第19話 「誓いの先へ」


 第四区の広場に現れたのは、鈍い鉄色の鎧に身をまとった騎士たちであった。


 幾人かがリルネに気づいて「あいつは……」とつぶやく。リルネは銀の髪をなびかせて、堂々たる有り様だ。自分がテロリストまがいの行為をしたなどとは微塵も思っていないだろう。


 騎士たちは一様に硬い顔をしている。この街の象徴たる聖女の身柄を奪われ、そのことが意味する重責に押し潰されそうな顔だ。


 ただひとり、唯一先頭の男だけが冷厳なる目をして、俺たちの前に立っていた。


 巨大な剣を背負った、聖女の騎士。グロリアス。


 彼が本気になれば、俺たちがどんなに束になってかかったところで、一瞬でやられてしまうだろう。


 頼みの綱のリルネの魔法も、グロリアスには通用しなかった。


 しかし、今の彼はだ。


 壮年の騎士は俺たちではなく、ただひとり素顔を晒した聖女を見据え、手を伸ばしてくる。


「帰りましょう、聖女さま」


 彼の言葉は存外に穏やかだった。


 それはあるいは、ティリスのそばに立つのがクライだったからかもしれない。ふたりはまるで大人たちの脅威から寄り添うようにして立っていたのだ。


 常にティリスの近くにいて彼女を守り続けてきたグロリアスなら、すぐにわかっただろう。聖女は今、自分の意志でそこにとどまっているのだと。


 それとともに、俺はなぜ騎士たちが十数人程度しか追いかけてこなかったのかを知る。


 今代の聖女は『聖眼』を所持していない。そのことを仮面をつけて隠しているのだが、今のティリスは素顔のままだ。


 もしかしたら誰かが、聖眼の秘密に気づいてしまえば、永く続いたテスケーラの聖女信仰は壊滅的な大打撃を食らってしまうだろう。


 そのためにグロリアスは少人数を率いてやってきたのだ。


 俺は鑑定を続ける。少し休んだからか、頭の痛みはやや収まっていた。


 騎士たちのステータスはすべて確認できる。もちろん、グロリアスもだ。そこに化け物の影はない。


 今のところ、事態は俺たちに有利なままだが、果たしてどうなるか。


「聖女さま」


 グロリアスの呼びかけに、ティリスが前に歩み出た。


「……グロリアス、あなたにはお話しておかなければならないことがあります」


 ティリスはゆっくりと仮面を装着した。そうして背筋を伸ばすと、超然とした雰囲気をもつ神聖不可侵の生き物のように見える。隣にいるはずなのに、ここではないどこかに存在しているかのようだ。


 これが聖女として教育を受けた数年間の産物なら、大したものだ。


「私は何者かに命を狙われています。この少年は私の命を救うために手を貸してくれたのです」


 その言葉に、騎士たちはざわめいた。


 まさか自分たちの王たる聖女に危害が加えられようとしていたとは、思いもよらなかったのだろう。


 グロリアスはわずかに眉をひそめる。


「……しかし、それは」


 ティリスは胸に手を当てて言い放つ。


「私の『聖眼』によって、未来が視えたのです」


 おお……、と騎士が声を上げた。


 ティリスが単なる飾りでしかないことなど、知っているものはほとんどいない。ならばティリスがこうして堂々と宣言することによって、その言葉の信ぴょう性は一気に高まるだろう。


 ただひとり、グロリアスだけが感情を表に出さないように努めながらも、苦い顔をしている。


 彼はティリスとクライが共謀していることに気づいたはずだ。


「では、なおさらこの場にいるのは危険ではありませんか。独立祭は中断いたします。一刻も早く、塔へ向かいましょう。もしその若者が必要というのならば、我々が連れてゆきますがゆえ」


 グロリアスは少しずつこちらに近づいてくる。


 クライがティリスをかばうように前に出た。


「……グロリアス、あんたが強いのは十分知っている。だけど、だからこそ、僕はずっとあんたにティリスを任せれば済む話だと思っていたんだ。そうすればティリスは幸せになれるだろうってさ」


 その声は広場に響いた。


「でも、それは違った。誰かに任せちゃいけないんだ。それは見て見ぬ振りをしていることと、一緒だったんだよ。僕は僕の手で、ティリスの未来を拓く。あんただけに任せたりはしない!」


 熱くなるクライに、グロリアスは氷のような言葉をはく。


「……聖女さまになにを吹き込んだかは知らぬが」


 その威圧するような声は後ろの騎士たちには聞こえていないようだ。 


「あまり思い上がるなよ、小僧が」

「……」

「この六年、様々な謀略や刺客から聖女さまをお護りし続けていたのは、この私だ。多少は強くなったようだが、お前が積み重ねた研鑽の日々など、私の戦いに比べれば児戯もいいところだ」

「そうか」


 クライはグロリアスを見上げ、睨みつけた。


「じゃああんたは、ティリスのために何度でも死んだって構わないっていうんだな」

「……聖女さまを守ることが私の使命。必要ならば、そうするまでだ」

「僕は死なない」

「なんだと?」


 ティリスの横に並び立ち、クライは言った。


「僕はティリスを守り切る。だけど、死なない。絶対に、生きて彼女のそばにいる。僕は彼女と一緒に生きるんだ。もう二度と大切なものをこの手から離さないと決めたから。今ある命を大切にすることが、僕の決意だ」

「自分か相手か。どちらかの命を選択しなければならないこともある。そんなときに選べなければ、どちらも死ぬだけだ」


 そう断じるグロリアスの言葉は重い。彼が騎士として生きてきた長い歴史を否応もなく叩きつけられるかのようだ。


 しかしクライは引かない。


 経験や理屈ではとまらない。彼は今、死に続けた無念を叩きつけるように叫ぶ。


「僕はどちらも選ばない! 僕が望んだ未来を必ず、この手で掴み取ってみせる! 何度だって心が折れそうになったけれど、そのたびに僕は歯を食いしばりながら立ち上がった! すべてはティリスのために! そして、僕自身の未来のために!」


 仮面の奥で、ティリスが息を呑む。


「グロリアス! お前にとってティリスを守ることが使命ならば、僕がティリスを守るのは運命だ! この魂にかけて、彼女のそばにいることを誓おう!」


 ティリスはしばらく驚いていたが、すぐにクライの手をそっと握り締める。「ありがとう」と誰にも聞こえないほどの大きさで、ティリスが彼に囁いた。


 まったく、なんて熱い男だ。


 まるで主人公みたいじゃないか。


 俺なんかここにいらないんじゃないか、って思えてくるな。


 あのグロリアスですら、クライの宣誓に気圧されたように口をつぐむ。


 誰もが肩で息をするその少年に呑み込まれたような顔をしていた。


 やがて小さな沈黙が訪れた後に、グロリアスが問う。


「……聖女さま、あなたに危機が及んでいるというのは、誠ですか?」

「ええ、真実です」


 ティリスはもはや迷いなくうなずいた。


 クライの言葉を心から信じているのだろう。


 それでもグロリアスは無理矢理聖女を連れてゆくだろうか。彼がその気になったら、俺たちは恐らく、死力を尽くさなければならない。


 全力で戦い、その上で幸運に微笑んでもらわなければならないような勝負など、まっぴらごめんだ。


 だが、クライがティリスをどうしても守りたいって言うのなら、やらないわけにはいかないだろう。


 それの役目は、そんなアイツを救ってやることなんだから――。


 グロリアスは俺たちの顔を順番に眺めてゆき、やがて彼は俺に視点を合わせた。決して目をそらさない俺を見て、わずかに口元を緩めた……ような気がした。


 ……なんだ?


 その直後である。


「わかりました。ならば私にできることがあれば、なんなりとお申し付けください」


 聖女の騎士は、その場にかしずいた。


「……あなたさまの、仰せのままに」


 俺たちは思わず顔を見合わせてしまった。


 先ほどの宣誓によって、グロリアスがクライを認めたのだろう。


 クライは戦わずに勝ったのだ。


 これはまさしく、クライとティリスの絆が導いた結果だ。


 俺は思わず拍手をして少年少女を讃えたい気持ちでいっぱいになったが、それをすると恐らくリルネから白い目で見られると思うのでやめた。気持ちだけ贈ろう。


「兄ちゃんー!」


 俺が良からぬことを考えている最中のことだ。第四区の騎士たちの後ろから黄色い声が飛んできた。


 それはたくさんの子どもたちを引き連れた、レニィだった。


 場にそぐわないような笑顔を浮かべながらやってきた彼女は、両手を振り回しながら自らの功績を誇る。


「クライ兄ちゃんとティリス姉ちゃんの言うとおり、騎士たちをこうして通したよん! アタシ偉い!? アタシすごい!?」


 ひとまず危険が去ったとはいえ、なんかちょっと脱力してしまうな……。


 いや、子どもは可愛いんだけどさ、うん。


 レニィと子どもたちはわらわらと騎士たちの間をすり抜けてこちらにやってくる。


「なんでその子たちを連れているんだよ」

「えっ、だって気がついたら大人の人たちみんないなくなってるし、ひとりにしておくわけにもいかないじゃん? アタシってば面倒見いいでしょ?」


 褒めて褒めてという顔をするレニィに「偉いね」とティリスが手を伸ばす。


 しかし、1クラスまるごとくらいの数の子どもたちを統率しているとは、レニィも案外やるのかもしれない。


 そのときだった。


「――ダメです!」


 叫び声があがった。


 俺たちはみな、弾かれたように声の主を振り向く。


 よろめきながら路地から顔を出したのは、左目を押さえたスターシアだった。


 その手のひらからは、血が滴り落ちている。


 魔女の力の発現だ。


「シア……?」

「スターシア、その目は!」


 俺たちが呼びかけると、彼女は首を振りながら無我夢中で叫ぶ。ただひとつそのことだけを俺たちに伝えるために。


「――その子どもたちの中に! あの、怪物が!」


 え――。



 俺は動転しながら振り返る。あの野郎、騎士じゃなくて今度は子どもの中に紛れていたのか。


 やばい、鑑定をしなければ。


 せっかくスターシアが先手を打って教えてくれたんだ。彼女がいなければ、俺はなすすべもなく殺されていたかもしれない。前回のループのときのように。


 だが動き回る子どもたちを瞬時に全員確認することはできない。ならば一旦遠くに――。


 その時、音もなく現れたのは、ウォードだった。


 恐らくステータスで確認した彼の固有能力『猫の足』が効果を発揮したのだろう。影のように出現したウォードは、ひとりの幼い男の子の首を締めながら、片手で持ち上げていた。


「ウォード兄ちゃん!? ちょ、なにやっているの!?」

「う、あ、ぐ……」


 ウォードは無表情で、腰から短剣を抜いた。


 その男の子が化け物だというのか? でも、なぜわかった。


「離してあげてよ! すっごく苦しそうにしているよ!」

「しっかりと見ろ、レニィ。アホの不始末の尻拭いをしてやるのは、いっつもオレの仕事なんだからな」

「え……?」

「こんなガキ、


 逆手に握った短剣を今まさに突き立てようとしたその瞬間、黒い風がその場を薙いだ。


 ウォードは慌てて男の子から手を離す。いや、正確にはそのから。


 その場に落ちたのは、ただの抜け殻であった。


 決して比喩ではない。文字通り、人間の皮だけの、抜け殻だ。


 萎んだ皮膚はまるで衣類のように地面に落ちた。目のあるべき場所の空洞や、頭から生えている頭髪が呪術的な不気味さを醸し出している。


 ひょっとして――。


 俺は視線を変えた。あの黒い風は、今どこに――。


 ティリスの目の前にあった。


 のような黒い風はやがて人の形を取る。その右腕は瞬時にティリスへと伸びた。


 俺は目を見開き、地面を蹴る。


「そいつか――!」



 一瞬の間に、いくつものことが同時に起きた。



 異形の化け物に対し、身をこわばらせるティリス。アシード召喚の呪文を詠唱するリルネ。黒い風を追いかけるウォード。そして凍りつくレニィ。


 そのすべては「ティリス――!」というクライの叫び声が掻き消えるまでの出来事。


 必死に手を伸ばすが、クライは届かない。


 黒い風から生えた腕は、まさしくティリスの心臓を貫こうとしているように見えた。


 届かない。


 あの速さに届くことができたのは、唯一、固有スキル《猫の足》をもつウォードだけだったのだろう。だが彼は虚を突かれた。


 今、ティリスを救えるものは、誰も――。


 またやり直さなければならないのか。


 今度も彼女を助けることができないのか。


 俺とクライの顔が歪む、そのとき――。


 巨大な剣が風を断ち斬った。


「――」


 そうだ、この男は火を裂いたんだ。


 ならば風とて、断てるだろう。


 聖女の騎士グロリアスは渾身の力で剣を振り下ろし、黒い風からティリスを救ったのだった。


 グロリアスはわずかにこめかみから汗を流し、振り切った姿勢からゆっくりと剣を持ち上げてゆく。


「貴様が、我が聖女さまに仇なすものか」


 黒い風はいまだそこに渦巻き、形を取ろうとはしていない。


 その化け物に対し、グロリアスは宣告した。


「――成らば、我が宿命を果たそう」


 遅れて、先ほどの剣圧を受けた大地に亀裂が走る。


 聖女の騎士グロリアスの死神のような目を見て、恐らくクライも震え上がっていただろう。


 このオッサンに、俺たちは何度も何度も殺されたんだからな――。


 まったく、仲間になるとこれほどに頼りがいのある存在もいねえぜ。

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