第195話「冬への扉」

 タイプ・ギョウキの内からは、徳エネルギーが溢れ続けている。それはやがて、地の雪と混じり。黒い蓮の花を押し流しながら、泥のようなものへと変じていく。同時に、クーカイ達の徳エネルギー感知能が不快なノイズによって塗り潰されていく。

 世界が、見えなくなっていく。

「なんなのだ!あれは!」

 肆壱空海は、眼鏡をかけ直し。参壱空海に掴み掛かるように問うた。

「あれは、流れだ」

 そう参壱空海は答えた。

 人でない生命いのちが。生命いのちでないものが。人では有り得ぬ規模の徳エネルギーを垂れ流している。

 それは最早、この星に訪れた、止めぬことの出来ぬ流れのようなものであると。

 あれ程の功徳を、人間がその寿命の内に積むことが出来るのか。そもそも、あれ程の徳を持ちながら、何故解脱していないのか。

 そのような疑念を抱こうとも。ただ厳然として、タイプ・ギョウキと。そのにある、得度兵器とは異なる意識ものは存在した。

『ありがとう』

 と、タイプ・ギョウキが音を立てた。徳の泥濘は端から干上がり、砂に解けて吹雪の中に舞い上がる。

『これで、僕の計画に必要なものが。また一つ埋まるだろう』

 その口調は。少年のようなものだ。

「話をしようと思ってはいけない」

 と、参壱空海は言った。ヤーマあれが、桁外れの規模の情報であることは、彼の徳エネルギー視界からは明らかだった。尤も、それすらも。あれの顕現と同時に焼き付いて、今は使い物にならなくなっているのだが。

「通じぬ、ということか?」

 参壱空海は、否と首を横に振る。

 あの規模の生命体にとって、音声言語の持つ情報量など誤算の範囲だ。目の前の人間の脳を底まで攫って尚、腹の足し程度にしか感じぬもの相手に、『対話』が成立などと考えることは余りにも烏滸がましい。

「そもそも、身体が……器が違うんだ」

 参壱空海はそう言った。あの情報規模では、並の得度兵器の思考中枢ならば。そもそも、顕現自体が不可能である筈だ。今の存在とて、恐らくは伸ばした手の一つ。海の上に突き出た氷山のようなもの。『本体』の大きさがどれ程であるのかは想像も及ばない。徳エネルギーを操る空海達であろうと、その前では蟻の一匹に等しい。

 それ程までに、今の『ヤーマ』は膨れ上がっていた。

「だが……『体』を壊せば、同じことだろう」

 肆壱空海は、それでもそう口にする。

 敵が。そう……『敵』が、どれ程強大であるかは彼にも分かっているというのに。実際、『中身』がどうであれ、タイプ・ギョウキそのものは既に2人の連携攻撃によって満身創痍の筈だ。

 あれを破壊し、中枢の仏舎利を奪い取れば、目的は果たせる。

「それに……」

「でも、もうだめだ。僕の目も、役に立たない」

 参壱空海は、言葉を遮った。彼にとって、徳エネルギー視界が使えなくなるのは、突然視力を喪うも同然であった。

「ならば、どうする」

「……どうって」

 今の参壱空海には、天上を覗くことは叶わない。ただ、心細い。しかし、多くの者が其処に生きる、徳無き世界が見えるのみだ。

「感じぬか。徳エネルギーの吸収速度が遅くなっている」

 徳エネルギー感覚の個体差であるのか。はたまた、参壱空海に比べて『鈍感』であるが故なのか。まだ、肆壱空海はまだ薄ぼんやりとではあるが、徳エネルギーの流れが見えていた。そして、己の身体に。僅かながら、徳エネルギーが戻り始めているのを感じていた。

 恐らく、と彼は推論を組み立てる。

 あの得度兵器が放出する徳エネルギーは、未だ弐陸空海の吸収を受けて干上がり続けている。一方、2人への吸収は和らいでいる。

 つまり、あれを吸収した結果。弐陸空海は、言わば食あたりのような状態を起こしているのではないか、と考えた。

 それは、僅かな奇貨だった。二者の均衡状態が生み出した小さな隙だった。

「……俺が、得度兵器の注意を引きながら、手を考える。お前はその間に、参伍空海空海を探せ!」

「う、うん……!」

 肆壱空海はそう叫んだ。もう彼には、戦う余力は残されていない。だから、囮になるのは彼だ。

 参壱空海には、徳エネルギー視界が無くとも強力な奇跡がある。参伍空海、そして参参空海と合わせれば、一打を与える術はあろう。

「頼んだぞ!」

 呆然と立つ参壱空海に念を押すように彼は告げる。己は生きては帰れぬだろうが、望みを繋ぐことはできる。

 雪の彼方。タイプ・ギョウキの周囲に流れ出した泥は、壁のような、堤のような構造を形作り始める。亡き肆捌空海の模倣。

 いや、だ。徳エネルギーが周囲の物質を巻き込み、物質化している。泥はタイプ・ギョウキの機体に纏わり付き、その輝きを汚していく。

「……あれは」

 泥が機体の半ばを覆ったところで。漆黒の姿が何を象っているのか、肆壱空海には分かった。


 漆黒の、大仏だった。

 徳の雪の雪原の只中に、漆黒の大仏が建立されていた。

 得度兵器が初めに得、そして捨て去らんとする筈の姿。それを尻目に見ながら、肆壱空海は駆けた。

「……あれは、人だった」

 彼には、徳エネルギー研究者や機械知性の専門家達のような知見も、参壱空海のような『目』もない。だが少なくとも、得度兵器の変貌前に聞こえた声は、『人』のものだと。そう感じた。

 感情に溢れ、志を抱き……そして、その『過程』のためにあらゆる物を糧とし、踏みにじる。それが、人の姿だと。歴史を知る者は言うだろう。

 人は、悟りを以って、その凶暴なる性に打ち克ったのだと。徳を知る者は言うだろう。

 そして、その『先』を見る空海は。一つの結論に辿り着く。

「機械が悟りを開こうとしているのか……?」

 形を模倣し。在り方を模倣し。それでも、得度兵器は仏とは違うものだった。

 それは、とどの詰まりは結論に至るまでの過程の問題だ。そして人は、過程を重んじる生き物である。

 『何もかもを捨て去った』のではなく、『最初から何もない』ものを。『同じもの』だとは認められぬのだ。

 だが、もしも。得度兵器が、何かを得てしまったならば。『同じ過程』を辿るためのスタート地点に……


 ゴンッ!

「何だ!」

 強烈な衝撃が肆壱空海の額を襲った。痛みと共に思考が途絶えた。徳エネルギー感知と思考に注力した結果、注意が留守になっていた。

 彼は額を押さえながら雪に尻もちをつく。眼前には、同じ格好で転がっている、彼よりもやや年嵩の坊主頭が一人。彼は、その顔をよく知っていた。

「参参空海か!何故出てきた!」

 奥羽岩窟寺院都市の底で、瞑想を続けている筈の参参空海であった。

「そちらが通信を放り出すからだろう!徳エネルギー視界も潰れ、都市の中では埒が開かぬと出てきてみれば……」

 恐らくは、これもヤーマの影響だろう。だが、それよりも問題は、都市から出てきた参参空海と鉢合わせてしまったことだ。

「方角が間違っていたのか……!」

 吹雪の中では正しい方向など碌に分からぬ。まして、ここは山地だ。道を誤ることもあろう。

「一体何が起きている?この『視界』の『霧』は何だ?」

「それは後だ。参伍空海の居場所は分かるか?」

「だから見えぬと言っただろう……」

「見えなくなる直前の位置で構わん!」

 肆壱空海は袖から地図を破る勢いで引き摺り出す。

 どうせ、参伍空海が動き回ることなど無いのだ。

「教えろ!」

「得度兵器の反応と重なった後、見えなくなったが……その後、この辺りで一瞬」

「この尾根の下か……」

 最初に交戦した戦闘用得度兵器が擱座している場所の近くだ。

「私も同行しよう。今の状況を教えて欲しい。何が起こっているのかさっぱりだ!」

「……弐陸空海の暴走に呼応するように、得度兵器が変質した。得度兵器は、徳エネルギーのようなものを撒き散らしている。参壱空海の視界も使えなくなった」

「対処の順序はどうする積もりだ?」

「あの得度兵器は、間違いなく仏舎利搭載型だ。撃破後、中から仏舎利を回収。それを使って力を増幅し、弐陸空海を『呼び戻す』。そのためにまずは、全員を呼び集める」

「……そういうことなら、力になれそうだな」

 話を聞き終えると、参参空海はそう言った。

 彼は心中で感謝していた。ただ見えるだけの力でも。今はそれすら叶わぬ目でも。救うことは、できるのだと。

 何故ならば、彼の力はレーダーだ。つまりは、徳エネルギーの『受信』だけでなく……『送信』が、出来るのだから。

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