第九章 千年の夢より目覚め

第33話 千年の夢より目覚め 1



 目の前で、ぬめる様な鈍い光を帯びた鱗が蠢く。それは己に伸ばされた腕を覆うものであり、同じく鱗に覆われた冷たい指が頬に触れた。見上げると自分の倍の高さから、黒い頭巾に覆われた顔がこちらを見下ろしている。逆光に、その頭巾の中身は虚空のように見えた。


 恐怖に引きつる幼い自分の息を、他人事のようにフォートは聞いた。この相手は、一番最初に自分が接した夜の民だ。


 当初はノクスペンナでなく、黒の一族の者がフォートのもとへ来ていた。この黒の一族の交渉役はノクスペンナと違い自ら人間と言葉を交わす魔術は使えなかったが、当時まだ七歳のフォートを通訳として挟んで村の大人たちと夜の民が会話をするのは難しい。よって当時、この蜥蜴に近い姿の夜の民はフォートに憑依して操ることで、村の大人たちと会話をしていた。


 場所は自分の部屋、灯りは消されている。外には明るい満月が浮び、闇に沈む部屋には蒼い光が差し込む。その中で、窓から降り立ったそれは月光を背に、自分に手を伸ばし頬に触れていた。


 覗き込むように、相手が顔を近づける。頭巾がフォートに触れるほどその顔が近づいた時、血のように赤い虹彩に取り囲まれた、針のような瞳孔と眼が合った。


 視界が暗転する。


「解けろ、闇の檻よ」


 その一瞬に呼吸を合わせてフォートは魔術を発動させた。――この先に味わった恐怖を、再体験したくはない。霧が晴れるように視界が戻る。立っている場所は漆黒の石でできた暗い回廊。黒の城門の内部だ。転がり込んだはずの正面回廊ではないので、恐らく術中に嵌った間に移動させられたのだろう。上手く三人引き離されたらしい。


 剣を構えて見据えた正面に、鼻まで仮面で覆った、黒一色の男が立っていた。残る口許は固く引き結ばれ、微動だにしない。相手の心の隙に滑り込み、悪夢を見せる能力を持つ夢魔族。その中で白夢、黒夢と呼ばれる二人がこの城門を守っているのは知っている。「未来の悪夢」を見せる女が白夢、「過去の悪夢」を見せるこの男が黒夢だ。


『何用あってこれより先へ進もうとする』


 術を破られたことに対して何の感慨も感じられない無機質な声音で、問いが直接頭の中に響いた。彼らの一族は発話することが出来ないのだ。


「灰の族長と、精霊の女性に会いに。通してくれ、テネブラウィス様に相談したい事がある」


『侵入者の手引きを見過ごす事は出来ない。招き入れた者と共に立ち去れ』


 その言葉と同時に、黒夢の右手がこちらへ伸ばされる。ぶわりと吹いた突風に上体をさらわれかけ、フォートは腕をかざして身を低くした。このまま叩き出されれば、もう一度城門が開く事はないだろう。


「待ってくれ! ――では、シルヴァ様に、ご報告をさせてくれ! 陛下と銀の族長に関わる事だ」


 ルチルナの正体に気付いた銀彩は、真っ先にルチルナを消そうとしたと聞く。黒の族長は精霊の一族を重要視していない――あるいは敵視しているのだろう。ルチルナの事に触れても色よい返事はもらえまい。ならば、銀月王の魂と銀の族長の行方についてはどうか。咄嗟にそう考えてフォートは黒夢に懇願した。唐突に過ぎるかとも思ったが、幸いにして突風が止む。


『内容を言え』


「……先日、数年前から姿を隠しておられるの銀の族長とお会いした。銀の族長がおいでだったのは、深海世界へ続く門の前だ。族長は今、陛下の魂をその身に受け入れて、身動きが取れなくなっている。その事について、シルヴァ様にご相談を」


 他に突破口を思いつかないとはいえ、陛下の御身が第一のシルヴァ相手にこの話をしてしまうのは少々恐ろしい……そう思いながらも、フォートは黒夢にそう言った。少しの沈黙を挟み、再び黒夢の声が頭の中に響く。


『陛下の魂が、その器に無いと言うつもりか』


「そうだ。陛下の器が封じられて以後、高い『共揺りの力』をお持ちのグラキエラ様が、陛下の御心をはかっておられたはず。グラキエラ様が姿を隠されてからは、誰も陛下の御声を聞いてはいないだろう」


 銀月王はその器を封じられた後も、時折その微睡みから目を覚ましていたと聞く。その際、器を封じられたままの銀月王の魂と共鳴する事でその意思を読み取っていたのは、他ならぬグラキエラだった。そのグラキエラと同じくらい、高い『共揺りの力』すなわち共鳴能力を自分が持っているらしいのだが、そこまで目の前の相手に言う必要はないだろう。


『――その言葉、真である証はあるか』


 上手くゆけば、黒夢の上役、黒の一族と城門を統べる長、黒豹族のシルヴァと直接交渉が出来るはずだ。


「あると言えば、シルヴァ様……湖影様に掛け合ってくれるかい……?」


 苛烈と聞くこの城門の女主人の逸話を思い出して鼓動が早くなるのを感じながら、ぎりぎり微笑を作ってフォートは言い放った。



***



 再び城門の前にたどり着いたフィラーシャは、瞑目した一対の狛犬と重厚な石の扉を見上げて途方に暮れていた。それらはまるで、つい先ほど――黒の一族の術に嵌められていた時間も含めて、まだ一刻も経ってはいまい――の出来事など無かったかのように静謐に沈み、フィラーシャの存在を黙殺している。


 門扉に近づいただけであの光線を浴びせられるわけではないらしい。恐る恐る門扉に近づき、触れてみたことで分かったそれはありがたい話であったが、しかしその門扉自体がフィラーシャ程度の力では押そうがぶつかろうがびくともしない。


「魔術で……開くかなあ」


 もし開かず、しかも敵襲と認識されて攻撃を仕掛けられれば逃げ場はない。門扉のある空間はある程度開けているとは言え、十分に狛犬たちの射程圏内だろう。隠れられるような物陰も存在しない。岩で出来た瞼が開いたのだから、岩で出来た首が回らないという保障はどこにもないのだ。外界とこの場を繋ぐ氷の回廊を塞がれてしまえば終わりだった。


「開けてくださーい……って言って聞いてくれるわけないか。フォート、何て言ってたかなあ……」


 控えめに小声で言ってみて、恐る恐る狛犬を見上げる。無反応に安堵半分、落胆半分の気持ちで溜息をついた。彼が門番達に話しかけた言葉が、あるいは開門の呪文なのかもしれない。


 一人で再び氷の回廊を歩き始めた当初こそ、黒の一族の追撃を警戒していたのだがその気配も全くない。追撃は無論ありがたくないのだが、歯牙にもかけられず黙殺されるのもまた虚しい話だった。その必要がないほど取るに足らないと判断されたということであり、実際、交渉する相手すら居なければ、自分では何も出来ずに突っ立っているしかないのだ。


 無力感に漏れそうになる溜息を、きつく噛み締めた奥歯で堰き止めてフィラーシャは杖を握りなおす。それでも自分は、引き返すわけにも、ここでただ何かを待っているわけにも行かない。そう自分自身に言い聞かせ、前へ進む方法を考えるため目を閉じた。

 


***



 しばらくの間、途方に暮れた様に項垂れていた銀髪の少女は、一つ気合を入れると自分の方へ――つまりは洞窟の出口の方へと踵を返した。それを確認するとウィオラは、足音を立てぬようそっと洞窟の壁面に体を寄せる。


 ウィオラは黒の一族、湖影――シルヴァ、という名もあるが、湖影自身が黒の一族内では好んでこの名を使う――の部下の一人である。湖影の命を受けて、目の前の少女魔導師に近づく他の一族の者が居ないか監視を行っている最中だ。


 彼女はくすんだ菫色のきつい巻き毛を背中まで伸ばし、裾のふんわりと広がった羊毛のスカートを穿いた女の姿をしていた。その容姿は人間で言えば、若い盛りを過ぎてすぐ位の年齢に見える。しかし、その姿は魔導師の少女には見えず、少女からはただ洞窟の壁ばかりがあるように見えているはずだ。


 実際、銀髪の少女はウィオラに視線を向ける事なく、まっすぐ出口へと向かっていく。しかしその表情は意外なことに、今から何かをするための決意に満ちていた。


 僅かに眉を上げるウィオラには寸分も気付かぬ様子で、少女がウィオラの横をすり抜ける。その拍子に起きた風が、ウィオラの被っていた大きな紗布の端をひるがえした。一瞬出来た紗の隙間から、ウィオラのくすんだ菫色の巻き毛が洞窟内の僅かな光を反射したが、既にウィオラの前を通り過ぎ、背を向けてしまっている少女がそれを見ることはない。


 被る者の姿を消す紗布を体に巻きつけたまま、ウィオラは少女の後を追う。もしも他の夜の民と接触するような場合があれば、その場を取り押さえなければならない。しばし項垂れていた様子から諦めて引き返すようにも思えたが、先程の顔つきを見るにそうではないらしい。面倒であるのは間違いないが、何をするつもりか少しだけ興味をそそられ、ウィオラは心持ち軽い足取りで洞窟の出口を目指した。



***



 黒の城門の女主人へと取次ぎを求めた後しばらくの間、フォートは真っ暗闇に沈む城門の回廊で一人待たされた。はったり半分で黒の族長に会わせろ、と求めたところ、次の瞬間黒夢は、無言で霧と化して文字通り霧散したのだ。そして以後何が来る気配もなく、いよいよこれは黙殺される事になったか、とフォートが諦めかけた丁度その頃、黒夢は再び目の前に現れた。消える時同様、無音で霧のように現れた彼は、女主人の元へ案内するとフォートに告げ、先導して歩き始めた。


 いくつかの角を曲がり、いくつもの跳躍床を指示されるままに移動すると、突然、日の差す大広間の中に出た。天辺からの陽光に照らし出された正面奥の壇上に玉座を認め、フォートはここが、天守にある鏡水宮最大の大広間である事を知る。


 その今は主不在の玉座の前に据えられた、しろがねに輝く宝珠の台座に寄り添うようにして婉麗な女が立っている。緩やかに波打ち頬を飾る闇色の髪。同じく闇色の艶やかな絹は女の肢体の婀娜な曲線を忠実になぞり、その裾は磨き上げられた石の床に波打っていた。彼女の一族の特徴であろう尖った長い耳に、細いおとがい、絶妙の曲線を描く首筋からむき出しの肩や胸元の肌はどこまでも白く、その温度を感じさせない色は髪と絹の闇色と痛烈な対比を見せている。


 妖艶そのものであるはずの、女の雰囲気を硬質にしている銀の眼差しがフォートを正面から射抜いた。縦に裂けた一対の瞳が、焦点を絞って更に針のように研ぎ澄まされる。気迫に呑まれて喉が大きく上下する音を、どこか遠くフォートは聞いた。


「私が黒の族長、シルヴァだ。人間の闇使いよ、陛下の御霊がこの宮内に無いという言葉、その証を示してもらおうか」


 黒薔薇の花弁を思わせる深紅の唇から紡がれた声は低く透徹し、フォートを射抜く白銀の視線同様、向けられた者を跪かせる圧力を有していた。


「初めて御目にかかります、契約により存在を許されし人間の闇使い、フォルティセッドでございます」


 その圧力に逆らわず片膝をつき、頭を垂れてフォートは名乗った。正直なところ、騒乱の非礼を詫びてさっさと退散してしまいたい。そう切実に思いながら、奥歯を噛締めてそれに耐える。名乗ってから一呼吸待っても、圧力を緩めず沈黙を守る女族長は言外に、さっさと問いに答えろ、と言っているようだ。そう感じたフォートは意を決して顔を上げ、必死の思いで白銀の圧力と視線を合わせた。己の眼から怯えを拭い去るのは不可能であろうが、それでもはったりをかました手前、目を逸らして誤魔化す事など出来はしない。意地でも押し通さなければ、この期に及んで逃げを打てば相手の逆鱗に触れるのは必定である。


 これぞ正しく、毒を喰らわば皿まで、の心境か。


 無駄に、微妙にずれた慣用句が頭をよぎるのは、それだけ頭が沸いているということだろう。気持ちを落ち着けるため、剣術で習った通り鋭く息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけて吐き出す。それから、黒夢に待たされている間に捻り出し、嫌になるほど胸中で反芻した内容を、声が震えないよう、慎重に慎重に押し出した。


「わたくしは先日銀の族長のお導きにより、北の森の奥深く……深海世界へ繋がる門の前にて、銀の族長の器に宿られた陛下の御魂に拝謁いたしました。陛下は銀の族長と共に、月の消失によって減衰した水の魔力を補うため、深海世界との扉を開けようとされて……何かの理由で深い眠りにつかれたのだそうです」


 一気に言って、その表情を伺う。しかし銀の視線は一向に緩む気配を見せず、わずかに片眉が上がったように見えただけであった。わずかに間を置いて、こちらの言い分が終わったと判断したのかようやくその紅唇が再び開く。


「…………ふ、ん。それで、それを貴様はどうすると言うのだ?」


 半ばも信じてはいない様子の口調で尋ねられ、フォートは膝の上に置いた拳を握りしめた。自分はどうするのか。それを決めかねてここへ来たのだ。


「私は……。グラキエラ様の器は、陛下の御魂に耐え兼ねて闇の魔力に飲まれておいでです。グラキエラ様が陛下の御魂をお受けになられたのは、強い共振りのお力ゆえ。グラキエラ様は私にも、陛下の御魂に触れられるだけの共振りの力があると……既に動かぬグラキエラ様の器に代わり、私に陛下の御魂を受けよとおっしゃいました」


「なるほどな。それで、では何故お前はここに居る」


 容赦の無い言葉に、きりりと鳩尾が竦んだ。相手は夜の民の中でも最も闇の王に近しい側近。その言葉は予測できていたが、それでも実際に言われると堪える。しかし、今更ここで黙り込むわけにもいかない。


「私はしがない人間です。もしこの身に陛下の魂を受け入れたとして、器がもつとは思えません。ましてや、陛下の御魂を眠りから呼び起こすなど、グラキエラ様にも出来なかった事は……。私一人で為そうとするよりも、族長がたの御指示を仰ごうと思い参りました。セイレン族のナースコル様にもご助言をいただき、精霊族の女性の力を借りれないかと思っております。どうかその女性と会わせては頂けないでしょうか」


 闇を受け入れる事への恐怖から逃げ出してきた事を隠すのは後ろめたいが、嘘は言っていない。言うべき事を言い切って、フォートは一度深々と頭を下げた。こめかみから一筋、冷汗が頬を伝って鼻筋に滴る。


 幾ばくかの沈黙の後、つい、とシルヴァが銀の眼差しをフォートから白銀の宝珠へと流した。滑る様な仕草でなめらかな腕が宝珠へ伸びると、爪先が触れるか否かのところで宝珠が燐光を発し、内部に何か映像を結ぶ。フォートの距離からでは何が映っているのか分からず、フォートは思わず目を細めて身を乗り出した。それとほぼ同時に、シルヴァとフォートの間の何も無い空間に、宝珠内の映像が拡大投影されて像を結ぶ。


 その映像の中では大きな剣を持った女戦士が、その剣を杖代わりに辺りを探りながら一歩一歩闇の中を進んでいる。しばらくその様子が映し出された後、一転して外の情景に切り替わった。その中央では魔導師の少女が杖を片手に、何かを探して必死に辺りを見回している。その様子を少し離れた物陰で、菫色の巻毛の女が眺めていた。サリアスとフィラーシャだ。フィラーシャと、恐らくは彼女を監視している夜の民であろう女をひとしきり映した宝珠は、再び闇を進むサリアスの姿を二人の前に映し出した。


「こやつらはお前が城内に入れた者達だな」


 低く尋ねるシルヴァの声が、映像を注視していたフォートの耳に刺さる。誤魔化しようなど無いので素直に頷くと、シルヴァの口元が僅かに上がったように見えた。


「ナースコル殿は既にセイリアに帰られたようだが……セイレン族を含め、銀の動向はこちらも探っている。先ごろより姿を見せぬ銀の族長のこと、我等も気にかけては居るからな。しかし、こうして不本意な客人を招き入れてしまった以上、今私が貴様の後をついてのこのことこの場を離れる訳にも行くまい」


 暗に、その『不本意な客人』を案内して来たフォートを責める声音に、自然と首が竦む。しかしどうやら、多少は風向きが変わったようだと判断し、フォートは恐る恐るシルヴァの意向を確かめた。


「では――」


「あの小娘どもが始末される前に事を収めたくば、その陛下の御霊と銀の族長の器、貴様がこの場に持って参れ。もっとも、奴等と老竜の件が片付いた後であれば、部下を遣る事くらいは出来るがな」


 そこで一旦言葉を切り、フォートを見遣ったシルヴァは今度こそ口角を上げた。


「貴様にとって奴等が何であるのかは知らぬが、明日か明後日にはセイリアへ行った銀彩も戻る。貴様の話、それからでも遅くはあるまい」


 つまり一応は、フォートの話を聞いてくれる気になったという事だ。どうやらサリアスらを城に入れた事へのお咎めもないらしい。と言うよりもむしろ、その程度の事は歯牙にもかけていないと言うべきか。


 ただし、フォートが連れて来た二人、サリアスとフィラーシャの命が惜しいのであれば自分で手立てを考えろということだ。しかも本気で脅されているというよりは、どうやらからかい半分らしい。フォート自身も含め人間たちは、全く以って黒の族長にとっては瑣末な存在のようだった。


「……その場合、彼女らと共に行動していた精霊の女性はどうなるのでしょう?」


「あれも灰の老竜の手に堕ちた。銀彩からの報告を聞く限り、それなりに力を持った精霊の末裔のようだが……老竜はあの精霊の娘を己の計画に利用する腹づもりだ。だが私は精霊が嫌いでな。アダマスの先例もある。面倒が起こらぬ内に老竜から取り上げ処分するのが最善だと思っているが」


 二柱神を裏切りその秘宝を奪って世界に君臨したアダマスは、元々は精霊の一族の出身である。一度その精霊の一族に辛酸を嘗めさせられた身として、シルヴァがルチルナを危険視するのは当然の事だった。


 何にせよ、フォートが選ぶべき選択肢は一つということだ。黒の一族が今回の騒動を全て片付けてしまう前に、銀月王本人をシルヴァの前に連れてこなければならない。そう腹を括った事を、フォートの表情から読み取ったのか、シルヴァが再び、暗闇の中を黙々と進むサリアスの画像に視線を移した。


「まずはこの女からだ。城門を自力で抜けた場合には私が始末することになっている。このまま行けば、あと一刻と言った所かな……?」


「では、もしも私がグラキエラ様と陛下の魂を、湖影様のもとへお連れすれば……城門を進む戦士も、精霊の女性もご助命いただけますか」


「――そうだな。貴様の話を聞く間くらいは待ってやろう」


「私は……陛下の、復活には……彼女らの力を借りることが必要だと思っております。湖影様は――」


 恐怖を押して、声を絞り出す。夜の民だけで、太陽の剣を抜くことは出来ない。それは動かし難い事実だ。それを認めてもらえれば、また少し猶予ができる。


「ふん、随分と過ぎた口をきくものだ」


 ぎらり、と銀の視線が一層険を帯びる。それだけで相手を射殺してしまえそうな眼差しに、フォートは息を呑んだ。


「確かに我等で太陽の剣を抜くことが出来ぬとして、あの者たちを操り抜かせるという策が上手く行くとも思えぬ。人間の心は支配が難しい。精霊などもってのほか、不用意に陛下の御身に近づけて不測の事態を招くわけには行かん」


 シルヴァは決して人間の存在を軽んじているわけではない。竜族や人間族の精神は、他の種族よりも扱いが難しい。それを重々承知しているゆえ、こうしてサリアスらを危険視する。確かに、真相を知った彼女らがこれから、自らの意志で銀月王復活のために危険を冒すとは思いにくい。サリアスとフィラーシャが鏡水宮までやって来た理由は、既に魔王を倒すためでも世界を救うためでもないはずだ。


「それで、どうするつもりだ」


 試すように尋ねられて、はっと意識を現実へ戻す。


 猶予は一刻。そうもう一度確認して、フォートはさらに気持ちを引き締めた。洞窟までの距離を考えれば、刹那の刻とて無駄に出来ない。


「――必ずや、陛下をお連れしてみせます」


 硬い声音でそう告げると、フォートは静かに立ち上がり、退出の意を込めて深々と頭を垂れた。

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