第158話「茶売り」
街角には、小さな人集りが出来ていた。
「古来万古の昔から、天下に大尽多かれど、何れもまた茶器を集めること能くする。されど器は、色形は映ゆれど中身無くては用もまた無し」
その中心では、空の茶碗を片手に見慣れぬ装束の男が声を張り上げている。
「そこで、この茶葉が役に立つ」
男は懐から取り出した茶袋をぐるりとかざし、投げ上げる。見物人の視線が集まる中で、高く投げ上げられた袋は二つに割れ、中身が碗の中へ降り注ぐ。見物人から拍手が沸き起こる。
もしも武術に長じた者が見れば、男の手刀が袋を割く様を見て取ることが出来ただろうが。採掘屋の街の場末には、そのような者は居ない。
唐装の男は茶碗に蓋をし、それを掲げる。湯気と共に、茶葉の良い香りが辺りに漂い始める。それがまた、更に人を呼ぶ。
「……あれ、湯はどっから出た?」
群衆の中の誰かが気付き、声に出した。茶碗は最初、空だった筈。種を明かせばそれは、ごく単純なトリックだ。投げ上げた袋に視線を集中させ、その間に湯を注いだに過ぎない。
無垢な観客の反応を聞いた男はにんまりと愛想よく笑い、
「お味は如何に?」
椀を客の一人に差し出す。その一人……年頃の女性は、吃驚した様子で思わず周りの人間の顔を見る。
「ささ、どうぞ」
彼女は狐につままれたような顔をしながら、茶碗を受け取る。温かい。蓋を取ると、濃密な芳香が鼻へ至り、脳髄を刺激する。
「……美味しい」
飲み干し、顔を綻ばす女性。
男は、密かにじっとその様子を観察していた。
「さあ、この魔法の茶葉に幾ら出す!」
空になった茶碗を受け取り、男は再び声を張り上げる。袖の下から、茶の袋が幾つも現れる。
「1000!」「1200だ!」
値段を叫ぶ声。
「ふむ……そう見るか。では此度に限り、なんと800で」
「ちょっと待った!そこで何してる!」
だが、そこに人集りの奥から割って入る者。汚れた作業着を纏った男達。彼等は、採掘屋だ。そして街の中では自警団としても機能している。
「ああ申し訳ない。今日の酒代を稼げば直ぐに終わろう」
茶売りの男は直ぐ様彼等に向き直り、笑みを浮かべる。
「……終わったら念の為、話を聞かせて貰う」
「それは無論」
採掘屋達もまた、異様な人集りに様子を見に来ただけだ。男が何者かなど、知る由もない。だから茶売りの男笑みに警戒を突き崩され、手業で懐へ滑り込まされた売り物ですぐに押し黙った。
「水が入ったところで、大まけにまけて、700だ!」
茶売りを囲む人々が、銭を手に殺到する。男はそれを滑らかに捌く。ほんの十分程の間に、在庫は尽きた。
「残念ながら、もう売る物が無い。次は、もっと多く持って来るとしよう」
わざとらしく袖を振る男。
「次っていつだ!」「待ってるぞ!」
沢山の声に手を振り返しながら、男は小銭の入った袋をジャラジャラ言わせ、先程の採掘屋達の後へ付いて行く。
「あんた、芸人かい?」
「いや、商人だ」
「そうか。みんな、娯楽に飢えてるんだよ。この前の祭りも台無しになっちまったからな」
「成程、成程。こんな世の中では、致し方ないものだ……」
「キャラバンのリストには居なかったと思うが、どうやってこの街に来た?」
「無論、歩いて」
「歩いて!?」
「いやいや、途中で得度兵器の襲撃に遭って、後は歩き通し。以前に運良くこの街の採掘屋に出会ったので、場所を聞いていたのが役立った次第」
後半については、嘘は言っていない。嘘とは、真実の中に僅かに混ぜるものだ。
「大変なんだなぁ……」
「出来ることなら、その採掘屋に礼を言いたかった」
「どんな奴らだ?」
「二人組で、片方は大柄。もう片方は目端の効きそうな男。共に年若い……」
「ああ、そりゃ、ガンジーさんとクーカイさんだな」
「ほう」
「二人共、留守だよ。今は北の街に行ってる」
「それは残念」
「今なら定期便が出てるから、それに乗せて貰えば……」
「いや」
男は、言葉を遮った。
「商売種が品切れだ。出直すとしよう」
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男は、市の閉まった街角を歩いていた。収穫は、既に十二分だ。欲をかけば仕損じるとはいえ……じっと待つのは、中々性に合わない。
古来より間諜や密偵は物売りに扮することが多くあった。それは単に出入りに不自由しないだけでなく、物を売ることで得られる情報が幾らでもあるからだ。
市を出歩く人の数。生活水準。物の相場。その充足状況。人々が何を望んでいるか。何に不満を持っているか。
嘗てのトリニティ・ユニオンならば、座して待つだけで手に入った情報だ。だが、徳カリプスの惨禍によって彼等は今、言わば首と胴体が分かたれた状況にある。
「手足が足りぬというのも難儀なものだ」
辻の茶売り……否、『第二位』は小さく呟く。本来の目的は成らなかったが、代わりは成った。そして肝心の手土産は、つけの払いのついでにあの酒場の主人に託した。
「だが、しかし。此処には、予想外に活気がある」
生活水準も、娯楽の類こそ乏しいが、予測された水準より多少上回っている。
望みを失った人間は余りに脆い。だが、この街の人間にはそれがある。『誰か』。或いは『何か』が、それを供している。
「美齡か。それとも」
他の誰か。思い浮かぶは、あの2人。
「否、真逆」
とうに日の暮れた道端で。10ほどの少女が店を広げている。余り上出来とは言えぬ手芸の品が、店代わりのシートの上に並んでいる。
「一つ、貰えるか」
『第二位』は腰を下ろし、それを手に取った。天上の主にも、土産が必要だろう。
まだ幼い少女の顔が、ぱっと明るくなる。それは少しだけ、出会った頃の彼の妹を思い出させた。
手に取ったのは、小さな腕輪。女の腕には丁度いい大きさだろう。
「……誰かにあげるの?」
「ああ、そうだ」
少しだけ多めに金を積みながら、彼は愛想なくそう応える。
「大事にしてね」
「それは、贈られた者の心持ち次第というものだ」
少女は一瞬、虚を突かれたような表情をしたが、直ぐに笑顔を取り戻した。人を『揺さぶる』のは、彼の悪い癖だ。
腕輪を受け取り、交換に売上を手にした少女が、明るい家の中へ駆け込んでいく様を見て。彼は、ゆっくりその場を後にした。
既に『エリュシオン』との合流時間が迫っている。
「そう、心持ち次第だ」
如何な贈物であろうと、商品であろうと。贈られた者、買った者がそれで何を為すか。如何に滅びるか。それは本来、商人の領分にない。望む物を売る。時に望みそのものを作り出すことがあろうとも。その
「……だが」
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