第12話 「五度目」


 今思えば、あの牢は騎士団の駐屯所だったのだろうか。


 そこに運ばれてきたのは、俺とリルネ。おそらく針猫団の居場所を知るための尋問か。


 あるいは、なぜ騎士団の襲撃があることを知っていたのか、辺りだろう。


 左腕を斬り落とされた俺は牢屋に。


 リルネは魔法の集中ができないよう、精神を乱すような薬物を使われて、拷問されたのだ。


 あの男たちも騎士だったのだろう。


 年端もいかない少女たちを寄ってたかって。


 リルネはなにも知らなかったっていうのに。


 あのあと、ウォードやレニィたちがどうなったのかはわからない。もしかしたら殺されたのかもしれない。


 グロリアスの実力は圧倒的だった。やり過ごせたとは思えない。


「ちょ、ちょっと! あんた、どこいくのよ!」


 悲鳴があがって、俺は足を止めて振り返った。


 ここはテスケーラの正門前広場。辺りにはたくさんの商人や通行人が行き交っている。にぎやかで、ひどく平和な光景だ。


 時刻は11時50分。太陽は頂上に輝いている。じきに聖女さまを乗せたパレードが大通りを通過するだろう。


 そんな中、俺は無理矢理リルネの手を引っ張っていた。


「入ったばっかりで、なんで外に出ようとしているのよ、あんた!」

「そ、そうですよジンさま、どうしてそんなに焦って」


 リルネとスターシアが俺を止めようと声をかけてくる。


 が、ふたりは俺の顔を見て、なぜだか言葉を失った。


 リルネがかろうじてという調子で、口を開く。


「……なんて目をしているのよ、あんた」


 俺は首を振った。


「説明している時間はない」

「そんなこと言われても、説明しなさいよ!」

「わかった、街を出てからな」

「なんなのよ、もう!」


 リルネはひどく苛立ったように髪を乱す。


 スターシアは心配そうにしていたが、構っている余裕がない。


 俺は口をつぐんだまま、門へと向かってゆく。


 今の俺の力では、リルネは守れない。


 拷問されている彼女を見るのは、死ぬよりも苦しかった。


 だから、まずは彼女たちを外に逃すんだ。


 俺はその決意のもと、リルネの手を強く掴んで歩く。


「痛いっていうのよ……」


 リルネは不快そうな顔をしていたが、俺は迷わなかった。彼女をあんな目に遭わせるぐらいなら、いくら悪者になったって構わない。


 俺は一切立ち止まらず、門をくぐる。


「あとで説明はしてもらうわよ……」

「ああ」


 入ったばかりですぐ出るんだ。入国金はもったいなかったが、そんなことを言っているような場合じゃないしな。


 門番におかしな目で見られながらも、俺たちはテスケーラの街を後にした。


 ――つもりだった。


「ジン?」

「え?」


 リルネはきょとんとした目で俺を見返していた。


「なにしてんのあんた、どこにいくつもり?」

「どこって……」


 辺りを見回す。


 そこは正門前広場だった。


 え?


「え、なんで」

「なんで、って……、あんたがあたしの腕を掴んだまま、回れ右したんでしょう。まったくもう、いい加減に離してよね」


 ……そんなはずはない。


 俺はしっかりと門を抜けて、外に出たはずだ。


 いったいどうなっているんだ。


「リルネ、スターシア、ちょっと待っててくれ!」


 俺はふたりを置いて走りだした。


 今度はなんなのよ! という怒鳴り声が後ろから聞こえてきた。


 俺は走り、列をかきわけながら門の外に出る。


 今度こそ確かに出た。そのはずだった。


 ――俺はまた、正門前広場にいた。


 リルネがなにを遊んでいるんだ、という目で俺を見ている。


 俺は信じられず、さらに二度この街からの脱出を試みた。


 だが、何度も同じ所に戻った。


 そうか。


 悪い夢はまだ続いているのか。


 どこかで苦悩する俺を見て嘲笑っているやつがいるんだろうか。


 さぞかしいい見世物になっていることだろうな。





 宿にやってきた。大熊の樹洞亭。


 俺が泊まるのは、通算三度目だ。


 ベッドサイドに座る俺を、スターシアはそわそわと、リルネはイライラと見つめている。


 ろくに説明もしていないからだろう。


 いい加減、しびれを切らしたかのようにリルネが詰め寄ってきた。


「で、今朝のあれはなんだったの?」


 俺を睨みつける視線は厳しい。


 返答次第によってはぶん殴ったって構わないぞ、という目だ。


 俺は大きく息を吸った。


 その際に腕時計が目に入る。


 時刻は14時10分。パレードはとうに終わっている頃だ。


 俺は頬を張った。


「じ、ジンさま、どうかされたんですか?」

「いやあ」


 駆け寄ってくるスターシアに、俺は無理矢理笑顔を作った。


「なんでもないよ、スターシア。新しい街にきて、少し嫌な予感がしていただけなんだ。胸騒ぎがして、この街にいるとなんだかよくないことが起きる気がしてな」

「ええっ……、それで、あの、あんな風に慌てていらっしゃったんですか?」

「ああ、そうさ。悪かったな、今は気分も落ち着いてきたよ」


 肩をすくめると、突然リルネが俺の前にやってきた。


 そして俺の胸ぐらを掴む。


「あんたそれ、本気で言ってんの?」


 あまりにも強い、エメラルドの瞳。


 毅然として、何事にも揺らがず、砕けぬような輝きに光る。


 だがそれは、嘘だ。


 俺は投薬されて泣き腫らしていたリルネを知っている。


 彼女だって自分より強い相手が出てくれば負けるし、どんなに鋼の意思があっても少しのきっかけで心は砕けてしまうものなんだ。


 だから。


 俺はリルネを見返しながら、平然と嘘をついた。


「本気だよ」


 リルネはまるで裏切られたような顔をした。


 言葉を飲み込み、グッとこらえて彼女は顔をそむける。


「……そう」


 失望しただろうか。


 俺は胃に暗澹あんたんとした気持ちを抱く。


 だが、こんなことには慣れっこだ。


 現実世界で俺は何度もこういう気分を味わってきた。ばあちゃんの教えに背きながら、人を騙して物を売る仕事を続けてきたのだ。今さらリルネに嘘をひとつつくぐらい、大したことじゃないさ。


 俺は伸びをした。


「長旅で疲れたな。俺はちょっと寝るよ。お祭りが見たいんだったら、お前たちで行ってくるいいよ」


 ベッドに横になる。


 戸惑うような気配のあと、リルネが苛立った口調でつぶやいた。


「シア、いきましょ」

「あの、でも、ジンさまが……」

「本人が言っているんだからいいのよ。ほら」


 しばらくして、ふたりは出ていった。


 俺はむくりと起き上がる。


 ひどい顔をしているって言われたな。


 ま、二度もぶち殺されりゃ、そうもなるってもんだよ。


「……さてと」


 俺は自らの頬を撫でながらため息を付いて立ち上がると、剣を置いて部屋を出る。


 忠告だけはしてこないとな。名前を聞いた縁だ。




 第四区への道順はもう覚えた。


 なんたって行くのはもう、きょうで三度目だからな。


 手ぶらで歩いているとよそ者だから警戒はされているみたいだが、騎士剣を持っていたときのような敵意は感じないな。


 あるいは、明らかに貴族然としていて目立つリルネがいないからかもしれないが。


 と、日当たりの悪い道を歩いていると、ふいに笑い声が聞こえてきた。


「アーッハッハッハ! そこの男! 見慣れない顔をしているじゃないか!」

「んあ?」

「どこに行こうっていうんだい!? ええ? ここを通りたければこのアタシに金目のモノを置いていくんだなあー!」


 茶髪に勝ち気そうな瞳。自称針猫団の副団長、レニィであった。


 彼女は腰に手を当てたまま俺の前に立ちはだかる。


 えーっと……。


 俺は頬をかいて、彼女を見返す。


「なあレニィ」

「え、なに、なんでアタシの名前知っているの? えっ、えっ、ひょっとしてアタシが顔忘れているだけだったりするん? でも黒髪の兄ちゃんみたいな人、初めて見るはずだし……」


 急に怪訝そうな顔をしてぶつぶつとつぶやき出すレニィ。


 とりあえず短剣を抜いてくる様子はないようだ。


 よく見れば、周りの家屋から子どもたちがチラチラと顔を出していた。出番をスタンバっているのだろう。なんだかな……。


「いや、あのさ、ちとウォードに話があるんだが、通してもらってもいいかな、ここ」

「えっ!? 兄ちゃんの知り合いなのん!?」


 レニィは目を見開くと、その顔色を青くしていった。


 口をぱくぱくと開閉させる。面白いぐらいの変化だ。


「あ、あの……」


 彼女は目を伏せながら、子羊のようにぷるぷると震える。


 先ほどの威勢もどこへやら。


「に、兄ちゃんには、アタシが邪魔したってこと、言わないでくださいデス……」

「あ、はい」


 ショートパンツの裾を握って小さく頭を下げるレニィに、俺は思わずうなずいてしまったのだった。




 といっても、ウォードに会って俺が言うことはそう大したもんじゃない。


 広場のすぐそばにあるねぐらに顔を出すと、ウォードは退屈そうな顔で帳簿らしきものをめくっていた。


 ウォードは顔を上げると、俺を見て片眉をあげた。


「ん? 誰だあんた」

「ジンっつーんだ、適当によろしくやってくれ」

「おう、オレになんか用か?」

「そんなところだ」


 俺が手ぶらでやってくると、ウォードの態度は驚くほど軟化していた。


 これが本来のウォードなのだろう。


 初めて会ったときに俺を殺した男とは思えない。


 たぶんあのときは、先にグロリアスがやってきて、第四区の住人を皆殺しにしていたんだろうな……。それでウォードも俺のことを騎士と見間違えたんだろう。


「まあ気にするなウォード。誰にでも間違いはある。昔のことは水に流そう」

「いや、オレとあんたは初対面のはずだろ……?」


 ウォードは怪訝そうな顔をする。


 それはともかく、彼はいったん帳簿をぱたんと閉じた。


「話があんなら聞いてやるよ。適当なとこに座れ。茶なんて上等なモンは出さねえぞ」

「ああ、ありがとう。それでええと」


 なにから言おうか。


 そうだな、とりあえず……。


 騎士団がこの第四区を狙っていること。そしてその件に聖女の騎士グロリアスが絡んでいることを話した。


 ウォードが俺を見る目が、急に怪しいものになった。


「騎士の連中はともかくグロリアスが動くわけがねえだろ。どこの情報筋だ。ロクなモンじゃねえな」

「え? いや」


 吐き捨てるように言うウォードに、俺は焦った。


 なんだ、俺はまたなにかを間違えたのか?


 なんでだ。


「で、でもグロリアスが来たら困るだろ? あいつ、めちゃくちゃ強いし」

「そりゃ、第四区は全滅だな。本当にあの男が来るってんならな」


 ウォードは耳をほじりながら、片目をつむった。


「騎士の襲撃だって、昔から何度も言われていたことだ。あいつらはこの第四苦が邪魔だからな。掃除したいならいつでもするだろうよ。話はそれだけか? オレは金を払わねえぞ」

「ち、違う! 別にたかりに来たわけじゃ!」


 それ以上は俺がなにを言っても無駄だった。


 ウォードにはもう俺の言葉は届かなかった。


 真偽の知れないうわさ話を持ってきて、金をせしめようとした男だと思われてしまったのだ。


 俺は追い出され、途方に暮れた。


 これ以上長居をすると、騎士団と鉢合わせるかもしれない。


 一応忠告はしたんだ。信じてくれなかったのはあっちだ。


 ……俺にできることは、したはずだ。


 宿に戻ろう。




 俺が失意のままで宿に戻ると、すでにリルネとスターリアは帰ってきていた。


 コソコソしていた俺に対して、リルネは苛立っていた。


「……どこいってたのよ」

「ちょっとな」

「あたしにも言えないこと?」


 正面から聞かれて、俺は笑ってごまかした。


「いつか話せるときがきたら、話すよ」


 リルネは俺を睨みつけながら言う。


「あたし、そういう笑顔は嫌いだわ」


 さすがに胸に来る言葉だった。


 だが俺が落ち込んだ顔をしているわけにはいかない。


 だってリルネのほうが俺より傷ついているだろうから。


「あんたに助けてもらって、あたしは嬉しかった。あんたなら信じられるって思ったのに」


 リルネはとても悔しそうな顔で、部屋から出ていった。


 残された俺は唇を噛む。


 でも、リルネに俺の事情を語ったら、リルネは俺のことをだろう。


 そうしたらまたリルネが傷ついて。


 あんなリルネの姿をもう一度見たら、俺の心が完全に折れてしまうだろう。


 だから、彼女は巻き込めない。


 ため息をつく俺の肩に、そっとスターシアが触れてきた。


「……ジンさま、お顔が疲れていらっしゃいますよ」

「俺は大丈夫だよ、スターシア。ありがとう」


 だからそんな、痛ましいものを見るような目をしなくてもいいんだけどな。


 スターシアは俺に触れた手を引き寄せて、俯きながら胸元に当てる。


「私はジンさまの奴隷ですから、ジンさまがそう仰るなら、従うより他ありません」


 ですが、とスターシアは顔をあげた。


「ご主人さまがつらいこと、悩んでいることを、お聞きすることはできます。なにか吐き出したい気持ちがあるなら、どうぞこのシアをご自由にお使いくださいませ。……私の体はそのためにありますから」


 俺はその言葉を曖昧な笑みで受け止める。


 口を開いたら、いろんなものがこぼれ落ちてしまいそうだったから。


 彼女たちにとっては、俺の様子がおかしいのはたったの半日だ。


 それなのにこんなにも心配してくれるリルネとスターシアの優しさに、涙が出そうになっちまう。


 俺はスターシアの頭に手を当てた。


「ありがとう、スターシア。本当に俺がダメになりそうなそのときは、きっと頼らせてもらうから」


 その言葉は間違いなく本音だったのだけれど。


 俺が愛想笑いの鎧を着たままだったから、あんまり効果はなかったみたいだ。


 スターシアはやはり心配そうな顔をしていた。


 その後、遅くにリルネが帰ってきて、俺たちは夕食の後に就寝した。


 深夜、俺は窓から差し込む赤い光で目が覚めた。


 時刻は夜の11時。出火したのが7時だったから、完全に火が回りきるまで4時間もかかったんだな。


 俺はカーテンを締めて、再びベッドに潜った。


 悔しくて、悲しかった。


 救ってやれなかった。


 俺は毛布をかぶって、自分にはなにができたのだろうかと考え込んでいた。もっとうまくやるべきだった。俺が上手に立ち回れていたら、たくさんの命が救えたはずなのに。


 無力感に打ちひしがられていた、そのときだった。


 ドン、と近くで大きな音がした。俺は思わず飛び上がった。


 男が扉を蹴破って入ってきたのだと知った。なぜこの部屋に?


 リルネやスターシアも同じように身を起こしている。リルネにいたっては、しっかりとその手にラシードを喚んでいた。


「何者よ!」


 リルネの誰何の声に男は答えない。ランプを持ったその男が横にどいたそのとき、俺は心臓が止まりそうになった。


 現れたのは、世界で一番見たくない顔。


 その巨体を窮屈そうに屈めながらドアをくぐったその男は、俺たちを見回して、小さくつぶやいた。


「旅人だな。――では、我が宿命を果たそう」


 聖女の騎士、グロリアスがゆっくりと剣を抜くのを。


 俺たち三人は、凍りついたような顔で見ていた。



 光が走ったと感じた次の瞬間に、俺の命は斬り捨てられた。


 今度はほとんど苦痛を味わわなかった。それだけが救いだった。












 そして――。


 再び、朝。


「なんで」


 うめく俺を見てリルネが小首を傾げる。


「どうしたの、ジン?」


 俺は顔を手で覆った。


「なんで、あいつが来るんだよ……」


 人混みの中、俺はまるで死神に心臓を掴まれたような気分だった。


 どうして宿にまで踏み込んでくるんだ。


 俺がウォードに会いにいくのを、誰かが見ていたのか?


 そうだ、そうに決まっている。


「なあリルネ」


 俺の声は震えていた。


「お祭りで混んでいるみたいだし、きょうは先に宿を探そうぜ。久々に温かいベッドで眠りたいんだ」

「ああ、それはいいアイデアね」


 リルネは微笑んで賛同してくれた。


 俺は今でも誰かに見られているんじゃないかと思って、生きた心地がしなかった。




 大熊の樹洞亭ではなく、さらに奥の路地に入った寂れた宿を取った。


「なんでこんなところなのよ!」とリルネは立腹していたが、俺がひどく疲れた顔をしていたことに気づいてか、それ以上は声を荒げることはなかった。


 宿について、俺は真っ先にベッドに倒れ込んだ。


 叩くと埃が舞うような古びた部屋だ。


 まるで追われた泥棒が寝泊まりするかのように、品がない。


 リルネやスターシアにはまったくふさわしくない場所だ。


 人目を忍んだら、こんな所まで来てしまった。仕方ない。


 俺は目を閉じながらも、ずっとグロリアスの幻影に怯えていた。


 今にも扉を破ってあいつが現れるのではないかと。


 リルネたちにはくれぐれも注意するように言っておいた。知らない者の尾行を気をつけろ、と。


 彼女たちにはじゃっかん気味悪がられたけれど、仕方ない。


 三度死んだんだ。四度目は絶対に嫌だ。


 ウォードたちに話をしに行くことはできなかった。


 もし第四区に出入りしているところを見られて、俺がマークされたのだとしたらと考えると……、宿から出るのも恐ろしかった。


 救うことはできないのかもしれない。


 ……どっちみちウォードは、俺の話を聞いてくれないだろうから。


 心が弱っているのを感じる。


 その日の夕食には行かず、俺だけが部屋でベッドに横になっていた。


 外で食べてきたリルネとスターシアが戻ってくると、彼女たちはハンカチに包んだパンを持ってきてくれた。


 ふたりとも俺の具合が悪いと思っているらしい。それは半分正解のようなものだったから、ありがたくパンをいただいた。


 リルネはあちこちお祭りを見てきたらしく、珍しくはしゃいで俺にみやげ話を語ってくれた。


 もしかしたら俺を元気づけてくれていたのかもしれない。


 なんだかリルネとこうして普通に話をするのは、久しぶりな気がした。そんなはずがないのにな。


 だからか、彼女が妙にかわいく見えてしまった。


 スターシアもそばで微笑んでいてくれた。


 俺は、俺の手に届く人たちを守れるのだろうか。自信はない。だが、やらなければならない。


 そしてその答えは、――今夜出た。




 深夜になって、第四区が燃えて。


 そして、扉が破られた。


 警戒はしていたはずだった。窓から逃げ出す準備もあった。


 だが、俺たちは逃げることすらできなかった。


「――ちょ、なんなの、あんたたち!」


 アシードを召喚して起き上がったリルネが、まず斬られた。


 肩口から斜めに斬り裂かれ、彼女は絶叫の間もなく死んだ。


 見開いた目が地面を転がって、天井を睨みつけている。


「リルネさま……、そ、そんな……」


 声も出ずに震えていたスターシアが、腹を貫かれた。


 口からおびただしい量の血をはいた彼女の瞳から、徐々に光が消えてゆくさまを、俺はその場に座り込んだまま眺めていた。


 なんだよ。


 なんなんだよこれ。


「お前たちは、なんで俺を狙うんだよ! もういいだろ! 放っておいてくれよ! この街に来ただけで、俺がなにをしたんだよ! なあ!」


 泣きながら叫ぶ俺の前に、そびえたつひとりの男。


 山のような体格の巨漢。感情を感じさせない目と、一文字に結ばれた口。汗ひとつかかずにふたりの少女を殺した男は、俺を見下ろして告げてくる。


「――我が宿命を果たすために」


 たくさんの騎士たちとともに入ってきたその男が大上段に構える剣の、その刃に俺の顔が映る。


 誰ひとり救えず、なにひとつ守れず、希望もなく、無力に打ちひしがれた男の顔だ。


 あれ。


 そういえば俺。


 こんな顔を、どこかで。


 見たような――。



 剣が振り下ろされた。


 俺の命がまたひとつ、裂かれて絶たれて砕けて潰れて消えた。



















 何度目だ?


 五度目か。


 ひどい有様だ。


 意識が戻ってきた俺に、差し込む日差し。気持ち悪くて、はきそうだ。


「あ、きょうはなにかお祭りがやっているようですね」


 スターシアの穏やかな声が、耳に流れ込んでくる。それで少しだけ理性を取り戻すことができた。


 俺は死ぬ前に見た男について、思い出していた。


 そうだ、あいつは――。


 正門前広場にて、俺はリルネたちに告げた。


「なあ、大通りのほうに行ってみようぜ」


 途中、様々な露店が立ち並んでいる賑やかな通りを抜ける。リルネはアクセサリーの店を見つけたらしく、スターシアを連れてそちらへと向かっていた。


 俺はひとりで大通りに出た。


 皆がパレード中の飾り立てられた馬車に夢中になっている。


 そんな中、俺は目を凝らして人を探していた。


 いた。


 前と同じように、ここに。


 俺は妙に気になっていた。


 深いローブをかぶったひとりの人影。彼か彼女かわからなかったけれど、フードから覗いたその目がひどく印象的だった。


 聖女ではなく、投げられたあとに馬車の車輪に轢かれて散っていったボロボロの花を見つめていたその人物。


 彼も深い絶望を、その胸に抱えたんだろうか。


 何度も何度も救えない現実に立ち向かい、それでも守りたいものがあって、それができず、己の無力を嘆いていたんだろうか。


 すべてが俺の想像に過ぎず、勝手な憶測でしかない。


 だが、聖女の馬車を待つその姿は、彼がまるで渡し船を待つ死者のように思えたのだ。


 彼は、群衆の波をかき分けながら近づく俺に気づいたようだ。


 大きな瞳が、俺を映す。


 俺たちはきっと、同じような表情をしていた。


「あなたは」


 彼がゆっくりとフードを取る。


 白い肌に、青みがかった髪。目を覆うほどに長い前髪の隙間から覗く目は、鳶色に濁っている。


 体は華奢だ。少年だかどこか色気を醸し出しているのは、彼がまとう退廃的な雰囲気のためかもしれない。


 反射的に俺は「ジャッジ」と唱える。


 そして、すべての答えを知った。


 そうか、だから、俺は。


 同じ日を何度も――。



 息を呑み、名乗る。


「俺はジン」


 雑踏の中で俺たちはたったふたりきりのようだった。


 彼はまるで幽霊を見るような目で、俺を見つめている。


 そりゃそうだろう。


 彼にとって俺は


「キミを救うためにここに来た……、と言いたいけれど、今はちょっと事情が違ってな。俺も助けてほしいぐらいだ。だから――」


 俺は乾いた笑みを浮かべながら、彼に告げた。


「一緒に、きょうという日を抜けだそう、クライ」



 ジャッジで見た彼の――クライのステータス。


 その最後には、特別な一文があった。



《エンディングトリガー:2》



 そう、彼が二人目だ。


 この異世界で俺たちはきっと、出会うべくして出会ったのだ。



《テスケーラの街にて、クライを時の迷宮から救い出せ》



 きょうのこの日のために――。

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