沢渡弓月という男

突然だが、僕こと沢渡弓月さわたりゆづきは依存している。

誰にと言えばクダラに、だ。

今の学校に転校して来て出会ったクダラの、その自由な姿に憧れた。ずっと親の敷いた道を強いられていた僕は、本当に親の舞台俳優マリオネットだったんだ。

出会ってからすぐでクダラに見抜かれたときは思わず表情を崩しそうになりかけた。クダラが僕に対してもう少し興味を持っていたなら、ひょっとして気づかれたかもしれないけど。

まあとりあえず僕の話をするのは問題ないよ。ただ少しばかり長くなるけど。う~ん、まずは……。

そう、これは僕が小学三年生になったばかりの頃だ。


その頃の僕の世界は、両親に褒められる事だけだった。

僕はただ、親の言う事を聞き実行する。そうすれば喜ばれる。僕はそのためだけに、家でも学校でも勉強をかかさなかった。そうすれば、父さんも母さんも喜ぶから。それだけでいいと思っていた。

両親が厳しくするのも、僕のことを思ってのことだと思っていたから……。

でも、本当は違った。

テストの点が九十八点だったことがある。間違えた一問は、単なるケアスミスで、なんで間違えたのかもわからない問題だった。そのテストを母さんに見せた時のあの顔は、今も脳裏に焼き付いている。

「なんでこんなミスするの!」

その言葉が届くときにはすでに、頬を引っ叩かれていた。床に横転し、肩や背中をニ、三度床にぶつけた。

背中は痛かったが、それより頬が熱かった。じんじんする頬を押えながら立ち上がり、僕はうつむき加減で「ごめんなさい」とつぶやいたのを覚えている。

「ほんと、グズね! さっさと勉強しなさい」

そう言った母親は、ゴミを見るような目をしていた。

「まったく、誰に似たのかしら……」

そんな愚痴を背中で聞きながら、僕は部屋に戻り必死に勉強した。

どうこう言われたのは良かった。ただ、失望されないようにしないと。それだけだった。

その後、夜に返ってきた父親にもこっぴどく怒られ、数回殴られた。

……何でこんな目に、とは思わなかった。何度もいった通り、僕にとってはそこだけが、僕の世界だったからだ。だから、両親に良く思われる事が全てだった。



それから二年近くが過ぎようとしていた、丁度僕が五年生に進学する数ヵ月前、事件は起こった。

元々、僕は私立の小学生に通っていたんだけどその小学校で、児童が一人自殺したんだ。

その小学生は、何かと僕にテストの点で勝負を仕掛けてきたんだど、僕は一回も負けなかった。まあ、それは良いとして、その自殺事件で学校が潰れてさ。

そこから色々あったんだけど、まあ一番大きいのは児童の引き取り先だよね。

その学校の児童はあっちこっちの小学生でバラバラに受け入れられたんだよ。僕はそれで今の学校に転入して、そこでクダラに出会ったんだ。

クダラのやつは、最初いけ好かなかったんだ。

だってあいつ、普段寝てるくせに僕が頭を悩ませても難しい問題をあっさり解いちゃうんだぜ? 腹立つじゃん?

その双子の妹のシエルも、クダラ以外に興味を示さなくって気味が悪い……。

あ、今はそう思ってないからね。

あの時は僕も、人を見る目がなかったから。とは言っても、クダラの人間性は本当に酷いけれど。まあ、悪い奴じゃあないよ。

そんな感じでクダラの第一印象は芳しくなかったんだ。

でも今仲良くしているのは転校してから半年程経った頃に起きたことが理由かな。


さっきも言った通り、僕は舞台俳優マリオネットだったんだ。けれど、段々と親の考えていることが伝わってきたんだよ。一番の決め手は、テストで六十点代を取った時に言われたあの言葉かな。

「――この恩知らず」

今でも思い出すことがある。その言葉を発したあの顔を……。


ああ、そういえば――――。



沢渡弓月は自室のベッドで目を覚ました。

先程まで見ていた自分の身の上話をする夢を思い出しつつ「全く以て変な夢だ……」と呟いた。

その時、聞き覚えのある音がした。スマホの着信音だと気付き、体を起こして辺りを見回し、音の発信源を探す。その音は枕の下から聞こえていた。寝ている間に入り込んでいたのだろう。弓月は手探りでスマホを発掘し画面を確認する。

クダラからの電話だ。

「もしもし」

『あ、弓月か? 助けてくれ』

「ん? どうした?」

『洗濯物が多すぎる』

弓月はさび抜きだと思って食べた寿司に辛子が入っていたような顔をした。

「……それはクダラが面倒くさがってたまにしか洗濯しようとしないからだ」

『えー、でも先週はちゃんとしたぞ?』

「先々週もその前も、更に言うならもっと前から自分でやっていないだろ! やったのは僕だ!」

『それじゃあ頼んだ!』

「ちょ、あのなぁ! ……切りやがった」

弓月は毎度の事ながら一方的な奴だと思う反面、仕方のない奴だと口端が上がっていた。


財布とスマホだけを荷物に家を出た弓月は、クダラの家へ向かう前にスーパーへ足を運んだ。

買うものは道中で決めていたため、入り口付近に置いてある籠を取って野菜売り場に向かう。

「キャベツ高……」

キャベツの価格に驚嘆しつつ、弓月は二百グラムのもやしを手に取った。その後弓月が向かうのは卵売り場だ。なるべく賞味期限の遅いものを選び取った。そしてレジへ向かう。会計を済ませた弓月はビニール袋に買ったものを入れてから醤油も買えばよかったと思ったが、面倒なので次の機会でいいかと考え店を後にした。


マンションの入り口手前のテンキーボックスを操作し、弓月はクダラの部屋へ呼び出しをかける。

少ししてからガチャという音が鳴り、クダラの声が聞こえた。

『弓月か。入ってくれ』

通話の切れる音と共に防弾ガラス制の扉が横に開いた。

ガラスを防弾にして意味があるのかと思いながら、弓月はエレベーターに乗り込み、一番上のボタンを押した。

弓月は1,2,3、と表示が切り替わっていくのを見て最上階へ着くのを待っている最中、エレベーターに乗った人は皆上の文字盤辺りを見るというのがテレビ番組で取り上げられていたと思い出した。その後、エレベーター目的階に近づいて原則を始め、完全に停止する。その時の、一瞬ふわっとする感覚に弓月はバランスを崩しかけたが、手すりを掴んで踏ん張った。扉の開いたエレベーターを後にして、部屋の前までたどり着いた弓月は無言で扉を開けてリビングまで入り込むと、ソファにて安らいでいる友人、クダラに声をかけられた。

「やあ弓月」

「お前、本当に自分でやる気ないだろ……まあいいけど」

この部屋は勝手知ってるので弓月は冷蔵庫に食材をしまい、脱衣所へ向かった。扉を開けるとそこに広がっていたのは布の塊だった。弓月はとりあえず生地の薄そうな服を洗濯機に放り込み「……まったく」と呟いた。



洗濯機を回している間に、弓月はキッチンへ来てフライパンを取り出していた。弓月自身、この家に泊まることがよくあるので、どこに何がしまってあるのか知っている。だが、フライパンを取り出すのに苦労しているのは収納の仕方が雑で一度全部取り出した方が早いからだ。その事を確信した弓月は諦めてフライパンを全て取り出し整理し始める。

片付けが終わり、まな板と包丁を取り出して冷蔵庫からマーガリンともやし、卵を持ってきた。

そして弓月は慣れた手付きでもやし炒めを作り始めた。



モヤシ炒めは皿に移し、ついでに味噌汁も作った弓月は、洗濯機の中身とまだ洗濯していない衣服を入れ換えた。

干しに行こうとリビングに入ると、クダラとシエルはソファで寝息をたてていた。

弓月は「こいつ等は……」呆れ混じりの溜め息を付きながら、やはり「全く」と呟くが、その表情からは喜の感情が見て取れるのだった。


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