Mission 0 スパイ少年の非日常的日常

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2017.10/22.15:17 from Senfuku junior high school.


 トイレに籠りすぎて、逆に痔になるなんてことはないのだろうか。

 僕、並川千次郎なみかわ せんじろうは便座の上で半日もずっと自問自答を繰り返していた。


「逆に考えろ、俺こそが痔の要因なのでは……と」


 そんなことはない。僕が痔になるならば、それは20日という長期に渡る張り込みや尾行、依頼人クライアントの無茶ぶりと仲介人ディーラーから与えられた精神的苦痛とストレスと溜まりに溜まった不条理に対する黒い感情が原因だろう。


 完全にハメられた……まさかあの女に俺の秘密を握られるとは……。

 いや、今さら考えても僕が任務を遂行しなければいけないことに変わりはない。

 さっさと終わらせて、自由を手に入れよう。


 気持ちを仕切り直して右手に持つ紙コップを壁に当てながら、集音マイクを使って壁一枚の先に耳を澄ませる。だが全くの静寂、ターゲットはおろか、人っ子一人通る気配はない。


 人っ子というか、女の子だろうか。

 そう、僕は今盗聴をしているのだ。


 なぜ女子トイレに侵入して直接聴かないのかって?

 万一バレて捕まったら僕の社会的地位か失墜し、文字通り死ぬじゃないか。

 このような任務で命までは賭けられない。

 なので大掛かりな装備を用意し、わざわざ壁越しに盗聴をしているという訳だ。


 僕には女子のトイレの音が好きだとか、そういう性癖はない。断じてない。

 5日以上も聞いていれば、流石に聞き飽きるものだ。


「へぇ~すごいね、選考会頑張ってね」

「まぁこのワタクシなら合格間違いなしデスワ」


 きた!! このなんか来日失敗しましたみたいな喋り方をしている女!

 姫山鳴子ひめやま なるこ、仙福中学2年の14歳B型。

 演劇部に所属しており、御伽噺おとぎばなしに出てくる義姉のような高圧的で自信過剰な性格で、何かあればすぐに自慢する声がでかい女だ。

 こいつが俺の目標、情報を掴まなくてはいけない相手だ。


「そうそう。ワタシ最近誰かの視線を感じるのよね~」

「確か前SNSでつぶやいてたよね。怖くない?」

「ストーカーされてるのかも……なんか視線がキモチワルくて」


 ……俺が尾行していること、こいつにバレてないか?

 しかもキモチワルイって何だよ、確かに何度か尾行したが探偵学に

 基づいて行ったので気付かれることはほぼありえない。

 あれじゃねーのか、見えない奴につけられてるとか。


「そういえばつっきーに本アカ教えてなかったよね。一応教えておくよ」

「ありがとー。ID打ち込むから教えて!」

「えっとね……今から言うけど大丈夫?」


 あーあの超盛ってる自画取り画像を乗っけてるアカウントだろうか。

 ただそのアカウントではシャドウストーカーについてつぶやいていたのを見た覚えがない。いつも自分の画像か自分のプリクラ画像か自分のことについてしかつぶやいていなかったので見るのも億劫だったが。

 という事は本人の、プライベートなアカウントか……!


「おい、いつまで中入っとんねん。さっさと開けろ」


 全神経を集中させている反対側から頑固オヤジの声、

 左からドアを何回か叩く音。

 やばい、この学校で有名な武闘派体育教師だ。


「ローマ字でなるちゃん、アンダーバー」

「うんうん」


「コラ何とか言えや! さっさと開けんとドアブチ破るぞ!」


 ドアが地震のように揺れ、岩が当たるような衝撃が連続する。

 やばいやばいやばい……!

 メモに目線を走らせながら、今はドアの様子をただ見守るしかなかった。


「えふゆーけーゆー」

「もう怒ったぞ……クソガキが。せいぜい怪我すんなよ」


 こいつ、本気でブチ破る気だ。対応策は何も考えていない。

 教員用トイレは別にあるのでそちらを使うものと思っていた。

 完全に予想外だ。


「えすいーえぬだ……」

 バァン!! ドアは一撃で破られた。鍵の金具は粉砕され、軽快な金属音を奏でながらどこかへ吹っ飛んでいく。


「ん? イタズラか?」


 体育教師の目は空を切った。そこにあるのは僕が座っていた生暖かい便座のみだ。

 僕がいるのは教師のだ。


「おい! そこは上るな!」


 迫力のある声に気圧されて足が竦んでしまうが、心を決めて上から飛び降りる。

 目指すはトイレの出口だ!


「待てコラぁ!!」


 教師の怒りはマックスだ。捕まればただじゃすまないだろう。

 ちなみに僕は、運動が得意じゃない。

 運動が得意じゃない僕は、いつもフェアじゃない方法で困難を潜り抜けてきた。

 今日もそんな一日になりそうだ。


 ロケット花火にライターで火を付け、教師に向けて至近距離で発射する。

 導火線を短く加工しているので即座に赤い閃光が吹き出し、

 目の前の男を襲った。


「おわ! あっつ!」


 どうやら効いているようだ。

 徐々に後退しながら距離を取る、この間に何か策を練らなくては……。

 教員の腕に当たった閃光は真上に反射し、スプリンクラーに直撃した。

 上から滝のような水が降り注ぎ、僕と教師の服を浸した。


「コラぁ貴様ぁ!!」


 花火による威嚇は完全に気に触れただろう。

 瞬発力を生かして急速に距離を詰め、胸倉に掴みかかろうとしてくる。

 大丈夫だ。もう距離は三メートル以上空いていおり、僕は洗面台の近くだ。

 

 近くにあった掃除ロッカーの中身をぶちまけ、ほうきやモップが散乱する。

 勢いを殺せずに教師は長物に引っ掛かり、無様に転倒した。

 好機! これをチャンスと見て僕は体を反転させ、トイレから走り去った。


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「おい、廊下は走るな!」僕と同い年くらいの男が遠くから声をかけてくる。

 青い正義の腕章を身に付けた、この学校の風紀委員だ。


 しかも俺は全身ずぶ濡れだ。確実に怪しまれる。


「体中濡れてるじゃないか! まさかトイレでタバコでも吸っていたのか?」


 やばい、どうする?


 ①全力で逃げる。捕まりそうになったら抵抗する。

 ②相手を懐柔して時間を稼ぐ。


 ①全力で逃げる。捕まりそうになったら抵抗する。

 →②相手を懐柔して時間を稼ぐ。


「た、助けてくれ!」


 今にも泣きそうな顔で風紀委員の男に泣きつく。

 風紀委員は男女2人組だった。


「ど、どうしたんだ」

「何かあったの?」

「あの、俺。先生に襲われて。それで抵抗できなくて……うぐっ。ひっく」

「お、襲われた……?」

「修くん、そう言えば体育教師の佐々木ってそういう噂あるらしいよ」

「は? 噂? どういうことかちゃんと説明しろ」


 色黒の女子風紀委員がうまくやってくれそうだ。


「だからこの子をトイレに連れ込んでそういうことしてたんじゃないの?」

「え? 男と? 嘘だろ!?」


 全くもって嘘だ。

 まぁ僕は襲われたとしか言っていないし、意味はどうとでも取れる。

 だが得てして体育教師で良い評判の人間は少ない。

 ましてや用を足している生徒のトイレをブチ破ってくるような奴だ。

 少し痛い目を見てもらおう。


「うらあ! 貴様ぁ!」


 噂の体育教師、佐々木だ。

 もはや血相を変え、顔から青筋が立っており、目が据わっている。

 過去これだけ人を怒らせた経験は、僕にはない。

 ただ捕まったら最後、ボコボコにされるのは目に見えていた。


「うわぁ。助けて!」


 僕は演技を続け、男子風紀委員の後ろに隠れる。


「そこの二人! そいつを渡せ!」

「一旦引き渡そう」男子の風紀委員が言った。

「は? あんた犯罪の加担をするわけ?」

「ぐっ……じゃあどうする」


 二人は顔を見合わせていた。

 風紀委員からは動きそうにないな。ならば……。


「う、うわあぁぁ!!!」


 全力で逃げる事にした。脇目もふらず、身体を反転させて力任せに走る。


「待て!」


 二人の風紀委員は向かってくる教師の足をかけ、うつ伏せに転んだ教師を抑え込んでくれた。


「ここは私たちが押さえておくから、早く逃げて!」

「こんの! 貴様らぁ!」


 計画通り。

 心の中で強くガッツポーズをキメながら、俺は非常階段へと急いだ。


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 あの教師のことだ。すぐに風紀委員を説得して探しに来るだろう。

 確実に逃げるためには保険をかけておく必要がある。

 

 僕は1階の非常ベルを迷いなく鳴らし、大きな声で叫んだ。


「3階に不審者だ! 早くみんな非難するんだ!」


 すると教室にいた生徒たちが巣を突かれたミツバチのように続々と教室を出て3階の様子を見に行く者、職員室に行く者、グラウンドに避難しはじめる者で廊下は間もなく大挙し、1階の階段付近は特に人でごった返していた。

 

 混乱している。この状況ならば風紀委員も教師も対応に追われて探すことはできないだろう。


 来客用の靴箱に入れておいた靴を取り出して玄関を出る。

 学校の柵をひょいっと乗り越え、そそくさと学校を後にした。




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2017.10/25.16:22 from Maruhira junior high school.


 丸平中学の体育館裏は木が沢山生えており、部活を行えるようなスペースもないので誰もここは通らない。つまり秘密の会議にはうってつけなのだ。


 僕がそこでイスに座って待っていると、派手な茶色い髪色をした女が現れた。

 愛沢 由理香あいざわ ゆりか、三年B組で運動部の女子を中心に絶大な発言力を持っている通称メスゴリラだ。

 本人にその名で通っていると伝えた時、

 袈裟固めを食らって危うく天国に行くところだった。


 本人の為にも言っておくが、彼女の顔はゴリラではない。

 多少濃い化粧をしているので分かりにくいが顔は案外と美人だ。


 なので袈裟固めを食らったときに胸が直に当たっていたので案外と満更でもなかったのだが、それを察した愛沢が力任せに締めるものだから、本当に逝ってしまいそうになった。


 おそらくメスゴリラと呼んでいるのは一部の面白がっている男子だろう。

 取るに足らない奴らだ。


「ちぃーす」

「おう、まぁ座れよ」


 俺はイスを引き出して、座るように促す。

 すると愛沢はシャンプーのいい香りを匂わせながらそこに座った。

 普通にしていれば愛沢は可愛い女の子だと思う。

 俺と彼女を隔てる存在は机一つだ。


「前の張り込み、すげぇ騒ぎになってたよ。一体何やらかしたの?」

「正当防衛だよ。体育教師に襲われそうになったから逃げた。周りに助けを求めた。それ以上はねーよ」

「あの佐々木とかいう奴でしょ? なんかあの一件がきぶつそーかいで謹慎処分くらったんだって。やばくない?」

「器物損壊だろ? あれは全面的に教師が悪い。いきなりドアをブチ破ってくる教師がいるか?」

「そんでもって風紀委員会からせいてきぼーこーの疑いが掛けられてるらしいんだけど、本人が名乗り出ないからお咎めなしみたいだよ。残念だったね」

「もうそんな情報まで出回ってるのかよ。あれはなんだ。一芝居打っただけだ」

「…………」


 愛沢が口の口角を上げ、すました顔で笑顔を作っている。

 あれだ、これは俺が秘密を掴まれたときの顔に非常に似ている。

 同時に奴にとっては面白いことで、

 俺にとっては面白くないことを考えている時に作る顔だ。


「なんだよ」

「それでぇ、並川君は佐々木先生で姫始めしたの?」


 愛沢が興味津々な顔で体を寄せてくる。

 胸も小さいわけじゃない。祭りで貰えるヨーヨーぐらいの手頃なサイズだ。

 この色気で何人もの男を誘惑してきたんだろ?

 知っている、知っているが……視線は嘘を吐けなかった。


「してねーよ。というか意味違うだろそれ」

「ショタ川w」

「うるさい」

「童貞」

「いいかげんにしろ。ユリカ・ユリカ・ユリカ」

「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラみたいに言うのやめて」

「はぁー。そんなアホな事ばっか言うから男が続かないんだよ」

「童貞に言われたくなーいし。あんたもなんで彼女できないのかね」

「俺はできないんじゃない。作らないだけだ」

「なんでよ」

「エージェントにはいい荷物になる。邪魔だ」

「なんかひどい病気にでもかかってるんじゃない? あれって確か厨二病だっけ?」

「やかましいわ。流石にもう卒業したわ」


 俺は中学三年生。厨二病は卒業したが、夢は諦めちゃいない。

 俺は日本政府に仕えるエージェントになり、国を護る為に戦う影の立役者になる。

 子供の頃から考えていた将来の夢だ。

 そのために情報収集や偽装工作をやっていたのだが、

 女子の情報網の要であるこの愛沢にそのことがバレてしまい、

 こいつに脅されて任務をこなしている、という訳だ。


「かたじけない、遅くなったでござる」


 遅れてやってきたのは唐揚げが大好きそうなふくよかで主に体の余裕があり、

 女に声を掛けられるだけでシドロモドロになる絵にかいたような童貞男。

 3O(おデブ、オタク、オクテ)を兼ね備えた上級童貞、隅岡仁良すみおか きみよしだ。


 今回の依頼人であり、俺の数多い童貞仲間の一人だ。

 その依頼内容とはズバリ、他校のマドンナである姫山と

 あわよくば付き合いたいとか。


 演劇で1年ながら主演女優を張っていた彼女に初めて恋をしたそうで、

 話だけでもしたいのだそうだ。

 しかし他校の生徒である上に、彼女は姫山財閥のお嬢様。

 行きも帰りもお車で話しかける隙も無い。

 上級童貞である隅岡曰く、姿を見る事すら困難らしい。

 俺も尾行の時に車による移動が厄介だったので、

 タクシーを使って「あの車を追え!」ってセリフがリアルに飛び出したけどな。

 追いかけている間の間が辛かった。


 そんな純情な童貞の初恋に付け込んだ愛沢が面白がり、

 応援してあげようとしたらしい。

 そこでスパイである俺の存在がバレて恋愛仲介をする運びとなったのだ。

 汚いなさすが愛沢きたない。


「やっと3人揃ったわね」

「じゃあ先日の報告を始めよう」


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「先日仙福中学でターゲットを盗聴し、

SNSアカウントに関する重要な情報を入手した。

これが対象のアカウントだ」


 ゆるい亀のイラストはツベッターの初期アイコンだ。

 これまで散々自画取り画像を見せつけられてきた俺たちにとって、

 少し物足りないアカウントのような気がしてならない。


 紹介文には中二としか書かれておらず、

 名前も鳴chanとしか書かれていなかった。


「なんかつまらなさそうなアカウントね」

「愛沢のとそう変わらんだろう」

「まぁまぁ」


 気を取り直して場を仕切り直す。


「これは対象のプライベートのアカウントであり、

本人の行動が詳らかに投稿され、書かれていることが予測される。

このことから導き出される答えは一つ、このアカウントを閲覧することで本人の行動を予め予測し、次の策を練ろうという訳だ」

「でも鍵付きじゃない。どうやって見るのよ」

「そういうツールとかなかったでござるか」


 さすが上級童貞の隅岡だ。しかし甘い、甘いぞ。このSNS時代において自分の正体を知られずに相手のアカウントを閲覧するのは非常に困難なのだ。AVを見るのとは訳が違うぞ。


「そう思って昨日ネットで調べてみたのだが、全くなかった。

このサイトにおいてその手のサービスは全部潰されてしまっている。

やるとしたら正攻法だ」

「……正攻法、でござるか」

「相手にフォローしてもらい、相互フォロー関係になる。だ」

「フォロー……あの姫山さんに?」

「もちろんだ。それ以外にない」

「でも隅岡のアカウントってアニメアイコンでアニメのことしかつぶやいてないじゃない。正直言って気持ち悪いから女の子はフォローしないよ」

「ひ、ひどいでござる……」


 愛沢、それはさすがに言い過ぎだ。


「何も俺はリア垢でフォローしてもらおうとは一言も言ってない」

「てことは、何か作戦があるのね」

「おうよ、スマートかつ確実にフォローを貰う方法、それは対象のクラスメイトに偽装してフォローして貰えばいい」

「なるほど! あったまいいね!」

「さすがは並川氏!」


「ただリスクもある。

一つ、偽装したクラスメイトだとバレれば即ブロックされるだろう。

二つ、対象に近しい存在に偽装しなければいけない。

三つ、万一偽装した人物に知れれば、最悪なりすましの罪で起訴されるだろう。

だからこの方法は成功した時のリターンよりも、失敗した時のリスクが高すぎる」


「じゃあどうするの?」

「逆に考えてみよう。みんなどんなアカウントをフォローしている?」

「友達とか、面白いことをつぶやいている人とか、コスメ関係のアカウントかなぁ」

「オタク仲間やアニメの放送日やゲームの発売日をつぶやいているアカウントはよくフォローしているでござる」

「それだよ!」

「どういうことでござるか?」

「つまりだ。彼女にとって有益なことをつぶやくアカウントになればいい。

ファッションやコスメ、イケメンとかドラマとか。

彼女……女性が好きそうなことを研究して、自ずからフォローされるアカウントを創り上げるのだ」


 自然と息が、力が入る。

 自分でも妙案だと思う。

 うまく行けば、この計画を成功に収めることができるだろう。


「隅岡よ、オタクになるのだ。姫山オタクになれ!!」


 俺は自信に満ちた表情で言い放った。


「分かった……俺、やるよ」

「隅岡くん……?」

「実はこれでも歴史オタクでしてね……調べる事に関しては得意中の得意でござる」

「そうだ。その一般人がドン引きするような無駄な引き出しの収納法を、今こそ実践する時だ!」

「うおおおこうしてはいられないでござる!!」


 それから隅岡は頑張った。

 

 学校近くのコンビニでファッション誌を立ち読みし、ファッションブログを読み漁り、女の子の好きそうなスイーツの名前をネットで調べて丸暗記したとか。


 その他どれもこれも実践の伴わない、板につかない情報ばかりだったが。たまに愛沢を誘ってパンケーキやフィナンシェ、クレーム・ブリュレを食べに行ったりしていたらしい。隅岡にはフォカヌポゥがお似合いだろうとは口が裂けても言えない。


 ただ愛沢をスマートに誘えているあたり、随分と女性慣れしてきているのだろう。

 お代はきっちりタカられていたらしいがな。

 どうも単に話した経験がないだけで、俺は彼とクラスこそは違うが

 最近は他の女子生徒にも挨拶をしていたのを目にした記憶がある。


 なんだかんだで頑張ってるんだよな。もう上級童貞とは呼ばないよ。


 彼のそういった努力の結果は"おススメスイーツbot","女の子の為のファッションbot","男の子のヒミツbot"の三つのアカウントからつぶやかれていった。


 隅岡の驚異的なリサーチ力によるbotの評判は高く、

 始めて1ヶ月もするとフォロワー数はどれも千以上を獲得していた。


 地味にすごいよな。まとめブロガーになってアフィリエイトで

 食っていけるぐらいの調査力はあると思う。


 そんなある日の晩、隅岡が柄にもなく電話をかけてきた。

 普段はスカイポかメールなのにどうしたんだろうと思ったが、

 状況から見るに、とにかく火急の用らしい。


 通話ボタンをポチッと押した。


<な、並川氏! 大変でござる!>

「どうしたんだ?」

<つ、ついに! 姫山氏からフォローされたでござる!>


 ここ1ヶ月、その一報を待っていた。

 いよいよ計画の最終段階が始まる――


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2017.12/9.11:54 from Somewhere.


 秋も暮れ、白い息が浮かぶ冬の昼前。姫山邸よりほど近い雑居ビルの

 屋上に忍び込み、出入り口を念入りに監視していた。


 俺の名は並川千次郎、丸平中学3年A組で

 平々凡々な公務員の親の元に生まれたごく普通の少年だ。

 将来は日本を、世界を護るエージェントを目指している。


 三か月を費やした入念な調査の末、周到に計画された最終任務だ。

 代理人エージェントの名において、必ず成功させる。

 俺は無線機を取り出し、連絡を流す。


「こちらアルファ。ポイント1を確保、出現ポイントを目視によって監視中。各員状況送れ」

<こちらベータ、所定のポイントで待機中>

<えっと、こちらポイント……なんだっけ。2で待機中。てかこの話し方って意味あるの?>

「傍受されたとしても、目的や我々を悟られないようにするためだ。ガンマ」


 今回の作戦は速度、タイミング、状況が合わさって始めて成功する。

 各員の連携は必須だった。


「それにガンマ、君の役割は待機ではなく周辺の監視だ。周囲に異常はないかもう一度状況を送れ」

<はいはい! こちらガンマ、周囲に異常なし。終わり>


「了解、よくできました」

<それは余計よ>

「対象のTLによると、もうそろそろ家を出るそうだ。

これよりワッフルの準備をする。各員も一層警戒に当たれ。終わり」


 ワッフルとは、ドローンの隠語だ。

 この周辺は住宅街で基本的に背の低い建物しかなく、

 かと言って尾行では感づかれる危険性が高い。


 なので上空からこのドローンを操作して監視するのだ。


「対象の外出を最大望遠で確認、これよりワッフルを食べる」

<プッ>

「ガンマ、声入ってるぞ」

<ごめんて>


 ドローンを操縦しながらモニターの先を注視する。

 全計器問題なし、ドローンの高度を人が監視できる高度で飛行させ、カメラから地表を監視する。


 因みにドローンの使用は場所によっては許可が必要な場合があるので、

 特殊作戦に使う際は注意しよう。


「対象をワッフルから捉えた。監視を続行する」

<こちらベータ、了解>


 姫山はあるティーン向けファッション雑誌の読者モデル選考会に

 応募していたのだとか。

 家族には悟られたくないらしく、お忍びで会場まで向かうらしい。

 それが今日、12月9日の日曜日だ。

 ちなみにこれらはすべてSNS上で入手した情報だ。


 車ではないので当然普段とは違う緊張感があるだろう。

 しかも自分の大好きな選考会の当日だ。

 ドキドキしない訳がない。


「こちらアルファ、対象が地点Aを超えた。ルートCに忠実に従っている。終わり」

<こちらガンマ、男が一人近くでタバコを吸ってるけど、特に以上なーし>


 作戦はこうだ。ベータの隅岡が対象と曲がり角で激突し、

 ロマンチックな出会いを演出する。以上。

 なお考案及び監修はガンマもとい、愛沢だ。

 いくらなんでも少女漫画の読み過ぎだろう。


 ちなみにガンマは今日自転車に乗っている。

 終わった後友達と映画を見に行くらしい。

 仮にも友人の大一番だというのに、呑気なことで。


「こちらアルファ、対象が走り出した。時間を気にしているものと思われる」

<ガンマも目視で確認したよ。予測通りこの路地を通るかも>

「最短ルートはその路地だ。使わない手はない。ベータ、準備!」

<路地に入った! カウント開始します!>


 路地に入ったからにはドローンは使えない。

 ここからはドローンを回収し、カウントを愛沢に任せる。


<5、4>


 この時を待っていた。これで隅岡も本望だろう。

 無事任務は終了し、俺は呪縛から解放される。

 しばらくはスパイ映画を見直そう。


<3、2、1!>


 終わったか。


「愛沢、状況を――」

<ちょっと待ってそれどころじゃないって!!>


 愛沢の無線から叫び声のような声が飛んできた。

 どうしたんだ、こんな声これまで聞いたことがないぞ。


「落ち着け愛沢、落ち着いて状況を説明しろ」

<姫山が――攫われる!>


 刹那、俺の思考が凍り付いてしまった。


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2017.12/9.12:16 from Somewhere.

Side:Kimiyoshi


 目の前で起きた状況を、僕は瞬時に理解することができなかった。

 路地を男が通り抜けて行ったと思ったら、姫山氏を捕まえようと追いかけた。

 姫山氏は金切り声を上げながら反対方向に足を切り返したが、

 反対側はワゴン車でブロックされてしまった。


 というのが一瞬の顛末だ。

 

<愛沢、状況を――>

<ちょっと待ってそれどころじゃないって!!>

<落ち着け愛沢、落ち着いて状況を説明しろ>

<姫山が――攫われる!>


 無線の会話が頭に入ってこない。

 そうか、僕は怖いんだ。

 彼らに近付いて、傷つけられるのが怖いんだ。


<隅岡、聞こえるか>

「……うん、聞こえる」

<状況は?>

<男が姫山氏を押さえつけてる。たぶん車の運転手と二人組だ>


 男は異常に興奮していた。細身の白いシャツを着た男で、

 センスもへったくれもない。

 対して姫山氏は白いひざ丈ほどのチュールスカートに、

 明るいデニムジャケットがとても良く似合っている。

 俗に言うガーリーファッションという奴だろうか。


<俺が行くまで時間を稼げそうか?>

「で、でも」


 思わず弱い声が出る。

 僕の悪い癖だ。曖昧な返事ばかりして、結局はやらない。

 そんな自分が、いつも嫌だった。


<隅岡のしたいようにしろ>

「え?」

<ここで逃げても、俺は隅岡を責めない。

ただずっと、一生後悔するのは隅岡なんだぞ>


 彼のこういう自由で、縛らない性格はとても好きだ。

 殺されるぞ。


「ハァッハァ……もう我慢できねぇ!」

「ずらかってからにしろって、誰かに見られたらどうする?」


 姫山氏を押さえている男が服の上から彼女の体を嘗め回すように触っていた。

 そして胸を彼女の背中にぴったりとくっつけて、その感触を楽しんでいる。

 許せない……。今すぐぶん殴ってやりたい。


 しかしどうするべきか。もし下手に出て、そのまま姫山氏が連れていかれたら?

 どんどんネガティブな方向に考えが巡ってしまう。

 どうにかしたいのに……どうにかしたいのに!


「このクソ野郎どもがぁぁ!!」


 しばらく路地前で立ち尽くしていると凄まじい罵声と共に、

 愛沢氏が自転車を持ち上げて車の後部ガラスを一発で破壊した。

 男たちもビクついて思わず怖気づく。


「ほ、ほら言わんこっちゃねぇ! ずらかるぞ!」


 二人は急いで姫山氏を車に押し込み、アクセル全開でその場から逃走を図った。

 大きな鉄の塊はまっすぐこちらに向かってくる。


「並川君、僕やるよ。じゃあ、後は頼んだよ」

「よせ! 隅岡!」


 僕は車が路地を出る瞬間、車の前に体を投げ出した。

 これで死んでも構わない。

 こんな僕でも好きな人の為に死ねるなら、悔いはないよ。


「うわぁぁ!! 邪魔だガキ!!」


 僕は車の上に乗り上げたみたいだった。

 死ぬまでこの上からは、退かない。


 周りの景色が速すぎて線に見える。

 常にスローモーションが視界にかかっていた。


「やばいブレーキ! ブレーキ踏めって!」


 車が壁か何かにぶつかり、地面が割れるような衝撃の瞬間。

 僕の視界から光が消えていった。


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2017.12/9.12:16 from Somewhere.

Side:Senjirou


 俺が警察に通報した後に現地に向かうと、

 隅岡は車の前に飛び出し、姫山を命を賭けて守ろうとした。


 車は間もなく近くの壁に激突し、隅岡は車から振り落とされて路地の脇に

 倒れていた。頑張って男気見せたな、隅岡。

 目立った外傷もないようで、本当に良かった。


「おい! 今から開けるからな!」


 持ち合わせていたトンカチで左側のリアガラスを割り、

 車のカギを開けて姫山を開放してやった。

 忘れずにガムテープと、腕の紐を解いてやる。


 なんだかんだで、この子と面と向かって会うのは初めてだ。

 女の子らしく可愛らしい服装に、線の細くて少しキツそうな顔はどこか小動物を思わせるような雰囲気を持っていた。


「こ、こわかったですわ~!」


 心地よい高さの声が俺の耳をくすぐってくる。彼女はとてもいい声をしていた。

 なんとなく、隅岡がこの子を好きになった理由が分かった気がする。

 これまでこの子の性格や上辺の付き合いだけしか見ていなかったが、

 この声は確かに聞き惚れる良い音だ。


「あ、あの方は?」


 隅岡のことなんだろう。重傷を負っている様子もないので

 指で示しながら教えてあげると、まっすぐ彼に向かい、介抱し始めた。

 神妙な顔で隅岡に向けているその眼差しは、命の恩人に対する目だった。


「私なんかの為に……身体を張っていただいて……」

「ウ、うーん……」


 起きたら目の前に好きな人の顔があると、どんな気持ちになるだろうか。

 俺ならとても嬉しい。隅岡も多分、幸せな気分なのだろう。


「本当に良かったですわ……!」

「姫山さん……」


 彼はゆっくりと体を起こした。

 思いのほかダメージが少なそうで何よりだ。

 しかも嬉しそうに露骨にニタニタしやがって、爆発しろ。


「みんな! 隅岡は大丈夫?」


 愛沢が自転車を引いてやってきた。

 何があったのか、自転車はボコボコになっているが。


「ああ、命に別状は無いみたいだよ」

「ホント!? 良かったぁ」


 愛沢もほっと息を吐く。

 その姿を見て、俺も興奮から少し落ち着くことができた。

 そうだ、当初の目的を忘れてはいけない。


「そういえば今日は何か予定があったんじゃ?」


 俺がさりげなく気を回してやる。

 悪漢共のせいで予定が狂ったが、結果オーライだ。


「は! そういえば選考会! も、もう間に合わないですわ……」


 大げさに喜んだり落ち込んだりするところがちょっと面白かった。

 もう少し見ていたい気もするが、隅岡が何か言いたげだ。


「ぼ、ボクが……送っていくよ。愛沢氏、自転車貸して」

「あぁ、うん。貸すのはいいよ。ちょっとイガんじゃったけど」

「そんな! 遠慮しますわ! この身を助けていただいて、その上送ってもらうなんて!」

「ボクに送らせてほしいんだ。ずっと、楽しみにしてたんでしょ?」

「でも……」

「俺からも頼むよ、どうか送られてやってくれ。隅岡は人の為と思うとどこまでも尽くすタイプでな」


 俺が背中を押してやると、彼女はしばらく顎や横顔に

 手を当てたりして考えていた。

 その仕草がリスのようにいちいち可愛らしくて、とても微笑ましい気分だ。


「分かりましたわ。では隅岡様、お願い致します」


 彼女が合意すると、隅岡は自転車にまたがり、姫山も彼の背中に身を預ける。

 チャーシューみたいな背中も、映画のラストみたいに格好良く映えていた。 


「じゃあ、気を付けろよ」

「後で自転車返せよなーっ」


「みなさん、ありがとうですわ~」


 姫山は後ろからその手を振り、二人は俺たちと別れて行った。


「自転車無くなっちゃったなー。今日の映画どうしよ」

「タクシーで送っていくよ」

「さっすが並川さん! ゴチになりまーす!」

「相乗りだから割り勘だよバーカ」

「ケチ」

「いいじゃんか、今日は俺も見たいんだよ。久しぶりに、恋愛物の映画がな」

「並川のくせに分かってるじゃん」

「じゃあ行くか」


 後のことは警察や周りの人がなんとかしてくれるだろう。

 俺たちは足並みをそろえて前に歩き出した。


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