第12話 プチ旅行 前編

「旅行いこっか」


 6月に入って二週間も過ぎた頃、お母さんからの突然の提案。この人はいつだってそうだ。思いつきで行動する。まだ長期の休みでもない。だから遠い所には行けない。そもそもどこにいこうって言うの?


「ハルも連れてさ。あの子にこの世界の美しさを見てもらいたいのよ」


 ああ、お母さん、そう言うつもりだったんだ。確かにハルはこの世界を極狭い範囲でしか知らない。私はその思いを知ってこの提案に乗ってもいいかなって思った。


「え……。そんな僕にそんなに気を使わなくても……」

「いいの! 決めたんだから!」


 遠慮するハルを強引に押し切ってこの旅行のプランは決定した。

 でも多分思いつきだろうから、詳しい事はお母さん今から考えるんだろうな。


「さーて、どこに行こうか……」


 ほらね。


 旅行は土日の二日間。お父さんは仕事があるからお母さんと私とハルの3人(?)。コンセプトは綺麗な景色を見ようって話だからやっぱ温泉……かな? 私としてはテーマパークとかの方がいいんだけど、ハルを連れていくとなると色々と無理だろうなぁ。

 そんな条件を色々考えて候補地を少しずつ絞っていった。


「ほら、ここがいいんじゃない?」

「えー、ちょっと渋くない?」

「じゃあこことか!」


 旅行ってどこに行くか考えている時が一番楽しいものなのかもね。お母さんと2人であれこれ言っていると時間があっと言う間に過ぎていく。

 ハルはと言えば、テンション高い2人の様子をちょっと引き気味に眺めていた。まぁヤツはこの世界の事あんまり知らないもんね、仕方ないね。


 そうして長い長い議論の末に旅行先も無事決まり、手続きとかはお母さんがしてくれる事になった。特にシーズンでもないから宿の予約も余裕だよって笑いながら話している。その余りのハッスルぶりからみて、ハルの為って言ってたけど本当はお母さんが一番旅行したいんじゃないかという気すらしてきたよ(汗)。

 別にそれでもこっちは全然構わないんだけどね。私がお金を出す訳じゃないし。


 いきなり次の週末と言うのはスケジュールが合わなかったので、その次の次の週が旅行の日。その日程に合わせてお母さんは旅の手続きをテキパキとこなしていった。


 それから時間はあっと言う間に過ぎて旅行の日の当日。まずは現地に向けて電車移動。流石に駅で動くぬいぐるみはマズイだろうと、駅から座席に座るまでハルのは普通のぬいぐるみとして過ごしてもらう。

 重さは普通のぬいぐるみと一緒だからそこはそんなに苦にはならないんだけど、やっぱりこの歳でぬいぐるみを持って移動するって精神的に結構ハードだった。


(うう…恥ずかしい…)


 不幸中の幸いだったのは、この道中で誰にも知り合いに会わなかった事。誰にも会わないのならこのくらいは我慢するよ。


 電車が動き始めハルを窓際の座席に下ろす。ヤツは最初は遠慮していたものの、次第に窓の外の景色に釘付けになっていた。


「おおお……。美しい」


 今日はいい行楽日和だった為、電車もいい感じで席が埋まっていた。

 けれど私が通路側でハルを隠すように座っていたので誰もハルの存在に気付く人はいなかった。大きいぬいぐるみを持って乗って来た人がいるなって程度の認識かな?

 指定席の車両だし、あんまり他のお客さんを気にする人はいないのだと思う。


 電車に揺られる事3時間……。段々目的地が近付いてくる。私もお母さんもハルも流れる景色をのんびりと楽しんでいた。もうすぐ通過するちょっと長いトンネルを抜けると、降りる駅まで後もうちょっとだ。


 電車を降りたら目的のホテルまではバス移動になる。駅を出た時点で、そこは地元とはまるで違う景色だった。


「ふぅ~! ついたねぇ~」

「まだだよ! これからバスに乗らなきゃ」

「でもここからでもいい景色だよー」


 もう地元じゃないしいいかなって思って、ここからはハルを自力で歩かせる事にした。彼もずっとぬいぐるみのふりをしているのは大変そうだったし。

 バスのりばでしばらく待ってバスに乗り込む。私はハルを自分の膝に乗せてバスからの車窓の景色を楽しんだ。


「これからホテルに向かうよー」

「渚、僕のためにありがとう」

「いやいや~、感謝するべきはお母さんだよ」


 バスを降りる時に自力で降りていくハルを見て運転手さんが驚いていたっけ。え? ハルの料金? ぬいぐるみに料金は発生しないのです! (キリッ!)

 運転手さんも珍しいものを見たって事で許してくれました♡ 大らかでいいね!


「着いたどー!」


 両手を思いっきり上げて喜びを表現する私。着いた所はホテルって言うか旅館って言うか……そんな感じ。今時は旅館もホテルもそんなに大差ない所も多いよね。って言うか、そもそもそんなに贅沢も出来ないしね。

 でも結構風情のあるいい感じの建物だよ。


 自然がいっぱい!

 空気が綺麗!

 いい天気!

 料理も美味しい! ……かどうかはまだ夕食前だから分からないけど。


「さぁ~お風呂入ってくるわよォ~♪」


 温泉……。ハルって温泉入っても大丈夫なのかな? お母さんは部屋に着くなりすぐに温泉に行っちゃったけど、私ら若いもんはねぇ(汗)。

 部屋についてからも楽しめるようにUNOを持っては来たけど、2人でやっても面白くないし……。そして部屋の窓の外はすごくいい感じ……。そうだ!


「そうだハル! 散歩に行こうよ!」

「あ……うん、行こうか」


 そんな訳でハルと私は旅館の周りを散歩する事にした。この景色を楽しんでもらうための旅なんだからこれが正解だよね。


 美しい自然の中でトコトコ歩くハルが可愛い。私も彼の歩幅に合わせて歩く。いつも一緒に外を歩く時はハルの存在が目立たないようにすごく気を使って歩いているけど、今日はそんなの気にしなくていいからすごく気が楽。

 私は思いっきりリラックスして、歩くぬいぐるみとの散歩を楽しんでいた。

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