Last chapter

 コロニー外周部――。


 海面を滑るように、人工島を大きく迂回するヒンメル。そのヒンメルの左手側。

 幾つものサーチライトを照射するユニオン艦隊の目の前で、93番コロニーの存在を周囲に示し続けていた巨大な塔が、凄まじい地響きとともに崩落。塔近傍に降下していた艦艇が、高度を上げて退避していく。


「――あ!」


 ふらふらと、なんとかバランスを保ちながら海面の上ぎりぎりを飛翔するヒンメル。リーゼは何かに気付いて声を上げ、ヒンメルの単眼を満天の星空へと向けた。

 彼女が見たもの。それは目の前を横切る緑色の光――。

 その光は何かを知らせるように、ゆっくりと飛ぶヒンメルの周囲に寄り添うと、夜空の一点へと向かって駆け上っていく。

 最早使い物にならない小型モニターを横に押しやり、リーゼはヒンメルのコクピットを開放――ごうっ――と、強い風がコクピットの中に吹き込む。


 開放されたコクピットから身を乗り出し、漆黒の海の上。あのときと同じ、星々が輝く夜空へと目を向けるリーゼ。

 リーゼは、夜空に目を向けたまま操縦桿を操作。金属の軋む音と、鈍いジェット音を発しながら、上半身だけになったヒンメルがふわりと上昇――緑光が導く方角に向かって、ゆっくりと飛翔する。その先には、夜空の中をまっすぐに落下していく緑色の光――。


 ヒンメルは、落下する緑光へと最後に残った左腕を目一杯に伸ばす。瞬間――ゴンッ!と、僅かに鈍い音がしたが――。

 まあ、こいつはこんなことで死んだりはしないだろう。


 眼下には海。その海を照らす星空の中、ヒンメルの周囲を、穏やかな風が流れていた。


「――あなたを拾うのは、これで二度目ね! おかえり、カタナ!」

「いててっ――」


 穏やかな風を受け、リーゼの髪がたなびく。彼女はその髪を押さえながら、ヒンメルの手の上に乗る少年――。

 会った時と同じか、それ以上に傷だらけになったカタナを見て笑った。


「出来れば、次はもう少し優しく拾って欲しいな――って、お前もヒンメルもボロボロじゃねえか!」


 カタナは頭を押さえてむくりと起き上がると、煤だらけになったリーゼを見て心配そうな声を上げる。リーゼもそうだが、ヒンメルはいまにも墜落しそうな有様だ。カタナの問いにリーゼは力なく笑い、溜息を付いて肩をすくめる。


「あはは、大丈夫って言いたいけど……ちょっと、もう無理かも――」

「おい!」


 不意に空中で体勢を崩すリーゼ。カタナはヒンメルの手の上から咄嗟に飛び出すと、リーゼを支えながらコクピットハッチにしがみついた。ヒンメルの機動が左右にぶれ、スラスターの炎輪が小さくなり――そして消えた――。


「ごめん……気、抜けちゃったみたい……サツキちゃん、まだ寝てるから……」

「サツキも?」


 リーゼはそれだけ言うと、カタナの腕の中で気を失ってしまう。


「わりぃ……すげえ頑張ってくれたんだな」  


 カタナはリーゼの様子を確認し、すぐに安堵の息をついた。確かにボロボロだが、どうやら命に別状があるようなことはなさそうだ。


「ありがとな。リーゼ」


 リーゼの汚れた顔を見て、まっすぐな感謝を伝えるカタナ。カタナはコクピットの中で眠るサツキを確認すると、周囲を見回す。

 徐々に高度を落とし、ぐんぐんと近づく黒い海。このままでは、数十秒もしないうちに眼下の海面に激突するだろう。だがその時。周囲に目を凝らしていたカタナは、目の前の空間に向かって笑みを浮かべる。


「おーい! こっちだ! 助かったー!」

『――全く! ほんっとうに貴方という人は! 僕がいなかったら百回は死んでますよ!』


 リーゼは朧気な意識の中で、聞き覚えのない少年の声を聞いた。高度を落とすヒンメルの眼前。何もないはずの空間が放電を開始。次の瞬間。そこに全長百メートル程もある、瑠璃色の飛空挺が出現する。


「わかってるって! ありがとなカーヤ、やっぱりお前はすげえぜ!」

『いま褒められてもぜんっぜん! 全く嬉しく無いです! さっさと行きますよ!』

「わかった! やってくれ!」


 カタナは二人をしっかりと抱きかかえてコクピットの中へと潜り込む。それと同時、艦艇から白色に輝くロープワイヤーが幾本も射出され、ヒンメルを空中で絡めとる。自然落下するヒンメルの質量を受け、空中で大きくワイヤーがたわむ。

 大きく延伸したワイヤーはしっかりとその質量による衝撃を和らげ、何度かの往復のあと、ぶら下げるような形でヒンメルを確保。ヒンメルの格納を確認した艦艇は、出現した時と同様の放電現象を起こしながら、夜の闇に姿を消した――。


  ◆     ◆     ◆


 崩壊する塔上空。闇に染まった空。キアランは、一つの光点が艦隊のレーダーから消えるのを確認した。


(完敗……だな)


 キアランには、その光点の正体がなんであるのか。ある程度の予測はついていた。だが、塔近傍での崩落による混乱の中、第一使徒・極光のメダリオンすら打ち倒したのであろう超越者に、僅かな戦力で追撃の指示を出すほど彼は無謀ではなかった。


「提督。降下部隊の回収、ほぼ完了しました。ですが、内部に突入した部隊からの連絡は――」

「そうか……」


 重々しく目を閉じるキアラン。彼とて、まさかコロニー全てが一気に崩落するような事態は想定外であった。崩落開始から即座に下された撤退命令により、周辺空域の艦艇への被害は無い。だが、内部へ突入した士官達。そして、ニンジャと交戦したと見られるメダリオンと、二人の侍従。現時点で、彼らの安否は不明となっていた。


「引き続き捜索を続けろ。神子の行方も不明である以上、瓦礫全てを確認するまでここからは離れられんぞ」


 キアランの脳裏に、自らの判断に対する悔恨がよぎる。だが――。


「――いいえ、それには及びませんよ。提督」

「――?」


 流麗な、よく通る青年の声がキアランにむかって投げかけられる。振り向いた先――彼には全く似つかわしくないほど薄汚れ、切り裂かれた着衣を纏った第一使徒・メダリオンと。メダリオンに抱えられて眠る少年。そして二人に寄り添う少女の姿。


「猊下! ご無事でありましたか!」

「見ての通り、あのニンジャにしてやられました。すみませんが、この子のことを、よろしくお願いします」


 メダリオンはそう言うと、傍に小走りでかけよる士官にカルマを抱き渡す。カルマは酷く疲弊しているようだが、怪我などは負っていなかった。


「私が確認できた限りの士官達は安全な場所に避難させておきました。提督は、彼らの回収をお願いします」

「猊下……いったい、中で何が――」


 やつれ、埃すらかぶったメダリオンが微笑む。


「なに、大したことではありません。久方ぶりに激しい運動をして、スッキリした……というところでしょうか。偶にはああいう手合に付き合ってみるのも、悪くはないものですね」

「スッキリ……。ですか」


 そう言うメダリオンの表情は、何か憑きものが落ちたかのような、穏やかな――もっと言ってしまえば、どこか気が抜けたかのようですらあった。


「ですが、私の力及ばず、神子はニンジャによって連れ去られてしまいました。ニンジャが出現した以上。勅命失敗の責任は、ニンジャを仕留めることが出来なかった私にあります。盟父には、私から詳細を報告しましょう」

「猊下……。しかし、それでは――」


 キアランは、彼のこのような姿を初めて目にした。しかも、彼の変化はそれだけではない。先刻この船から出撃するまで彼が纏っていた、一切を拒絶する気配もまた、大きく減じていた。


「色々と、提督には迷惑をおかけしましたので……では、失礼します」


 メダリオンはそれ以上何も言わず、銀髪の少女を伴ってブリッジから退出する――その背中を、キアランは何も言わずに見送った。


「提督……。猊下のあの様子、いったい何が?」

「――俺に聞くな。俺にもわからん」


 少し離れた場所でその様子を見ていた副官がキアランに尋ねる。当然、彼に何があったのかなどキアランに知る由はない。だが――。


「ニンジャ、か――」

「――提督?」


 ぽつりと呟くキアラン。唐突なその声に、副官は訝しげな様子でキアランを見た。


「なに……。ニンジャなどと、以前まではカビ臭いデータでしかなかったのだ。神都に戻ったら、奴についてもっと徹底的に調べなければな」

「なるほど……確かに、我々にとっても大きな脅威となります」

「フッ――、そうだな」


 キアランは、今回の遠征でニンジャによって艦隊が被った被害を思い返す。多くの艦艇が失われたが、人的損失はゼロ。そしてメダリオンは『スッキリ』である。総合して考えた場合、果たしてあの緑光のニンジャは、脅威と言えたのかどうか――。


(――礼は言わん。貴様には、いつか必ず艦艇分の金銭を支払ってもらう。たとえ貴様が一生働いても返せん額だ。せいぜいもがき苦しむがいい……。まあ、何か言い分があるのなら、弁護士はつけてやってもいいがな――)


 キアランは内心で忌々しいあの緑光をもう一度思い浮かべ、笑った。そして、全艦に対し一斉に指示を出す。


「よし! 捜索隊は回収。神子を攫ったニンジャについての報告を行うため、我々も急ぎ、帰還する!」

「――はっ! 了解致しました!」


 夜空を照らす無数のサーチライト。

 未だ立ち昇る粉塵を背に、キアラン・アンガス率いるユニオン第二基幹艦隊は、雲海を抜け、自らの祖国へと進路を取るのであった――。

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