第593話「神宮女音子の二つの貌」



 経験則上、神宮女音子おねえさまのしんゆうに初めて会った人は驚愕する。

 それはそうでしょう。

 派手なラメの布地のレスラーのような目と口が空いているだけの覆面がやってくるのだから。

 通報されないだけでも不思議なぐらいだと思う(ただ前にお兄ちゃんに聞いたところによると、彼女を名指しでするような通報に対しては警察はほとんど無視を決め込むのだそうだ。だから、〈社務所〉という組織と警察の癒着というよりも、彼女の家柄のせいかもしれない。実は神宮女音子の家は先祖代々の名家で、父親は与党の参議院の議員でもある)。

 だから、彼女がやってきたとわかったところで、あたしが迎えに行って、桐木のおばさまが顔を出す前に神宮女音子を部屋に連れ込んだ。

 当然、くるみはショックを受ける。

 とはいえ、おばさまに見つかるよりは百倍はましだ。

 神宮女音子は特徴的な覆面だけでなく、格好も改造巫女装束と言う素っ頓狂なものなので、普通だった最悪に変な人。

 あたしも最初に家の居間で見掛けた時は心臓が止まるかと思ったものである。

 もっとも、もっと心臓が口から飛び出すほどびっくりすることがあるのだが、くるみにわざわざ説明する必要はない。

 完全に目を丸くして神宮女音子を見つめている。

 まあ、その気持ちはわかるけどさ。


「……ね、ねえ、涼花ぁ」


 泣きそうな顔でこっちを見ている。

 だって、腕を組みながら仁王立ちで冷たく見下してくる神宮女音子の睨みは超がつくほど怖いのだ。

 本人にとってはそんなつもりはないのだろうが、切れ長の黒目の大きな瞳がマジで恐怖を感じさせる。

 この女と対等にメンチの切りあいができるお姉さまとか、お姉さまの親友と呼ばれる人はまったくもって尋常ではない。

 さらに言うと、目つきが鋭いだけでなく腕っぷしでもあの方たちと互角というのだから洒落にならない。

 お兄ちゃんほどではないが、あたしだって何度もお姉さまの退魔業を目撃したことがあるが、あれと同じことができる相手なのだ。

 見た目の奇矯さと実力の乖離はとんでもないが、それだけ〈社務所〉の退魔巫女というのは凄いものなのだ。


「大丈夫。この人、外見はともかく、実力は折り紙付きだから」

「で、でも~」


 ただ、あたしもこの神宮女音子の実力というものを目の当たりにしたことはない。

 お姉さまとお兄ちゃんの二人がなんだかんだいって、いつも手放しで褒めているのだから疑うことはしないけれども。

 だから、くるみを無条件で説得させることはできなかった。


Que pasaケ パサ?」


 神宮女音子の使う訳のわからない言語はスペイン語だ。

 お兄ちゃんはわざわざこの女性ひとのために覚えたらしいが、あたしにはちんぷんかんぷん。

 あたしがこの女が苦手な理由の一つである。


「え、なに?」

「どうした、とかその辺じゃないかな」

「あ、大丈夫です」

「So」

「そうなんです! こうなんです!」


 くるみが変な風になっている。


「……この部屋、微妙に妖気が漂っている」


 こっちの戸惑いをまるっきり無視して、神宮女音子は室内を睨むように見渡していた。

 睥睨とでもいうべきかも。

 玄関で見た時から感じていたけど、神宮女音子は最初から臨戦態勢だったのかもしれない。

 うちに遊びに来ているときの様な気楽な雰囲気ではなかった。


「妖気って、どういうことです?」

No lo séノ ロ セ。かすかすぎて、あたしでもわからない。―――幽霊とかじゃなさそうだけど……」


 真剣なまなざしだが、どこか迷っているようにみえた。

 おそらくは珍しいことなのだと思う。

 あたしが知る限り、退魔巫女の人たちは誰もかれもとんでもなく自信家揃いばかりだから、あまり悩んだり考え込んだりしない気がしていたが実際はそうではないらしい。

 現場に至れば真剣にいい結果が出せるように取り組むのだろう。

 升麻家で傍若無人に振る舞ういつもの態度とは違っていて、ちょっとだけ見直したくなった。


「微かすぎる……。読み取れない」


 少し沈黙してから、神宮女音子はおもむろに後頭部に手をやった。

 それから手早くなれた手つきで覆面を縛っている紐を解いていく。

 すぐに紐が緩み、覆面がとられ、彼女の素顔が現われた。


「えっ」


 くるみの顔がまた驚愕に彩られる。

 もしかしたらさっきよりも激しいかもしれない。

 だって、変な覆面女の素顔がこんなに綺麗だなんて誰も思わないだろうからだ。

 思ったとしてもたぶんここまでとは考えないはず。

 ぶっちゃけた話、神宮女音子の素顔はあたしの知るどんなアイドルよりも美しいのだ。

 お姉さまも明王殿レイも比類ない美少女だが、単純に比較するのならばこの女が一番だった。

 なんでいつも覆面で顔を隠しているのかはわからないけど、つけている時の方が伸び伸びとしているので、美人というのも必ずしもいいことばかりではないのだろうとは同情できる。

 だからといって、普段から覆面をつけている行動を理解することはできないけれどね。


「ちょっと神宮女音子。あなた、何をするつもりなんです!?」


 さすがにそれは聞かずにはいられなかった。

 ちらりとこっちを見る神宮女音子。

 間近で見ると本当にヤバいほどの美少女だ。

 顔が小さくて、ほとんど左右対称の顔は整っているなんていうレベルではなかった。

 しかも、肌が透き通るように白く、口元を少し吊り上げるぐらいしか笑わないのでフランス人形のようでさえある。

 あたしも一度しか見たことがないが、この美少女に迫られて押し切られないだけでうちのお兄ちゃんはたいしたものである。

 もしかして性欲とかないのかも。

 そういえば部屋に隠していたエッチな本はあたしとお姉さまで処分してしまったのに、特に文句も言ってこなかったし。


「少し集中したい」


 神宮女音子は静かに目を伏せた。

 とんでもなく神秘的だ。

 同性でも一気に惹きこまれて惚れてしまいそうになる。

 いつもの仏頂面でややギャルよりの喋り方の彼女が、こんな感じで沈黙するととんでもない存在感になる。

 さすがは江戸時代以前から続く神社の娘だ。

 うちらのような庶民とは品が違う。

 どうしてこんな女性がお兄ちゃんに粉を掛けているのか不思議でならない。


「……涼にゃん。あたしが妖気感知をしている間になにがあったのかをくわしく説明」

「えっと邪魔にならないんですか?」

「どんな雑音もあたしの集中を邪魔できない。だからさっさと言って」

「は、はい」


 あたしはゆっくりと順序立てて、精神統一を行っている神宮女音子に向けて詳細を語っていった。



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