―第79試合 裏切りの未来基地 2―
第624話「明王殿レイVS浅草寺の英雄タヌキ」
ボヨン
気の抜けるような音がして、レイの空手チョップは受け止められた。
正直なところ、唖然としてしまったのだが、なんとか顔には出さないようにする。
自分の〈神腕〉を使った打撃をこんな風に無効化することなど想定もしていなかったからだ。
まさか風船どころかスライムのような粘塊になることで打撃力すべてを無意味にしてしまうとは……
「さすがは浅草寺の英雄タヌキってところか!!」
『うっふぇっふぇっふぇ、フギャー、ワシのことを覚えておったか、いい心がけジャゾ、人の巫女よ!!』
「……わりいが忘れかけてた。後楽園のときはあまりにあっさり藍色にやられていたもんだからよ。膨らむ変な奴程度の記憶しかなかった」
『なんですと!! これだからニンゲンは!!』
容易く挑発に乗るところがいかにもケダモノであるが、レイ自身は唖然としながら内心舌を巻いてもいた。
後楽園ホールでの団体戦では彼女は先鋒であったから、猫耳藍色と浅草寺のタヌキとの次鋒戦は治療のために観ていない。
だから、この〈江戸前の五尾〉の一角の幻法が〈狸提灯〉という身体を風船のように膨らませるものであることぐらいしか知らなかった。
あっさりどころか、相当藍色が苦戦したことも知っていたが、それはボクサーである彼女にとってやりづらい相手であるからだと聞いていた。
風船の弾力性でもってパンチを無効化するというのは、よく考えれば効果的な防御方法ではある。
とはいえ、空間に断層を作って亀裂を作りだして切断する“真空使い”でもある猫耳流交殺法であるのならば極めてしまえばなんとでもなる。
あの時の藍色はまだ巫女として復帰して時間が経っておらず、勘が鈍っていたせいで手間がかかっただけで今だったら確かに余裕で終わらせているであろう。
もし、あの時、浅草寺のタヌキの対戦相手がレイであったとしても同じだ。
〈神腕〉をもって振るう手刀は斧のように太い丸太でさえ切断できる。
風船程度の弾力ではもろともに切り裂いてしまえばいいだけのことだった。
だから、レイは次鋒戦のVTRを観ていない。
それよりも、妖怪ハクビシン一族の襲撃を撃退した中堅の金長狸の方に興味津々ではあり、そちらばかりを追っていたのだ。
浅草寺のタヌキなどアウト・オブ・ガンチューだったという訳である。
ゆえに今回の戦いも初手から手刀でもって一気に片を付けるつもりだった。
侮ってはいない。
油断もしてはいない。
そんなことができるようなヤワな教育は受けていない。
だが、誤算はあった。
それは浅草寺のタヌキが彼女たちの想像以上に自らの幻法を磨いていたことと、升麻京一がその努力を知っていてわざわざレイにぶつけたことだ。
「京一くんのやることだから、
まさか、浅草寺のタヌキの〈狸提灯〉―――全身を風船のように膨らませて敵の攻撃を弾き返すという幻法の進化系がこのようなものだとは考えてもいなかった。
―――風船どころか、ねちゃつくような粘液と紙一重なまでに軟らかくなるとは。
〈神腕〉の破壊力さえ捉えどころのない泥の様な肉体に、こめられた神通力までがすり抜けてしまう。
しかし、膨らみきったタヌキの姿だけは保持されていて、スライムのように不定形になる訳ではない。
あくまでもタヌキではあるのだった。
ただ思い切って劈掛掌の掌撃を連打してみてもまったく無意味だった。
まるで水と戦っているようだった。
「確かに氷は割れるが水は切れねえな」
通常こういう敵は四肢に〈気〉をこめてぶつけることで変化を停止させることができる。
しかし、浅草寺のタヌキにはそれも効かない。
本当に立って歩く水溜りとやりあっているようなものだ。
レイは仲間たちのことを考えた。
これが彼女ではなく音子であったのならば、〈大威徳音奏念術〉で原子ごと停止させてしまえばいいので勝てるだろう。
藍色は逆に震動と電気の使い手だから、完勝かもしれない。
皐月は―――こいつに触れることなく殺気を掴んで投げるだけなのでもっと楽勝である。
つまり、この面子の中でレイだけが苦戦する敵ということだ。
その事実はだいぶ癪に障った。
見越してレイに浅草寺のタヌキをぶつけてきた升麻京一に対しても腹が立つと同時に感動した。
「よく観てやがんよな、京一くんはよ」
レイは素直になって称賛した。
彼と彼女たちは友達だ。
だが、友達の本当の実力を見極めている人間がこの世界にどの程度の割合存在するのだろうか。
中には友達とはいっても、常に上下関係を図ろうとし、無理矢理なマウンティングを仕掛けてくることを無意識にやってのけるものが多い。
誰が上、誰が下、その優劣を極めなければコミュニケーションがとれないのだ。
確かにそのやり方は動物と一部の集団にはあてはまる。
しかし、上下関係を常につけなければ生きていけないというほどに人間というものは愚かではないはずだ。
レイは思う。
かつて御子内或子との決着をつけることに拘って、戦いに明け暮れていた自分のことを想う。
あれは無駄な時間だった。
連戦で強くはなったから完全に無駄とは言わないとしても、強くなるためのベクトルを見誤っていたのだ。
妖怪〈うわん〉を叩きのめしてレイが得たものは何もなかったが、〈うわん〉を護ることで人を救ったものがいたことを考えれば。
或子より上に位置したい。
ただそれだけの執着が彼女の生き方を歪ませていたのだ。
でも、もうそんなことはない。
明王殿レイとしての生きざままでは見失わなかった。
時に誰かとの優劣を競うことがあってもいい。
競争は自らを向上させるために必要なものだからだ。
しかし、他人との上下関係を決めるためだけを第一にしてはいけない。
わざわざ順番をつけなくても、相手をよく観て認めるところは認め、駄目なところは駄目としておくだけでいいのだ。
それは誰かをフラットな視線で見るように心がけることで出来ることである。
あの少年のように、友達をよく観て知ろうとするだけでいいことなのだった。
「オレの〈神腕〉がこのタヌキには通用しないかもしれないってことを見抜いていたということかよ。さすがは京一くんだ。生き馬の目を抜きかねないことをする」
いったん、浅草寺のタヌキから距離をとる。
最強の飛び道具に等しい〈神腕〉を使う彼女は、超・接近戦については比較的に苦手としている。
肘・膝を使う闘法と投げ技・寝技を得意とする音子や間合いに入るだけで危険な皐月を苦手としてのもそのせいだ。
パワー型であるからこそ、トリッキーさに定評のある二人とは相性が良くない。
それはこの浅草寺のタヌキも一緒だ。
唯一の救いはタヌキ側に強烈な攻撃の手段がないこと。
それがあったら、さすがに打開のしようがない。
だが―――
『〈狸提灯〉は攻防一体の幻法でもあるのだ脳髄グギャー』
浅草寺のタヌキはそういうと、右前肢を引いた。
攻撃の姿勢だ。
しかし、レイとの距離は五メートルはある。
それを埋めて攻撃ができるのだろうか。
『〈タヌキ・ペストル〉!!』
その位置から正拳突きを放つ。
いかに浅草寺のタヌキが巨漢でも絶対に届くはずのない距離だ。
それなのにタヌキの右前肢はまるでゴムのように伸びてレイにまで届いた。
しかも、伸縮性のある肉体を生かした勢いと奇襲性にさすがのレイの反応が遅れる。
「ぶっ!!」
凛々しい顔に見事にタヌキの前肢が入る。
このぐらいのクリーンヒットをまともに受けたのは久しぶりともいえる一撃であった。
思わずのけ反るレイ。
怯んだ隙を見逃さず、今度はムチのように浅草寺のタヌキの後肢が伸びて回し蹴りを放つ。
五メートルの彼我の距離をものともしない蹴りがレイの脇腹に決まる。
ギリギリの差で〈気〉でガードできたからいいようなものの、まともに受けていたらアバラ骨を数本もっていかれる威力だった。
『フギャー、〈タヌキのムチ〉も決まった!! ワシは強い!!』
浅草寺のタヌキは口でこそ勝ち誇っていたが、内心では震えていた。
なぜなら、後肢での回し蹴り―――〈タヌキのムチ〉が決まった直後からレイの全身に異常な気配が漂い出したからだ。
何十年生きる妖狸族でも見たことのないオーラのような何かが。
「……そろそろ使ってみてもいいかな、とは思っていたんだ」
『なんだ、フギャー?』
「最近では不動明王の力も自在になってきていたし、〈
『何を言っているのだ、巫女め』
「―――うちの秘伝だからさ。使えないと跡を継いだ意味がないんだ。昔のオレだとちょっとダメだったみたいだけど、今ならなんとかなるはずだ」
『だから、なーにーをー、言っておるんだグジャー!!』
レイは劈掛掌の構えをとった。
構えといえばやはりそれしか知らないからだ。
「―――対邪神呪禁戦技〈九曜紋火焔掌〉。不定形の邪神―――例えばウボ・サスラなんかを滅するための戦技だが、ちょうどいい試させてもらうぜ」
にやりと地球上のどんな男よりも漢らしくレイは笑った。
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