第26話 「商業都市メコダ」


「と、とりあえず中に入れよ」

「はい」


 俺が告げると、スターシアはとても嬉しそうにテントの中に入ってきた。そうしてあぐらをかく俺の前、膝と膝がくっつくような距離にやってくる。近い近い近い。柔らかな胸の谷間が顔を覗かせていて、俺は思わず腰を引く。


 だがそれを押しとどめるようにスターシアは俺の手を両手でぎゅっと握ると、熱いまなざしを向けてきた。


「ジンさま、シアはこの日を待ち焦がれていたように思えます」

「そ、そうか」


 彼女の眼帯の上で、蝶々のブローチが月明かりを反射して輝く。


 俺はそんなスターシアに見惚れてしまった。


 綺麗だ。思わず口をついて出そうになる言葉を飲み込む。こちらを見つめるスターシアには、もうなにも言葉はいらないような気がしたのだ。


 スターシアはその華奢な体を猫のようにしならせて、俺にすり寄ってきた。


 柔らかく暖かい感触が触れる。目の奥にチカチカと火花が瞬くようだった。


 こうして俺たちは――。




 ***




「――昨夜はお楽しみだったみたいね」


 近くを流れる小川があるというので、朝早く顔を洗いに来た俺のもとに、そんな声が飛んできた。


 タオルで顔を拭いて振り返ると、そこにいたのは腕組みをしてそっぽを向いている寝起きのリルネお嬢様だ。こっちは上半身裸だから少し恥ずかしい。


「……もしかして、聞いていたのか?」

「バカね、そんなことするはずないでしょ。ただ、夜中に少し目が覚めたら、スターシアがいなかったから……。あんたのところに行ってたんでしょ」

「まあな」


 俺は濡らしたタオルで体を拭く。ひんやりとして気持ちがいい。リルネは相変わらずそこに立ちすくんでいた。なんだろうか。


「あ、順番待ちか? だったら悪いな、すぐ終わるから」

「……」


 そうじゃないみたいだ。リルネは黙り込んだまま拳をぎゅっと握っている。しばらく経ってから、彼女は手をひらひらさせながら口を開く。


「……ま、よかったじゃない。あんたみたいなのがシアと結ばれてさ。現実世界じゃあんなに綺麗な子とお喋りするのだってできないでしょ? こっちの世界に来てよかったわね! シアもあんたのことが好きだし、あんたもシアのことが好きだったんでしょ!」

「いや、そりゃ好きか嫌いかって言われたら、好きだけどさ」


 そこでリルネは一瞬だけ息を止めた。それから無理矢理にでも勢いをつけるようにして声を荒げる。


「あたしにさんざん感謝しなさいよ! 奴隷を買ってあげたのはあたしなんだからね!」


 びしりと指を突きつけてくるリルネに、俺は「あのなあ」と頭をかく。


「別に、なんにもなかったよ」


 ぴくっとリルネのこめかみが痙攣した。


「なにもって、なにもないはずないでしょ! いい大人がふたりで同じテントにいたのにさあ!」

「ちょ、なんで掴みかかってくんだよおい!」


 俺が首に巻いたタオルを締め上げるようにして、リルネが下から睨みつけてくる。


「もうネタはあがってんのよ! ヤッたんでしょ! ふたりで、狭いテントの中で! くんずほぐれず! それで平然と朝を迎えて、同じ寝袋の中で目が合って照れくささに微笑み合ったんでしょ! なんなのよそれ! 爆発しろ! 爆発させるわよ!」

「待て待て! なにもしていないって言っただろ!」

「はあ!? 信じられるわけないでしょ、バカ! だったらあんたはアイドルがラブホテルから出てきた写真が出回っているのに『彼とはお友達です☆』とかのたまうのを信じるっていうのか!? ええ!?」

「なんでガチギレしてんだよ!」


 リルネの腕を振り払う。


「なんにもしてねえって言ってんだろ! ただ添い寝してもらっただけだよ! 前と一緒だよ!」

「優しい嘘なんていらないわ! あの品のいいおしりを掴んでバックから好きなようにパコパコしたんでしょ! あんたの獣性をこれでもかと叩きつけたんでしょ! 本当にご身分よね! これだから男ってのは!」

「お嬢様ぁ!」


 ちょっと言葉遣いが乱れすぎていますよ! そんな教育を受けた人じゃなかったでしょう!


 俺は苦渋の表情で首を振る。それを見たリルネが、眉根を寄せた。


「……まさか、ホントになにもしなかっていうの? なんで? あのシアがなにをしてもいいって言っているのに……、あんたもしかしてホモなの?」

「違う。色々あったんだよ、こっちにも……」


 悩んださ、俺だって。


 その場の衝動に身を任せてもいいなら、思いきり抱きたかったとも。リルネが口にしたようなことを、やってみたかったとも。男の本懐みたいなもんだからな。


 でも、ダメだったさ。


「……色々ってなにがあったのよ」

「男には色々あるんだよ」

「あっ」


 リルネは察したような顔をした。それでなんとも言えない表情を浮かべる。患者をいたわる看護師のようだ。


「そっか、ジン……、あんたも大変だったのね。ごめんね、あんたのプライバシーに踏み込んじゃって。回復魔法とか、試してみる?」

「完全に余計なお世話だよ」


 こいつがなにを勘違いしているのかは特に考えないようにしつつ、俺はうめいた。


 実際、俺がヘタレだったのは間違いない。スターシアをいざ抱こうかと思ったその時、頭の中に色んな感情が渦巻いたんだ。


 その中のひとつに、『娘を頼むよ』と言い残してくれたクルスの顔があった。


 俺はリルネと恋人ごっこを始めた。その矢先にスターシアと結ばれるというのは、なんとも不誠実な男であるように思えた。


 リルネの屋敷で、初めてスターシアが添い寝してくれたときの夜のことだ。あのとき俺は『リルネの誕生日を無事に迎えることができたら、そのときは――』と口にした。口にしたのならもう誓いと同じだ。


 リルネは無事に誕生日を迎えることができず、独りぼっちになった。だったら、まだなにも終わっていない。


 だから俺はスターシアに手を出さなかった。そんな俺にスターシアは少しだけ残念そうな顔をして、しかし優しく隣で眠ってくれた。


 翌朝起きたときも、前日と変わらない笑顔で俺を迎えてくれた。嬉しかった。もっとがんばらなければいけないな、って思ったとも。


「……? なによ、こっちをじっと見て」

「いや、別に。でもとうぶんスターシアには手を出さないよ」

「そうね、わかったわ。あんたも色々あるんだもんね……。ごめんね、詮索して。早く良くなるといいわね」


 勝手に勘違いされているのは、いいとして……。


 俺の想いは、リルネには言うつもりはない。俺の勝手な誓いだからな。ほとほと自分も、面倒なやつだってのはわかっているんだ。


 ごはんですよー、とスターシアが俺たちを呼ぶ声がした。さあ戻ろうかとリルネを見えると、彼女はハッと気づいて俺をシッシッと手で追いやろうとする。


「なんだ? リルネ、早く戻ろうぜ」

「あたしも身体を拭くの! 絶対見ないでよ!」


 恋人同士の設定だからって、怒られた。だがそれはいつものリルネお嬢様だった。





 ***





 旅が続く。暇を見つけてはスターシアはリルネから魔法を習い、俺は剣を振り続けた。


 それともうひとつ、俺は改めて自分の能力を把握するために、まだリルネが眠っているような朝早く、頻繁に『トリガースキル』を使ってみることにした。


 スターシアの未来視が発動したら、無駄撃ちはできなくなっちまうからな。今のうちだ、今のうち。


 スターシアが食事の用意をしている間に、俺はいつものように少し街道から外れた小道をゆく。社畜だったから早く起きるのが身についてしまっているんだよな、俺。岩陰などで人に見られないだろうというところに当たりをつけて、トレーニングの開始だ。


 剣を三十分振って体が十分火照ってきた辺りで、俺は迅剣ヴァルゴニスを置いて拳を握った。


「トリガースキル……」


 小さくつぶやくと、拳がわずかに発光を始める。


 この光がなんなのかリルネに聞いてみたが、正体はわからなかった。場の支配属性にも変化は現れなかったため、魔法ではないようだ。アシードもまた『初めて見るものだ』と言っていた。


 何度か使うと俺の体力が一気に失われるため、なんらかのエネルギーを消費しているんだろうが……、今のところ言えるのはそれぐらいだ。後遺症とかあるのかな。特になにも感じないんだけどな。ま、その辺りはヴァルハランドの塔についてからだろう。


 今のところ、俺が使える技は二種類。トリガーインパクトとトリガーバレットだ。インパクトは拳から直接光を叩き込む技で、バレットはもう少し射程が長い。だいたい三メートルぐらいだろう。


 威力の違いはよくわからない。そこらへんの岩に打つとどちらも効果はないし、木の場合だと当たったところが弾け飛ぶのでそれなりにダメージは与えられるようだ。人に向かって打つのはまだ試したことがない。


 ただ、一発打つと体力が半分以上もっていかれるので、木や人に打つぐらいなら剣を使ったほうがいいだろう。


「……とりあえず、こんなところか」


 毎日一発ずつ練習している間に、拳の発光から発動までの時間が短くなってきた気がする。


 使用回数は一日せいぜい二発まで。二発使うとぶっ倒れちまう。なんて燃費の悪い技だ。


 だがこれは、あの黒衣の化け物たちに致命傷を与えることができる、俺の切り札だ。もっともっと使い方も上手にならないとな。





 ***





 そして、この日は久しぶりに街に寄ることにした。自由都市群ラパムも中ほどを過ぎたので、少し馬車の手入れと新たなる情報を仕入れたかったのだ。


 どこかに寄ることになるならどこがいい? との言葉に、リルネは『次の街、メコダね』と言い切った。メコダは商人の街であり、人の出入りが激しく、入国のチェックが緩いのだという。確かに俺たちにはうってつけだ。


 メコダは川のそばに立つ都市で、その運河を使った輸送業によって発達した街だ。今は海運業が発達したため、内地にあるメコダは昔ほどの規模ではなくなったものの、今も自由都市群の上下を行きかう商人たちにとって、拠点として愛されているのだ。(すべてリルネの受け売りだが)


 馬車門からゆっくりと入場し、三人とマリーゴールドの入場料を払うと、すぐに景色が開けた。


 入ってすぐが露店になっているのは、この世界の通例なのかな。


 色とりどりののぼりや旗が掲げられていて、テスケーラに比べれば非常に雑多だ。それに客引きの声が耳に痛い。盛況というか、下品っていうか……。商魂たくましいって言うんだろうか、こういうの。


「お嬢ちゃん、珍しい御者さんだね! どうだい、うちで採れたメコダ林檎買ってかない!? お嬢ちゃんかわいいから負けとくよ!」

「あ、あの、いえ、すみません」


 通りの真ん中をいく馬車にまで声をかけてくるんだから、根性あるよな。


 俺は荷台から体を出してスターシアの隣に座ると、話しかけてきたおっさんに手を挙げた。


「じゃあその林檎買うからさ、よかったらいい宿を教えてくれないか? 馬車を止められるところがいいんだが」

「ほう、この街は初めてかい? だったら三つ向こうの通りにある、銀靴亭かね。そこそこ値は張るが、ま、あんたの身なりを見る分には問題ないだろう! ほら、メコダ林檎だよ」

「さんきゅ」


 俺は林檎を受け取り、銅貨を放る。赤く熟したそれを袖で拭いてからかじると、口の中が酸味の刺激で満ちた。ずいぶんと酸っぱいな。顔をしかめたが、その中にほのかな甘みがあるのを感じると、これはこれで悪くないなと思う。


「どうだ、スターシアも一口」

「はい、いただきます」


 俺が差し出した林檎を、スターシアもしゃくりとかじる。彼女は梅干をかじったように顔をしかめると、目を潤ませながら口元に手を当てた。


「ひゃ、すっぱ……、うう、おいひいれす……」

「わ、悪い。そうだよな、ちょっと酸っぱすぎたよな……」


 以前に辛いものを食べさせた時の記憶が蘇る。彼女は口の中の刺激に極めて弱いらしい。すまない、スターシア……。


 人の多さに怯えるマリーゴールドをなだめつつ、馬車は銀靴亭に到着した。さすが馬車を停車できるだけあって、そこはかなり大きな宿であった。




 大型宿泊施設って感じだ。ごったな人の流れに辟易しつつ、俺たちは貴重品を持って外へと出歩いていた。宿の中にも食事処はあったけれど、せっかくだしな。旅の楽しみのひとつはその土地の食べ物なんだし。


 それにたくさんの商人で賑わう宿の飯屋では、リルネの正体がバレる可能性が万が一にもありえる。食事をしながら深くフードをかぶっているのは、さすがに不自然だからな。


 というわけで、情報収集がてらと俺たちは辺りをぶらついていた。


 夕焼けが差し込む街は、まだまだ活気で賑わっている。日が落ちる前に駆け込みで街に飛び込んできた商人や旅人相手に商売をしているんだろう。大通りを避けて、俺たちはひとつ隣の地元住人が多い通りを歩く。


「さて、この辺りだとなにが評判なのかな」

「メコダと言ったら、メコダ林檎と、あとはメコダ運河で採れる新鮮な魚介類ね。干物なんかは遠方からも買い付けにくる商人がいるほど評判がいいらしいわよ」

「ほほう、魚が旨いのか」


 日本人の俺は舌なめずりをした。この世界に来てからろくな魚を食べていなかったからな、興味があるぞ。


「あたしは魚より野菜とかパンのほうが好きだけど、ジンがどうしてもっていうならしょうがないからそっち系の店を探してやってもいいわよ」


 妙に上から目線で腕を組むリルネお嬢様に、ははあありがたき幸せ、などと頭を下げる。すると後ろを歩くメイド服姿のスターシアが「うふふ」と微笑んだ。


「リルネさまは、旦那さまを立てるご立派な奥さまですね」

「待ってシア。いったいいつからそんなことになっちゃっているわけ? あたしとジンはまだまだそんな関係じゃないの。もっと軽くてテキトーな仲なわけよ!」

「軽くてテキトーな……?」

「そ、そこらへんはご想像にお任せするわ!」


 首を傾げるスターシアに、恥ずかしさからか説明を放棄するリルネ。たびたびそうやって相手に解釈を委ねているから、いつまで経ってもスターシアが勘違いするんじゃないだろうか……。


 のんびりと通りを歩いているとだ。一見の珍しい店に遭遇した。そこはこの世界では珍しいのれんをかけており、さらにドアの代わりに木の引き戸が嵌めこまれていた。


 ドアを開きっぱなしにしている店が多い中で、なんとも料亭といった雰囲気のお店だ。たまたまにしても、その門構えに少し感じ入るところのあった俺は、店の前で止まる。横を歩くリルネも同じように、店を見上げて「ふーん」とつぶやいた。


「空いてそうだし、ここにする?」

「俺も今同じことを思っていたよ」

「うふふ、おふたりはやっぱり息がピッタリですね」

『……』


 やっぱりどこかで明確に否定をしておいたほうがいいんじゃないだろうか……。リルネは顔を赤くして黙り込んでいる。ほら、あんなに嫌がっているみたいだし……。


 俺はやれやれとため息を付きながら店の看板を見上げた。そうして息を止める。……あれ?


 この世界の文字って俺には読めなかったはずだよな? なのに、なんでこんなにもハッキリと読めるんだろう。


 あとからリルネに教えられて気づいた。それは紛れもなく日本語だった。


『異世界魚河岸・如月』


 マジかよオイ。


 俺はがらりと戸を開く。カウンターとテーブル席が二組。カウンターの中には白い服――板前が身につけるような白い甚兵衛を来たひとりの男が立っていた。


「へい、らっしゃい!」


 にこやかな笑みを浮かべてこちらを見やる男と目が合った。男は俺の顔を見て少しだけ首を傾げ、それからすぐに目を見開いた。顎を押さえて驚きながら、うめき声をあげる。


「まさかアンタ……同郷かい!?」

「どうやらそうみたいだなあ」


 男の名前は、如月宗一郎。


 俺とリルネ、クライに続く、四人目の救世主メサイアだ。


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