第67話「生存者」

 そこは、地下施設の他の場所とは違い……まるで人の出入りを想定していないかのような空間だった。

 施設を管理する老人達ですら、立ち入ったことのない未知の領域。徳エネルギー流体演算器の安置される地下空間を目指して空海と老人は狭いダクトのような通路の中を這い進む。あの対話型インターフェイスは回答を拒んだが、老人達の持つ管理権限を活用し、どうにか演算器の場所の情報を得た。

 徳エネルギー流体演算器プロセッサは、その名の通り徳エネルギー……即ちブッシャリオンを演算素子として用いた、ある種の量子コンピュータだ。その詳細な原理は難解を極めるが、少なくとも今は得度兵器に成り果てたような機械知性の発達には必要不可欠とすら呼べる技術である。

 だが、人類史上最高峰のコンピュータはまた、その原理上避けられぬ弱点をも抱えていた。微小量のブッシャリオンを用いるが故、周辺の徳環境の変化に極めて敏感なのだ。例えば人間がむき出しのプロセッサに接近すれば、徳エネルギーのバランスが崩れる可能性がある。

 故に通常、プロセッサは耐徳シールド加工をされた状態か、或いは徳エネルギーの変化を遮断する徳暗室の中で用いられる。この都市で用いられているのは後者の方式だった。彼等は知らぬことだが、施設の構造はそのような必要性から成り立っていたのだ。

「……立ち入り禁止、か」

 狭い通路を這い進んだ先に待っていたのは、巨大なシャッター扉。その入口には仰々しい注意書きが並ぶ。

『何人たりとも立ち入りを禁ず』『トリニティ・ユニオン』『念仏禁止』『マニ車持込禁止』『合掌禁止』……これでも、ほんの一部だ。

 何者の侵入をも拒まんと主張する壁の前に、空海と老人は足を止めた。シャッターの操作パネルは無い。外から開けることは想定されていない作りである。この部屋はモニタールームからも独立しており、管理者権限も役には立たなかった。

「……さて、どうしたものかの」

 老人は腰を押さえながら、通路から這い出る。

「ここは、私が」

 空海が扉の前へ進み出る。この数日で、徳も幾らか回復している。彼の持つ『奇跡』の力ならば、シャッターを破ることは可能だろう。

 ……だが、空海が『奇跡』をその手に発動しようとした次の瞬間。二人の背後から小さな動く物体が接近してくる!

『徳エネルギー変動検知!』『徳エネルギー変動検知!』『エマージェンシー!』『エマージェンシー!』

 小型の警備ロボットだ!

「得度兵器か!」

「いや……あれは、施設の警備ロボットだ!」

「祖父殿、破壊しても良いのですか!?」

「構わんが、一度退いた方が良かろう」

『侵入者を僧侶と判定!』『警戒レベルレッド!』

 警備ロボットは容赦なく何らかの武装らしきものを二人へ向ける!

「儂はここの管理者だ!」

『当区域は管理権管轄外です』

 二人は慌てて元来た通路へと逃げ戻った。

「……まさか、警備システムまで稼働しているとは」

「電源を復活させた時に息を吹き返したやもしれん」

 狭い通路の中で、老人と空海は呟く。管理ロボットは追ってくる様子は無い。あの部屋に近付く人間だけを追い出すよう、プログラムされているらしい。あの機械は、百年の時を経て……人類の作った施設を守り続けているのだ。遥か昔の主の命令に従って。

 それは肆捌空海にとっては不思議な光景だった。自律機械と言えば、アフター徳カリプスの戦場で育った彼にとっては得度兵器を指す。それは、人を救うために行動する無慈悲な殺戮機械だ。だが、あの得度兵器……いや、警備ロボは違う。自分達こそ牙を剝かれたが、機械が、人のために奉仕しているのだ。

「あれ程の警備体制が敷かれているのは、何か理由があるのでは」

 いや、今考えるべきはそうではない。

「……余程繊細な施設なのか……そういえば、あの張り紙も気になる。マニ車禁止とは……」

「もしや、コンピュータは功徳の変動に弱いなどということは」

「そうなのかもしれん……一度戻るべきだろうか」

 二人は戻ることを決めようとしていた。

 だが、そこで空海は考え込んだ。

「……しかし仮に、この部屋がそこまで繊細ならば」

 この演算器を得度兵器が重要視しているならば。空海の仮説通り、演算器のために、村を維持していたならば。

 どうやって、得度兵器は村の人間を掃討しようとしていたのか?

 相手は覚醒者の疑いある者達だ。一人でも逃せば、空海達のように厄介な戦力として牙を剥く可能性がある。

 但し元より、重火器の使用は論外だろう。地下施設にダメージを与える危険がある。

 しかも、送り込まれたのはタイプ・バトウ一体のみだった。それで村人全てを殲滅しようとしていたのだとしたら。得度兵器達は、一体村人を殺し尽くそうとしていたのか?

「……最悪を想定しろ」

 空海は己に言い聞かせる。既に、肆捌空海は得度兵器が古の時代の兵器を行使する様を目にしている。

 彼等は合理的だ。地下施設にダメージを与えず、閉鎖空間の中で、人間……いや、覚醒者候補達を確実ににはどんな手段があるか。

 老人が、肆捌空海を不安気に見つめている。

「……BC兵器」

 肆捌空海の微かな記憶が現実と結び付いた。徳エネルギー時代、人類は過去の戦争に関する記憶を風化させていたが……シェルターとして設計された奥羽岩窟寺院都市は、その中では例外だった。

 BC兵器。生物化学兵器。即ち、毒ガスや細菌のような『人間だけを殺す』兵器。

 そして地上では、今まさにタイプ・バトウの解体作業が行われている。

「祖父殿……化学兵器についてご存知ですか」

「いや……詳しくは」

 老人に化学兵器の知識は無い。ならば、それより若い者達も当然知らぬだろう。

「地上へ戻らねば!」

 前提、仮定、結論。どこに誤りや思い込みが潜んでいても不思議はない。しかし、得度兵器が選択した手段がではないという保障は何処にもない。肆捌空海は通路を慌てて駆け上る。

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