第74話「転生仮説・下」

 無名の研究者だった、とある男の死から数十年後。彼を、ひどく間接的とはいえ死に至らしめた研究者が、その名声を完全に不動のものとした頃。

 もう一人の男が現れた。彼は当然ながら、嘗て死んだ男とは全くの別人だった。生まれた国も、年齢も違う。死んだ男と同じなのは性別くらいのものだった。それでも、男は彼と同じように徳科学の門を叩き、彼と同じ研究課題を選び、彼の業績をそっくりそのまま継承し、そして同じように、平安貴族のライフタイルを愛していた。

 しかし、その不可思議な一致に気付く者は誰も居なかった。無名の男が死んで、既に数十年以上の月日が経過しているのだ。同期の研究者は既に引退し、現役の者達は過去の人物に拘う暇など無かった。

 月日の流れは無常だ。だが、たった一人。嘗ての男を覚えている人間がいた。いや……その身は既に、人とは言い難い存在に成り果てていた。肉体の過半を機械に置換し、百年以上を生き続ける男だけは、己に挑むことすら無く敗れた者の姿を記憶の片隅に留めていた。


 他ならぬ田中ブッダの気付きを切っ掛けとして、貴族趣味の男は、自分が転生者であると主張した。己が徳を媒介として、嘗ての生を別の身体へ焼き付けた者であると。事実、男が過去の、あの無名の研究者としての記憶を持っていることに関しては、それを裏付ける証拠が幾つも発見された。

 それでも、彼を待っていたのは冷笑だった。何故ならば、この時代。既に記憶の転写技術自体は別の方法……徳エネルギーとは全く無関係の手法で確立されていたのだから。

 『そうである』ことを示すよりも、全ての可能性を否定し『そうでない』ことを示すのは遥かに難しい。それは、悪魔の証明だ。結局のところ、男は奇人扱いされ、研究者の間でも疎まれた。

 記憶を継承しながら肉体を乗り換え続ける転生者。それが、今は『マロ』と呼ばれる男の正体だった。彼は百年以上の永きに渡って己の不死に挑み続け、そして敗れた。それが、彼の長い長い物語の果てだ。



「……麿は、もう疲れたでおじゃる」

 ヤオと別れた後。『マロ』は静かに海を見つめる。その顔に浮かぶのは、疲れきったような、穏やかな古拙の微笑。それは少女とのやり取りの中では決して見せることのない、彼の長命者メトセラとしての顔である。

 彼の生は、恐らくは彼自身ですら記憶しきれぬ昔から続いている。彼は過去の生全ての記憶を継承している訳ではない。人の記憶には物理的な限界がある。を確立するよりも以前……つまり、徳科学研究者として生きる以前の人生は、彼自身の残した記録の上、或いは朧気な夢の中の出来事だ。

 それでも時折、いつのものとも知れぬ記憶が何処から湧き上がり、彼を苛む。不死を厭い、死を試みたことも幾度もあった。人に殺されたことも。永い旅路の侶を求め、己の同じ性質を持った仲間を探し続けたこともあった。不死者の伝説の礎となったこともあった。そして最後に挑んだ道……己の不死を解き明かす探求の道は、彼自身の挫折によって幕を閉じた。

 彼は、生の意義を使い果たしていた。あの少女との一時は、一時の鎮痛剤とはなろう。少女が大人になり、老いて、そして死んでいく。そこまでは、もしかすると……平穏な時を楽しむことができるやもしれない。

 ……だが、その先はどうなる。人が滅びる様を眺めながら、緩慢な死を迎えるか。それとも、次の鎮痛剤を探し求めるのか。

「……まだ、方法はあるでおじゃる」

 もしくは、その何れでもない、第三の道。或いは、彼に残された最後の救い。

 この海の向こうに蠢く得度兵器達。彼等の運用する徳エネルギー兵器。強制成仏を引き起こす、機械達の結論した最終救済手段。それを用いた強制的な解脱ならば、この終わらぬ輪廻を断ち切ることができるやもしれない。

 彼等は、合理的だ。だから今はまだ、この地に得度兵器達は訪れない。得度兵器の温床となる重工業地帯や大規模な研究施設が無く、橋やトンネルの寸断されたこの徳島へ渡るには、海路しかない。

 そして、徳島の徳資源を彼等が求めたとしても……海底徳エネルギーパイプラインが得度兵器達に徳エネルギーを送り続ける限り、彼等は渡海侵攻というリスクは取らないだろう。あのパイプラインは、アフター徳カリプスの現在も尚、徳島の住民達の生命線なのだ。

 人類圏の存続を微かに支え続けるパイプライン。そして、それを守る少女ヤオ。『マロ』の今の安寧は、手の届く距離にある死の希望によって保たれている。例え、無為の罪が身を焼くとしても。それは不死の苦痛に比べれば如何程のものか。



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ブッシャリオンTips 記憶転写技術自体

 脳そのものをスキャンし、構造を模倣する技術。徳エネルギー時代以前から研究が進められていたが、オリジナルの脳の構造をほぼ確実に破壊すること、複写した脳の組み立てが極めて繊細であること、自己同一性の問題等から、あまり普及はしなかったようだ。

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