第5話




『――神代かみしろ、さん?』



 そう、俺が呼びかけた途端。

 呼びかけられた側である目の前のソイツは、「えっ…!?」とヒトコト驚いた声を上げたまま、あからさまに驚いた表情で絶句した。

 ああやっぱり…と、それで俺は確信する。

 やっぱりコイツは『雪也ゆきや』じゃない、妹の『月乃つきの』だ。――と。



 いま『えっ…!?』とだけ上がった声は、さっき生徒会室で耳にしたばかりの低い落ち着いた声とは違う、似てはいるけど明らかに別人の…そして明らかに女の声、だった。

 それにあの男だったら、たとえ何らかの図星を突かれたところで、コレッポッチも表情に出しやがらないだろうしな。きっと。



 これほどまでにヤツとソックリな“別人”、しかも“女”が、居るとすれば……そんなの、ヤツの妹である月乃としか考えられないではないか。普通に。



「――なん、で……?」

「は……?」

「なんで判ったのよ? 私が雪也じゃない、って……」

 目の前のソイツ――暫定『月乃』は、まるで我に返ったように俺を睨み付けると、おもむろに、それを言った。

 それを受けて俺も、「ああ、なんだ」と、改めて言葉をかける。

「やっぱりオマエ『月乃』の方かよ?」

「――――!!?」

 途端、グッと喉に何かを詰まらせたような表情になる。――ヘタに同じカオした無表情を見たばかりだから、なんだかミョーに新鮮だな。

 雪也の方に顕わす表情というものがあれば、きっとこんなカオになるんだろうに違いない。

 …別に想像したくもないけどな。そんなこと。

 ひととき息まで飲み込んだような表情で絶句していた、目の前に立つ雪也の格好をした月乃は。

 そうしてから、やおら思い切ったように、口を開いた。

「カ…カマかけたのね!?」

「人聞きの悪い。勝手にボロ出したのはソッチだろ?」

「う、ウルサイわねっ!! 勝手に見破ってくれちゃったのは、ソッチでしょ!?」

「…………」

 思わず俺も絶句する。…もちろん、目の前のコイツがしたのとは違った意味で。

 ――コイツ、兄貴とは中身全然違うじゃん……なんだよこの扱いやすそうな単純バカ……。

 咄嗟にそう考えてしまった俺のことなど、この目の前の単純バカ――もとい『月乃』サンは、全く頓着することもなく。

 ただただ悔しそうな表情でもって、「ムカつくわ…マジでムカつくったらないわよ…!!」と、まるでウラミツラミを俺にぶつけているかのような声で、呟き続ける。

「今まで一度だって、雪也と入れ替わったのを見破られたことなんて無かったのに……!!」

 ――だろうな。あまりに堂に入ってるし、その変装。

 こうまじまじと眺めてみても、目の前の『月乃』は、まるっきり『雪也』そのものだった。

 ただ、同じ男子生徒の制服を着ているから、っていうだけじゃない決して。

 その顔立ちはもとより、一七〇㎝前後の身長も、過ぎるくらいに細身の体型も、長めに整えられた髪型も……どこをどう見ても同一人物。

 違うところといえば、そうやって使われる女言葉と、微妙に質感の異なる地声くらいなものだろう。

 その地声だって、さすが双子なだけはあり、もともとからして似ているしな。きっと、多少声色を使って男の声に見せかけさえすれば、カバー出来てしまうだろうに違いない。…そもそも雪也本人からして極端に口数が少ないようなヤツだから、とりたてて喋らずとも、誰も何も違和感など抱かないだろう。

 さぞかし、事あるごとにそーやって入れ替わり立ち代わりしては、これまで何かれと周囲を欺いてきたんだろうさ。

 俺にしたって、こう面と向かって向き合うまでは、その極めて些細な違和感にさえも気付けなかったのだからな。――だって先刻まで、普通に雪也が付いてきてるんだとばかり思って歩いていたのだ。

 この今しがたに生徒会室で当の『雪也』本人と会ったばかりじゃなかったら、こう面と向かい合ったところで、絶対に見破れなかったことだろう。

 …とは思いつつも、それを素直に告げてやるのも面倒くさくて。

 唇を噛み締めては俺を睨み付け続けるヤツを眺めやりつつ、「そりゃ残念だったな」と、何の興味も無い無味乾燥な声で、返してやった。

「ま、そうやって喋らなければパッと見バレねーのかもしれないけどさ……」

 その口調のままで、俺は続ける。



「つか、そもそも、男と女の体格差ってモンに気付けよな。いい加減。――そりゃー二卵生とはいえ双子だし、テメエら二人には昔から大した差なんて無かったんだろうけど。…まあ、今も無いのかもしれねーけど。…とはいえ、よくよく比べて見れば明らかにオマエの方が細いだろうがよ全体的に? しかも身長だって二~三㎝は低いだろ? そうやって胸だけ平べったく潰して男の格好してみたところで、あからさまに体型が“女”だってのが丸わかりなんだよ。ここまで育ち切ったら、いくら双子だっても入れ替わるのには無理があるって。どう考えても普通にな」



「…………」



 あくまでも俺としては、ちょっとした親切心からの助言、というつもりだったのだが。

 しかしながら……どうもそれが、ヤツの感情を逆撫でしてしまうことに、なってしまったらしい―――。



 しばしの間、俺のセリフを聞き一度ピクリと片眉だけ引き攣らせただけで、こちらを睨み付けたまま、ヤツはただ微動だにせず立ち尽くしていた。

 あれ? てっきり何かしら反論してくるかと思ったのに、何も言ってこないな? …と、俺が訝しく思ったと同時。



「――こんの、どチクショウ野郎……!!」



 アンタそれ到底オンナノコの使う言葉じゃーありませんヨ? ってセリフが突然、その整って形の良い口許から飛び出してきた。

「っとに、ムカつく……!! もーう勘弁なんないっ……!!」

 そして突然、手に持っていた学生カバンをバシッと地面に叩き付ける。

 その片手をそのまま持ち上げたかと思うと、ビシッと人差し指を俺に向かって突き付けてきた。

「この下衆野郎!! そこに直れ!!」

「は……? いきなり『直れ』と言われても……」

「その態度がムカツクっつーのよ、この軟弱者が!!」

「なんで初対面のオマエに『軟弱者』とまで言われなきゃならねーんだよっつー……」

「問答無用!! その腑抜けた根性、アタシが叩き直してやるわ!!」

「はあ!? だから、ちょっと待てオイっっ……!!」



 ――ガッッ……!!



 咄嗟に手にしたカバンを盾に受身を取った。――途端、鳴り響く小気味よい衝撃音。

 構えたそこに、勢いよく振り上げられたヤツの回し蹴りが真芯にヒットした。

 しかも、それは素人の蹴りじゃない。

 いま俺が受身を取らなかったら、その蹴りは正確に…そして確実に、首にガッツリ入ってたハズだ。

 これは、おそらく何らかの格闘技を決して短くない経験を積んで習得した人間の放つ、想像以上に重みのある―――。



「…っぶねー、なっっ!! 突然なにしやがるんだテメエ!!」

 思わず後ろに飛びすさった俺だったが、「逃がすか!」という声と共に間髪いれずに間合いを縮められ、今度は逆足が飛んでくる。

 ――つか、ワケわかんねーんだけどっっ……!!

 ワケも分からずそれを避けるも、そのまま次から次へと多種多様な蹴りの嵐に見舞われて。

 ワケも分からないまま、俺はそれを避けるので精一杯。

「ああもうウゼエっっ……!!」

 吐き捨てるなり、思わず俺も手にしたカバンをその場に投げ捨て、反射的に、向かってきた蹴りを片手で受け止めると、その細い足を握り込んだ。

 男の格好をしてはいても、あくまでも相手は女である。そのような相手に対しては反撃にも出られねーし、かといって“ハイそうですか”と素直にやられてるがままになっているワケにもいかないし。

 結局のとこ、矢継ぎ早に繰り出されるその攻撃を止めるには、こうするしか他に無い。

 すると彼女は、いかにも“自分の蹴りが止められた”ということに対して驚いたような表情を浮かべると、すこぶる面白くないといった様子で「ふぅん…」と軽く鼻を鳴らしてみせた。

「やるじゃない、空手男」

 ――どうりで、初対面の相手に対してよくもここまで遠慮も何もない蹴りをブチ込んでくると思ったら……俺が空手経験者だってシッカリ知ってやがったのかよコイツ。

「だから……ホント一体なんだっつーんだよ、このカンフー女!!」

「カンフーじゃないわよ、少林寺拳法よ!!」

「どっちだっていいっつーんだよ、んなもんは!!」

 ――どっちにしろ、なんて物騒なモン嗜んでやがんだよ女のクセに!!

 しかし言った途端、「一緒くたにするんじゃないわよ!!」と、今度は拳が飛んでくる。

「危ねッ…!!」と反射的にそれを空いた片手で弾き返した途端、「隙あり!」と、捕まえていた足が手から外され、再び見舞われる蹴りの嵐。

 それも何とか避けると、今度こそ後ずさっては攻撃されない間合いを保ちつつ、俺は言った。なかば叫ぶようにして。

「つか、俺の質問には一切答えてねーだろがよテメエッッ!!」

 もはや普通にブチ切れてたからな、この時点で既に。――つか、ここまでされれば、幾ら温厚な人間であっても、ブチ切れる理由としては充分だろう。

「こっちだってなあ、理由も分からず唯々諾々とやられっぱなしでいるホド、そうそうヒマ人じゃーねーんだよっ!!」

「ウルサイ、この最低男!!」

「はあ!? てーか、会ったばかりのテメエに『最低』まで言われるスジアイもねえし全く!!」

「それこそ問答無用だ、バカ男!!」

「『バカ』呼ばわりされるスジアイだって、それこそねえんだよコレッポッチも!! ――だから、そもそも何だっつーんだよ!! 一方的に手前勝手な喧嘩ふっかけてきやがって!!」

「そんなもん、知りたかったら自分の胸に聞いてみろっつのよ特大バカ!!」

「はあ? 『自分の胸』って言ったって……」

 ――そんなもんに全くもって心当たりが無いからこそ、ワザワザこうやって訊いてんだろうがよ?

 それとも……ようするに、さっき俺に変装を見破られたことが、よっぽど悔しかったんだろうかコイツ? ――だって、そんくらいしか思い当たるよーなことが、他に無いぞ?

 素直に自分の胸に手を当てて考え始めた俺の態度が……これまた、よっぽどカンに障ったんだろうか。

「どこまで人をおちょくったら気が済むのよ、アンタって男は……!!」

 言いながら、おもむろにフルフル小さく身体を震わせて。

「いや別におちょくるとかしてねーし」と返す俺の言葉なんぞ、やっぱり当然、聞いてくれもせず。

「ホンットまぢアッタマきた!!」と握った拳を俺の方に向けて突き出したかと思えば、やおら一本だけ立てた親指をクイッと下に向けてみせる。

「ぜってーツブす!! この女の敵ッッ!!」

 言うや否や、攻撃再開。

 ――だから何で『女の敵』!? 余計ワケわかんねーって!!

「おい、だから何だっつんだよ!? まさか、そんなに兄貴じゃねーってバレたことが悔しかったっていうのかよ!?」

「うるさいッ!! アンタに何が分かるのよ!!」

「てか、マジそんな些細なコトでかよ!? それで俺、こうやって謂われもない攻撃とか受けてるワケ!?」

「うるさいうるさい、うーるッさーいっっ!! どうせ…どうせどうせッ……!!」



 もはや止める隙すらも無いホドに連続して拳と蹴りとを交互に繰り出しながら……そこで彼女は、さきほど投げ付けた“俺の質問”に、ようやく答えを返してくれやがったのだった。

 それはそれは……もう、まるで鬼気迫るほど怒気に溢れた不可解なハクリョクでもって―――。



「どうせ私には潰せるホド胸なんて無いわよ、わざわざ潰さなくても見破られたことなんて無かったわよ、ほっといてよセクハラ野郎ーーーーーっっ!!!!!」



 ――て、そこなのかよオイ!!




          *




『あ、そうそう、言うの忘れてたけどー。――ナニゲに月乃は格闘オタクだから、気をつけてねー?』



 それを……わりと後になってから軽ーく、しかも何事でもないような口振りでもって、有澤ありさわ先輩から教えられた。

 ――てか、ホント言うの遅いから。

 あらかじめ、その攻撃的な性格込みで教えといてくれてさえいたら、アイツとの出会い方も少しくらい違っていたかもしれないのに。――俺側の対処の仕方、っていう問題においてな。あくまでも。

 この人のことだ、あえて狙って言わなかったんだろうけどさ。どうせね。

 まったく……いつもいつも、人のこと陥れては陰で笑ってるんだから。性格悪すぎるったら無いよなマジで。



 そして、他方面からも聞いたトコロによると……やはり我が学年の有名人なだけあり、月乃の『格闘オタク』っぷりは誰もが知るところであった。



 ――自ら率先して、我が校に〈合気道同好会〉とやらを立ち上げたとか。

 ――熱烈な空手ファンでもあり、そのために今や〈空手部〉のマスコットガール的な存在となっているとか。

 ――告白してきた男子生徒を、あまりにもしつこく迫られたがゆえに、顔面から殴り飛ばしてムリヤリ諦めさせたとか。

 ――登校途中の満員電車で遭遇した痴漢の腕を捻り上げて捕まえた…挙句に半殺しにまでしたとか。

 ――好きなアクションスターはショー・コスギ。…って、渋すぎるだろそれは幾ら何でも。



 …てなカンジに、ほかにも諸々。

 それこそ枚挙にいとまが無いほど、このテのハナシがザクザク出てくる。

 当人こそ、兄の雪也にソックリな、可憐な風情と繊細な佇まいの漂う正真正銘の正統派美少女だと云うのに……皆に公然と知れ渡ったその外見を裏切る極めてアグレッシブな中身のために、今や滅多な男子生徒では声すら掛けられない、逆に女子生徒からは絶大なまでの人気を得ては男子顔負けにモテまくっている……、



 ――それが皆が周知であるところの『神代月乃』という人物だった。



 言われてみれば、そんな噂を俺も聞いたことがあったような気はするけど。

 でも、どんなに“強い”ったって所詮女子だろ? …なんて、ハナッから眉ツバものとして信じてなかった。

 所詮、どうせ噂が一人歩きしてるだけのことだろう? ってさ。

 ま、そこまで噂が広まってるくらいなんだ、オンナにしちゃ強いのは事実なのかもしれないけれども。

 そもそも、男の言うところの“強さ”と云うものと、女の言うところの“強さ”と云うものでは、まるっきり質も中身も違うものだし。



 …何においても、自分が実際に体験してみたものでないと“信じる”ということが出来ないものなんだよな。人間なんて。



『まあ…月乃も今や有名人だしね、言われるまでもなくそんなの知ってたかもしれないけどー。…でも、ただの“格闘ファン”てだけじゃないのよ? 自分も真面目に武道やってるし、おまけに年季までもがガッツリ入っているからねえ。ウッカリでも下手なこと言うと鉄拳制裁、食らうわよー?』

『…お願いですから、それをもっと早くに教えといてくれませんかね先輩』

『あははははー、もうキッチリ食らってたかー! サスガ手ェ早いなあ月乃』

『笑い事じゃないですよ、ホントにもう……』

『何はともあれ、君も黒帯持ってて良かったよね。それだけの技があるなら、幾らあの月乃の鉄拳だって、マトモに食らうこともなかったでしょ?』

『よくないですよ! なまじ避けると、後から後から次から次へと……アイツ一体、どんだけ“特技”持ってるんですか!』

『「どんだけ」って……改めて言われると、どうなんだろうなあそこは? とりあえず、合気道と少林寺拳法は長く続けてるらしいから、それなりに段とか持ってるような話は聞いたけど……他には、ムエタイやらテコンドーやらボクシングやらを、ちょっとした趣味レベルで少しずつ齧ってたり……ああ、そういえば少し前に、今度は「居合やりたいから剣道始めようかなー」とかも、言ってたっけ?』

『………てーか、誰かヤツにお茶とかお花とか手芸とかを習うよう勧めてやる人間とか居ないんですかここには?』




          *




 ――そんな『神代月乃』と云う人物について、コレッポッチも存じ上げていなかった、この時の俺は。



「いや別に『セクハラ』と言われても、そんなつもりでは決してなく……ただ単に、見た目で胸が平べったいって言っただけ……」

「それが既にセクハラじゃないのよ、この阿呆!!」

「…まあ、そこはいいじゃねーか。そのおかげで今まで見破られずにこれたんだろ、その変装も」

「胸の所為で見破られなかったんじゃないわよ失礼ね!! てゆーか、アンタそれ女性に対してものすごい無礼な発言してると思わないの!!?」

「そう思うなら、そもそもからして話題に出すなよ自分から……」

「なんでアタシから!? そもそもアンタが『平べったい』とか言い出したんじゃないの!!」

「…つーか、“そもそも”で云うんならまず、仮にも男に変装する時点で、そこは潰しとくのが“お約束”っつーもんじゃねえの普通? いくら無くても」

「『無くても』とか言うな!! 小さくてもちゃんとあるわよ、この変態っっ!!」

「だから、そこは気にするなって。――女は胸じゃないぞ、とりあえず」

「その『とりあえず』って何なのよ、『とりあえず』って!!? そんなこと面と向かってキッパリと言うな馬鹿ーーーーーッッ!!」



 つまり、踏んでしまった相手の“地雷”を……それが何だったのかは分かったものの、しかし、どう取り去っていいのかが分からずに。

 踏むだけ踏んでは爆発させまくる方法だけしか、なぜか取るべき手段を持てずにいたのだった。



 ――防戦一方、なんて……だから、そもそも俺の性には合わないんだっつーのッッ!! 何とかしてくれよホントにッッ!!





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