第2話・第一発見者

 


 したたかに打ち付けた背中をさすりながら起き上がり、いつの間にか元の場所で座っている自称メリーさんをジトリと睨む。腹が立とうが、目の前の存在は見た目『だけ』は十代前半の少女である。仕返しに殴り返すという方法は、和真には選べない。

 女子には手をあげないのが、和真のポリシーだ。その女子が、どんなに屈強な肉体を持った女子であろうとも。

 むしろあげたら返り討ちが怖いので、手を出さない。ある意味、安全策でもある。


「私メリーさん。実は今、第一発見者になったの」

「ああ、そう。第一発見者ね……って、第一発見者?」


 唐突に言われた、馴染みのない一言に和真は動きをぴたりと止めた。

 ソファーの背もたれにコートをかけて、まじまじと自称メリーさんを見る。


「そう、第一発見者になったの」

「ええと、確認するけど、第一発見者ってのは、何の?」

「愚問ね。死体に決まっているじゃない」


 死体の第一発見者になったことは、そんなに誇らしげに言うことではないと思う。

 いかに死体を見たからといって、病院関係者や葬儀屋でもない限り、これは死んでいる! と、はっきり判るものだろうか? まれに耳にするが、最初はマネキンかと思った。と言う人がいるくらいだぞ?

 ハロウィンはすでに去年の話となっているので、死体に扮した仮装ではないとは思うが。もしかして、単純に死んだように眠っているだけかもしれないし……。


「…………死の三徴候はあったのか?」


 実に残念な事に、遺体を目にするのが日常茶飯事な和真であるが、見てもいない隣の住人が本当に死んでいるのかは判断はつかない。

 が、死の三徴候。これを和真が他者(この少女を人の括りに入れていいのか分からないが)に問うことはできる。少なくとも、死体と言い切った目の前の少女ならば、その三種類の一つは判るのではないのだろうか。死んでいるならば、必ずそれがあるのだから。


「呼吸停止、心拍停止、瞳孔の散大。常識でしょ」

「つまり自称メリーさんは、それらを確認したと?」

「ええ。呼吸停止はコンパクトミラー。心肺停止はスマホの救命救急アプリ。瞳孔の散大は、スマホのライトで確認したわ」


 飾り気のないスマホを見せながら、デジタル機器を駆使した確認方法をハキハキと答える。その妙に手馴れた様子に、和真の顔が引きつる。

 というかそのスマホで心肺停止の確認って、まさか……


「……つーか、遺体発見したならさっさと警察電話しろよ。自称メリーさん」

「あら。あなた国家権力者が、通報者・都市伝説のメリーさん。なんて言われて動くと思ってるの?」

「おもいっきり自分で自分を否定しちゃいませんかね?」

「だから、このまま隣の家に避難してきたわけよ」

「人の家をなんだと思ってる」

「え? 家畜小屋?」

「……出てげ、自称都市伝説」


 和真の視線に本気を感じ取ったのか、自称メリーさんは居ずまいを正して軽く咳払い。


「冗談よ、冗談。本気にしないでちょうだい。山本孝之が死んでいるって不測の事態に遭遇した以上、上からの連絡が来るまで現場近くで待機してなきゃいけないのよ。ちょっとくらい居させてくれたっていいじゃない。」

「上からの連絡ってなんだよ、その会社的対応」

「業務規定があるのは当然でしょ、通報義務は範囲外だけど。それに私たち都市伝説には、一定のノルマがあるし。……私今月いろいろあって、ちょっとノルマ達成がヤバイのよ。それでこの事態よ、最悪」


 株式会社・都市伝説、とかいう社名が和真の頭を一瞬よぎった。まっとうな業種ではなさそうな偏見を持ってしまうのは不可抗力だ。

 ふてくされた様子で、ソファーにあったクッションに抱きつく自称メリーさん。ノルマとか、どこの営業マンだおのれは。


「夢のない話だな」

「仕方ないわ。私たち都市伝説は現象なんだから」

「現象?」


 現象とはなんと曖昧な表現か。発生しなければ認識されることも、知覚されることもない、あやふやな存在。

 だが、確かに都市伝説とは似ているのかもしれない。噂話で伝わる現象。

 必ず誰かは話す、一生に一度は耳にする。起こるかどうかすら定かではない噂話を。人間心理に入り込んだ、行動から生まれる事象、結果として起こる現象。


 それこそが彼女たちが、存在することが出来る方法。

 噂話という形を活用する都市伝説にとってはうまく出来ている。目の前の自称メリーさんを見ながら、和真は思う。


「そう。だから――失礼、上司からだわ。はい。峰谷市担当のメリーです」


 峰谷市担当とか、さらに現実的で嫌過ぎる。

 あちこちの地域ごとに、担当メリーさんがいる。想像するとそら恐ろしい光景にしかならない。

 大量のメリーさんによる、「私メリーさん」ボイスが耳に響いてきた気すらするぞ。


「はい。そうです。死亡の確認をしました。顎間接に硬直がみられたので、死後二、三時間かと。はい。現在は私が『視れる』隣人の自宅に。はい、ではノルマの対象は――」


 二時間ものの推理サスペンスのごときセリフに、和真は驚きながら自称メリーさんを見る。

 都市伝説に法医学の知識が必要とか、想像できない。それとも各メリーさんによって違い、個体差でこのメリーさんは詳しいのか……。って、警察が来る前に遺体に触るのってアウトじゃないか!

 そしてやっと上司からの電話を切ると、自称メリーさんは真顔で和真を見た。


「で、都市伝説のメリーさんの電話課、の上司はなんだって」

「とりあえず、ノルマはあなたで手を打そうよ」

「それ却下で!」


 本来の人間の代わりです。とか言われても、気軽に「うん」と応えられん。だいたいどんな目に合わされるか分ったもんじゃない。都市伝説の話としても、メリーさんの電話のラストは明かされていないのだから。

 その後あっさり死んでいるかもしれないし、実はヤンデレストーカーにシフトチェンジしたメリーさんに付き纏われたりとか。まったくもってうれしくない。

 どなたか、Tから始まる寺生まれの方はいらっしゃいませんか!?


「ま、いいわ。しばらくここを拠点にして、せせこましくノルマを稼ぐから」


 どっこいしょ。なんて急におっさんくさい一言をいいながら、本格的に居座る様子を見せる自称メリーさん。


「……ここ俺の家。勝手に拠点にしないでくれませんかね?」

「あなたで手を打っていいのなら、今すぐにでも出て行くわ」

「その理論だと、俺の方が先にあの世に出て逝っちゃいます」

「上手いこと言うわね。座布団一枚持ってきて!」

「ここに山田君はいねーよ!」


 手近にあったコートをぶん投げて黙らせる。このまましゃべらせたら、セリフのあちこちにちりばめられたトラップに引っかかって、隣人の代わりに都市伝説に遭遇することになってしまう。

 黒いコートの下でもぞもぞしていた自称メリーさんは、やがて顔を出すとぽっと顔を赤らめた。なんですか、その反応。


「やだ。彼シャツしてほしいの? まだ私たち付き合ってすらいないのに。でもあなたがいいって言うのなら代わりに――」

「……可及的速やかに返却を求める。で、ノーだ」

「ちっ!」


 危ないところだった、いろいろな意味で。さりげなく危険ワードをぶち込んでくるとか、見た目にだまされてはいけない相手だ。絶対に。


「おいおい。見た目可憐なんだから、舌打ちするなよ。後、自称メリーさんの外見だと俺、立派なロリコンになるから」


 この十代の前半にしか見えない少女と一緒にいる、成人男性に向けられる目はかくも厳しいものなのだ。誰が好き好んでそんな視線にさらされたいか。

 離す気のないコートを自称メリーさんから取り戻して、和真は冷めた視線を向ける。だが、自称メリーさんはしょげることもなく、逆に人差し指を立てながら物知り顔で話し出す。


「残念だったわね。私の外見設定ではロリコンにはならないわ。どちらかというと、アリスコンプレックス、つまりアリコンね! そもそもロリコンとは、年下の少女が、年上の男性に恋心を抱くことの名称。何をどうして歪んだのか、人間とは不思議だわ」


 外見設定とかいうな。しかもその言い方だと、自称メリーさんの外見は、結構自由に変えられるというようにも言い換えられる。やはり都市伝説には、外見は関係ないのか。


「アリスコンプレックスとかあるのかよ。てかロリコンって本来逆の意味だったのか」


 呆れとも関心とも言える表情で呟く和真を、自称メリーさんは蔑んだ目で見た。


「あなたのリビングにあるノートパソコンはインテリアか何かですか?」

「とりあえず、ググれカスと言いたいんだなと理解したでFA」

「百万円の小切手は没収しました」

「…………」


 ずいぶんと、俗世にまみれた都市伝説だと思った自分は悪くない。今までどんなテレビを見てきたのか激しく問いたい。

 このままいても埒が明かないので、仕方なくコートをハンガーにかける。余計なしわが付いてはたまらん。これだけは奮発して買ったのだ、大事に使いたい。


「ところで自称メリーさん。第一発見者としてすることはないのかい?」


 台所で飲み物の準備をしながら和真は訊く。飲むかどうかは分らないが、自称メリーさんのコップも出しておく。

 あっという間に沸くがキャッチフレーズの電子ケトルを準備して、買ってきた惣菜をビニール袋から取り出した。


「それなんだけど。このまま放置したらどうなると思う?」

「どうって、そりゃ誰か……一番確実なのは会社勤めなら会社が、無断欠勤した本人の確認をしに来るんじゃないのか?」

「そうね……」


 今日は火曜日。シフト勤務でも、日曜までに一日ぐらいは出勤の可能性はないだろうか。

 自称メリーさんがスイスイと見事な指さばきでスマホをいじる。何かを調べているのか? 眉間に皺を寄せながら画面の動きを追っていく。


「峰熊市の二月の最低気温は氷点下を下回る。それとこの建物、築年数28年3ヶ月と16日。冬なのになぜか暖房はついていなかった。密閉の度合いから考えても、室温はそれほど高くはならない」

「それがどうかしたのか?」

「取り合いえず三、四日とみても、臭いはそれほどしないでしょう」

「今すぐ警察通報するぞ!」


 やばい。惣菜を出すんじゃなかった。先を想像したら、いっきに食欲がなくなった。

 今さっきまで気にならなかったのは、自分のこの目で遺体を見たわけじゃなかったからだし、もともとバイトで感覚が麻痺しすぎていた。


「そうね。それが妥当でしょう。調べたところ、隣の山本孝之は自営業の在宅ワーク。書面的やり取りも全部データ。買い物もネット通販。その気になれば家から一歩も出ないで生活できる人ね」


 よくわからないが、自称メリーさんのスマホはターゲットとなった人間の個人情報を洗いざらい表示させるらしい。

 そのスマホで調べる対象が、自分に向かわないことを切に願う。


「つまり、間違いなく腐乱死体になるわ」

「たんたんと現実を伝えてくれてありがとう」


 隣の人間が在宅ワークだったことすら知らない自分に気が付いて、近所付き合いのなさを改めて実感する。

 自分が住んでいるこの賃貸で、引越しした初日に挨拶をした程度の付き合いだ。回覧板なんて、ポストに投函で終わってしまう。そもそも交流がなくとも、何の問題もないのだからどうしようもない。

 どんな人がお隣さんなのか知らない人が多い、とはよく言ったものだ。まさにその通りなのだから。


「さて、だからといって私が通報するわけにもいかない。あなたが通報してちょうだい」

「ちょっと待て。通報するのはいいが、俺は第一発見者じゃないし、そもそも遺体を見ていない。部屋に入ったのはお前だろう」

「……私が“視れるのは”そっち系の勘が鋭い人か、私が見せようと思った人だけ」


 自称メリーさんはスマホから視線を外すと、まっすぐに和真を見つめた。

 その視線に、嫌な予感をひしひしと感じる自分の本能を褒めたい!


「そう、だから一芝居打ちましょう。業務規定範囲外だけど、殺人事件だし。通報しておいた方が、私が動きやすいから」

「殺人……っ! それを先に言え!」

「家畜の日常を守るのは、飼い主の役目よね」


 どうやらメリーさんは、ナチュラルに人の神経を逆なでするのが上手いらしい。

 あえて言おう、誰が家畜だと。

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都市伝説のメリーさんは、いつもノルマに追われている。 酉茶屋 @3710_hatori

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