第5話 「きょうという日を一生忘れない」


 俺は夢を見ていた。


 どこまでも落ちてゆく夢だ。


 周囲にはなにもなく、そこは真っ暗闇で、ただ落ちてゆく感覚だけが体を支配していた。


 きっとこのままどこにも至ることはないのだろう。


 もしかしたらここは奈落で、俺は死んでしまったのだろうか。


 そんな中、足元のほうからわずかに光が見えた。


 俺は目を凝らす。


 なんだろう、あれは。


 柔らかくて、暖かな光だ。


 暗闇の中に燐光のようなものが混ざってきた。夜光虫のような輝きだ。触れようとしても光は俺の手からすり抜ける。


 しかしいつまで経っても、どんなに落ち続けていても、光の下にはたどり着けない。


 あれは幻なのだろうか。本当はそこに光などなくて、希望を求める俺が勝手に創りだした幻想なのだろうか。


 そんなことを思っていた矢先、俺のそばに燐光に照らされた人影が現れた。


 まったく気が付かなかった。暗闇の中、一緒に落ちていたのだろうか。


 髪が長く、手足が細い。腰はくびれ、全体的に丸みを帯びたシルエットをしていた。自分と同じようになにも着ていない、少女だ。


 彼女はきらめくような銀髪と艶やかな黒髪を併せもつ、奇妙な髪の色だった。ふたつの色は斑のように混ざり合い、美しいハーモニーを描いている。


 俺が気づいたのと同様に、彼女もこちらを見た。目の色は黒に近い碧色。澄んでいて綺麗だった。


「ジン!」


 その声は轟々と耳を襲う風の音を貫くようにして、聞こえてきた。


 記憶の中にある声とは違っていたが、彼女が誰だかすぐにわかった。


「まさか、リルネなのか?」

「そうよ、当たり前でしょう!」


 彼女は威張って言ったが、その顔もわずかに違う。


 だが俺は奇妙な納得を受け入れた。現実との整合性に欠けるのは、夢なのだから当たり前と言えば当たり前だろう。


 しかし、彼女が口元に浮かべた勝ち気な表情はリルネそのものだった。


「ここは、どこなんだろうな」

「わからない、さっきからずっと落ち続けているんだけど」


 お互い知っていることはなにもなさそうだ。夢の中のリルネになにを期待しているのだろう、と俺は思う。


「足元に光があるよな」

「そうね、このまま落ち続けていればたどり着けるのかしら。でも、いつまで経っても近づいている気がしないんだけど」

「……俺もそう思っていた」


 リルネは腕を掲げた。


「それよりも、あたしたち以外にも人がいるみたいね」

「え?」


 それは気づいていなかった。辺りを見回す。


 すると、本当だ。


 何人だ? ハッキリとは見えない。俺たち以外にも落下している人影があった。


「みんな、下の光へ向かっているのかしら」

「わからない。まあ、向かうしかないだろうさ。俺たちにできるのは落ちることだけなんだから」

「……そうね。でも呼びかけてみたらなにかわかるかも。おーい!」


 リルネは思いついたことを即実行してみせた。相変わらず男前な女だ。


 こちらの声は届かない。落下している最中だ。突風が常に耳を襲っているようなものだからな。


 それでもリルネは繰り返し呼びかけてみせる。


 するとだ。はるか遠くにいるはずの人影が、こちらに大きく手を振っているのが見えた。


 男だか女だかもよくわからない。シルエットだけの姿だが、通じたようだ。


「ほら、ちゃんと届くじゃない!」

「……そうだな」

 

 だが、新しい情報を得るというのは、難しいようだ。これほどの距離が離れているんだからな。


 リルネはなんとか魔法を唱えようといろいろ詠唱をしているが、うまくいかないようだ。


 目を凝らせば、彼らは人間であることがわかった。男性も女性もいる。いったいここはどこなんだろう。


「なあ、リルネ」

「うん? なあに?」


 振り返ってきたリルネに、俺は指摘する。


「なんで俺もお前も、裸なんだろうな」

「えっ!?」


 そこで初めて気づいたように、リルネは顔をあげた。


 風に揺れる自らの裸身を見下ろし、彼女は慌てて胸を押さえた。


 その顔は、真っ赤だ。


「な、ななな、なんであたしがこんな夢を見ないといけないのよ、バカ!」

「えっ、ちょっ」


 リルネは手を振り上げ、俺の頬を思いっきり張った。


 夢の中だからか、いつものような容赦はまったくなく。


 ――直後、俺の意識は覚醒した。




「……ん、んん……」


 俺はゆっくりと頭をもたげる。


 硬い地面に眠っていたらしい。節々が痛い。


 辺りはまだ夜のままだ。俺は頭を振った。


「……そうか、トリガーインパクトを使った俺は、メーソンを追い払って」


 そのまま気絶をしてしまったようだ。


 戦いの跡がくっきりと残る大通りにて、俺はため息をついた。


 ひどく疲れた。


 体が重い。今すぐにでも、布団に潜り込んで眠りたかった。


「って」


 すぐそばには倒れているリルネがいた。俺は慌てて彼女に駆け寄る。


「お、おい、リルネ!」


 眠るように目を閉じた彼女の肩に触ると、その体は冷えていた。


 俺が気絶したあとに、なにかがあったのだろうか。慎重に揺り動かす。


「なあ、リルネ、リルネ……、しっかりしろ、リルネ……!」


 その細い体を揺すりながら何度も声をかけると、彼女はやがてうっすらと目を開いた。


 よかった。呼吸も安定している。無事のようだ。


 俺はホッと息をついて――。


「ちょ、ばか! なに勝手に人の夢に出てきてんのよ!」


 目覚めたリルネは自分の体を抱きしめながら、俺に怒鳴ってきたのだった。


 俺と彼女は、同じ夢を見ていたのだろうか。





 結局――。


 町の住人の石化から解けていなかった。


 俺とリルネは、深夜の町をふたりで並んで歩く。


「……」

「……」


 お互いに会話はない。


 生き残った俺たちに、石化した町の人は『なぜ助けてくれなかったのか』と糾弾してきているようだった。


 疲れ果てた気持ちで歩き、リルネの屋敷まで戻ってきた。


 破砕された玄関扉が、つい数時間前の惨劇を忘れるなと俺たちに思い知らせているかのようだった。


 そんなとき、リルネが急に立ち止まって屋敷を見上げた。


「そういえば……!」


 彼女は長い銀髪を揺らしながら、走り出した。


「あ、おい、リルネ!」


 リルネは砕かれた石の転がる玄関ホールを抜け、崩れかけている階段によじ登ると、そのまま自分の部屋へと向かった。


 俺はそのあとを追う。


 体力は残っていないだろうに、ふらつきながらもリルネは自室へと飛び込んだ。


 そうして、立ち止まる。


 リルネの部屋の中央には、石化したクルスの姿があった。


 両手を広げて、まるで窓をかばうようにして立つ、イルバナ領領主。その姿に、俺は息を呑んだ。


 石化しながらも、それは凄まじい気迫を漂わせていた。


 目を見開き、歯を食いしばり、敵に抗うという意志を称えた形相。その姿に俺は、畏敬の念を抱く。


 娘を守る父の姿、か。


 ……クルスがいたから、俺たちは二月二十七日を逃げ延びることができたんだろうな。


 リルネはしばらくその石像の前で拳を握っていた。


 うつむく彼女の表情はここからでは見えない。だが決して泣いているようには見えなかった。


 泣きたい気持ちを押さえて、気丈に振舞っているんだろうか。だったら思う存分泣いてしまえばいいのに。


 そんなことを思っていると、リルネはクルスに背を向け、おもむろにクローゼットへと向かった。


 開く。そこには服が散乱している。ぐちゃぐちゃだ。


 その奥、リルネが作った秘密基地から、――長い亜麻色の髪がこぼれ出ているのが見えた。


 ハッとした。


「まさか!」

「うん」


 リルネはゆっくりと戸を外す――。


「あんただけでも逃げなさいって言ったのに、聞き分けがなかったから、気絶させてクローゼットの中に放り込んでおいたの」


 ――そこには目を閉じて、ぐったりと横たわるスターシアの姿があった。


 だが、確かに生きている。


 ……こいつ、友達になりたいって言った子にも本当に容赦ないな。気絶させた、って。


 リルネはその場にへたり込んだ。


「……よかった」


 それは絞り出すような声だった。


 糸が切れたかのように、リルネの両目から涙があふれた。


「よかった、本当に、よかったよ……、よかった……」


 リルネは泣きじゃくった。


 いなくなった人をしのんで泣くのではなく、助けた人が生きていてくれたことの安堵に泣くのがなんだか彼女らしいな、と俺は思った。


 ……俺たちがこの街の、たった三人の生き残りか。



 その後、リルネは最後の力を使い果たしたかのように、座り込みながら寝息を立て始めた。


 俺は彼女とスターシアをリルネのベッドに運ぶ。


 そうして隣の部屋――空き部屋に立ち入って、その床に身を投げ出した。


 もう離れまで向かう元気は残っていないから、ここでいい。


「……長い一日だった。本当に、本当に……」


 俺は目を閉じる。


 今度は夢を見なかった。俺は泥のように眠った。




 起きると、俺の体には毛布がかかっていた。


 誰かがかけてくれたんだろうか。


 外から差し込む朝日に、俺は目を細める。


 不思議な気分だ。町は静かですっかりと滅んでいるのに、こんなにも穏やかな朝が来るなんて。


 俺は伸びをして立ち上がった。


 部屋を出て、驚く。


「あれ……?」


 二階の吹き抜けから覗く玄関ホールが、綺麗に掃除されていた。


 扉は破壊されたままだが、床や調度品などは可能な限り片付けられているようだ。


 もし俺が寝ぼけていたら、昨日のことは夢だったのだろうか、なんて思ってしまっていただろう。


 というか、砕かれた人たちの破片もなくなっているな。


 俺は人の姿を探しているうちに、物音のする裏庭へと向かった。


 するとそこには、スコップを持ったスターシアがいた。


 腕まくりをして、額に汗をかいていた。


 長い髪を大きな三つ編みにしてまとめてメイド服を着た彼女の前には、たくさんの十字架がある。


「あ、ジンさま、おはようございます」


 スターシアは俺に気づいて、深く頭を下げた。


 それから顔を上げて、眼帯をひとなでしながら、寂しそうに微笑む。


「それとも、おかしいですか? こんな朝に、おはようございますだなんて」

「いや……、そんなことはないだろ。ちょっと気分が落ち着いたよ」

「それはよかったです」


 俺はスターシアの横に並んだ。


「墓、作ってやってたんだな」

「はい。ほんの数日でしたが、みなさま優しくしてくれましたから」

「……そうか」


 その手で破片をかき集めたのだろう。スターシアの手は擦り傷だらけだった。


「目覚めたら執務室に顔を出すようと、リルネさまがおっしゃっていました」

「ああ、わかった」


 たぶん、これからのことだろう。




 二階の執務室に顔を出すと、リルネは領主の席に座り、手紙を書いていた。


「おはよ、遅かったじゃない」

「お前たちはずいぶんと早く起きたんだな」

「あたしじゃなくてスターシアがね。あたしはさっき起きたばっかり」


 だったらなんで遅かったって言われないといけないんだ。


「ほら、スターシアが作ってくれたサンドイッチ。少しは食べなさい」

「ああ、サンキュ」


 三角形に切りそろえられたパンの乗った皿を差し出されて、俺はそれをつまむ。


 少ししなびた野菜の中に、高そうな肉が詰まっている。豪華な具だ。


 ずいぶんと旨いな。


「残していたって仕方ないからね」

「……ああ、そうか。確かにそうだな」


 これはリルネの誕生日パーティー用に取っておいた食材か。


 どうりでいい味がするわけだ。


「うちで雇っていた使用人十七名の中で、住み込みは八名。また、それ以外にもお給金を遠くの家族に仕送りしていたものは四名。合計で十二名に、当家から一年分の給金を送るわ。どれくらいが退職金の目安かわからないから、大雑把なものだけど」

「……お前、朝からそのことをしていたのか?」

「我が家に尽くしてくれた人たちだもの。むげにはできないわ」


 まだ学生の少女がそんなことを堂々と言い放つ。


 立派なやつだ。俺はついつい背筋を正してしまう。


「他にも、この領地のことは父様の友人にお願いすることにしたから。なにかあったら頼れって言ってくれていた、信頼できる方よ」


 リルネは決まったことのように言う。


「お前が継がないのか?」

「嫌よ。どうせ父様と同じように、色眼鏡で見られるんだから」

「……ま、そうか」


 クルスも父や兄弟がみんな殺された末の跡継ぎだもんな。


 今リルネが領主を継いだら、同じように扱われるのは間違いないだろう。


「それにあたしには、他にやることがある」

「……」


 それは言われなくても、なんとなくわかっちまうんだよな。


「そこでね。あんたとスターシアには、手紙を届けてほしいの」

「へえ」

「あたしと父様の連名で書いた手紙よ。昨夜起きた出来事のすべてを、覚えている限りに書き留めたわ。あ、もちろんあんたのことは書いていないから安心して。あんたをこれ以上、厄介事には巻き込まないから」


 俺は頭をかいた。


「なんだったら、あんたはここで帰ってくれても構わないから」


 リルネはペンの手を止め、俺を見つめた。


「改めてお礼を言うわ。昨夜はあたしのことを救ってくれて、ありがとう。あたしはこれから先もずっと恩を忘れない。もしなにか困ったことがあったら言って。あたしにできることだったら、なんだってするから」


 そんな彼女は、まるで俺を突き放すような目をしていた。


 ここから先はイルバナ領領主である、ヴァルゴニス家のこと。


 暗にそう言っているようだ。


 だから、俺は首肯した。


「わかった、リルネ。今までありがとう」


 そう告げると、リルネは唇を噛むようにしてうなずく。


「……うん」


 サンドイッチを平らげてから、俺は頭を下げた。


「俺は元の世界に戻るよ」




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 屋敷で無事だった庭園の池に、俺は飛び込んだ。


 世界が揺れるような感覚のあとに、見慣れた景色が浮かび上がる。


 くらくらする頭を押さえながら立ち上がると、そこは近くの河川敷だった。


 出口は本当にいつもランダムなんだよな。


 平日の真っ昼間だ。こんなところを散歩している暇人は俺以外には特にいないようだ。


 俺は土手に登ると、自宅へと向かった。



 ほんの二週間程度の異世界体験記だったが、こっちに帰ってくるのはなんだか久しぶりのような気がする。


 二月末の日本はまだまだ肌寒いな。


 俺はもらったシャツの前を締めながら、住宅地の路地をゆく。


 幸い、自宅は転移場所から徒歩で十分ほどの距離にある。


 月々家賃三万円未満のボロアパートの二階だ。


 ポケットから鍵を取り出すと、俺は小さく「ただいま」とつぶやいた。



 部屋は汚い。コンビニ弁当の容器やペットボトルがゴミ袋にあふれて積み重なっていた。


 つい最近まで仕事が忙しすぎて、ろくに片付けもできなかったのだ。


 だがまあ、ブラック企業はもう辞めた。今の俺は無職だ。片付けをする時間も、無限にあるだろう。


「っつっても、早く終わらせないとな」


 俺は腕まくりをした。体は疲れているが、明日やろうというわけにはいかない。



 幸い、きょうのゴミ収集車の到来は遅かったようだ。


 俺は三往復してゴミ袋六つを収集所に放り込むと、今度はガス料金と電気料金の請求書を引っ張り出してきた。


 それぞれの会社に電話し、しばらく旅行をするので一時停止をお願いする。


 郵便物は実家へ転送してもらうように、はがきを出しておこう。


 あとは大家さんに電話か。


 いつ帰ってくるかわからないから、契約更新もお願いしておくか。



 さて、他にはなんだろうな。


 弟に念のため、別れのメールでも書いておこうか。


 いや、勘違いされたら困るな、やめとこう。


 婆ちゃんの墓参りはしたかったが、遠いしな。


 こんなときに俺が墓参りしたって喜ぶようなタマじゃないだろう。



 金にはあまり困らなそうだし、重い荷物は置いていこう。


 こうして部屋を見回してみると……、三年も住んでいたっていうのに、ほとんど思い出がない部屋だな。


 たまにある休みの日なんてずっと寝ていたし。


 会社から帰ってきたら、ただ寝るだけの部屋だったな。


 それに比べたら、異世界で過ごした二週間のほうがよっぽど濃密だった。


 うん。



 さて、風呂に水を張ってから、コンビニに行くか。


 あいつの好きなモノを、買ってきてやらないとな。


 俺はコンビニでたくさんのお菓子を買ってきてから、シャワーを浴びて、髪を整える。


 少しだけ伸びた髭を剃り、服を着替えた。


 そうして、きっとどこかで見守ってくれているであろう婆ちゃんに、両手を合わせて目をつむる。


「じゃあ、いってくるよ」


 言いたいことは山ほどあったが、今はこれだけでいい。


「力になれるかどうかはわからないけど、力になってやりたいんだ。だから、応援していてくれよ」


 俺は息を止めて、水面に飛び込んだ。


 さあ、いこう。


 ここじゃない、異世界へ――。









 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「ばかね、あんた本当に」

「そう何度も言うなよな」


 夕焼けに染まるテトリニの街を、俺たちはあとにする。


 俺は防災リュックを背負い、リルネもまた大きなナップザックを肩からかけていた。


 どちらも旅着だ。屋敷に眠っていた旅用の外套をまとっている。


 戦術級魔導杖ロッドを背負ったリルネに習うように、俺も腰に剣を帯びていた。


 ただのカッコつけではない。屋敷に残っていたマジックアイテムのひとつらしい。なにかの役には立つだろう。


 リルネはまだぷんぷんと苛立っていた。


「いい? あんたは自分が平和に暮らすことができる最後のチャンスを失ったと思いなさい? これから先、どんなにつらいことがあったって逃してやらないんだからね」

「はいはい、そのつもりだよ、お嬢様」


 俺が軽口を叩くと、リルネは不満げに頬を膨らませる。


「冗談じゃないのよ、まったく……」

「そんなつもりはないっての」


 ぽんぽんとリルネの頭を叩く。


 彼女は上目遣いに俺を睨みつけていた。


「でも、私はジンさまのことを信じていましたよ」


 俺たちの少し後ろを歩くスターシアが、微笑みながら言う。


「ジンさまは私だけではなく、この世界のみなさまにとっての光ですから」


 メイド服姿の彼女はそう言い切った。


 光ねえ……。こっちはこっちで、なんか期待が重いんだよな。


 リルネが顔をしかめた。


「そんなわけないじゃないの。こいつなんてただのおばあちゃんっ子よ」

「それは今関係ねえだろ」


 俺が指摘すると、リルネは口元を緩めた。


「あ、怒った? あの温和で知られるジンも、やっぱりおばあちゃんを引き合いに出されたら怒らずにはいられないのね? ふっふーん」

「別に怒ってはいねえよ。ただウザいなって思っただけだ」

「……割とストレートに言うわね、あんた」


 リルネはじゃっかん凹んだように俯いた。だったら最初から言うんじゃねえ。



 俺たちの行く先は、魔法使いの行き着く最高峰の研究施設――ヴァルハランドの塔。


 あの謎の怪物メーソンの正体を解き明かし、そして町の人たちの体をもとに戻すために、俺たちは旅立つ。


「まずは自由都市群ラパムに向かうからね。そこで足を調達して、一気に大陸を南下するわ」

「あいよ」

「はい、リルネさま」


 リルネの言葉に、俺たちはうなずいた。


 惨劇の翌日。


 俺たちは夕日を背に、歩き出す。


 しかし、しょうがないよな。


 俺は立ち止まった。


 地図を広げながら一生懸命眉根を寄せるリルネを眺めながら、思う。


 だって、クルスにこいつのことを頼まれちまったんだから。


 あいつが石から戻るその日まで、俺が約束を違えるわけにはいかないよな。


 俺の視線に気づいたリルネもまた、顔を上げた。


「? なに?」


 きょとんとこちらを見つめる彼女の頭を、俺はぽんと撫でる。


「いいや、なんでも」

「なによ、ちょっと。なにを見ていたのよ」

「なんでもないさ」

「いいなさいよ、そういうの気になるでしょ、陰口を叩かれているような気分になっちゃうじゃない。やめてよね」

「けっこう気の毒なやつだな、お前……」


 ぶーぶーと頬を膨らませる彼女に、俺は笑いながら言った。



「誕生日おめでとう、リルネ」



「あ……」とリルネは目を見開いた。


 それから自分の手のひらを見下ろす。


 一夜にして、なにもかもを失った少女、リルネ。


「……うん」


 うなずく彼女は、口元を引き締めた。


「ありがとう、ジン。あたし、きょうという日を一生忘れないから」



 この日、彼女は十五歳になり。


 俺たちの旅が、始まった――。








 第一章 『転生主人公・リルネ』 完






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