第98話「終局」
瀬戸内海と淡路島、そして徳島沿岸部にかけての巨大徳エネルギーフィールドは消失した。徳島を覆う赤い結晶からも光は失せ、フィールド内に充満した徳エネルギーは閉鎖空間から解き放たれ、周囲へと散っていく。
徳エネルギーそのものは、人体と環境に対し殆ど無害である。しかし、一定の臨界量を超えた徳エネルギーの奔流は、人を強制的な解脱へと導く、救いへと姿を変える。
フィールドが消失したからといって、徳エネルギーの総量が減じた訳ではない。効率は遥かに悪化するとはいえ、その総量は、フィールド外縁に存在する集落や船団を飲み込むに足るだろう。
フィールド境界の僅かに外に居た『マロ』達にとって、それは今迄よりも寧ろ危険な状況である。制御を消失した、荒ぶる膨大な量の徳エネルギーは何を引き起こすか知れたものではない。
「おじゃっ!おじゃっ!」
「『マロ』さん落ち着いて!」
彼らの頼みは、崩壊寸前のフィールド中和器のみ。
いや、今やそれはエネルギーフィールド発生機として働き、元来の徳ジェネレータの近い機能を果たそうとしている。即ち、巨大徳エネルギーフィールドから解放された飽和量の徳エネルギーを吸い込み……フィールド中和器は自己崩壊しながら徳エネルギー流を発生させる。
フィールド中和器と、その『電源用』の徳ジェネレータ。2つのジェネレータから発生する逆方向の徳エネルギー流の衝突によって、連鎖的に『電源用』の徳ジェネレータも吹き飛んだ。オーバーロードを迎えた電源用徳ジェネレータから、虹色の光の柱が立ち上る。
「……ブレーカーを付け忘れたでおじゃる」
その光景に正気を取り戻した『マロ』は、ぼそっと呟く。
急造品は、所詮急造品だ。得度兵器のような技術や工業力も無く、船団程のリソースを割くこともままならなかった『マロ』達の、これが限界だ。
桃色に光る空が、溢れ出そうとしていた。それは迫り来る夕闇の如く、『マロ』とヤオ達の足元を輪廻の外の異界へと呑み込もうとしている。
終わりが迫っていた。集落の人々にも、二人にも、もう手立ては残されてはいなかった。
「……今度こそ本当にここまで、でおじゃるか」
『マロ』は、生と死とを求めていた。それを彼は、今この瞬間まで忘れていた。
生は、過程に過ぎない。何処まで辿り着けたのかは、結果でしかない。
ならば。彼は、ここで終わっても構わない。そう思っていた。
……そう、思っていた筈だ。
「麿は、もう随分と長いこと生きてきたでおじゃる」
だが、久しく意識の外にあった自らの終わりを見つめた時。彼には、悔いが残った。それは己の『正体』を、目の前の少女に明かせず仕舞いであったことだ。
少女はきょとんとしている。きょとんとした後、
「まだ諦めちゃ駄目だよ!」
そう励ましてくる。まだ、足掻こうと。そう主張する。
「『マロ』さんが幾つかは知らないけど、あと数十年くらいは生きられるんでしょう?」
彼は、望めばこの先幾らでも生きられるのだろう。数百年でも、千年でも。
「……麿はもう、千年以上は生きたでおじゃるよ」
そうして、彼は記憶が摩耗する程昔から生き続けてきたのだから。……こんなことを今告げても、信じて貰える保証など無い。ただ徒に少女を混乱させるだけで終わるだろう。
だから、これはただの自己満足だ。ただ、己の今生の悔いを精算するだけの徳の低い行為だ。
それでも、
「そんなの、関係ないよ」
少女は、そう口にした。
「『マロ』さんが何年生きてても、諦めていい筈なんてない」
それはなんと希望に溢れた。そして、なんと残酷な言葉なのか。
生者の足掻く姿。定命を持つ者だけに許された輝き。嘗て彼が、侮っていたもの。
それを、遥か昔の、不死者となるよりも以前の彼女もまた持っていたのだろうか。『マロ』にはもう、それは分からない。今の彼にとって、それは呪いの言葉だ。命の限り足掻いたとしても、彼には終わりは訪れない。それは永遠に砂で絵を描き続ける苦行に似る。
しかし、今。その最後の希望は訪れようとしている。徳エネルギーによる、輪廻からの解放。
「……そうで、おじゃるな」
もしも、これで長い長い己の生が終わるのならば。最期くらいは、全力で足掻いても良いだろう。いや……例え、この先も彼の生が続くとしても。
だから、彼はそう答えた。
それでも、現実の問題として。もう手札はもう残されてはいない、というのは本当のところだった。
フィールド中和器も、その電源用の徳ジェネレータも全損した。予備のジェネレータは1基あるが、動かせるものは通信機程度しかあるまい。
集落の人々は、様々に解脱の時を受け入れんと試みている。もう、猶予は残されていない。
「……それでも、最期まで」
「……うん」
最後の最後まで諦めることだけはすまいと。『マロ』は、そう思った。
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