第5話 連続強姦魔ドバト男

episode 5 "FIRST AND SECOND"

 羽原紅子の不必要に気取った声がインカム越しに聞こえた。

「今日という日の重みを知るやつが、自分の居場所を求めて乗るのがオートバイだ。うちのファーストのようにな。それに火を着けるやつなど許してはおけん。異存はないな、セカンド?」

「ありませんよ。俺にはオートバイはわからない」セカンド――灰村禎一郎は、自分の太ももを叩いた。「これがあるんで。……行きます!」

 弾丸が放たれた。

 物陰から飛び出してブロック塀を蹴り上げて上へ。速度を殺すことなく反対側の住宅敷地へ飛び降り、更にもう一度ブロック塀を越える。街灯の支柱を掴みながら方向を変え、車停めの上に片足で着地して勢いを殺してから、背中から地面に転がる。

 集合住宅の自転車置場だった。屋根があるだけの簡素なもの。並ぶのは自転車が中心だが、中にはスクーターや、カバーを掛けられたスポーツバイクらしきものもある。

 そして、男がひとり、蹲っていた。

 バーベキューで使うようなノズルの長いライターを手にしている。先端をバイクのカバーに近づけている。火を着けようとしている。

 同地域で最近立て続けに発生していた不審火に狙いを定めたのは、例によって羽原紅子だった。最近、彼女は新たな技術としてプロファイリングを我が物にしようと企んでおり、そのテストに打ってつけの標的が、オートバイばかりを狙う連続不審火事件だったのだ。

「……道哉、ちゃんとフォローしなさいよ」と片瀬怜奈の声。

「問題ない」と道哉は応じた。禎一郎を追う空撮ドローンからの映像を受信する端末をベルトのポケットに収め、マスクを装着して、走り出す。「速いんだよ、灰村の野郎」

 事件は同一の時間帯、特に金曜日に多く発生していた。地域も限られていた。

 紅子曰く、発生地点をある数式で解析すると、犯人の居住地が現場最寄りの私鉄駅から歩いて十五分ほどの単身者向けマンションであることと、そのマンションから駅までの経路上で事件が連続していることがわかったのだという。

 そして各不動産屋の物件情報を横断検索するウェブサイトからその地域でオートバイ可の物件をリストアップ。「なんという少なさだ」などと嘆きながら、紅子は次の犯行予測地点を三ヶ所にまで絞り込んだ。そして周辺の監視カメラへ侵入して、放火魔の到来を待った。

 一件目はさすがに阻止できなかった。だが顔が割れた二件目は待ち伏せができた。

 そして現在。

 道哉が追いつくと、黒装束の灰村禎一郎が、真っ黒な包帯で男をカーブミラーの柱に括りつけているところだった。もちろん包帯のような弱々しい布では拘束などできない。装飾はともかく、本拘束は介護用の抑制帯を黒染めしたものである。都内の経営破綻した介護施設に仕事で足を踏み入れた葛西が一式放置されているのを発見し、紅子が回収した。

 ブロック塀の上に禎一郎の姿。道哉を認めると、彼はサムズアップしてみせた。

 連続放火魔は目も包帯で塞がれている。道哉は周囲をもう一度確認してから、フードは被ったままマスクを取った。

 禎一郎の新調されたコスチュームは、動きやすさを重視。最低限のインナープロテクターだけを備え、素材は綿やポリエステルが使われていた。ゆったり目のボトムと、銀金具がアクセントになったノースリーブは、禎一郎単独時代を踏襲していた。

 決定的に違うのは、頭巾だ。背中を半ばマントのように覆う三角頭巾は、葛西が調達した防刃繊維だった。暗闇に潜んでいると、全体が鋭角のシルエットを形作る。塀の上に乗っていると、鳥の化物か何かのようにも思えた。口元は黒い布で覆われている。そこだけ見ると、まるで時代劇に出てくる忍者の類だ。

 そして、禎一郎が予断なく睨む先へ目を向けた道哉は思わず口にした。

「少し演出過剰じゃないか?」

 オレンジ色の柱の根本に男が拘束されているが、包帯でぐるぐる巻きにされた姿はまるでミイラだ。ミラーそのものにも包帯が十重二十重に巻きつけられている。ドローンが音もなく道哉の頭上に飛来し、映像を見たと思しき怜奈が「トリエンナーレに出せそう」と呟く。

「何だそれ」

「現代アートのイベント」

「へえ……」

「アヴァンギャルドはここまでだ」と紅子が宣言した。「全員、二区画先の公園の公衆トイレ裏から撤退だ」

 首を竦める禎一郎に、道哉は告げた。

「そんな顔するな……俺だって嫌だ」


『東京・杉並区に黒い布で拘束された男 連続不審火事件に関連か』

『「ブギーマン」か? 街角に拘束された放火魔』

『黒包帯で拘束の男 複数の放火を自供』

 翌日からの報道にはそんな文言が並んだ。

 世間からすれば、これまで存在を匂わせこそすれ、現実味を伴って表舞台に現れることはなかったブギーマンという男が、まるで自分の手柄を主張するかのような行動を起こしたのである。蜂の巣をつついたような大騒ぎになるだろうと、羽原紅子は予測していた。

 だが、存外に世間は冷静だった。

「そりゃ、もう本物とか偽物とかわかんないしね」と片瀬怜奈が言った。

「言われてみれば、って感じだよな」と道哉は応じた。

 放課後の学校裏庭。以前は佐竹らが居所にしていたが、彼らが学校を去ってからは休み時間も無人になることが多かった。他でもない道哉も、あまり足が向かなかった。嫌でも思い出すのだ。全ての始まりになったあの瞬間を。

 道哉は、足元に転がっていたボールを拾い上げた。

「手口が変わったなら、別の誰かかもしれない。実在を疑わせるような演出が仇になったな」

「羽原さん、悔しがってそう」

「結果オーライじゃないのか? 俺たちの活動の自由度は上がる」

「こっちもひとりじゃないしね」

「まあ、ね」両手で軽くドリブルしてから、見よう見まねのシュート。リングに弾かれる。

 一般にはブギーマンの真似事をしている人間が多数いるという見方が大勢を占めており、三星会摘発前後のブギーマンが同一人物だと考えているのは、ヒーロー幻想に熱狂しがちな若い世代だけだった。

 警察の追及を躱し、マフィアと戦い、街の少年グループを退治するひとりのヒーローがいると考えるよりは、それぞれ別個体と考える方が筋が通る。有沢修人は大なり小なりブギーマンだった、警察は立証できなかっただけだという考えの方が、納得しやすいのだ。

 その場で考え込んでいると、怜奈が言った。「あれ、面白かった」

「あれ?」と問い返してから、思い出した。「あんまり好みじゃないかと思った」

 数日前に書庫にあった本を彼女に貸していたのだ。

 ハードボイルドの古典的名作だが、そのポルノスティックさや安易とも取れる暴力性のために文壇からの評価は芳しくない作品である。だが、通俗ハードボイルドのいちスタイルを確立したとも言われるほどに多くの支持を集め、後世の作品にも多くの影響を与えていた。

「続編ある?」

 書物のジャングルと化している亡父の書庫を思い出し、苦笑いで道哉は応じた。「探せば多分」

「本当? 調べてみたら全部絶版でさ」言葉は弾んでいたが、あまり興味はなさそうだった。それで、怜奈には何か他に言いたいことがあるのだと気づいた。

 文庫版が出版されていないことと、続刊が全部揃うかは怪しいことを伝えた。怜奈は、いつものように「ふぅん」と応じると、件の小説に登場するブロンドの女医のキャラクターのあざとさを語った。

 それから不意に言った。

「灰村くん、どう?」

 道哉は面食らいつつも応じる。「まあまあじゃないか。あいつが前線に立つことで、ブギーマンという存在の正体不明さが高まるんだろう?」

「いまいち実感ないけど」怜奈はボールを拾うと、両手で無造作に投げた。鮮やかな軌道を描き、ボールはネットを僅かに揺らして中心を通過する。「やった」

「羽原が言うんなら、そうなんだろ」

「信頼してるんだね」

「信用だよ。あれはどうも腹の中が読めない」道哉はまたそれらしい構えでシュート。今度はボードに跳ね返りながら何とかネットを通過する。

 冷たい風が吹き、清掃業者に忘れられた裏庭に積もった枯れ葉を散らした。身体を適当に動かしていても、上着を脱ぐには寒すぎた。

 怜奈が、手に息を吐きかけながら言った。「次、どうするか聞いてる?」

「羽原の言う『クリエイター』か?」

「今回も外れだったんだよね」

 日本全国で発生している、不自然な技能を持つ者による犯罪。羽原紅子はその裏に手段の提供者がいると仮定していた。ブギーマンに対する羽原紅子、すなわち自分の対になる何者かの存在を感じ取っていたのだ。

 だが、事件の探索は勘頼り。そして、必ずしも東京全域をカバーしているわけではない地下通路を撤退に使っていることが足枷となっていた。

 チーム・ブギーマンは活動範囲が限られており、限られた範囲の犯罪に目を凝らせば、当然、クリエイターの影などありはしないごく普通の犯罪を発見してしまう。今回の連続放火も同様だった。

「会社の飲み会帰りに放火してたらしいよ」

「憂さ晴らし?」

「たぶん」

「楽しそうだな」

「放火?」

「そうじゃなくて」道哉は転がったボールを取った。「お前が」

「あたしが?」怜奈は怪訝な顔をして、それから目を逸らした。

 道哉はよく狙いを定めて、シュートを打つ。ボールは明後日の方向へ飛び、壁に跳ね返って怜奈の足元に転がった。

 怜奈はボールを拾い上げると、陽の当たらない校舎北側の壁を見上げた。

「ここよりは面白いしね」

「また適当なこと言ってさ」

 怜奈は何か言いたげだったが、結局黙って構え、お手本のようなシュートを打つ。ジャンプした拍子に危うくなったスカートの裾に思わず目が行った。

 ボールはリングに何度か当たりながらゴールに吸い込まれる。

 乱れた前髪に触れながら怜奈は言った。「あんた、これから何と戦うの?」

 また話題が変わった。眼差しは真剣だった。だから、これが彼女が今訊きたいことなのだと思った。

「許せないものと。俺らじゃないと倒せない悪と」

「ふぅん」納得したような、していないような返事だった。「即答なんだ」

「羽原は確信してるって言ってたけど、俺は確信できてない」

「何が?」

「この世に俺たちみたいな存在が必要だってこと」

「不完全なシステムには例外が生じる。この社会は不完全である。ゆえに、この社会における例外は必然である」

「そんな三段論法じゃなくてさ」

「そうだね」怜奈は、似合わない笑顔で言った。「少なくとも、放火魔じゃないよね」

「何もしなくていいなら、それが一番なんだけど。……ああ、寒い」道哉は拳をポケットに突っ込む。

「もうすぐクリスマスだもんね」指先を髪に絡めて彼女は続ける。「あんた、予定は?」

 訊きたいことは終わったようだった。道哉は、あくび混じりに応じた。「一花ちゃんが張り切るからなあ」

「じゃあ、ご家族?」

「いや、わかんねえ。そうだ、プレゼントにバイク買ってくれよ、バイク」

「はあ? 何で」

「冬場は中古の価格が下がる。空冷にはいい時期だけど……」

 遮って怜奈が言った。「あんまり不愉快なこと言わないでくれる」

 存外にトーンの低い声だったので、たじろぎながら道哉は応じた。「冗談だよ。気を悪くしたなら……」

「別に、どうでもいい」

 ちっともどうでもよくなさそうな横顔だった。

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