第333話「死人返り」



「覚せい剤を打ちすぎたせいで、もうどうしょうもなくなっちまった女がいたんだ。頭はイカレててまともに口をきくこともできやしねえ。文字通りのアッパッパーさ。来栖連盟はそういうのはさっさと殺しちまって山の中に捨てるのがいつもことだった」


 若頭は残酷で薄汚れたことをどうでもよいことのように口にした。


「……来栖連盟のガキどもはいつものようにさっさと運んで殺して埋める予定だった。殺しちまっても滅多に外には出ねえし、海に捨てるよりは確かだからな」

「そこに問題が出た訳ね」

「ああ。……あいつらがしゃぶりつくした女が、愛知の大企業の社長一族の娘だったんだよ。あそこにはY組があんだろ。社長一族がY組を使って娘を返せといってきたのさ」

「……でも、もう娘さんは」

「死んでたよ。あのクソ餓鬼どもは加減ってもんを知らねえ。だってのに、Y組は娘を返さなきゃあ戦争だとか脅してきやがる。ところが、このご時世だぜ。暴対法もあるってのに、あんなところとやりあっていられねえ。特に去年はY組は神戸と分裂したばかりで、何をしでかすかわからねえぐらいに追い詰められていたしな」


 日本最大級の暴力団の分裂劇については、ヴァネッサ・レベッカもよく知っていた。

 ヤクザの魔の手は彼女の故郷アメリカにまで伸びていたこともあるからだ。

〈殺人現象〉や殺人鬼専門とはいえ、彼女もれっきとしたFBIの一員なのだ。

 悪の組織についての情報は常に更新している。


「日本でも最大級の企業と最大規模の暴力団の要求があったということね。その女の子がどういう素性だったのかはさておき、あなた方はその子を無事に帰さなければいけない状態だったと」

「でもよ、やっぱりもうイカれちまった以上、どうにもならねえ。鬼道会うちが見つけたときにゃあ、もう死んじまっていたのさ、そこの村でな。来栖連盟がさっさと穴を掘って埋めるところだった」


 つまり、抗争が起きる寸前だったのだ。


「だけど、おれたちの親分おやもケツ持ちの企業も、マジでの抗争なんてしてほしくねえ。なんとしてでも抗争だけは避けようと、アイツを呼び出した」

「あいつ?」

「聯頭だよ。あの生臭坊主は、死んだ人間を生き返らせることができるんだ。だから、うちの組では大枚はたいてあいつを雇ったんだよ。そしたら、せっかく生き返ったと思ったのに逃げ出しやがった……」


 その話を聞いて、皐月が問いかけた。


「外法を使ったの? あの聯頭という坊さんが?」

「……なんだかしらねえけど、韓国のなんとかって本にあるらしい。それで女は生き返ったんだよ」

「〈俾官雑記ヒカンザッキ〉にあるという死人返りの邪法のことだね。死者の薬指からとった血で死人の体の一部に鬼の文字を書くことで死者を生き返らせっていう反魂の法。そんなものを使える法師がいるというのも驚きだけど、実際に生き返ったってのがまた驚きだよ」

「……そんなものがあるの?」

「うん。朝鮮半島ってシャーマンの力が強いうえに、地学的にも死者の呪いを増幅させやすい龍脈が通っているんだよね。だから、その手の呪詛についてはものすごく強力なのさ。しかも死人返りってさ……」


 死んだ人間が生き返るなんて、ゾンビ映画ぐらいしかピンとこないアメリカ人のヴァネッサ・レベッカには理解しにくい話だった。

 もともとハイチの土着の呪いであったゾンビーをロメロの映画のように広めてしまったアメリカ人には、その手の想像力が欠如しているのかもしれない。

 かろうじて思いつくのはペットセメタリー程度だ。


「まさかくたばっちまったもんが生き返るとは思わねえから、油断したバカどもが間抜けにも逃がしちまった。かといってY組がうちにつきつけた女を返す期間は年内だ。だから、俺らは必死こいてこんな山奥で探し回っていたんだよ。―――これでいいだろ。さっさと縄を解いてくれよ」


 皐月たちを同業だと勘違いをしている若頭は解放を求めたが、皐月は完全に無視した。

 正直なところ、このヤクザのことなど考えている余裕はない。

 彼女たちの目的はもともと人里に降りてきた妖怪〈サトリ〉の撃退だ。

 一般人の被害は出ていないとはいっても、人の多い青梅まで顔を出しているとなると野生の熊など比較にならないほどの危険な相手だ。

 早めに対処しなければならない。

 だが、そこにこんな連中が絡んできた。

 そして、おそらくすでにヤクザたちと〈サトリ〉はその死人返りで甦った女を巡って衝突している。

〈サトリ〉がどういうスタンスをとっているかはわからないが、ヤクザどもが山中を我が物顔で行き来すれば絶対に妖怪が絡んでくるだろう。

 つまり、事件は厄介な方向に進んでいるということだ。

 皐月としてはなんとしてでもヤクザたちを引き返させて、〈サトリ〉を刺激しないようにしなくてはならない。

〈サトリ〉という妖怪の凶暴さを伝え聞いている退魔巫女としては当然の考えであった。


「急いで追わないとならないね」

「そうね。罪がないギャングなんていないけど、妖魅のカテゴリーに入っただけで殺されるかもしれないというのは放置できないわ。サツキ、あなたしか倒せそうにない相手なんだからしっかり」

「オッケー、オッケー、七つの山は僕一人で引き受けた♪」


 最近のアニメ好きのヴァネッサ・レベッカにはわからない古いネタで応えると、皐月はまともな道さえもない山中を走り出した。

〈社務所〉の道場にいた頃に、散々、山の中を駆け回るやり方は叩き込まれている。

 道のないビルの屋上から屋上を闊歩する技術―――フリーランニングよりも高度な、山の民である山窩のための移動法だ。

 皐月以外の巫女たちも総じて使いこなせるようになっている。

 どんな道すらも通常人の三倍の速度で走り抜けられる、まさにましらのごときだった。


「なんだありゃあ……」


 あまりの速度に若頭が舌を巻いた。

 あの速度で山中を高速移動など、野生の動物でもなければできない。

 しかし、それができるように鍛え上げられるのが〈社務所〉の媛巫女なのである。



        ◇◆◇



「鬼道会の手前言うことはしなかったが、その娘はもう死んでいる。生き返った訳ではない。仮初めの命を手に入れただけだ。人間としての魂は残っていないし、拙僧が見たところ記憶すらもないだろう。なんといっても死人返りで得ただけの生命でしかないからのお」


 聯頭はへらへらと〈サトリ〉に説明をした。

 しなくてもいいのに、あえてするのは挑発のためだろう。


「どうせ、見せ札だ。生きているように見せかけて、日本最大の組をだまくらかすためだけのな。生者のような心はいらないし、魂だって必要がない。そんなものに、惚れてしまうのがいかにも闇に巣食う妖怪だよなあ。まったく滑稽じゃわい」


〈サトリ〉は聯頭の告白に嘘がないことを読み取っていた。

 だが、驚きはない。

 彼はいずみが死人であるということにとうの昔に気づいていた。

 生きているものが、あんな深くに心を隠していることなどありはしないからだ。

 問いかけて一時間でも帰ってくること自体が奇跡でしかないこともわかっていた。

 なぜなら、死人だからだ。

 いずみの内部にあるのは、生きていたころの残滓。

 残留思念。

 妖怪〈サトリ〉でなければ読み取ることすらもできない、かすかな反応。

 だが、それでも良かった。

〈サトリ〉はいずみと一緒にいた数日間が楽しかった。

 生きたヒトとは相いれなくても死んだヒトとは一緒になれる。

 それだけでいい。

 いずみは死人でありながら、花を見て(綺麗)と思い、花を(大好き)と言った。

 そこに嘘はなく、心があった。

〈サトリ〉はこんな冬の最中であっても温かいものに包まれていたのである。

 だから、彼からいずみを奪おうとするものは許さない。

 ヤクザであろうと僧侶であろうと。

 血に塗れた錆びた鎌を握りしめる。


『殺す―――』


〈サトリ〉が歩を進めようとしたとき、聯頭が手で印を結び、真言を唱え始めた。

 朗々と読み上げられる真言に集中しているせいか、〈サトリ〉にも聯頭の心が読みにくくなる。


「オン ソンバ ニソンバ ウン バザラ ウンハッタ―――」


 その詠唱が広乗った途端、いずみの膝が崩れ落ちた。

 苦しそうに胸を押さえる。

 何かが起きているらしいことに〈サトリ〉は気が付いたが、いずみを助ける術は彼にはなかった。

 聯頭が唱えている真言が原因なのだろうか。


「―――降三世ごうざんぜ明王真言……だったっけ? また、過去・現在・未来の三つの世界を収めるシヴァ神を超力によって降伏し、仏教へと改宗させた五大明王の一尊なんて珍しい真言ものを使うんだねえ」


 そのとき、また新しい登場人物が花畑に現われた。

〈サトリ〉にはまったくわからないロック歌手を模した巫女装束の少女の姿をして。


「なんだかわからないけれど、修羅場ということだけは理解したよ」


 刹彌皐月がついに〈サトリ〉に追いついたのである。


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