第一七〇話『ブッダ・アンド・ブレイド』Side:ヤオ

 人の世界を揺るがす異変から遠い場所で、少女は『異国』に降り立っていた。

無人輸送船から係留索を伝って彼女が乗り移った先は、巨大タンカーを改造した動力船だった。あちらこちらに徳ジェネレータが並び立ち、その中で座禅を組む人間達が居る。多くは、頭を丸めた僧侶達だ。

 ともすれば、人が電池のように扱われる不気味な光景の中を。ヤオは男物の着物を羽織り、刀を引き摺りながら歩いて行く。周囲にはマニタービンや様々な装置が放つ機械音と、徳ジェネレータの中から響く低い読経の声が木霊する。

 此処は、瀬戸内に居を構える『船団』の心臓部でもある。シャカニョライのフィールド影響から逃れるため、『船団』は既に徳島から遠く離れた場所へと移動していた。

「……何処に行けばいい」

 少女は広い船の中を宛もなく彷徨う。壁には「今月の目標出力」「徳ノルマ」のような数字や、「高い徳は善い行いから」等の標語が書かれた掲示物が貼られている。

 それらの漢字表記は、この船に乗り組む人々が、高い教養レベルを保っていることを伺わせる。その半分も、少女は読むことは出来ないのだが。

 『エレクトロニック写経板 返却はこちら』と書かれた一画に、少女の目が留まる。そこには板状の端末が山と積まれている。

 そう言えば『マロ』も、もう少し小さいが似たような物をいつも持ち歩いていた。彼女は一枚を引き抜き、撫で回す。立体印刷技術で作り出された端末の表面には、継ぎ目も凹凸も皆無である。

 それを珍しげに触り倒しているうちに、ふとした拍子で電子写経板が起動した。画面上に経文が現れる。滑らかな合成音声が自動的に読経を開始する。

 ヤオは暫し、その光景を興味深げに眺めていた。だから彼女は、その背後から近付く足音に気付くのが遅れてしまった。

「何か、お困りですか」

「わっ!わっわっ!」

 ヤオは背後からの声に驚き、手を滑らす。取り落とした写経板が乾いた音を立てながら床を跳ね、地面に転がった。それを、声の主は丁寧に拾い上げ、塵を払い落とし、彼女に渡して。

「いけませんよ、物を粗末に扱っては」

 そう諭した。年の頃は三十程か。頭を剃り上げ、袈裟を身に纏った女性。尼である。

 物腰は柔らかいが、通った目鼻立ちに、引き締まった口元が凛とした意志の強さを伺わせる。その目は、まるで閉じられたままであるかのように細い。

 ヤオは思わず刀を抱き締める。

「何かお困りかしら?」

 少女の異様な風体は、一目で他所者と感づかせるに十分だろう。だが、女性は何も問わなかった。

「私は……ちょっと、人を探してて」

「迷子なの?」

「ええ、まぁ……はい、その」

 何処か噛み合わない会話に、ヤオは戸惑いがちに答える。普通なら真っ先に出るであろう、彼女の姿や出自に関する質問がない。そして、会話の際に気付いたことだが、尼の彼女は視線が読めない。閉じられているかのように細いこともあるが、それでも何処か、明後日の方向を見ている気がする。

「もしかして、目が」

 目の前の女性は目が見えないのではないかと。そう彼女は考え。そして、それを口にして良いものか少し悩んだ。

「ああ、昔から見え辛くて……でも、これである程度わかるし、不便はしてないから大丈夫」

 だが、そう明るく答え、尼の女性は耳の辺りを指差す。耳孔に小さなデバイスが嵌っている。音響による拡張感覚装置なのだと、彼女は説明した。

 徳カリプス以前なら、とうに時代遅れの技術だ。だが、ヤオの暮らすような小さな街では、そんなものさえ既に作れない。

 いや、『マロ』ならば何とか出来たのだろうが。彼はもう居ない。

「そんなことより、貴方は誰を探しているのかしら?私はもう交代だから、良ければ……」

 女性の声に底意が無いことが、集落の不和に巻き込まれていたヤオには敏感に感じ取れた。

「……顔が白くて、語尾に『おじゃる~』ってつけてる人です」

 だから、その優しさが彼女を惨めにさせた。それでも、今逃げれば却って不審がられるだろう。

「そんな面白い人なら、すぐに分かりそうだけれど……もしかしたら、『本船』の人かしら」

 少し頭を悩ませてから、尼僧の女性は漏らした。船団の中で、貴重な徳エネルギー源となれる彼女達は、高い社会的地位と船団の殆どの場所に立ち入れるアクセス権を持っているのだ。

 だが、そんな彼女達でも立ち入れないのが、船団の中核たる『本船』。即ち、古の巨大企業の本社である巨大全翼機『エリュシオン』だ。そこに立ち入れる人間はもとより、その真の名を知る人間も、船団の中では数少ない。

 己が見たことの……いや、人間ならば、その関係者であろうと。彼女は当たりを付けたのだ。

「そこに行くには、どうすれば」

「……そうね、ちょっと難しいかもしれないけど知り合いに頼めば」

 その時。間抜けな腹の音が会話を乱した。ヤオの腹の虫だった。

「続きは、ご飯を食べてからにしましょうか」

「は、はい……」

 尼僧は笑い、ヤオは恥ずかしそうに返事をし、二人は連れ立って動力船から他の船へ繋がる連絡橋へと向かう。

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったけど」

「ヤオです」

「私は、マサコ。そこの先に、この前見つけた美味しいメニューがあるのよ」

「あ、あの……服って、近くのどこかで手に入りませんか」

 ヤオは慌てて、そう告げる。流石に、彼女以外にこの格好を見られては怪しまれる。

「さっき、海に落ちて濡れちゃって……それで迷って……」

 だから、つき慣れない嘘を、彼女はついた。

「大変!じゃあそっちが先ね」

 だが、彼女への嘘は。自分をいっそう惨めにした。


△△△△△△△△△△△△

ブッシャリオンTips エレクトロニック写経板

 写経専用のタブレット型端末。徳ジェネレータ内部に持ち込んでも影響が生じない特注品。通信機能もオミットされているため、ほんとうに写経しかできない専用端末である。立体印刷によって形成されているため、継ぎ目がなく滑らかで高級感あふれる黒壇のような質感を持つ。

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