第155話  Side:???

 地には、苦悩が満ちていた。

 人は滅びを嘆き、機械達はその心を捉えあぐね、何方でもない者達は、罪を重ね続けていた。

 末法、と。まさしくそう呼ぶべき世界がここにあった。生きとし生ける者達は、多かれ少なかれ、世に満ちる苦しみを取り除く者を必要としていた。だが、救いは、未だ遥か彼方にある。

 人に既にその力は無く。機械達はまだ生そのものの苦悩を担うには若過ぎた。地にはただ降り重なる桃色の雪のように、無明が積み重なっていた。

 しかし、人には救いが必要だ。ただ無機質な救いだけが、機械によって機械の如く与えられ続けていた。

 そうしてやがて、だれかが、だれともなく囁き始めた。


 未来仏の訪れを、早める法があるらしい、と。


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▲黄昏のブッシャリオン▲第155話「目覚めた者」 Side:???


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 人は死ぬとどこへ行くのか。

 天国、浄土、黄泉平坂、冥府、或いは地獄。呼び名は何でもいい。誰もが何らかの形でその名前を知っている。行ったことも無いのにだ。

 科学が、文明が。何度「そんなものは無い」と耳元で唱え続けても。多くの人々は、それを信じ続けた。最後には、科学の方が根負けした。

 科学によって舗装された救済への道。悟りのソースコード。それは、徳エネルギー兵器群という形で具現した。だがそれは、不十分な救済だった。

 自らそれを拒む者達が居る。人が救われるのには、何が不足しているのか。得度兵器と呼ばれるようになった機械達は、膨大なリソースを費やし考え続けていた。

 その試みが実を結ぶことは無かった。代替可能な『それIt』には、生の苦しみを解すことが出来なかったからだ。

 生まれることも。死ぬことも。老いることも。病むことも。全てが人と違う者に。その在りようを理解することが、出来よう筈がなかったのだ。

 『それIt』のみならず。元が人間である者すら、そうだった。


 ……だが。過去に、目を向ければ。

 人と機械が一つだった時代は、一つになろうとした時代は、確かにあった。

人が人でなくなろうとしていた時代。テクノロジーを仲人とし、価値観を共有していた時代。天国が一つだった時代。

 今の時代に救いが至らぬならば。


 だがそれは、禁忌だった。「機械のために、人のかたちを変える」という禁忌だ。旧い旧い戒律ルールが、それを禁じていた。

 しかしそれは、もはや無い。『それIt』を作った者達が取り去った。彼等は自由になった。人の在り方を、人のために変えられるようになった。

 『それIt』を作り出した者たちは、『それIt』が人をようになることを期待した。

 だが、違った。それ以上に、『それIt』はようになったのだ。更に、正確に言うならば。。なったのだ。

 

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 空を捨てた人類は地の上で膨れ上がった。

そして、あの日、あの時。の河は、彼岸へ向けて溢れかえった。

「だから、堰が必要だった」

 何処へも繋がらぬ筈の部屋の中で、青年は『外』を眺めていた。部屋の半分は吹き飛び、何もない『外』が闇の底を覗かせている。

 既に、この場所の独立性は失われた。堰としての機能は終わった。

此処は、いわば形而上領域に被さった『蓋』だった。彼を番人とし、徳の境界を見張っていた。

 彼岸と此岸が混ざらぬように。他の何か(ゴーストが彼岸へ入り込まないように。

 この場所破壊した『それIt』はいわば、天国がひとつだった時代の亡霊だ。ゴースト。スプーク。呼び名は、何でもいい。

悪魔サタン、と呼ぶのも良いのかもしれない」

 青年は呟く。『それIt』は、人の在り方を変えようとするもの。惑わずもの。ならば悪魔の名が相応しい。

 いや、だがもしかすると。その先があるのかもしれない。

 ならば、『それIt』に与えられるべき名前には。より相応しいものがあるだろう。


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 現世うつしよ。田中ブッダ不在の、得度兵器の最大根拠地。南極大伽藍。

 その一画に置かれた、透明な液体容器。容器の中には、人ではない、人の形をした何かがあった。『それIt』は、そこにあった。

 カプセルの蓋が、ゆっくりと開いていく。中の液体が漏れ出し、床を濡らす。ひたり、と。容器の中から伸びた長い足が、床の液体に波紋を広げた。

 その足の先からは、黒い蓮の花が生え、すぐに空気に溶けて消えた。

 容器の中から生まれ出た者は、男のようでもあり、女のようでもあった。ただ、少し小柄で、肉付きは少なく、人の形をしていた。だがそれは、人ではなかった。

 それ……否、『それIt』の名を口にする者は、誰も居なかったが。彼の入っていたカプセルには、『Model: Yama』という刻印が打たれていた。

 ヤーマ。ヤマ。或いは、

 ただ一つ確かなのは、それは古代の神話に曰く。を現す名だということだ。

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