姉妹タンジェント(3)

次の日の朝、お母さんは夜中に帰ってきていたようで朝ご飯を用意していた。

「お母さん」

「あら、早いのね、おはよう」

「うん、おはよう」

「シエルは……?」

「シエルちゃんは問題ないわ。脳波も異常はないそうよ。一応、精密検査を受けるためにもう何日か入院するらしいわ」

「そう……、よかった。琴葉のお父さんは?」

もしあの男が死んでいたら、クダラが殺人犯になってしまう。

「琴葉の……かぁ。あの人も大丈夫よ」

よかった、クダラが人殺しにならないで。

私は安堵のため息をついた。

「お母さん。私、今日学校休んでシエルのお見舞いに行く」

「……そう。じゃあ学校には電話しておくわね。じゃあまず顔を洗ってきて、琴葉ちゃんを起こしてきてくれる? 朝ご飯は食パンよ」

「うん!」

私はお母さんにそういわれて洗面所に向かう。

冷たい水を溜めて、両の手ですくって顔をバシャバシャと洗う。

「つめたッ! タオルタオル」

柔軟剤でふわふわになったタオルで顔を優しく拭く。シエルに教えてもらったことだけど、強く拭きすぎると肌がこすれて傷になるらしい。

体を洗う時もタオルで洗うんじゃなくて泡で洗うんだよって教えてもらった。

一通り拭き終ってから私は琴葉を起こしに行く。

「琴葉ー、朝だよ~」

私はもっちりと柔らかい琴葉の真っ白な頬っぺたをツンツンとしながら呼びかける。

「う~ん、おはよう。お姉ちゃん」

「おはよう。顔を洗っておいで~」

「うん」

琴葉を見送ると私はパジャマから着替える。

ブラウスに黒のスカートの組み合わせは制服に見えるけど、私の通っている学園の初等部に制服はない。

この服はシエルが一緒に見立ててくれた洋服でとても気に入っている。

着替え終ると琴葉が戻ってきたので、上着をベッドの上に置いて着替えさせる。

琴葉は私の服装を見て「お姉ちゃんどこかに行くの?」と聞いてきた。

「今日はシエルのお見舞いだよ」

「え? シエルおねえちゃんどうしたの?」

「うん。シエルは……」

私は琴葉を着替えさせながら昨日のことを少しだけ説明した。

琴葉はすごく戸惑っていたけど、ごめんなさいと言ってきた部分は叱っておいた。

「何も悪いことしてないのに謝るのは良くないよ」と。

きっとシエルもそういってくれるはずだし、クダラもあんな様子だったけど、決して琴葉を責めるようなことはしないはず。

琴葉にはそう言い聞かせて安心させた。


着替えが終わってからテーブルについて仕事に行くお母さんを見送った。

「バス代ここに置いておくわね」

「うん、ありがとう」

「鍵と電気忘れないようにね」

「大丈夫」

「じゃあ、行ってきます」

私たちは「行ってらっしゃい」と手を振って、食パンを食べ始めた。



お昼過ぎからバスに乗って二時ごろには病院についた。

受付でシエルの病室を聞いて向かう途中でクダラと出会った。

「悠里……! シエルの見舞いに来てくれたのか?」

「うん」

「そうか、シエルも喜ぶよ、ありがとう、二人とも」

「クダラ……」

「なに?」

「その、もう大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫。シエルももうすっかり元気でジュースを買いに来ていたんだ」

クダラはそう言うとポケットから缶ジュースを取り出して見せてきた。

「あ、あの」

琴葉がクダラの方に寄って行って話しかけていた。

「ん?」

「お父さんがごめんなさい!」

「? どうして琴葉が謝るの?」

「お姉ちゃんにも謝る必要ないって言われたけど。でも、私がお父さんと離れたくないなんてわがまま言ったから。だからごめんなさい」

「それは、ちg「それは違うよ」」

それは違うと言おうとしたところでクダラが先に言った。

「琴葉がお父さんと離れたくないという気持ちは我儘じゃないよ。一緒にいたいというのは当たり前だよ」

「で、でも」

「良い? 琴葉。仮にその気持ちが我儘だったとしても、その我儘は言ってもいいんだよ。だって、琴葉と悠里は家族だろう? それに僕らは友達だから。だからいいんだよ、我儘を言っても」

「う、うん。わかった」

私はうまく言葉にできなかった部分をクダラはちゃんと言葉にしていた。

本来なら私が言わなきゃいけないことかもしれなかったのに。

「じゃあ、行こう?」

クダラに促されて、私は歩き始める。



病院の扉に三回ノックして、クダラは扉を開けた。

病室の中ではシエルが一人、窓から空を見ていた。

「やあ、お待たせ、シエル」

「あ、クダラ~。それに二人も来てくれたんだ~」

シエルは「えへへ~」と柔らかい笑顔を浮かべて私たちに向ける。

「調子はどう?」

私は聞きながら上着をかける。

すでに一枚かかってあったのはクダラの上着だと思う。

「うん。もうだいじょ~ぶ」

「あ、あの、その」

琴葉が戸惑いつつもシエルのそばに寄って行く。

シエルは琴葉の心のもやもやをかき消すように琴葉を招き寄せて抱きしめた。

「ふへ~琴葉ちゃんあったかい~」

「ふぇ?」

琴葉も驚いたようで間の抜けた声をあげて、それがどうしても可笑しくて私は笑いだしてしまった。

クダラも微笑ましそうにシエルを見つめていた。

この様子だったら、シエルも本当に大丈夫みたいだった。

もし、大丈夫じゃなかったらクダラがシエルのそばを離れるわけがないだろうけど。



……残る問題は、一つ。

私の妹の父親である、あの男。

あの男は今はもう、目を覚ましているのかな?

これでもし、なにも変わらなければ……。

そんなことを考えていたら、扉がノックされた。

「入っても宜しいでしょうか?」

丁寧な口調だけど、あの男だ。

クダラは、シエルと扉との間に立って、険しい顔になった。

けど、シエルがなだめるようにクダラの手を取ったことでクダラは平常心を取り戻したようだった。

「どうぞ」

クダラがそういうと、その男は扉を開けた。

扉を開いて中に一歩入り、扉を閉めてから男は、土下座した。

「皆、本当に申し訳ない」

その一言と一緒に。

クダラは平常心はともっているものの、睨み続けて、シエルは困ったような顔をして、琴葉は固まっていた。

私はどんな表情をしているんだろうか。たぶん、驚いているのが顔に出ていると思う。

「シエルさんとクダラ君。本当に申し訳なかった。それと、琴葉、一方的な暴力がどれだけ恐ろしいものか、今までわかっていなかった。本当に御免。悠里ちゃんも、本当にすまなかった」

何度も謝り、琴葉のお父さんは床に額をこすりつけるように土下座を続けた。

「ごめん、シエル。僕もうこれ以上は抑えられないから少し席を外すね」

「う、うん」

クダラは「許すかどうかは琴葉に任せる」と言って部屋を出て行った。


少しの間の沈黙の後に、琴葉がゆっくりとしゃべり始めた。

「お父さんは、私にとってはたった一人の存在。でも、今回のは許せないかも」

「うん。そうだな」

琴葉のお父さんは立ち上がって扉に手をかけようとした。

「でも!」

そして、琴葉の続きの言葉に呼び止められた。

「でも、家族だから。だから今回だけ、許してみる」

「琴葉……!」

父親は琴葉に寄ろうとして、拒否される。

「でも、一番巻き込んじゃったのはシエルおねえちゃん、だから」

「そう、だよね。本当に、申し訳ない」

そういって父親はシエルに頭を下げた。

それに対してシエルは、いつもの柔和な笑顔でこういった。

「ふふっ。さっきクダラはああ言ってたけどね、本当は琴葉ちゃんさえ許せば許してあげてほしいって言ってたの。私さえなんともなければ後は家族の話だからって」

「それじゃあ……」

「クダラは素直じゃないから」

シエルがそういうとクダラが入ってきた。扉越しに話を聞いていたらしい。

「もう、シエル。なんでバラスのさぁ~」

そう言いながらシエルのベッドに腰を掛けてシエルの頭を優しくなでていた。

そうしてお義父さんはクダラに言った。

「ありがとう、本当に」

クダラはもう、冷たい目ではなかったけど「もしシエルが笑っていなければ、絶対に許さなかったよ?」とだけ言ってシエルの方に向き直った。


私はその日、シエルの退院祝いの日、今度は私が何があっても二人の力になろうと決めた。

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