クジラ無双 理想郷の王を目指して
日向扉間
プロローグ 目覚める日
第1話ルドルフ教授の海底探査
人魚のルドルフ教授は考古学者である。今日はゼミの生徒6名と共に、海底を散策していた。
色鮮やかなサンゴ礁に、同じく色鮮やかな熱帯の魚達が泳いでいる。頭上から注ぐ日差しは木漏れ日のようで、鮮やかな海を淡く彩る。水面は反射と屈折が織り成し、チラチラと宝石のように輝く。
その景色にぽっかり穴が開いたように、ねずみ色の巨大な岩があった。よく見ると、岩には隙間があり、そこから岩の内側に入ることができる。中は真っ暗だから、調査のためには光源が必要となる。
「ホタ子さん、お願いします」
「は、はひいっ」
全身ほぼ透明、10本の足を持つホタ子はホタルイカの人魚だ。上がり症の気がある。人魚の中でも、タコ、イカ、貝、等の軟体動物を先祖に持つ者は、魚類や海獣を先祖に持つ者に差別されている。幼い頃に苛められた記憶が、彼女を内向的な性格にしているのかもしれない。
ルドルフに呼ばれたホタ子は一向の先頭に立つ。ふうと一息吐くと、両拳を握り締める。込められた力で、全身が小さく震える。不意に、その身が輝いた。
「おおっ」
「は、恥ずかしいですぅ」
ホタルイカの性質を受け継いだホタ子は、光ることができた。これで一向は中を調べることができる。
入り口は人魚1人通るのがやっとだ。ホタ子が先頭で入ることになる。しかし、彼女は躊躇した。
「こ、怖いですぅ」
「大丈夫、我々より大きな生物は中に入れないから。クジラやホオジロザメはいないよ」
「で、でもぉ。毒クラゲとか、お化けとかがいたらぁ」
「お前20歳にもなってお化けかよ」
「ぷふふっ。バカ過ぎる」
「は、はわわわっ」
魚類を先祖に持つ同じゼミの人魚達が、ホタ子を笑う。ホタ子は嘲笑されて余計萎縮してしまう。いつものパターンだった。
「はあ。しょうがないなあ」
「いたっ」
「あっ」
ルドルフはホタ子を笑った生徒に拳骨を食らわせて、自分が先頭になって中へ入る。ホタ子達も教授の後に続いた。
入り口からしばらくは、直径1m程度の円筒形となっていた。ルドルフはかつて留学した人間の土地で見たものを思い出した。
「確か、マンホールと言ったか? この先が下水でなければうれしいが」
小さくつぶやき、さらに進む。入り口から10m程で円筒は終わる。その先は広い空間だった。高さ3m、縦横は20m程ある直方体の一室だ。
「これは……」
ルドルフはホッとしつつ、少し警戒する。
ここは下水道ではない。扉は1つ。他には、塩水に侵されボロボロの何かがある。鉄の匂いがするから、人工物だったとは思うが、それが何かは一見では分からない。
「すげー! すげー!」
「間違いなく遺跡じゃんこれ! こんなところに遺跡があったのか!」
「魚とかもけっこういんなー。おっ、ウツボ見っけー」
生徒たちがはしゃいでいる。ルドルフはウツボを食べようとした生徒の頭に拳骨を食らわせる。
「ケチ!」
愚図る生徒を無視し、目の前の問題に集中する。
彼は歴史学者である。歴史に対する思いは強い。そして同時に、名誉欲もあった。自分が独占的に遺跡を調べ、発表し、世間に認められたい。
だから考えてしまう。今引き返せば、誰かに成果を横取りされるかもしれない。自分が一番早く見つけたのに。自分が歴史的大発見をしたと褒め称えられるべきなのに。それは許せない。
「よし」
ルドルフは、早速たった1つ見える扉をこじ開けることにした。
「んっ、ふぬぬぬっ。ふぐううう」
しかし、押せども引けども動かない。
ドアノブのような残骸をつかみ、ひねってみた。ボロボロになって砕けた。鉄の匂いが広がった。
内心焦った。歴史的物証を自分が壊してしまった。しかし、生徒には感情を隠す。
「よし。全員で一斉に押してみるぞ」
「おっけー」
「わ、私も微力ながら」
生徒は特に疑問に思わなかったようだ。ルドルフは内心思った。我が弟子ながら、鈍くて助かった。
ルドルフを中心に、全生徒6名が扉に近づく。
「せーので一斉にタックルだ。いくぞ。せーのっ」
ドン。皆でぶつかったが、まるで動く気配は無かった。
「もういっちょせーのっ」
再びぶつかる。さらにぶつかる。しかし全く変化は無い。
「うーむ。力では無理そうだな。電気やってみるか? お前達、離れていろ」
ルドルフは電気うなぎの人魚だった。生徒達を遠ざけ、ドアノブの辺りに最大電圧をかける。
バリリ、バチチッ。バツチチチッ。
「お? やったか?」
扉を支える何かが砕けたような反応があり、鉄の匂いが広がった。ルドルフはもう一度扉を押してみる。先ほどまでとは違い、少し動いた。
「動いた! よし動いたぞ!」
ルドルフはもう一度生徒たちを呼び寄せ、皆で扉を押した。先ほどとは違って少しずつ扉は動いていく。やがて人魚が通れる程度まで開いた。
「よし! よし! 中を探検だ!」
ルドルフと生徒たちはさらに中を進んでいった。
廊下のような場所は、先ほどの部屋よりも保存状態がよく、錆びた鉄が形を保っていた。直進中、右にも左にも頑強そうな扉がいくつか見えた。しかし鍵がかかっており、扉はあまり壊れていないので、彼らの力では開けられないのは明らかだった。
ひたすら直進すると、一番奥のドアだけ開けっぱなしになっていた。そこにとても大きな部屋があった。
高さ10m、縦横40mもあった。
「ここは? 実験場?」
部屋一面に、いくつものガラス管が規則正しく並べられていた。かつて留学した人間社会で見た実験室にそっくりだ。
「何の実験だ? あっ、文字がある! ホタ子! こっちに来てくれ!」
「はっ、はひいっ」
教授に呼ばれてホタ子や他の生徒が近づいていく。
「これは、人間の文字だな。古い文字だが見たことがある。あっ、これは分かるぞ! アラビア数字だ! 32。何の数字だろう?」
「先生! こっちも字があるぜ!」
ルドルフと生徒達は部屋中を泳ぎまわり、読める字を探していった。
しかしある時、ホタ子の悲鳴が上がる。
「き、きゃーっ!」
「どうした!」
ホタ子の目の前にある巨大なガラス管があった。その中に裸の人間が浮かんでいた。
「これは、ここは、人間の実験場か?」
「いやーっ! 怖い! もう嫌! 先生!」
ホタ子はルドルフに抱きつき、泣きついた。
ルドルフも、さすがに生徒には刺激が強すぎるかと思った。しかし、興味が勝った。
「これは歴史的な物証だ。怖がってはいけないよ」
「嫌! 無理ですぅ!」
「そう言わずに。ほら、男子達を見なさい。楽しめばいいんだ」
危険な空気は、男子の冒険心をくすぐっていた。
「うおぉー! 人間の女! しかも裸!」
「なんだここ! 奴隷施設!?」
「いやいや実験場でしょ! 禁断の人体実験!」
ルドルフはホタ子の頭を優しくなでた。
「ほら、ああやって楽しめばいいんだ。そうしないと人生もったいな、い、……」
ルドルフは不意に、口をあんぐり開けて固まってしまった。
目は最大まで開き、一点をジッと眺めている。いや、むしろそれ以外を見ることができない。全身から血の気が引いていく。筋肉が硬直する。
「せ、先生?」
不思議に思ったホタ子が声をかける。返答は無い。反応すらない。
そう言えば、他の生徒の笑い声も聞こえてしまった。
何かがいる? 視線の先に?
ホタ子はごくりと唾を飲み込んだ。そして恐る恐る、見てしまう。
「あっ。ああっ。ああっ」
ホタ子も、ルドルフや他の生徒と同じように固まってしまった。
遺伝子レベルで刻まれた恐怖、警告だった。
部屋の奥に最も巨大なガラス管があった。そしてその中央で、クジラを擬人化させたような幼子が浮かんでいた。
「きゃ、きゃああああ!」
「クジラぁあああ!」
「うわああああ!」
「滅! 滅!」
ホタ子の悲鳴を皮切りに、生徒達が一斉に逃げていく。ルドルフは本能で、まずクジラの幼子目掛けて電撃を放った。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃああああ!」
それに感電した生徒がしびれて動けなくなって、さらに皆が混乱してしまった。
しかし、この電撃がやつを目覚めさせた。
海底に沈む古代都市。否、かつて人間が作った謎の実験施設。その生き残り。クジラを擬人化させたような存在。実験番号108。水野太陽22歳を。
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