第331話「大切なものは踏みにじられて」



(綺麗―――)


 いずみの心に浮かんだ純粋な称賛の声だけでもういい、と〈サトリ〉は思った。

 心を読める妖怪の自分にとって、ここまで落ち着ける人間は初めてだったから、一緒にいたいと願っただけだ。

 所詮、妖魅と人では共にいられない。

 まして、いずみは―――


「なんじゃあ、ここはあ!!」


 美しいまでの静寂をぶち壊す胴間声が轟いた。

 ゆっくりと〈サトリ〉が振り向くと、花畑の入り口ともいえる部分にわらわらと人間たちがやってきたところであった。

 品のない獣……猿のような顔をして、口から漏れる息でさえも臭そうな連中だった。

 暴力と恫喝を振りかざして、金に執着し、弱いものを虐げて遊ぶクズたち。

 ヤクザであった。

 どやどやと無遠慮に美しい花畑に侵入してくる。

 素朴に咲いた花たちをどうでもいいものとして踏みにじりながら。


「……おいおい、もう冬なのになんだよ、ここ」

「うわ、薄気味わりい」

「キモいわ」


 この男たちにとっては奇跡の花畑も理解できない不気味なものとしか映らない。

 だから、踏みにじるだけでなく、乱暴に蹴り飛ばし、可憐な花びらを無意味に散らせた。

 様々な色で満ちた空間が、ヤクザたちのいる部分だけは泥と土で真っ黒に染まる。


「おい、アレ」

「ひゅー、やっば、聯頭さんの言う通りかよ。キショい坊主だと思ってたけど、マジ受ける。ほんとに臭いがしてんのかよ」

「ラッキーだぜ。これで夜にゃあ組に戻れる」

「―――で、あいつ、誰よ?」


 ヤクザたちはこの花畑の片隅で白詰草を愛でていた〈サトリ〉といずみに気が付いた。

 彼らの目にはまずいずみが映り、ついで膝立ちをしていた妖怪を見る。

 座っているからか、上背のある〈サトリ〉には気が付かなかったのかもしれない。


「おい、野郎、マッパだぜ」

「信じられねえ。真冬だっつーのに」

「―――あいつじゃねえのか、タカなんかをやったってのは?」


 ヤクザたちは眼を合わせた。

 自分たちの仲間が病院送りにされ、仕方なく奥多摩まで出張ってきたことを思い出したのだ。

 その原因を作ったのが〈サトリ〉だと本能的に悟ったのだ。

 無意識のうちに手にしていた竿だけでなく、懐に入れておいたナイフやらドスやらを抜きだす。

 危険を感じたのである。

〈サトリ〉に対して。

 彼らからすると、女を気味の悪い花畑に連れ込んだ真っ裸の変態でしかないはずなのに、武器を取らねばと思ってしまったのだ。


「てめえがを連れ出しのかよ?」


 躊躇なく花畑を踏みにじりながら、ヤクザは〈サトリ〉たちに近づいた。

 警戒しながらも、所詮、二十対一ぐらいにしか考えていないのだ。

 だから、〈サトリ〉がどういう存在なのか想像さえしない。


「悪いけんど、はなうちの組のもんで、どいてもらえるかな」

「さっさとどけや、こら」


 近づいた段階で〈サトリ〉にはヤクザの心が読めた。

 前の三人組と一緒だ。

 いずみを連れていこうとするだけではなく、酷い扱いをしようとしている。

 ほんのわずか前だったら、〈サトリ〉はそこまで気にしなかったろう。

 妖怪としての自分を舐めた人間を叩きのめし、時には殺して食べてしまえばいいだけのことだった。

 だが、今の〈サトリ〉は違う。

 いずみを傍に置いておきたかった。

 どのみち、彼女は―――


『れんず……って坊主が邪魔なんだな』


 ぽつりと言った。

 訛りの強い〈サトリ〉の言葉だったが、ヤクザでも十分に聞き取ることはできる。


「!!」


 聯頭の存在はあまり知られていないはずだ。

 なぜ、目の前のこの気味の悪い全裸の男が知っているのか。

 それに、立ち上がったこいつの見事なまでに鍛え上げられた体格と能面のような顔はなんだ。

 本当に人間なのか。

 もっと、別の、得体のしれない何かではないのか。

 ヤクザたちは一歩下がった。

 踏みにじられた花々の痛みの声を〈サトリ〉は聴いた。


(いたい)

(いたい)

(いたい)


 かつてない荒ぶりを覚えた。

〈サトリ〉は彼の楽園を土足で穢すものどもを許す気はなかった。

 ただ、一言だけ花たちには謝る。


『こいつらの血と腸で汚しちまうけど勘弁なあ』


 錆びついた鎌を掴んだ。


『里っ子がこんただとこに来たのなら、死んだってしかたねえよなあ』


〈サトリ〉は山の掟を―――妖魅のルールに従って、愚かな人間に鉄槌を下し始めた……



           ◇◆◇



「いったいあんたらは何を探しているのさ。ヤクザ……えっと鬼道会だっけ? そう大した組織じゃないのにこんな大人数を繰り出してさ」


 自分の所属について知られているということに若頭は衝撃を受けたらしく呼吸を止めた。

 皐月やヴァネッサ・レベッカという少女二人が、どういう素性のものたちか理解できずに困惑しているということもあるだろう。

 

「どうして……俺が鬼道会だと……」

「そりゃあ、病院送りになった連中に二人もいればね。あと、一人は六本木の来栖連盟でしょ。色々と厄介な半グレだとは聞いているよ」

「いや、あれだ……そのだ……」


 言葉を濁し始めた若頭だった。


「どうするの、サツキ? 他の連中、奥に行ってしまうわ」

「強引に口を割らせるしかないみたいだ。二度と女を抱けない体にしてあげようかなあ」


 皐月としては真っ裸にしてマジックで落書きをして写真に撮るぐらいにしておこうという程度だったが、すでに足首をありえない角度で曲げられている若頭からすると恐ろしさのあまりに震えあがる話であった。

 ヤクザは暴力を商売にしているが、逆に自分が暴力を加えられることについての恐怖もよくわかっている。

 身内を売ることに決めたら、あとは一気呵成だ。

 堰を切ったようにペラペラと喋りだした。


「お、俺たちは女を探している」

「女? なんか予想通りだなあ。で、どんな女なの? うちの好み?」

「サツキ、真面目に聞きだしなさい。ふざけすぎて拷問にかけなくてはならないのはコストに見合わないわ」

「ちぇっ、はーい」


 ヴァネッサ・レベッカに説教をされて、なんとか真面目になる皐月であった。


「どんな女の人なのかなあ」

「―――それは……六本木で俺らの組がケツを持っているガキどもが、家出娘を売り飛ばすシノギをしてたんだけどよ……」


 皐月は眉を寄せて顔をしかめた。

 やはりの関係か、と。


「帰るとこもなくて、泊まるあてもねえ、終電を逃したような連中だ」

「―――神待ち少女って奴かな」

「ああ、そいつだ。奴らは電子掲示板を作って、それで良さげなのを物色していたんだ。それで、チョロそうなのをして店に下取りに出していた」


 下取り、ね……

 皐月はその中古品を扱うような単語に反吐が出そうになった。

 つまり、女を中古にするようなことをしてからの話ということだからだ。

 まったくクズのやることはいつの時代もたいして変わらない。

 刹彌流の直近の先祖もそれはそれはクズと極道と渡世人を嫌っていたものである。


「それで奥多摩の過疎でなくなった村の跡地で監禁かこっていたという訳かな。逃げ出されちゃ困る訳だ」

「……ああ、そうだよ」

「でも、サツキ。それではあのブッデズムのプリーストが説明つきませんよ。どう考えてもギャングには思えませんでした」


 ヴァネッサ・レベッカが指摘したのは、聯頭れんずという坊主のことだった。

 確かに皐月もあれはおかしいと感じた。

 まともな坊主ではなく、おそらくは外道の類いだろうが、あんなものが多量のヤクザを顎でこき使っているは変だ。

 やはりまだ裏がある。


「あの坊主はなんだい? 特にうちと商売敵という訳じゃないけど、ヤクザとつるむにしてはちょっとおかしいよね。あいつのことも説明してよ」

「聯頭は……」

「早くしてくんない。うちもあまり気の長い方じゃなくて、思わず鼻の骨を外したくなるんだよう」


 鼻には軟骨しかない。


「わ、わかった! 話すよ! だから、乱暴すんなよ!!」


 反吐が出そうな命乞いをしながら、若頭は口を容易く割った……





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