第46話 大井神社、丹の湖の伝説

「あれま」


「これじゃ、大井神社は・・・」


 月読波奈と神沢優があまりの事に口をあんぐりと開けている。

 大井神社があるはずの丹波亀山(今の京都府亀岡市)の亀岡盆地は湖のように水没していた。


「そういえば、亀岡盆地は保津峡の排水機能が限界に達すると水害になると聞いたことがある」


 安部清明が思い出したようにつぶやいた。

 亀岡盆地の中心部には大堰川が流れているが、それが下流の保津峡で保津川、京都に入って桂川に変わっている。

 保津峡(保津川)の排水機能が滞れば、あっという間に亀岡盆地に流れ込んだ水は出口を失って、大堰川は氾濫して洪水になってしまっていた。


「まあ、よくある事じゃよ。しばらくしたら水が引くじゃろ。それでもダメなら、秦氏が保津峡を開削してくれるのを待つしかないのう」


 三輪高市麻呂みわのたけちまろは事も無げに言った。

 五世紀頃に京都の西側の太秦周辺を開拓した秦氏は、飛鳥時代(592~710年)には、亀岡盆地に進出して保津峡などの水利工事を行っていた。

 それによって亀岡盆地の水害を防ぎつつ、その水を京都の桂川に導き、周辺の灌漑工事も行っていた。

 その話は京都の西の秦氏はたうじの氏神である「松尾大社」の由緒にも記されている。

 「松尾大社」は東の賀茂氏の氏神の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられていた。


「確か、古来、亀岡盆地は風が吹けば朱色の波が立つ<うみ>だったとか。それが丹波の地名の由来だとか。田庭たにわという地名から転じたという説も有力じゃがの。大国主命が保津峡を開削して水を排水して、巨大な盆地の肥沃な土地が出来たという伝説もある」


「清明殿はなかなか博学ですな」


 高市麻呂たけちまろは清明を褒めた。


「いやいや」


 歴戦の勇者の<杖刀人じょうとうじん>と陰陽師には通じるものがあるらしい。


(ご存知なら言って下さいよ。清明さま)


 安東要は心の中で愚痴をいった。

 かごめ歌の<鶴と亀の試練>のうちの最初の<亀の試練>のきっかけさえ掴めていない。


(要、心配はいらぬ。お迎えが来たぞ)


 清明からの思念波のいらえに、要の視線の先で水面が盛り上がり、巨大な亀が現れていた。

 その大きさは体長十メートルはあろうかというもので、亀というより玄武げんぶという伝説上の幻獣に近いものに見えた。

 現に亀は髭のようなものを生やし、尾は白く長い蛇のようにくねっている。

 そして、その背中には紺色の麻の粗末な上着、腰蓑こしみのに釣竿という漁師のような、まるで浦島太郎のような老人が悠々と腰掛けていた。


「清明殿、お久しぶりです。お元気でしたか?」


 亀の上の老人が清明に親しげに話かけてきた。

 声音は若く、老人とは思えなかったが、両眼が青く異人のように見えた。


「まあ、ぼちぼちじゃのう。相変わらず忙しくしておるよ」


 清明は古い知り合いのように答えた。

 

「知り合いなんですか?」


 あまりの展開に、要は訊かずにはおれなかった。


「ご先祖様というか、神様というか、文字通り、<亀の試練>の水先案内人の方じゃよ」


 あっさりと清明は種明かししてくれたが、逆にこの出来事がある種の怪異であることを匂わせていた。

 要は白髪に碧眼のアンバランスな容姿で肌は妙に若々しい、年齢不詳の老人を見つめながら、嫌な予感しかしなかった。

 明らかに「人ならざる物」の妖気のようなものを感じていた。


「そう改まることはない。勾玉の民よ。我がモグラ男改め、月読命つくよみのみことである」


 青い目の月読命と名乗る男は怪しい表情で手招きした。

 大亀がゆっくりと安東要たちのいる岸に近づいてきた。


「亀だ、亀だ、大亀だあ」


 と言いながら、月読波奈が大亀に飛び移ってしまった。


「うん、玄武ってやつかもね。この大亀」


 神沢優も当然のように大亀に乗り移ってしまう。


「波奈ちゃん、ちょっと、それ危ないかもしれないよ」


 安東要は怪しげな物を感じながらも、大亀の方に近づいていく。

 ふっと、波奈に手を取られて、要もバランスを崩しそうになって大亀に乗ってしまう。


「それでは行くかな?」


 月読命は当然のようにいう。


「どこへ?」


「亀といえば竜宮城だけど、玄武の本来の表記は<玄冥げんめい>という。つまり、冥界の使者だといえる。黄泉の国に参る」


 青い目を輝かせて、月読命が釣竿をくるくると回す。 


「ちょっと待ってくれ。波奈ちゃんたちは関係ないだろ?」


 要は反論した。  


「勾玉の民がどういうものか理解してないな。自分の無力さを学ぶ必要があるようだ」

 

 月読命の言葉は要の弱みを的確についた。

 自分の無力さの自覚、それが安東要の最大の課題だった。

 たからと言って、それが分かったとして、要にはどうしようもなかった。

 逆にどうしていいのか、聞きたいぐらいだ。

 

「まあ、おいおい、そなたも知ることになる。勾玉の民の長の卵よ」  


 要はえっと叫ぶびまもなく、急速潜航していく大亀の水流に巻き込まれていった。

 そして、月読命と共に湖の中に消えて行った。


「いつもながら、亀の試練は問答無用ですな」


 高市麻呂はにやにやと笑った。


「鶴の試練に辿りつければいいが、毎回、ここで命を落とす者が後を絶たないからのう」


 安部晴明は冷酷な表情でいい放った。

 無限の時を生きる陰陽師には諦観のようなものが生まれていた。

 戦で死線を何度も越えた高市麻呂にも、それは自明であった。

 それが分かっていながら、晴明は要の帰還を祈らずにいられなかった。

 静かに魔除けの九字を切った。













(あとがき)


 やっと現地取材した大井神社に着きましたが、神社の影も形もないという有り様です。


 GWの京都の取材も無駄ではなかったのですが、丹の湖伝説とか秦氏の亀岡盆地の開拓については最近まで知らなかったです。

 執筆時間をあけたり、取材旅行がなければ、こういう展開はえがけなかったですが、御先祖さまの秦氏の歴史も段々、明らかになってきてます。そのうち、秦氏系の登場人物も出てきそうな気もします。


 敦賀編もなかなか見えていないのですが、歴史とか地形を考えることがヒントになりそうです。

 晴明神社も敦賀にあったので、何か浮かんでくるだろうとは思いますが。

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