第414話「いくさの誓い」
「アニマが重傷だって!!?」
突然、不知火こぶしさんからかかってきた電話を受けて、御子内さんが大きく声を荒げた。
あまりない光景だ。
戦いのときの気合いを入れるときや、妖怪を怯ませるときの戦場での咆哮ならばともかく、たいていのことでこんな声を張り上げる女の子ではない。
それが、スマホを破壊せんばかりに、電波の向こうにいるこぶしさんに食ってかかっていた。
「命は!? 命は大丈夫なのか? まさか、死んではいないよね!!」
少し離れた位置からでも、こぶしさんの声がスピーカーを通して聞こえてきた。
『落ち着きなさい。集中治療室に担ぎこまれはしたものの、命には別条はなかったわ。鉄心ちゃんはもともと大きい分神経が鈍いのよ。半分殺された程度では死にはしないわ』
―――写真と噂話でしか知らないけれど、とても女の子の話をしている調子ではなかった。
ただ、御子内さんの取り乱しようは紛れもない事実で、こぶしさんの緊張しきった声もまた真実だった。
退魔業の結果、誰かが入院するほど傷つくこともないわけではない。
レイさんと藍色さんは、一度は入院している。
しかし、集中治療室に運びこまれ、一時とはいえ死の淵にかかるほどの大怪我は聞いたことがなかった。
甘かったというべきだろう。
御子内さんたち、退魔の巫女レスラーはみんな不死身で無敵な女の子ぞろいだと高をくくっていたのかもしれない。
彼女たちだって傷つくことはあるし、何よりも普段の戦いはまさに命がけなのだ。
いつも確実に無傷で勝利するなんてこと、奇跡でも起きない限りあり得ないことだった。
その僕の甘さと同じものを、実は御子内さんも味わっていたようだった。
アニマという同期の巫女さんが瀕死だと聞くと、いてもたってもいられなくなってしまつていたようだった。
「面会できるかはわからないけれど、お見舞いに行こうよ。今すぐ」
そんな僕の空気を読まない提案にすぐに飛びつくぐらいに。
「ああ、行こう! アニマもボクが傍にいれば心強いだろう。本来なら、あいつがいてくれて、枕元で四股を踏んでくれればどんな怪我も病魔も祓えるんだけど……」
なるほど、見た目通りに使うのは相撲とかそっち系なのか、豈馬さんという巫女は。
顔色まで悪くなった御子内さんとともに、僕は中野区にある東京警察病院に向かった。
数年前まで千代田区富士見にあったのだが、中野の警察学校跡地に建てられたやや特殊な歴史のある病院である。
だが、それは仮の姿であり、実はやや離れた別館があり、そこは〈社務所〉などの霊的な組織のための治療施設となっているのであった。
僕が年末に放り込まれた戸山住宅の病院とは違い、戦いで傷を負った巫女たちが担ぎこまれる場所である。
しかも、その傷も命にかかわるぐらい重いものか、もしくは並みの儀式では祓えないほどの呪詛の類いと決められているそうだ。
アニマさんという巫女が任地の静岡からここまで高速のドクターヘリで運び込まれてきたというだけで、どれだけ酷い大怪我かは一目瞭然ともいえた。
一般人は決して使わない入り口から中に入ると、眩暈がした。
この施設の中に張り巡らされ防御結界によるものだろう。
限りなく正常に保たれている神社と違い、人工的に清潔さ―――魔を弾きだす仕組みがいたるところに備え付けられた霊的要塞でもある。
今まで一度だけ入ったことがあるが、その時はあまりに清浄すぎて吐き気を催してしまったほどである。
入り口のところに、藍色さんと音子さんがいた。
二人ともここからはわりと近い距離に住んでいるか、電車ですぐの地域にいる。
御子内さんと同じように連絡を受けて、駆けつけてきたのだろう。
このあたり、豈馬さんという女性の好感度が高いことがわかる。
「―――アニマは!?」
「血は止まったけど、まだ意識は戻っていません。お医者さまの話だと、せめて〈気〉が回り始めれば恢復する可能性があるって、今は御所守さまが調息と練気を行っています。助手にてんさんをつれているからにゃんとかにゃるとは思うけども」
藍色さんが状況を説明する。
覆面を被った音子さんはじっとそれを聞いていた。
この二人にとっても、豈馬さんは同期の桜なのだ。
「そうか……。でも、アニマがいないと
「
「どうするんだい?」
「……あたしが伊豆まで行って護ることになると思う」
音子さんがぼつりと言った。
「アルっち。いざとなったら川崎と横浜もよろしく」
「そういう縁起の悪いことを言うな。ただでさえ、アニマの奴が……」
来る途中に打ち明けられたのだが、どうも豈馬さんという人は、御子内さんにとって珍しい幼馴染に当たる人物らしい。
他の親友たちとは中学からの付き合いだが、小学校時代からの唯一の同級生なのだという。
だからかどうか知らないが、ここまで取り乱している御子内さんを観るのはやはり初めてだ。
「相手はどんな妖魅なんだ? アニマをこんな目に合わせるなんて。―――ボクが落とし前をつけてくる」
「……無理」
「ボクが負けるってのか?」
「アニマンを傷つけたのは妖魅でも妖怪でもない。そいつらはアニマンが斃し終わっている」
「じゃあ、誰かが試合の終わったあとのアニマを不意打ちにでもしたのか?」
すると藍色さんが首を振った。
「ううん。鉄心さんはガチンコで挑んで負けたんにゃよ。多少の疲れはあっただろうけど、そんにゃことがハンデににゃる彼女じゃにゃいし」
「鉄心が正面からぶつかって負けた? どんな化け物なんだ、そいつは。化け物どころか、この世で一番強いと名乗っても寸毫も不足がないってことじゃないか!?」
「そのアニマンに負けたことのないアルっちがいうと、自慢に聞こえる」
「冗談はいい。アニマをこんな目に合わせたのは何なんだ? ボクの幼馴染を!!」
扉が開いて、新しい登場人物が現われた。
小柄で可愛らしい美少年だった。
見た目は小学生に見えなくもないけれど、どういう訳か、僕にはこの人が同い年ぐらいでいあることがはっきりとわかった。
きっと双眸に浮かんだ圧倒的な憎悪の色が、子供のらしい無邪気さを欠片も感じさせないからだろう。
それだけ、この少年の目は激しい憎しみに満ちていた。
「―――鉄心さんをあんな目に合わせたのは、西から来た怪物です」
この警察病院別館に入れるということは、この少年も〈社務所〉の関係者なのだろう。
「西から―――だと? まさか……キミが言う怪物とは―――?」
「はい。関西を主戦場とする退魔組織。……〈八倵衆〉の廃棄僧侶です」
〈八倵衆〉……廃棄僧侶……
初めて聞くけど、耳にしただけで禍々しい感じがするのは、少年の声に含まれたこれも憎しみの為せる業であろうか。
少なくとも、彼はその〈八倵衆〉を殺したいほどに憎んでいる。
「……〈八倵衆〉。寛永の大サロンを主催した後水尾天皇が、徳川幕府の力を頼らずに京と大阪を守ろうと結成した高野山・比叡山の破戒僧を集めたって連中だね」
「明治天皇の勅令で余程のことがない限り、関東に上がってはならないと言われていたはずだ。そいつ、何をしに東海道を上がって、アニマを痛めつけたんだ?」
少年は言った。
「あいつは、また来ると言っていました。その度に、鉄心さんは―――そんなことはさせぬ。わしがいる限り、関東に一歩たりとも踏み込ませぬ、と立ちあがって……」
やられた、のか。
いかにも〈社務所〉の媛巫女らしい戦いだ。
「―――バカだな、アニマは」
ぽつりと御子内さんが呟いた。
冷たい響きがあった。
「……勝てない相手なら、腕の一本でもやって逃げれば良かったのに。死ぬ寸前まで戦うなんて、本当にバカだ」
「アルっち」
「或子さん」
「あんた!! 鉄心さんの戦いを虚仮にする気かよ!!」
激昂する少年を無視して、御子内さんは天上を見上げた。
そこには彼女の幼馴染がまだ懸命の治療を受けているはずだった。
「―――素通りさせたって、その先にはボクがいるんだから、任せてくれればよかったんだよ」
だが、彼女も絶対にわかっている。
そんなことができるようなら、自分たちは退魔巫女なんかにはなっていないって。
「そいつの名は?」
「……迦楼羅王の孔雀踏海と名乗っていました」
「わかった。―――キミ、もしそいつが東海道を上がってくるのを見つけたら、すぐにボクのスマホに連絡してくれ」
「どうするつもりなんですか?」
その問いに対して、御子内さんは、
「どうする? どうするだって? そんなわかりきったことを質問するなんて、キミはもしかして底抜けのアホなのか?」
彼女らしくない、絡みつくような悪態だった。
「どうするなんて、もう決まっていることさ」
拳を強く握り天に掲げる。
「民草を守るために最後まで戦い抜いた豈馬鉄心の矜持のため、そのふざけた関西人をぶっとばす!!」
御子内或子には珍しい、私闘にして死闘の誓いであった。
そして、この宣言が、後に東京において荒れ狂った〈社務所〉と〈八倵衆〉の血で血を洗う妖戦魔戦の引き金でもあったのである。
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