年の祖父であった。彼等が此処に居ることは、施設の管制室から知れる。だが、一体何用なのか。

『一体そこで何をしておる!』

「『外』から、この拠点を攻めてきた者と合流した。得度兵器の動きを麻痺させる必要がある故、取り決め通りにこの演算器を破壊して……」

『それは中止だ』

 通信に、雑音塗れだが、よく知った声が割り込んで来る。

「げっ……!なんで通信が届いてんだ!」

『無事で何よりだ。この通信については、少しばかり『裏技』を使った』

 その口調を、ガンジーは少しだけ優しげに感じた。

「裏技って……そっちは無事なのかよ!」

 だが、ガンジーは声を荒らげる。

『不味いから、こうして無理を通している。一度しか言わない。拠点の『本体』は別の場所にある。その程度の演算装置を破壊しても、被害は大して与えられないだろう。その場所は……』

 ノイズが一層大きく混じる。

「成る程、やはり場所を間違えていたのか」

 肆捌空海は、どこか納得が行ったかのように呟いた。

 例えば。危うく、この拠点を攻める人々を皆殺しにするところだったというのなら。先程の徳の『目減り』も、説明がつくのかもしれない。

「さっさと行くぞ!」

 ごく短い、粗い音質の通信で分かったのは、ガンジー達の街の本隊が、恐らくは得度兵器の残りによって危機に陥っていること。そして、この拠点の本当の中枢の場所。

 猶予は少ない。

『地下通路は儂らがナビをする』

「頼みます」

「……でも、『裏技』って、何なんだ」

 彼女から、そんな話は聞かされていない。ガンジーは小さく呟いた。


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 彼女が使った『裏技』は、至極単純なものだった。

 以前、ガンジー達が空港廃墟から回収した記録媒体。その一部からサルベージした、旧軌道管理局の保有する人工衛星網の仕様書と軌道諸元。

 その中から慎重に選び抜いた、徳カリプスを経て尚残存する極天の衛星網。

 彼女は、その本来の持ち主に連なるものだ。だから、『権限』は持っていた。ただ、方法がわからなかっただけだった。

 だから万一の備えとして、歯抜けの静止衛星を使い『クレイドル』への対地走査と通信を可能としたのだ。

 『クレイドル』は元々人類の拠点だ。通信設備が残されているかは賭けの部分もあったが。やけに厳重なプロテクトが施されていた程度で、こじ開けることは不可能ではなかった。内側に『人間』が居たことも、意外ではあったが幸運だった。

「……こういうことなら、最初から使うべきだった」

 但し、大きな問題が一つある。衛星網の所有者は、別に居る。使えば、彼女の居場所が知れる。

 そして、この時代、衛星網を欲する勢力は彼女らだけではあるまい。だから、ギリギリまで使用を避けていた。

 それが更なる災厄を呼び込むであろうことを。彼女は、知っていた。

 だが、を呼び込むことまでは、当然のことながら知らなかったのだ。


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ブッシャリオンTips 虚天実網

 地球大気高空を基点に散布された自律微小機械により構成された量子通信網は、徳カリプス以前のネットワークの海の要であった。しかし徳カリプスによって通信インフラの大部分が壊滅し、僅かな残存領域も人類からはアクセス不能になっている(機械知性による利用状況は定かではない)。

 このネットワークに依存していた機械知性もまた、本来より大きく機能を殺がれている。得度兵器も完全な状態からは程遠いのである。

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